理系・文系を重ねて見る光景は
サブカルの上がり方 植草甚一 
僕はスマホを持たないのだけど、今は様々なアプリがあるらしく、何でも教えてくれるらしい。
たとえば散歩しながら、「道端のこの花は?」と思えばスケッチをしたり、摘んで誰かにあげようと思えば、少し花言葉を調べたり、知るという行為にはなにかしらの手間や学びが必要だったけど、今は簡単にアプリが教えてくれるらしいのだ。
僕は高校の時に百科全書派というの知って、ちょっと志したのだが、いくら広く浅く(広く深くは到底無理なので)と言ってもせいぜいオタク系全般(マンガ・アニメ・小説・映画・ドラマ・アイドル等)がやっとで、オタク系でも音楽・美食、ファッションなどには手も足も出なかった。
素養・資質も必要だったし、なにより何度も足を運んだり、調べたりする努力、根気も要したのだ。
以前はそんな雑学でも夥しい労力が必要だったけど、今では簡単に手に入り、雑学もバラエティやクイズなどのお手軽なアイテムになってしまった。
1970年代ごろ、あこがれた植草甚一というなにかかっこいいジイさんがいて、ディレッタントという言われ方もしたけど、その雑学・趣味・教養は半端でなく、いったいどんな生き方、勉強をすればこんな風になれるのかと思っていた。
今はかっこだけはおそらくなれるのだろうけど、植草甚一の本質には程遠いのだろうなあ。
あの頃のサブカル上がりの理想形のひとつは植草甚一で、あんな人も最近は見なくなった。

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そう言えば、植草甚一の膨大なジャズレコードコレクションをを引き取ったのはタモリで、やはりディレッタントを継ぐ人だったのだなあ。
どこかの雑誌でタモリは旦那芸とも評されていて、一般的に旦那芸って批判的にも使われるけど、内田樹教授によれば旦那芸とは芸の達人や学術研究の業や成果にひたすら唸り、己の身の程を知る人のことだといい、こういう半玄人がいて、芸や学術研究のすそ野が広がり、大きな成果の礎となるという。
「ブラタモリ」はまさにそんな役割も果たしていますね。
また吉田豪の「サブカル・スーパースター鬱伝」によれば「サブカルは40歳を超えると鬱になる」らしいけど、スーパースター扱いもされれば居心地も悪くなるでしょう。身の程を知る人たちですからね。サブカルならなおのこと。サブカルのジレンマ。

サブカルはやはり野に置け蓮華草
サブカルは蓮華草のように野にあってこそ美しく、蓮華草のように蜜に緑肥となり、メインカルチャーの花を、実りを付けるのだなあ。
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テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

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