理系・文系を重ねて見る光景は
よみがえる映画館の一生 岐阜の日本劇場、上映記録展 
いやいや、やっぱり引っ越しというのは大変なことなのだなあ。
整理は終わらないし、手続きもまだ残っているし、慣れないし…ということでなかなか落ち着かない。
しかし、引っ越しで改めて知る映画関連資料というか雑多な収集物の多さです。
岐阜はもちろん、岡崎や江南辺りの映画館も回って集めたからなあ。
さて、そんな折も折、中日新聞にこんな記事が。

かつてJR岐阜駅前にあった映画館「日本劇場」。一九八一(昭和五十六)年の閉館まで、二十八年余で上映したのは二千八百二十六本に上る。当時の支配人と三十数年ぶりに再会した元映画少年(資料館館長)が、新聞広告などから上映記録を調査。浮かび上がった興行の歩みや、時代を紹介する企画展が一日、岐阜県羽島市歴史民俗資料館・映画資料館で始まる。(中日新聞)

nitigeki.jpg

おお、我が「日本劇場」ではないか。28年余で上映したのは2826本なのか、よく調べたなあ。
資料館館長の近藤さんは図書館に通い、新聞などに載った映画広告などから作品名、上映期間などを調査分析、映画館支配人だった矢代さんは当時のノートのメモや写真などを提供したという。
短編やニュース映画もあったからほんとうはもっと多いのかもしれない。
二人の調査分析によれば邦画が目立った第1期1952年~64年、洋画輸入が自由化されるようになった第2期(65年~76年)、テレビなどの普及で観客が減少、特色ある番組編成ができなくなり閉館に至った第3期77年~81年と分けられ、僕はまさに閉館に至る第3期の営業係としていた。

DSC_0570.jpg DSC_0576.jpg DSC_0575.jpg DSC_0574.jpg

画像は手元にあるシネガイドより。いちばん古いので1967年のものから。さすがに1964年以前のものはない。
洋画は3本立てでしたね。
僕のいたころでは「もう頬づえはつかない」などは日劇には珍しく若い女性客が詰めかけたこともあったけど、「ウルトラマン」なんてチラシ上でも「日劇」を傾かせている。自虐もここまで来ていたのだ。
まさに「特色ある番組編成ができなくなり閉館に至った第3期」なので、あまりいい映画は組めなかったけど、それでも名画座復活と銘打ったりもしたこともあった。
挙句の果てには「噂の真相」に「地方映画館二番館事情 岐阜編」なる日記ルポまで書いたりしたのだが、あっけなく閉館した。
僕がよく記憶するのは他に「矢沢永吉RUN&RUN」「翼は心につけて」「翔べイカロスの翼」くらいだろうか。
「鯉のいる村」なんてのもあったな。

61462139_o1.jpg

矢代さん、今でも映画好きなんだなあ。やっぱり「さびしんぼう」ですか?
「駅前日本劇場の生涯展」は六月七日まで。羽島市歴史民俗資料館・映画資料館にて。

こちらはおまけ、岐阜松竹では演芸会までやっていたのだね。

DSC_0571.jpg DSC_0573.jpg

もうひとつは名古屋のグランド劇場。1965年のものですね。
週末にもなると夕刊紙に名古屋の劇場広告がよく載ったものだった。
スポンサーサイト

テーマ:映画館 - ジャンル:映画

コメント
この記事へのコメント
若いころ、名古屋にいたときに、名古屋では上映されていない映画を見に岐阜まで行ったことが幾度かありましたよ。

2018/05/18(金) 07:48:56 | URL | トロイ #-[ 編集]
よみがえる映画館の一生 岐阜の日本劇場、上映記録展 
こんにちは。
名古屋は大都市なので封切り劇場やきちんとした名画座(ミリオン座など)などもじゅうぶんにあって、岐阜ではなかなか見られないATG映画も必ず上映されていました。映画好きは圧倒的に岐阜から名古屋に見に行く人の多かったはずですが、まあ、地方ならではの作品上映、映画館の個性というのもありますね。
2018/05/18(金) 09:38:05 | URL | クプクプ #-[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック