理系・文系を重ねて見る光景は
勝敗だけではない!?大相撲の本懐
いささか旧聞ですが。
今年の大相撲秋場所、横綱日馬富士が前半の3連敗など休場の声も聞こえるなか、復調し、11勝4敗で逆転優勝を果たした。
秋場所は三横綱、二大関ほか空前の休場力士数の多さとなり、これについては稽古不足などのほかに力士の大型化が挙げられている。相撲は世界で唯一かどうかは知らないけど、まあ、体重別などの区分けのないものだからこれは大きな理由になり得る。
大型化は小兵力士の危険を増し、それでも勝とうとすれば捨て身の技も増えてくるから、相手の大型力士の危険も増える。
大型ゆえ、捨て身の技を打たれ負傷すれば自らの体重のゆえ、より致命傷にもなりかねない。
大相撲は八百長問題もあったからガチ相撲となっているのだろうけれど、昔は八百長ではなくても捨て身の技などは双方に危険をもたらすものだから力を残しながらも諦めたりするようなこともあり、まあ、世界に類例のない無差別級の戦いだから、ルールの外の配慮も必要だったのだ。
今はすべてに透明化、ルールの明確が求められ、こういう部分を楽しむような文化は認めづらくなってしまった。危険というなら階級別になんてことにもなりかねない。
以前にも日経新聞で米国の権威ある経済学会誌に「勝利が全てではない大相撲の腐敗」という論文を紹介して(筆者は相撲の素人とはいえノーベル経済学賞への登竜門ジョン・ベーツ・クラーク賞を受けたシカゴ大の俊英、レヴィット教授)、それによれば7勝7敗と8勝6敗の力士の対戦を過去11年間、32000番ものの取り組みデータを分析して、普段はほぼ5分の星なのに千秋楽に顔を合わせると7勝7敗の力士の勝率が約8割になったのだという。
単に勝敗を競うスポーツというなら「勝利が全てではない大相撲の腐敗」となるけど、神事でもありエンタテインメントでもあるからなあ。だからこその無差別ということもあるのだろう。
実際、相撲では死に体という言葉があり土俵上に体が触れたり土俵を割るなどしなくても、死に体とさればその時点で負けになる。逆に対戦力士は、死に体となった力士より手などを多少早くついても、「かばい手」等と呼ばれ負けにはならない。
自分や対戦相手が死に体となったら、無用な怪我を避けるため、その時点で廻しや相手の体から手を離し、力を抜かなくてはいけないとされている。勝負でもあるけど、神事でもあるのだ。

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でも、今の時代やはり理解されにくいのだろう。
勝負判定にビデオ判定が採用された1969年以降の大相撲では却って、死に体からでも無理な投げを打って逆転を狙う力士や、逆に勝負あったと力を抜いた相手にダメ押しをする例も見られ、力士の怪我の増加の一因とも言われた。
判定がクリアになるのはいいけど、どうですかね。
柔道も国際スポーツになって発展し、それはそれで素晴らしいけど、なにかが失われていくような、単に勝敗を競うだけでな「礼に始まり礼に終わる」という武道だからなあ。
さらに判定が微妙で理解されにくいような剣道も国際化して欲しいような欲しくないような。国際化して一般化すれば日本の今の判定方法はいずれ変わってしまうような気がする。
さて今場所の取り組みで7勝7敗で千秋楽を迎えたのは、御岳海、玉鷲、逸ノ城、千代翔馬、隠岐の海の5力士は4勝1敗だった。
ほぼレヴィット教授のデータ通りだった。
全てをルール化して明確化するのもいいけれど、すべては規定できるものでないし、規定の外にあるもの、曖昧なものも認めていかないと、光と闇の二元世界になってしまい、黄昏どきに住まうものを追いやってしまうよ。
僕、黄昏どきが好きなんですよ。
「暮れそうで暮れない黄昏どきは」(南沙織)や「夕暮れ時は寂しそう」(N.S.P)であっても、そして、たとえひとりぽっちでも。
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テーマ:大相撲 - ジャンル:スポーツ

コメント
この記事へのコメント
バイナリーの世界
こんばんは。
全てがバイナリーの世界になってしまうと、息苦しくなるでしょうね。
落語の世界の深さ、広さはバイナリーではでないでしょうし。。。
ダン・ブランの新作を読み始めたのですが、神の存在を完全に打ち消す「発見」をしたラングドン教授の教え子で天才的創業家が起こす大騒動と云う話になりそうです。。。まだその「発見」を大々的にネット聴衆も含めて発表している最中です、話の1/7位のところです!
バイナリー理論で片付けられる問題かって言っているような気もするのですが、、、どうなるか楽しみです。
2017/10/25(水) 13:05:18 | URL | yokoblueplanet #-[ 編集]
勝敗だけではない!?大相撲の本懐
こんにちは。
僕はいつも漠としたイメージだったりするので難しいことはよくわかりませんが、息苦しく、つまらないとは思います。
「寄席の人たち」(秋山真志)によれば、落語そのものの世界だけではなく、寄席に関わる人たちも回り道、道草、理不尽すべてのものが生きてくる世界の住人らしく、過酷だったかもしれないけどなにか豊かに人生が溢れているような。
当事者になれなくても穏やかな傍観者くらいではいたいと。
ダン・ブラウン、新作があるのですね。まあ、僕は映画でしか知りませんが。また映画化されるといいなあ。

2017/10/25(水) 14:02:08 | URL | クプクプ #-[ 編集]
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