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理系・文系を重ねて見る光景は
資本主義を越える普遍性を求めて
前回に続いての中国です。
発展を続ける中国経済はいつかバブルが弾ける言われながら、習近平総書記は21世紀半ばまでに「現代化した社会主義の強国を建設する」との目標を提示し「総合的な国力と国際影響力で世界をリードする国家になる」とした。
こうなるともう大澤真幸京都大大学院教授が言うように資本主義という経済は民主的な体制とともにあるときだけ、自然で整合的に機能するのではなく、資本主義は独裁・権威主義的な権力と結合しても問題なく動く機械であり、資本主義の普遍性は民主主義のそれを凌駕する…のかもしれない。むしろ資本主義は独裁・権威主義的な権力と結合したほうが問題なく動くだけでなく、モンスター化するのかもしれない。畏るべし資本主義。
そんな懸念をもって大澤教授が資本主義を越える普遍性を求めるものが倫理学者ジョン・マクダウェル「徳と理性」らしい。
「徳」のある人は道徳的事実の中で何が特にせり出し、何が目立っているかを適格に判断する認知能力を持つ人とし、分かりやすくいうと、たとえば一方では開発が必要に見え、他方では自然保護が必要に見えているとき、どちらの事実が重要かを正確に見極める認知能力こそが、徳であるという。

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いわば、徳は究極の中庸?なのだけど資本主義が侵食するのは、このような意味の徳なのであり、すなわち資本主義はときには守銭奴並みの節制を要求し(産業資本主義)、ときには異様な浪費が誉められる(金融資本主義)、極端を許容し、奨励するのだという。
加えて鷲田清一「哲学の現場は言説が立ち上がる場所」(論座)を引用して、
第三者的な客観的・中立的立場こそが、普遍的な言説が帰属と考えられるけど、たとえば秋葉原事件で、現場の被害者などを囲んで、携帯電話で写真を撮ろうとした人たちがいて、これらの人たちはまさに第三者だった。
しかし、人を相手にする真のプロは、たとえば報道写真家は、中立的な報告者に留まるか、現場の救助活動に身を投じるか煩悶する。
すべての個別の状況から身を引き、それらを中立的に通覧し、記述するような第三者の立場は不可能なのだと。
まあ、それでも資本主義経済の中にあっても「得」に流れるのではなく、「徳」を見失わないことが大切なのだろうなあ。
経済音痴の理解だとこうなるけど、どうかしらん。

画像はシュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫)。
江戸末期日本を訪れたシュリーマンはかくのごとく記した。
人々の勤勉で誠実で清貧、町の清潔さに驚き、「この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見られる」。貧しくても日本・日本人はかく「徳」にあった。
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テーマ:経済 - ジャンル:政治・経済

コメント
この記事へのコメント
はじめまして
こんにちは。
いつも有難く読ませていただいております。

僕には前回の記事は正しく「それな!」という感でして、「よくぞ言ってくだすった!ナカーマ♪( ´∀`)人(´∀` )♪」と勝手ながら熱烈なシンパシーを禁じ得ませんでしたが、こちらに至っては正に正に「目からウロコ」です。
僕自身の直感・直観のみに頼っていては、おいそれとこの見解にはたどり着けなかったものと思います。

新たな価値観を提示していただいたところで、一日一日を粛々とこなしてゆくことに変わりはないのだろうなと信じますが、それでもクプクプさまがこちらに記してくださったことは、今後僕にとって10年~20年の命題の一つとなるのではないかな、という予感があります。

ちょっとばかり堅いごあいさつになってしまった感がありますが、とにかく、いつも楽しく読ませていただいてます☆
2017/11/26(日) 08:45:03 | URL | やまだ #-[ 編集]
はじめまして
はじめまして。いつも読んでいただきありがとうございます。
僕は映画やドラマ、本やマンガ、アイドルには少し自負するところもありますが、科学や政治、経済など興味はありますが基本引用が中心で、もともとの妄想好きも入ってよくわからぬまま自由気ままに書いているものです。
解釈も怪しいです。気軽に楽しく読んでいただければ幸いです。
2017/11/26(日) 10:29:22 | URL | クプクプ #-[ 編集]
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