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理系・文系を重ねて見る光景は
ささやかでも日々を大切に生き抜くことが現代の戦い
「そこまで言って委員会」も最近はいちだんと保守派・タカ派的論客が揃っていて、あまり左翼的ゲストは見なくなった。
まあ、依頼しても来てくれないのだろうけど、以前は革命特集?などもあって重信メイ、若松孝二という、なかなかメディアでは見ない人も来たことがあったのだ。
イメージとちがって、若松孝二監督すっかり温厚というか、組織というものに絶望したのか、ふつうの真っ当な改革者なのだと思ったものだけど、そういえば愛弟子?ともいうべき井浦新も最近はずいぶんイメージが違ってきた。
今日も「ボクらの時代」に奥田瑛二、成田凌と出ていて、頑なに主戦場は映画としていた変化を自ら語っていた。
そうか、やはり若松監督と結婚してからの日常にあるのか。
それはさておき。
保守思想が「人間は完全ではなく、善と同様に悪をも併せ持ち人間を限界的なものと考えるなら、個人より社会・国家を、あるいは急進的な革命・改革より歴史・経験に積み重ねられた緩やかな改革」というなら立派な保守論客だ。
でも左右を問わず、正義・愛国・平等など高邁な思想を掲げるものは、なぜにこんなに堕ちやすいのか。
組織、長期の権力は腐敗しやすいのか。
利益追求という人間の欲望に発した資本主義は生存競争にも似て、本来、最終的な利益追求、生き残りまで考えるから、結局は弱肉強食であっても循環的というか調和的で、利益分配も公平に向かうはずという気もするけど、そのなかでも組織や権力が長期になるとかえって視野が狭くなり、自分たちだけで自己完結させようと乱暴になってくるのかもしれない。
人間は完全ではなく、善と同様に悪をも併せ持つ限界的な存在なのだ。簡単であるはずがない。

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だから、ふつうの人や学生だってひょんなことから思いもかけない事件やテロに巻き込まれるようなこともありうるのだ。
映画「いちご白書」もそんな物語だったし、「オウム」の一連の事件もそうだ。
「戦うべきときに戦わなければ悔悟のために、より過激な方向に走りあげくは必敗の戦いにのめりこんで行く。あらゆる戦いの陥穽はここにある」と仏文学者鹿島茂は東大闘争を振り返っている。
何も戦う必要がなかった世代でも、そんな虚無の穴はそこそこに仕掛けられていて、ささやかでも日々を大切に生き抜くことが現代の戦いなのかもしれない。どうでしょう、井浦新さん。

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程

鬼才・若松孝二監督が‘あさま山荘事件’を徹底検証していく実録ドラマ。革命にすべてを賭けた若者たちにより結成された連合赤軍は、あさま山荘に立てこもり、警察との銃撃戦を繰り広げる。坂井真紀、ARATAほか実力派俳優が共演。
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