理系・文系を重ねて見る光景は
壇蜜の宮城県観光PR「見立てのエロス」
タレントの壇蜜さんが出演する、宮城県の観光PR動画が議論を呼んでいる。4日に動画投稿サイトで公開されてから再生回数は115万回を超えたが、性的と受け取れる表現が含まれていることから、批判も起きている。14日には、仙台市議らが動画配信の即時停止を奥山恵美子市長に申し入れた。問題となっているのは宮城県や仙台市、JR東日本でつくる「仙台・宮城観光キャンペーン推進協議会」が作成した「涼(りょう)・宮城(ぐうじょう)の夏」という動画。先祖が仙台藩に仕えたという壇蜜さんが、2分半にわたって宮城県内の名所を紹介する内容。壇蜜さんの唇のアップや、性的な意味として受け取れるような言葉が多用されており、ネット上でも「面白い」「趣味が悪い」と賛否が分かれている。
村井嘉浩県知事は10日の記者会見で批判について問われ、「賛否両論はあるが、可もなく不可もなくでは関心を呼ばない」などと評価した。一方、公開停止を求めている仙台市議らは「品位が感じられない」と反発している。(朝日デジタル)

ちょっと前にも同じような問題でサントリーのCMが炎上したとあったけど、ジェンダーな話題を下ネタに扱うと難しくなりますね。
万人に向けた観光PRなら女性を敵に回すようなものは少し無謀だけど、それにしても笑いなども含めて、それぞれにちがうであろう人の感性によるものの扱い方はほんとうに難しくなってしまった。
すぐになんでも白黒をはっきりつけたがるからなあ。放っておいたほうが上手くいくことも多いと思うのだけど。
人間は善悪も好悪も、人品も高貴から下卑まで合わせ持つものだから、あまり徹底するのはなあ。
以前に呉智英さんも新聞インタビューで「差別しかない社会はもちろん暗黒社会ですが、差別をまったくなくしてしまっても逆の暗黒社会になってしまう。国民全員がニコニコして歩いていたら不気味でしょう。北朝鮮のパレードと同じです。全てに光が当てられたハイトーンな社会は異常です。顔に陰影があって人間がある。差別もあり差別と戦うこともある社会が人間らしい。さらに続けて「よく共生といわれるけど人間のネガティブな面と共生しなかったら、これはうそ。貧困や病気はなくならないし、差別もそう。差別を無理になくそうとするのは啓蒙の暴力、人間は暗い顔の時もあれば怒りをぶつけたいときだってある。不快感や嫌悪感というネガティブな感情は人間が生身である限りなくなりません。きれいごとだけにしてしまうのは不気味な社会です」とだんだん持論の近代社会批判となっていくのですが、それはともかく、今週のテーマはエロなのだ。
日本は「見立て」の文化も特異に発展したから(?)、エロにも余計そういうことを潜ませることがあったかもしれない。

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あの、吉永小百合さんだって、女優や文士も参加した句会で、「今日はバレ句(色っぽい句)を詠みましょう」というテーマが出されたおりにはあっと驚くような艶っぽい句を詠んだ(僕には書けません)。
川端康成などの文士にも愛されたというから、人間の奥底を見るような眼もあったにちがいなく、またそういう人の奥底を垣間見たり、あるいは清純派とばかりに言われることの反逆もあったかもしれない。
だから『青春の門』や『天国の駅 HEAVEN STATION』のような作品にも挑戦した。
この山口百恵の写真だって、下卑た見立てがあろうともやはり、山口百恵はいいのである。
「ひと夏の経験」など少女にとってはずいぶんな見立ての歌詞だったりしたけど、山口百恵は動じない。
動じちゃうのはこっちだものなあ。
今はまた斉藤由貴の不倫疑惑が騒がしいけど、まあ、プライベートを覗くようなことのほうがよほど趣味が悪い。
しかし、動じるようで動ぜず、のほほんと会見を終えてしまった斉藤由貴。やっぱり、すごいな。
白いワンピースで記者会見に臨んだけど、陰翳礼讃たる優美さです。
だんだん、こっちも意味不明になってきた。
ということで?、次回は僕もちょっとエッチな小説に挑戦です!?

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

ささやかな日常にあるエロス、あるいは死、または破滅の延長線上にあるエロス
以前、側溝に潜んで上を歩く女性のスカート内をのぞき見ようとしたとして逮捕された男がいたけど、人間のエロスの欲求はかくもさまざまで?難しそうな現代文学もエロいと聞けば読んでしまうのが青春?
たとえばヘンリー・ミラーという米文学の巨匠がいるけど、僕が学生の頃、当時の風説によれば、すごいエッチな小説だということで、代表作「北回帰線」を喜び買いこんで読み始めたのだけど、どこまで読んでもちっともそんなものは出て来ず投げ出してしまった。諦めきれずに「南回帰線」も買ったのだが挫折。すくなくともぼくには分からなかった。
ノーマン・メイラーの「鹿の園」もそうで、よっぽどツルゲーネフの「初恋」のほうがどきどきした。
変な期待のあるものより、思いがけないささやかな光景のなかに見出すものなのかもしれない。
でもまあ、そういう好奇心は文学や映画など多様なものに親しむきっかけともなり、評判などは当てにせず、またつまらないと思っても最後まで読み通すという忍耐を学ばせてくれた。

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あるAV女優は「村上春樹がペニスと書いただけで興奮する」と書いていたし、ノーベル賞候補とも言われた安部 公房は、ストイック教養小説ともいえる庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて(薫くんシリーズ第1作)」、まあ、由美という彼女がいるのにもかかわらず、セックスのセの字も出てこないのだが、「あのおしまいのとこ、歩きながらそっと手を差し出して、指先が触れ合うとこ」で、「立っちゃった」といい、また庄司薫も書きながらそうなったと告白したように、いや、実は僕もという人も多いに違いない。

以前にも「愛の顛末」(梯久美子 日経新聞)の原民喜(作家・詩人)を読んでいたら、晩年(といっても45歳で自殺した)、原にとって奇跡のような少女に出会い、お茶をセッティングされても話しかけることもできず、少女のいるささやかな風景だけで彼の心は揺すぶられ、満たされたのだろうという。
人間の観念。それが僕を振落し僕を拒み僕を押つぶし僕をさまよわし僕に喰くらいつく。
僕が昔僕であったとき、僕がこれから僕であろうとするとき、僕は僕にピシピシと叩たたかれる。
僕のなかにある僕の装置。人間のなかにある不可知の装置。人間の核心。人間の観念。観念の人間。
洪水のように汎濫はんらんする言葉と人間。群衆のように雑沓する言葉と人間。言葉。言葉。言葉。(原民喜 鎮魂歌より)

先の側溝の男は「生まれ変わったら道になりたい」と言ったらしく、行動はともかく、ずいぶんとソフィスティケートな言葉ではある。
画像は映画「白鳥の歌なんか聞こえない」(庄司薫原作)。薫くんを演じたのは現東映社長の岡田祐介。
由美ちゃんは「赤ずきんちゃん気をつけて」の森和代に変わって本田みちこだった。
こんな何でもないシーンでもどきどきした。

テーマ:現代小説 - ジャンル:小説・文学

天災も人災も忘れぬうちにやってくる
政府は29日未明、北朝鮮から弾道ミサイルが日本海へ発射されたと発表した。ミサイルは28日午後11時42分ごろに同国中部から発射され、45分程度飛行し、北海道西方沖の日本の排他的経済水域(EEZ)内に落下したとみられる。北朝鮮が深夜にミサイルを発射するのは極めて異例。(毎日新聞)

続報によればロフテッド軌道による米国本土ロサンゼルスにまで達する可能性のあるICBMだった。
以前にに北朝鮮の弾道ミサイル発射を受け、東京メトロが一時全路線で運転を見合わせたことに韓国では過剰対応との批判があって、また日本でも違和感をもって受け止められたりもしたけど、これには少しお国柄ということもあるのかもしれない。
東日本大震災では100年どころか、1000年・万年単位の恐ろしさを再認識させられたこと思えば、どんな可能性にも対応しようというのは不思議ではないし、実際、地震などではどこの国にもない、科学的には疑問さえつくほどの体制づくりになっているのだろう。気象情報の徹底ぶりもすごい。
ただ、古来その恐怖(自然)に寄り添ってきたものと、またまったく別の次元での恐怖(人間)とは必ずしも相いれないものもあるのかもしれない。人の意図も働くからなあ。

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まあ、人はやっぱり都合よく考えますからね。
分かりやすいところでいえば地震も噴火も台風など自然災害も危険だし、人為的なものでは原発も危険だし、テロ・戦争も危険。
長いスパンでいえば温暖化や寒冷化などに始まり、隕石落下、地軸の逆転、身近なところでいえば年金・人口減など、いくらでもあるのだけど、政治や経済システムも、人は都合よく考え、使うからね。
まあ、それが人間でもあるけど、時々は、誰かはきちんと考えないとなあ。
今日は新しい内閣の顔ぶれも決まったけど、どのように考えたものだろうか。
田原総一朗氏が安倍晋三首相と28日に首相官邸で面会し、田原氏から安倍首相に対して「政治生命をかけた冒険をしないか」などと提案したことが話題になっていて、すなわち、政治的冒険とは何かを巡って北朝鮮問題関連など、様々に言われてるけど、僕は「超巨大噴火の鬼界カルデラ」にも書いたけど、反原発、脱原発じゃないのかなあとも思うけど、どうだろうか。
地震・火山大国の日本ではどうあっても合理性を欠くし、また北朝鮮がミサイル発射するたび、地震が発生するたびに不安だった、少なくともそれらによる原発の危険は回避され、まだまだ廃炉処理など始まったばかりだけど、原発の妙な頸木から解放されることだけでも、がらりと変わるのではないのかなあって。
ねらわれた学園、ねらわれた地球
ちょっと前だけど、NHKの探検バクモンは「防犯カメラ」。まあ、監視カメラといってもいいのだが。
「世界最大手のカメラメーカーを探検、最先端の防犯カメラを目撃する! たたいても壊れない、暗闇でも撮れる、さらには“知性”も獲得? 驚くべき進化を目の当たりにする!」
と謳われていたけど、そのとおり。すごいことになっている。
今や犯罪捜査では欠かせぬ追跡アイテムだし、もう街の防犯カメラ程度でも怖ろしく精度が上がっていて、さらには顔認証から群集の正確な人数確認など留まることを知らない。
でもまあ、あの群衆における正確な人数確認は、よく祭りやデモ集会など警察発表と主催者側発表にずいぶん乖離があったことにはケリを付けますね。
セキュリティーカメラが安心・安全のために増えていき、AIにつながることで安心・安全を超えて、今想像がつかないような楽しいこととか面白いこととか、そういったことのエリアがあるのではと思っているなどと開発者たちはいうけど、AIの想像もつかないエリアって、楽しいこととか面白いに限らないだろうからね。

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画像は映画「ねらわれた学園」より。
ジュビナイルSFで時代もあって、かなり管理社会を否定的に描くものだったけど、今は自由のようでプライバシーが守られているようで、実は管理が当たり前のように、すでに慣らされてきているのかもしれませんね。
いかに正義でも、便利なものでも過剰なるものには危険がつきまといます。
最近は商店街には多くの監視カメラが導入され、よくわからないところにもあったりするらしく、また、スマホ、GPSなどがAIにつながれば、プライバシーは奪われそうで、いずれ何らかの意図を持ちそうで怖ろしいけど、目先の安全の声に抗することは難しい。
目先の安全の積み重ねが未来の安全を担保するわけもなく、機械的に守られることに慣れきったヒトって、剥き出しの危機が訪れたとき生き残れるのだろうか。
魔術・呪術が跋扈した時代、人は呪術から逃れるため、真実の名前や血、誕生日などを個にまつわる情報を秘匿した。
不確実なものが一つでもあれば、呪術は完遂できないからだ(SF小説などやマンガの読みすぎかもしれない)。
AIが魔術を代行することはないのだろうか。
すべてをゆだねていいのだろうか。
伝統的な共同体の絆を断ち、自由を得たがゆえに、不安や孤独にさいなまれ、結局は新たな安定を求めて「権威」に縋りつく(「自由からの逃走」エーリッヒ・フロム)。
万人ことごとく自由を愛す、しかも自由を滅ぼすことを好むようなこともよくやる(ヴォルテール)

人ができることは、たとえすべてのことから守れなくても「守ってあげたい♪」という気持ちを大切に持ち続けることなのだ。
強毒「ヒアリ」の侵入
環境省は13日、強い毒を持つ外来種のアリ、「ヒアリ」を国内で初確認したと発表した。中国から貨物船で運ばれたコンテナの内部にいるのを、兵庫県尼崎市で見つけ、消毒して死滅させた。環境省は「現時点ではヒアリが定着し繁殖している可能性は低い」としているが、念のため、周辺に侵入していないか緊急調査を始めた。 ヒアリは赤茶色で体長2・5~6ミリ。人が刺されるとやけどのような激痛が走る。毒針で何度も刺すほど攻撃性が高く、かゆみや動悸(どうき)などが引き起こされ、アナフィラキシーショックによる死亡例もあるという。(朝日新聞デジタル)

というニュースに始まったヒアリ騒動はその後も続々と見つかり、港だけではなく内陸部、ついには女王蜂まで見つかり、すでに定着も強く疑われる状況となった。
また大阪・南港に到着したコンテナ内ではやはり毒性を持つ新たな「アカカミアリ」が発見されている。
もう水際ではないのだ。水際での侵入阻止はまさに島国ならではだけど、もう島国とはいえ、このグローバル世界では侵入を防ぐのは困難ですね。
最初の発見から2か月余りで相次いで見つかるのは、その後の侵入ばかりと考えるのは不自然で、最初の発見で大きく報道、検査体制が徹底されたゆえでもあるにちがいなく、とすれば最初の発見以前からの侵入がすでにあったと考えるのが普通でしょう。
すでに蟻の一穴は穿たれており、それまでは対策も取られていなかったわけだから、定着している可能性は高い。

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毒性はないものの、生態系を破壊するという特定外来生物「アルゼンチンアリ」も侵入以来、生息域を着実に広げているらしいし。岐阜県では地元各務原市で最初に発見され、港町でもない内陸の町なのにとも思ったけど、航空機や自動車などの工業が盛んな街だから輸入されたコンテナからということも、あるいは航空自衛隊岐阜基地があるから、そこからという可能性もあるかもしれない。
グローバル化は近代以前には大陸ごとに分断されていたものが世界に広がり、弱肉強食による生存競争が地球規模の熾烈なものにしてしまった。
大陸の激烈な生存競争下にあったものにすれば、平和な島国の固有種など赤子の手をひねるも同然かどうかは知らないけど、新たな生存競争が始まり、僕たちも未知の危険にもさらされる。
ヒトという種がもたらしたグローバル化はその中で新しい可能性も見出すけど、生存競争の激化によって多くの固有種が失われ、多様性を脅かしますね。
そして、それは文化や経済にあってもそうで、熾烈な経済競争にあっては固有の経済原理、あるいは文化なども簡単に奪われ、独自の文化として主張しても、いずれ非関税障壁などと言われ、実際、文化の基盤たる言語ですら、多くは失われつつありますからね。
世界の標準化・フラット化はたしかに一方で公平化をもたらし、その強者の美名に逆らうことはなかなかできないけど、かたや自然のなかで固有種が危機に瀕するように文化なども淘汰されていく。
グローバル化といっても島国として成り立つ幸運を?、古来より守られてきた自然や叡智を、最大限活用するというあり方もあるのだと思うのだがなあ。
まあ、これはまた別のお話。