理系・文系を重ねて見る光景は
雪の雑想 天からの手紙
48年ぶりに都心部で氷点下4度を観測したり、北陸、とりわけ福井では38豪雪、56豪雪以来の記録的な大雪に見舞われ、様々な被害も出ていて、今冬はやはり平年に比べてずいぶん寒いのだろう。
雪国でも寒さ対策というかインフラも以前に比べて整ったはずだけど、この混乱ぶりを見ると、昔の冬に逆らわず、冬の寒さと雪とも生きる知恵を持った時代の精神も悪くないような気もします。
食料は様々な工夫で保存され、家のなかでも出来る藁細工などの手仕事…てなわけにも戻れないけど残すべきはあるのだろう。
ここ岐阜は飛騨地方など山間部はずいぶんな雪国なのだが、岐阜市や僕に住む各務原市などは大雪なるようなことは少なくて、まあ、大雪といってもたまに20~30センチほど積もるくらい。
でも気温は間違いなく今よりも厳しかった。今では最低気温もせいぜい氷点下4度くらいだけど、子供の頃には氷点下8度~10度くらいはあったような記憶がある。
僕は子どものから雪好きで積雪深度や最低気温の記録も付けていたことがあったけど、もうさすがに見当たらない。
雪好きだからといって、犬ではないので庭かけまわりということもないけど、美しく積もった雪を汚すことなく、いつまでも美しくあればいいのにと、足を踏み出すのもおっくうなほどに雪は美しく無垢なるものだった。
とりわけ好きな雪はこの地方ではあまりない厳冬にしかないさらさらの粉雪で、それは降りはじめであっても小さな結晶のままに地に落ち、風に転がり結晶がさらに細かく砕かれながらも融けることなく、凍てつく地をあっという間に白く覆い、積み重なっていくもので見ていて飽きなかった。
夜に雪が降り出せば、2階の子供部屋からしょっちゅう窓を開けて、定規を屋根の雪に差し込んで降りやんではいないかと積雪を確かめ、深夜になってもときどきこっそり窓を開けて覗いてた。
朝は寒椿の花弁に降り積もった雪が、重さに耐えかねて花弁ごと落ちる音に目を覚ました。
雪に落ちた真紅の花弁にまた雪が降り積もっていくと、淡く雪が覆ってピンクになり、さらに積もってやがて白になる。
僕にとって雪は限りなく美しく、そしてすべてを美しく覆い尽くすものだった。
もちろん、子供の頃でもあまり雪のなかった冬もあったから、暖冬の年もあったはずだけど、今より間違いなく寒く、粉雪の降り積もるような厳冬も多かったのだ。
小学校の校庭の横には防火水槽があって、金網が張られているのだが、厳冬ともなると氷が昼でも融けず、日毎に厚さを増して、子供なら乗っても割れぬほどになり、おそるおそる淵を歩けるような年もあったのだ。

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雪といえば映画「アナと雪の女王」というのが大ヒットしたけど、僕はNHKアニメの「雪の女王」や「秒速5センチメートル」の雪のシーンが好きだなあ。
あの、子供の頃に見た冷たい粉雪やしんしんと降る雪と印象が重なるのだ。

「ただ生活をしているだけで、哀しみはそこここにつもる。陽に乾したシーツにも、洗面所の歯ブラシにも、ケータイ電話の履歴にも」とは、「秒速5センチメートル」で歌われた山崎まさよしの『One more time, One more chance』。
そうか、降り積もるのは雪だけではないのか。
きっと少年から大人への変わり目で知るのだろうけれど、そんなことにはさっぱり気づかず大人になってしまった。
「それは誰にもあるような ただの季節の変わり目の頃」 
こちらは荒木一郎「空に星があるように」からだけど、「ぎゃ、誰にもあるようなことなのか。ただの季節の変わり目なのか」

でもまあ、大人になっても中谷宇吉郎先生みたく「雪は天からの手紙である」という人もいるからなあ。
今日もまた厳しい冬が続く。

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春日狂想 西部邁さんの自死の思想
21日午前6時40分ごろ、東京都大田区の多摩川河川敷で、通行人から「男性が川に飛び込んだようだ」と110番通報があった。駆けつけた警視庁田園調布署が男性を救助し、病院に搬送したもののまもなく死亡が確認された。死亡したのは評論家の西部邁(すすむ)さん(78)で目撃情報などから自殺とみられ、同署で当時の状況を調べている。(産経新聞)

以下は以前のブログより再録です。
作家 芥川龍之介の遺書4通の実物が発見され、日本近代文学館でその複製が公開されている。
死を直前にしても丁寧に乱れなく書かれ、推敲の跡も残っているらしい。
子ども宛の遺書は「一 人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず…」とあり、死は生まれ生きた人間にとって、とりわけ文学者などにとっては最大のテーマだったりします。
昨日の日経新聞のプロムナードに秋山駿が「言葉を可愛がるとは」として、中原中也の「春日狂想」があげられています。

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愛するものが死んだ時には
自殺しなけあなりません

愛するものが死んだ時には
それより他に 方法がない

で始まる中原中也の「春日狂想」は文学者のなかでも特別の感性、創作であるかもしれないけど、やはり死に対する戦ひの言葉のような気もします。
さらに秋山氏は「妻と僕」(西部邁著)を読んで、ようやくこの中也の言葉が解けたといいます。
重症のガンに侵された西部氏夫人は余命幾ばくもないと書き記され、二人で歩んだ半世紀近い人生を西部さんは淡々と振り返りながら、西部氏はこの本で「僕には自死の思想を手放す気は少しもありません」というのだ。
また評論家 江藤淳も妻の献身的介護ののち、自らも極度の疲労で病気となり、また軽い脳梗塞も発症した。
脳梗塞以降も何の問題もなく、原稿も変わらぬものだったけど、「脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず…」と遺書を残し自殺してしまった。

馬車も通れば 電車も通る
まことに人生 花嫁御寮

まぶしく 美(は)しく はた俯いて
話をさせたら でもうんざりか?

それでも心をポーッとさせる
まことに 人生 花嫁御寮

ではみなさん
喜び過ぎず悲しみ過ぎず
テムポ正しく 握手をしましよう

つまり 我等に欠けてるものは
実直なんぞと 心得よして

ハイ ではみなさん
ハイ ハイ ご一緒に――
テムポ正しく 握手をしましよう

中原中也「春日狂想」より一部抜粋

人も世界も何も変わらないように続いていくのだが…。
耐えられない時も、耐え難い人もいる。

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時の花の刹那、真の花の永遠
「やすらぎの郷」が拓いた団塊世代向けの「ドラマ」。
「トットちゃん」に続いて「越路吹雪」ですね。展開が妙に早いのも老年にさしかかろうとする時間の早さゆえなのだろうか。
どうやら続編?「やすらぎの刻~道」(脚本 倉本聰)も決まったらしいから、こういう枠も定着していくのだろう。
以前にも書いたのだけど、子供時代から老年までのあっという間の流れをみていると、「やすらぎの郷」で秀さんの言った「時の花」「真の花」という言葉を思い出す。

「やすらぎの郷」より。
「姫、九条摂子さん(八千草薫)はゴンドラの歌が好きだったそうです。(いのち短し 恋せよ乙女 朱き唇 褪せぬ間に 熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日は ないものを)世阿弥の花伝書に従えば、若い時代の姫の美しさは彼の云ういわゆる“時の花”です。それに対して今の美しさは、幽玄を秘めた“真の花”です。今の方が自分は美しいと思います」(秀次)

どうなんでしょうね、「真の花」。人は果たして「時の花」を越えて「真の花」を見るものなのだろうか。
坂口安吾ですら「堕落論」のなかで、「~未完の美は美ではない。その当然堕ちるべき地獄での遍歴に淪落(りんらく)自体が美でありうる時に始めて美とよびうるのかも知れないが、二十の処女をわざわざ六十の老醜の姿の上で常に見つめなければならぬのか。これは私には分らない。私は二十の美女を好む」と書いていますからね。時の花は刹那の花だからなお愛おしいのだろう。
やはり倉本聡のドラマで「風のガーデン」というのがあって、こちらはほんものの花が多く出てくるのだけど、倉本聡オリジナルの?花言葉が秀逸で、僕のいちばんのお気に入りの花言葉はプルモナリア・ルイスパルマー(どんな花だ)の「早熟な乙女はわりとすぐ老ける」。
バーベナ・ハスタタ・ピンクスピアーズなんてのも「どうせあたいは田舎者、街の女にゃなれないの」で、「マイ・フェア・レディ」や何か宝塚の舞台でありそうな台詞のような気もして、宝塚版「風のガーデン貞三先生の花言葉365物語」などがあってもいいかもしれない。まあ、公演するならやっぱり「花組」でしょうね。

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花言葉が毎回添えられるといえば、「花の子ルンルン」というのもありますね。
これで花言葉を知ったり、覚えた人も多いでしょう。
クレマチス、タチアオイなど花言葉はもちろん、知らない花の名前もずいぶん教えてもらった。
もっとも名前だけで、実際には見たことないものも多い。
きんぽうげはわかりますね。
映画で「きんぽうげ」という作品があって内容はさっぱり覚えていないけど、一面の黄色いきんぽうげのなかに恋人たちがいるのだった。もっともきんぽうげは有毒植物だったりするらしいけど。
その花言葉は「無邪気」「子どもらしさ」。続いて「中傷」とあって、実際の花言葉も一筋縄ではいかない。
映画「ひまわり」も美しく切ない物語だったけど、あれは「時の花」(リュドミラ・サベーリエワ)「真の花」(ソフィア・ローレン)という暗喩をイメージしての「ひまわり」だったのだろうか。
ちなみに花言葉は「あこがれ」「あなただけを見つめる」「熱愛」「情熱」。

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乃木坂・欅坂、やっぱり青春は坂道
乃木坂46がライバルAKB48を抑えて、日本レコード大賞を初制覇した。今年は、後輩グループの欅坂46もシングルが次々と大ヒットするなど台頭。来年の「坂道シリーズ」の黄金時代到来を予感させた。乃木坂46は充実の時を迎えている。11月に計11万人を動員した東京ドーム初公演は、2日間で応募約55万が殺到した。全国ドームツアーを来年にも開催可能な圧倒的な人気ぶりだ。
デビュー2年目の欅坂46も、既に立ち位置を確立した。今日31日のNHK紅白歌合戦で披露する「不協和音」は、立憲民主党代表の枝野幸男氏も歌うなど、幅広い層から支持された。個々の人気も、センター平手友梨奈(16)だけではなく、今月発売の初写真集「ここから」が発売初週で9・8万部を売り上げた長浜ねる(19)ら急速に伸びている。さらに関連グループ「けやき坂46(ひらがなけやき)」の人気も急上昇中。音楽関係者は「欅坂46とは別グループとして十分デビューできる力がある」と太鼓判を押す。
来年の日本レコード大賞では、乃木坂46と欅坂46による「坂道シリーズ」で受賞を競い合う展開も十分に予想される。(スポニチ)

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そうか、ついに坂道の時代がやって来たか。坂道といってもやはり彼女たち、青春は上り坂ですね。
「にっぽん縦断 こころ旅」の火野正平さんの下り坂大好きというのもありますが。
このあたりのイメージはやはり青春小説の大家 石坂洋次郎の「陽のあたる坂道」あたりから来るのかな。
僕の青春の頃を彩ったドラマ「俺たちの旅」の主題歌でも「♪夢の坂道は木の葉模様の石畳 まばゆく白い長い壁…」と歌われているし、主演の中村雅俊の妹役だった岡田奈々のヒット曲「青春の坂道」などもまさにそれで、彼女のオリジナルエピソードともいえる「少女はせつなく恋を知るのです」でも、この歌は歌われます。

♪青春は長い坂を上るようです 誰でも息をきらし一人立ち止まる
そんなときキミの手の優しさに包まれて 気持ちよく泣けたなら幸せでしょうね…

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画像は岡田奈々主演「青春の構図。原作は曽野綾子。

僕は乃木坂も欅坂も行ったことがないけど、陽のあたる坂道、息の切れるような長い坂なのだろうか。
まあ、僕の乃木坂のイメージはやや完成された清楚で上品、欅坂はまだ未完の荒削りで、まだこれから始まるだろう青春の坂道で、だから叫びたくもなるし、怪我することもあるのだろうなあ。
いつか「ブラタモリ」か「タモリ倶楽部」で「乃木坂」「欅坂」からそれぞれゲストを招いて、坂道見学ツアーでもやらないかなあ。
地形や地質のほかにも意外な発見があるかもしれないぞ。
艱難辛苦が待ち受けていようともやはり上り坂、青春の坂道は越えなければならない。そして、あの耀きは二度と戻らない。
下り坂ともなるとですね。
いつかの正月の「こころ旅」の火野正平の独白より。
大分から宮崎の県境のとてつもなく長い下り坂 下っても下っても ただ降りるだけ。
ようやく10分以上も下った行き止まりにひなびた温泉旅館があり夕暮れも近いので、泊めてもらおうと玄関に入ると「あいにく団体旅行のお客様で満室、ただ特別室が1つ空いているだけ」だという。
思い切って泊まることにしたのだが、部屋に入っても これのどこが特別室 ? と思ってくつろいでいると
「わぁ~ わぁ~  キャ~ キャ~」 と 華やいだ声。ふと表を見るとなんとそこは露天風呂の正面ではないですか !
しかも女風呂 おりしも本日の団体客はAKB48の忘年温泉旅行…
なんて、正平さんの初夢らしいですよ。今年だったら「乃木坂」「欅坂」でしょうかねえ。
まあ、くぐり抜ければこんな楽しい思秋期、老年期もやってくる!?

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画像は「坂の上の雲」より。
彼らは明治という時代人の体質で、前をのみ見つめながら歩く。
登って行く坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて坂を登って行くであろう。
平成の彼女たちは坂の上の何を見つめて登っているのだろう。

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「ブラタモリ」から知る小川琢治博士
タモリ×藤井四段 新春対談というのをネット記事で読んだのだが、藤井四段が欠かさず見ている唯一のテレビ番組がNHK「ブラタモリ」らしい。
一見、両極端ともいうべきタイプの違う二人だけど、とも鉄オタでもあるらしいし、まあ、両極にあるって「ひも理論」じゃなけど、どんなに両端に離れていてもちょいと曲げて端と端を繋げれば、それこそ繋がるから引き合うのかもしれない(ひも理論なのか?)。
そして、「ブラタモリ」といえば地形・地質で、タモリによれば地質学は凄いマイナーな学問で、「学会は年々縮小しているけど、確たる証拠がない学問だから面白いんです。誰も当時の現場を見たことない」というのが惹かれる理由らしい。
たしかに地質学がマイナーだといういい例が小川琢治博士。
ウィキペディアでも紹介は明治3年5月28日(1870年6月26日) - 1941年11月15日[1])は、日本の地質学者、地理学者。和歌山県田辺市出身。基本はこれだけですからね(人物紹介等は別にある)。
実は小川琢治博士のご子息はあの物理学者湯川秀樹博士なのだが、まあ、紹介は湯川博士の1割にも満たない!?
まあ、湯川博士は日本人初のノーベル賞受賞者だから当然でもあろうけれど、でも、ここでよく引用する児童年鑑の歴史人名辞典には湯川秀樹博士とともに小川琢治博士もちゃんと載っている。
地質学者、理学博士。日本群島の地質構造を研究。地図学でも大家。和歌山県出身。1949年、ノーベル賞を受けた湯川秀樹博士の実父。
児童年鑑でも地図とか地形がけっこう使われているから地質学、地図学が今より重きをなしていたのだろう。
大河ドラマ「西郷どん」でも少年の西郷は薩摩の地図を見て藩、国を強く意識するように、地図、とか地形、地質を見て世界を、歴史を俯瞰できるということもあるのだろう。火山とか地震などの自然科学的なことも同様で、きっちり見ることが大切なのだ。

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小川琢治博士は多趣味で、何かに興味を持つと、それに関する本を集める癖があった。そのため、自宅は図書館のようであったという。「勉強は自主的に行うもの」という信念を持っており、強いることは一切しなかった。教え子や子どもらにはいつも「学校の成績のために学ぶのは、実に愚かしいことだ。自分が好きな学問を、広くかつ深く学びなさい」と言い聞かせたという。(ウィキペディア)

湯川秀樹博士も「目鼻が付かないうちがいちばん面白い」と作った「混沌会」(顔の造作のない帝王「混沌」は7つの穴(目・耳・鼻・口)を彫ったところ、混沌は死んでしまった)は、「荒削りでも将来発展しそうなアイデアを大事にした」らしく、理論的不備をつく指摘には、湯川は「ここはアイデアを議論する場だ、つぶすのが目的ではない」と席を蹴って退出した。「ぼくらは難問に挑んでいるんだ。多少のほころびはあっても志の高さを評価しよう」というのだ。
「物理は一つ、自然は一つ」。これも当時の物理学が素粒子・宇宙論・物性などへの専門化が始まろうとしており、湯川は「自然は(研究領域ごとに)別々に動いているわけではない」と忌み嫌ったという(日経新聞)。

湯川博士のノーベル賞への道程はかくあったのだが、今はどうなんだろうなあ。
つい先日も京都大学iPS細胞研究所で 人工多能性幹細胞(iPS細胞)に関する論文で不正が見つかったとのニュースがあったけど、荒削り、ほころびはあっても志の高さは失ってはならない。
「ブラタモリ」なアプローチも思った以上に学問的なすそ野を広げるなど学術的な貢献も大きいのかもしれないし、好奇心を持つ子供たちも出てくるのだろう。
タモリと山中伸弥教授が司会を務めるNHKスペシャル「人体」シリーズもね。

画像は「児童年鑑」より。山の高さや南極・北極など妙に詳しくて、そして楽しい。