理系・文系を重ねて見る光景は
人外は微睡に潜む
   人外は微睡に潜む

富島健夫のジュニア小説をずいぶん読んだ時がある。芥川賞候補にもなり、また一般的には青春小説、官能小説家としても有名だ。だからジュニア小説でもずいぶんシニカルな視線をもって、少年少女の性を書いている。
どんなに正義感に満ちていても、どんなに真面目であっても悪に少しでも隙を見せれば、結局そのまま戻れず堕ちてしまう少年少女が物語のなかに必ずいた。性質の悪いクラスメートから友だちを助けようと真面目な子が知らず知らずのうちに少しずつ堕ちていくのだから胸が苦しくなる。優しい気持ちに悪は平然と、ほくそ笑むように遠慮なく付け込むのだ。ジュニア小説にさえ潜む容赦のない冷笑的な視線はゾクゾクとさせた。
ともに堕ちてしまうほどの覚悟がなければ悪に近づくべきではないと、富島健夫はあの頃から少年少女たちに言っていたのだ。
某元清純派アイドルが薬に堕ちた時、「覚せい剤でもタバコ・酒でも、あるいはあんな亭主でも、すべての中毒者は意志の弱い人間」と言った大学教授がいたけど、僕は清純、そして正義や真面目さにこそ悪は惹かれ、そして付け込むのだと思った。そして一切を撥ねつけるような純粋さ、意志の強さに悪はほくそ笑むのだ。

「この人はわたしがいないとだめになる」
「気持ちを強く持てば自分は大丈夫」

誰にも負けないような優しさ、純粋さはもう悪を呼び寄せずにはおかないものなのだ。       
果てのない波のように寄せて、少しずつ内面をむしばみ、あとはゲームのようにじっくり楽しむ。悪は一色のみだ。少しでも沁み入られ、魅入られたら逃れる術はない。逃れたようでもその沁みは消えるわけではなく眠りにつくだけだ。
そして平和な日常に悪は保護色をまとって、そこここに転がっている。
人は神でも悪魔でもない。
誰も純白ではなく漆黒でもない。誰もわが身に沁みはある。人の外に、人の中に人知れず置かれている。

誰からも祝福される女性がいた。
裕福な家庭に生まれ、文字通りの才色兼備で、奢ることない真っ当で楽しい青春も過ごした。大学時代の友人と結婚し、幸せな家庭を築いていた。
彼女が三五歳の時、二人の子供に恵まれ、仕事にも家庭的にも申し分のない夫がいた。
夫は有能で人望も高く、その幸せな家庭環境に憧れて多くの同僚などが家にも集まった。夫も妻任せにはしなかったし、同僚たちもわきまえた人たちだったから、彼女にとってもそれは楽しいことだった。
一人、冗談のようにいつも来ると誘いかける男がいた。夫の後輩だった。
「一度でいいからあなたのような人とお食事、デートしたいなあ」と。
大勢の前でも夫の前でも来ればいつでも言っている。困惑して夫には何度も聞いている。
「あの人はなんなの?」
「気のおけない後輩だよ。あれぐらいになると、もうただの口癖だな」
たしかにいやらしいニュアンスはなかったし、そんな視線も一切なかった。だから夫は言ったのだ。
「一度、デートでもしてやるか?」

冗談からこんなこともあるのだ。食事をすることになった。一度きりのデート。
都合で会うのは夕刻の時間となった。ディナーということになる。
彼は車で家まで迎えに来ると、少し緊張して夫と話している。
「ママを子供たちが待ってるからあまり遅くなっちゃだめだぞ」と夫が笑いながら妻を送り出した。
ディナーはなんとファミレスだった。
「すみません、あんなこと言ってもなれていないんです」
彼女は微笑んだ。学生時代に戻ってしまうようで、思わず微笑みが出てしまった。
まるで子供のようなデート、学生のようなたわいのないを話しながら食事はあっという間に終わった。
名残惜しそうに彼が言った。
「この近くに公園があるんです、少し歩けませんか?」
彼女はうなづいた。まだ話足らないぐらいだった。学生時代の思い出を語り合うのは久しぶりだ。夫の知らない少女時代まで彼は憧れるように聞いてくる。わたしは少女のようにはしゃいでいた。
外に出ると、もう日は落ち暗くなり始めていた。外灯が公園を明るく照らし出している。人は少なくはなかった。
歩きながらも話が弾んだ。
公園を進むにつれて外灯がまばらとなり、辺りは暗くなってくる。彼女は言葉少なくなっていた。少し怖かったのかもしれない。彼は変わらず楽しく話している。
出口に近づくと公園はまた明るくなった。
彼女も元気を取り戻したように言葉も増え、声も弾んだ。
彼が言った。「わあ、もう出口だ」
「そうね」
「終わりかあ」その言い方がまるで子供みたいでかわいかった。
「残念ね」
「あの、手をつないでもらってもいいですか?」彼はおずおずと言う。
彼女は笑った。ほんとうに子供みたいだ。
「しようがないわね」彼女は手を出した。二人は少年少女のような初々しさで、手をつないで公園を出た。
車に乗ると、また彼はあとわずかばかりのデートを惜しむようにまだ話している。彼女にとっても彼にとっても楽しいデートだった。
彼は家の少し手前の駐車場で車を止めた。
「着いちゃった」
「そうね、ありがとう」
わたしは彼のほうを向いて言った。
目が合い、時間が止まるような沈黙があった。
彼は止めた時間をかいくぐるようにゆっくりと顔を近づけ、さらにスローモーションのように唇を重ねてきた。いきなりだったら反射的に撥ね付けていたはずなのに、ゆっくり近づいてきたキスは避けることができなかった。彼の唇が優しく触れ、また強く押し付けられる。
(なぜなの?)
彼女は呆然とそのままキスを受けていた。やがてキスは陶然とするような情熱的なものと変わっていく。強く吸われ、彼女もかすかに応じていた。
(どうしたの、わたし?)
彼の手が胸におかれた。
「いや」ようやく彼女は撥ね付けた。
(わたしはそんな女じゃない)
彼も撥ね付けられて我に返ったのだろう。子供のように彼も素直に謝った。
「ごめんなさい」
そう、彼も一時の感情に流されそうになっても最後は節度が守れる優しい青年なのだ。
「デートは終わりよ」彼女は言った。
終わりにすべきだ。
「ごめんなさい、せっかくのデートを最後で間違えてしまった」
彼は恐縮している。
「もう一度やり直させてくれませんか?いい思い出にしたいんです、間違ったままにしたくないんです。僕にとってもあなたにとっても」彼は真剣だった。
「だめよ、デートは一度だけの約束」
彼女は気丈だ。

「また、あいつがデートさせてくれって言ってる」夫が言った。
「よっぽどあいつにとっては楽しかったのかな?」
「彼、少し子供みたいところあるのよ」
彼女は落ちついて言った。
「僕はかまわないけど、どうする?」
夫はまったく気にもとめていなかった。彼女だって同じだ。彼女は家族を愛しているし、きちんと立ち止まることも出来る。彼も少し感情に押されることがあっても節度はわきまえている。大丈夫だった。
「ほんとうのデートのシュミレーションにされているのかもしれないわ。食事もファミレスだったのよ」
「そうだったな、それが心残りだったのかな、あいつは」

二度目のデートが設けられた。やり直しならしかたがない。
「今度は高級レストランなのね」
フレンチだった。彼女は落ち着いていた。ふたりとも前よりは慎重な会話になっている。周りも大人たちの大人の会話だ。食事は静かに終わり、公園デートは省かれ、彼女は彼の車に乗った。
(危ないことはない、今日はきちんとやり直すのだから。わたしも彼も)
車の中の会話も慎重になっていた。
彼は家の少し前の駐車場で車を止めた。少し沈黙があった。互いに声をかけようと顔を向けた。目が合った。また時間が止まるほどに緩やかに流れている。彼がゆっくりと顔を近づけ、いつでも止められるほどゆっくり唇を重ねてくる。デジャブだ。
いつでも止めていいよとばかりにゆっくり近づいてくるキスを避けることができなかった。
(なにをしているんだろう?)
彼女はまた陶然とそのままキスを受け入れている。彼の手が胸におかれた。
「いや」
声は小さく、よけようとする手にも力が入らない。手は胸におかれたままだ。彼は強く優しく揉んできた。彼女の身体にまだ知らなかった未知の快感が走っていた。情熱的なキスと変わり、彼女もいつのまにか激しく応えていた。
彼の舌が入り込み、唾液が押し込まれる。また見知らぬ快感が押し寄せた。彼の手はブラウスのボタンを外しはじめている。
(ああ、脱がされている、私は止められるはずなのに)
力が入らなかった。ブラのホックが外される。露わになった乳房が優しく激しく揉まれた。
「ああ」
(こんな場所で、わたし)
しがみついていた。彼の手がスカートに差し込まれた。
「お願い、それだけはやめて」呆然としながらもつぶやく。
彼は手を止めた。彼はなおも自制が利くのだ。
「ごめん、やり直しはずだったのに」彼は冷静さを取り戻したように詫びた。

彼女はなにも答えず衣服を整え、無事、家についた。早く帰りたかった。
(無事?無事といえるの?私はキスされ、胸を揉まれるままに快感に身を任せた)
彼女は強く恥じた。
彼女は今まで以上に夫を、子供たちを愛した。愛してる。
くつろぎに優しさに毎日がつつまれる。彼女にまた曇りのない幸せが訪れる。

しばらくして。
また彼が会社の同僚とやってきた。彼は何事もないようにふるまった。もう、誘うような冗談も言わなかった。ただすれ違った時、そっと手渡されたメモだけが心臓を突き動かした。そっと開いたメモにはこうあった。
(あの場所、あの時間。いつでも僕は待ってる。あなたの唇、あなたの乳房。僕の唇が、僕の手があなたを覚えている。あなたも覚えているでしょう?)
彼女は怖ろしさに震えた。
彼女は行かなかった。明日も明後日も行かなかった。彼女は幸せな妻で、優しい母なのだ。彼女は気丈だ。
でも何かが燻っている。身悶えた彼女がどこかにいた。彼女は恥じた。

ある日の夕刻、彼女は覚束ない足どりで歩いている。
(覗いてみるだけよ、彼だっているはずがない。もう何日も何日も経っている)
車があった。彼はいた。

と、もう少し続くのだけど、まあ、ここまでですね。ちょっと長いし、これ以上は危ないかもしれない。
下手な小説に付きあわせておいてなんだという方もあるかもしれませんが、申し訳ありません。
次回からはまた通常な?穏やかな日々に戻ります。
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テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

コメント
この記事へのコメント
こんばんは。
富島健夫さん懐かしいです。思春期の頃よく読みました。
2017/08/11(金) 22:21:35 | URL | 幽村芳春 #-[ 編集]
こんばんは
こんばんは。

> 富島健夫さん懐かしいです。思春期の頃よく読みました。

当時はジュニア小説コバルト文庫だったんですよね。
2017/08/11(金) 23:17:55 | URL | クプクプ #-[ 編集]
ドキドキしました
つづきは…?

懐かしい名前です〜
よく読んでいましたが、記憶からすっかり抜け落ちてました。
2017/08/12(土) 13:25:16 | URL | carmenc #-[ 編集]
人外は微睡に潜む
ありがとうございます。
何気ない日常の光景にもときめきを…ならいいのですがエロですからね。
富島健夫の系譜?でもあるので、過激な表現があるわけではないけど、天使の顔を持った悪魔なので。
つづきはここでは無理かな。申し訳ありません。掌編なのですぐ終わるんですけどね。

2017/08/12(土) 14:06:14 | URL | クプクプ #-[ 編集]
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