理系・文系を重ねて見る光景は
我は王蟲なり、ビワコムシ
滋賀県のシンボル・琵琶湖で、気候が和らぐこの季節に大量に発生する虫をご存じだろうか。淡褐色で体長1センチ程度の通称「ビワコムシ」だ。ときには住宅の壁や車などにびっしりと張り付く。今年は特に大量発生し、自治体には住民から「気持ち悪い」との苦情も。ただ、迷惑虫の実態は、環境保全に役立つ“いい虫”でもあった。迷惑害虫とされるビワコムシだが、水生昆虫の研究者によると、幼虫が湖底の泥の中の有機物を食べることで「湖底の浄化に役立っている」。湖に流れ込む生活排水による有機物も食べているとみられる。さらに成虫は鳥やクモの餌になり、琵琶湖周辺の生態系の維持にも一役買っている。人畜無害で環境保全にも貢献しているビワコムシ。外見だけで一方的に嫌わず、“共生”を図る発想も必要なのかもしれない。(産経新聞 )

おお、ナウシカの世界ですね。あれほどでなくてもナウシカ的世界はささやかに密かにどこにも転がっているのだ。
大婆様の言う通り「やがて王蟲の躯を苗床にして胞子が大地に根を張り 広大な土地が腐海に没したのじゃ」 という猛毒の瘴気に覆われた腐海だけど、大いなる浄化のゆえの瘴気だった。
今年は特にビワコムシが大量発生したというなら、琵琶湖に流れ込む生活排水による有機物が多いという汚染のひどさを示すのかもしれない。

img59066534.jpg

「ビワコムシは人間が汚してきたこの琵琶湖を綺麗にするために生まれてきたの。大地の毒を体に取り込んで、綺麗な結晶にしてから、死んで砂になっていくんだわ。この地下の空洞はそうしてできたの」

なんて、琵琶湖のナウシカ姫たちもがんばっているかもしれない。
森も虫も地球の生態系の中で循環し、大地も大気も作られている。
過去、大地を跋扈した恐竜が滅び、大地を覆ったシダ類も失われ、あるいは文明の痕さえも、やがてまだ暗き森や海が、そして小さな生き物たちが長い時間をかけて、ふたたび美しい緑を、生き物溢れる世界を蘇らせるのだ。
今、地球を跋扈するのは人間だけど、ほどほどに生態系の中であまたの自然と共生しようというナウシカ姫の視線はやはり大切なのだろう。
時には人を殺すような激情も持ち、地下室での水耕栽培実験ように真実を見つめる検証的姿勢、メーヴェのような軽飛行機も楽しむようなナウシカは人間そのものでもあるからなあ。
風に揺れるブランコはどこの町にもある
少し前のことだけど、朝、目覚めてテレビを点けたら「小さな旅」というのをやっていて、旅人は作詞家の松本隆だった。
以前にもインタビューだかで斉藤由貴との対談をやっていて面白かったのだが、やはり今になって、歌詞という表現活動だけではなく何か直接語りかけたいものがあるのだろうか。
新宿の雑踏を少し離れた、なにかしら懐かしい人たちがそのままに暮らしているような時間と場所を訪ねていく。
狭い部屋で句会を開いている人もいた。
若くさまざまな人が参加している。松本隆が句会に参加したからだろうか。
出た句のひとつは
「ブランコはほとんど風でできている」

haijiburannko.jpg

まさにオマージュな?「幾千の風を集めてパーマかな」というのもあった。
ちょっと、記憶のみで書いているから間違いがあるかもしれないけど。
僕も田舎の街を学生の頃出ていたら、こんなところにいたのかもしれない。
画像は「アルプスの少女ハイジ」。ハイジのブランコもアルプスの風でほとんどできていた。
少女マンガには「花ぶらんこゆれて」(太刀掛秀子)というのもあって、あれは何でできているのだろうなあ?
風か、花か、少女の夢か。
目をつぶってブランコに乗るとちょっと異空間に持っていかれる感じがあって、目を開ければ現実に戻れるのだけど、ときどき目を閉じたまま手を放して飛び出してしまえっていう衝動を思い出す。
飛び出せば、そのまま現実の地面に落ちるのか、はたまたそこは別の町なのか…。
ブランコはどこの町の小学校や公園にもあって異空間を繋ぐソースのような気がした。
人が乗っていなくても揺れているブランコを僕は見たことがあるのだ。
あるいは宇宙。
銀河鉄道のイメージは素晴らしいけど、宇宙ブランコはどうだろうか。
スイングバイなんて宇宙ブランコそのものようで、繫いで繋いでいつか宇宙の果てまで。
さし旅 文房具 ツバキ文具店
先日のNHKさし旅「文房具マニアと巡る熱狂ツアー」というのがあり、AKB48指原莉乃と文房具マニア(万年筆好きの俳優・木下ほうか、鉛筆マニアのNONSTYLE・石田、文具ソムリエール、鉛筆削りかすマニア、ペン改造マニアなど)と東京・下町を巡るツアー。
僕も店に入ると楽しくてしようがない「シモジマ」も紹介されてマニアでなくても必見の旅。

mannnennhitu.jpg

TBS「マツコの知らない世界」でたびたび登場した菅未里が文具ソムリエールとして参加し、またNHKではちょうどドラマ「ツバキ文具店」もやっていて、やるなら今でしょというタイミングだったのだ。
しかし、「さし旅」もさることながら、文具のバリエーションでいえば「ツバキ文具店」のほうでありましょう。
物語も美しい心温まるものだけど、登場する代書に必要とされる文具の数々、代書屋も兼ねるとはいえ、また文豪も多かった鎌倉とはいえ、小さな文具店とも思えぬ品揃えなのだ。
万年筆のモンブラン、インクの種類、羊皮紙、原稿用紙、クリームレイドペーパー、ガラスペン、羽ペン、押し花、ロウ引き加工、見知ったボールペンも様々にあり、虫こぶインクなどは聞いたこともない。
それらを依頼者の心に寄り添い、ペン、紙などを選び、ときには鏡文字まで駆使して見事に代書するのだからすごい。
祖母から厳しくしつけられたとはいえ、途中で逃げ出し、8年ぶりに戻った女の子とは思えぬ知識・才能だけど、まあ、そういう体験を経た故ということもあるかもしれない。
手紙が電話に変わり、電話もメールに変わりつつある今、手紙の意味を考えるときかもしれないなあ。

karinotayori.jpg

あなたは常々言っていました。字とは人生そのものであると。
私はまだこんな字しかかけません。でもこれは紛れもなく私の字です。

このブログ、はたして僕の字で書けているだろうか。
近くにあんな代書もしてくれる文具店あったらいいのになあ。

画像上は僕が中学か高校の入学祝いでもらった万年筆・ボールペン・シャープペンのセット。結局、しまい込んで使わずじまいだった。
画像下は児童年鑑より、季節の便りの文例。9月は雁の便りですからね。ちなみに10月は燈下。こんな言葉ももう使わなくなってしまった。

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

久生十蘭 演劇や小説は数学的、物理的構成による
土屋隆夫に続く、古い本や雑誌を整理にふと気になって読み始めてしまう作家発見シリーズです。
ミステリー作家の久生十蘭ですね。
僕が久生十蘭を知ったのは、たぶんNHK少年ドラマシリーズ「霧の湖」で、この不思議なドラマの原作者が久生十蘭だった。
ミステリー選集の中でも見つけたし、まあ、ミステリー選集のいいところはいろいろな作家に出会うことでやはり土屋隆夫も必ずあったりする人だった。そういえば、この二人、ともに演劇畑ということでも共通点がある。
やはりマニアックな作家だったらしく、定本久生十蘭全集の刊行の折には入手困難と思われた欠落資料もマニア(ジュウラニアンというらしい)から続々集まったという。
全集第1巻収録の「妖術」の初出は「令女界」という希少な少女雑誌らしく、たしかにマニアでなければ見つけられないような雑誌ですね。「令女界」というのはもちろん少女雑誌で、少女でもちょっと大人びたハイブロウな読者層なのだろうなあ。
他の執筆作家もなかなかすごい顔ぶれで大原富枝 、川端康成 、森田たま、龍胆寺雄 などでちょっと耽美な感じもします。
少女という括りが、純文学だとかミステリーだとか少女小説だとかのカテゴライズを越えさせたかのような、執筆陣です。

hisao.jpg

あの奇想に満ちた山田風太郎に「わが創作意欲をフンサイさるを感ず」と言わしめたのに相応しく、異才で日常も相当変わっていて、たとえば演劇や小説はそもそも数学的、物理的構成によるとし、よって書いた原稿の一行削っても全体が崩れるのだと。
したがって、原稿は遅れるのが常でその理由はでたらめの嘘八百。
まあ、この演劇論・小説論がそもそも原稿遅れの理由づけから始まったような気もするけど、せいぜい、そういう一面もあるくらいじゃないですかね。
もっともこれを読んだときは「しめた」とばかりに第1章 加減乗除、第2章 分数、第3章 連立方程式など因数分解、微積分までひたすら公式、計算式を羅列するだけというまだ誰もやっていないだろうという小説を思いついたのだが、数学が苦手な僕はこれも上手く構成できず、空前の奇作?は想像の中に埋もれた。
それでも当時の編集者は怒り、泣きながら原稿を待ったらしい。
出来上がった作品は待つだけの価値が十分にあり、一行一字たりとも無駄なことは書かないという姿勢は短編「母子像」のニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の第2回国際短篇小説コンクールで第一席という結果を生んだ。
久生十蘭の名前はシャルル・デュランのもじりとも、「久しう生きとらん」、「食うとらん」とも言われるけど、もしかしたら名前も数学的、物理的構成を秘めているのかしらん。

画像は雑誌「面白半分」 新青年むかし話(土岐雄三)より。

テーマ:文学・小説 - ジャンル:小説・文学

六角形の梵鐘 安珍・清姫
1560(永禄3)年創業とされる岐阜市若杉町の鋳造会社「ナベヤ」で4月11日、寺の釣り鐘を鋳造する「梵鐘(ぼんしょう)吹き」が行われた。伊勢市西豊浜町の忍徳寺の注文により、初めて六角形をした鐘に挑戦した。(中日新聞)

前回の円、球に続いて美しい形は六角形です。
雪の結晶、花粉とか自然にあるがままの形はすべてにおいて美しく、そこには必然となるべき原理があるのだろうなあ。
ましてや日本人は「かたち」が好きですからね。
武道などもまず形から入ったりするし、家紋の種類も自然からの模倣だし、さらに人は洗練する。
自らもその原理のなかにおきながら、それを越え、創造しようとするのが人間なのだろうか。
さて、今や梵鐘を作れるところも少ないらしいのだが、岐阜には茶釜を千利休にも納めたというナベヤという由緒正しい鋳物鋳造会社があって、今回初めて六角形をした梵鐘に挑戦した。
このナベヤは鋳物技術の伝承から最先端加工技術まであって、六角形梵鐘というのは伝承技術と最先端加工技術の結晶かもしれない。
しかし、あの遠くまで届く低い鐘の音、六角形ともなるとまるで違いそうで、難しいのだろうなあ。
もともと梵鐘は500~1000キログラム(銅合金)の重さで、全工程が手作業のうえ、この大きさだと他の鋳物とも全然違うらしい。
さらにちがうというのは信仰心が込められるということで、流し込む作業の前には式典・読経が詠まれ、檀家からは指輪やネックレス、金歯なども一緒に混ぜて欲しいといわれることもあるらしい。
僕は梵鐘というと横溝正史の「獄門島」を思い出すけど、「安珍・清姫」などの伝説も、そんな思いも具体的な物質も放り込まれた梵鐘ならむべなるかな。
鐘の音も教会の鐘は鳴らす感じだけど、梵鐘は強く打ち、思いを解放するような音のような気もしますね。

07170335.jpg

数十年前までは年に30個前後製造されたものが、現在2、3個しかないというから梵鐘の技術の伝承も大変です。
でも古来からの伝承技術が日本の最先端技術を支えるものであること示し、自然の模倣に始まる技術、文化はやはり大切だなあ。
エジプトのピラミッドの技術なども失われていることが多く、断絶もまた大いなる革新をもたらすけれど、長く緩い継続も強いらせん(梵鐘に巻きつく蛇・清姫の化身じゃありませんよ)のような?進化力を感じさせます。
御朱印だとか仏像ガールとかがブームらしいけど、梵鐘ガールいうのはいないのかなあ。
文化的にも科学技術的にも梵鐘ってなかなかの偏愛の対象ですよ。
ちなみにナベヤの梵鐘技能保存担当者の持つ資格は銑鉄鋳物鋳造作業特級、1級、銑鉄誘導炉溶解作業1級、機械系保全作業1級、銑鉄キューポラ溶解作業1級。ちょっと見たくなるでしょう?

画像は「へうげもの」。主人公古田織部の師匠にあたるのが、千利休。

テーマ:神社仏閣 - ジャンル:学問・文化・芸術