理系・文系を重ねて見る光景は
教員不足は子どもたちがわくわく!?
九州各地で教員不足が深刻になっている。年度当初の欠員が相次ぎ、福岡県では1学期半ばでも60人以上が不足していた。第2次ベビーブーム世代の就学時に採用された教員の大量退職が背景にある。切羽詰まって、「教員免許をもつ人を紹介して」と保護者に呼びかける教委もある。「担当外では満足に教えられない。これで学力をあげろと言われても無理」とある中学教員。別の小学教員は「教員はだれでもできる仕事じゃない。こんな状況では子どもたちにも失礼だ」と話す。(朝日新聞デジタル)

まあ、それはそうだけど。教員不足は戦時中や終戦直後などにもあって、ほら、よく聞くでしょう、代用教員って。
以前にも書いた作家 土屋隆夫氏は知る人ぞ知るマニアックなミステリー作家で、博学、教員もやっていた。
特に演劇関係の知識がすごくて、様々な劇作家の名前が出てくるのだけど、僕なんかは岸田國士しかわからず、その岸田國士も名前を知るだけで読んだこともない。
歌舞伎も好きで近松もずいぶん読んだとありますね。
なんでも役には立つもので、土屋隆夫が中学の教師だった頃も先生の数が足らず、英語、国語はまあなんとか、全くの門外の音楽、歴史なども教えたという。音楽は浪曲・詩吟、歴史は講談という具合に。
「大阪城落城」は得意中の得意で、そりゃあ、「果たして千姫の運命はいかに」と盛り上げて、いいところで時間となりましたなどとやられては楽しかったに違いない。
恒常的に不足というならともかく、一時的というなら、代用教員でもこんな楽しい授業があるかもしれない。
むしろ、こんなときしか、こんな先生に巡り合わないのだろう。
そして、実はこんなところから新しい才能も生まれてくる、たぶん。

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しかし。
「担当外では満足に教えられない。これで学力をあげろと言われても無理」とある中学教員。別の小学教員は「教員はだれでもできる仕事じゃない。こんな状況では子どもたちにも失礼だ」
まあ、そうなんだけどさあ。じゃあ、担当ならじゅうぶんに教えられるのか、むしろじゅうぶんじゃない先生のほうが教育にはなるのかもしれない。
というのも以前、芥川賞を受賞した中村文則の受賞直後のインタビューや特集記事で、高校の国語の先生はこう話したのだ。
先生いわく「彼の読解力はまずまずだった」。妙な違和感。まずまずの凡庸な学生が芥川賞作家になれるのか?
ふつうの授業での読解力で測りきれるものなのだろうか?ゆらぎのない先生の教育の姿勢にまずびっくりしたのだった。
たしかに教員は誰でもできる仕事じゃないと思うけど、なってしまえばだれでもできちゃうからなあ。
不十分な環境のほうがよほど子どもたちも意外にわくわくしてるかもしれないぞ。
子どもってなければ何か見つけてくるもので、じゅうぶんな環境って何ってという気もします。
僕も社会くらいは教員資格取っておけばよかったかも。
僕ならええーっと、映画とマンガとドラマと…くらいの知識では教室持たないか。
さだまさしなんか面白い授業できそうだなあ。

画像は僕の母校(小学校)の今はない旧校舎。入り口は門柱が4本建つだけで開け放れていた。
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テーマ:中学校 - ジャンル:学校・教育

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2017/09/19(火) 01:59:17 | | #[ 編集]
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