理系・文系を重ねて見る光景は
共謀罪のマイノリティリポート
折も折、映画「マイノリティリポート」をやっていましたね。
折も折というのは共謀罪法案が重要な局面を迎えていたタイミングだったのだけど、この映画、予知能力者たちによる殺人予知システムでの予防的治安維持を遂行する犯罪予防の不安定さ、無謀さを描くものなのだ。
予知されただけで、まだ何も起こっていない犯罪を予防的に阻止するって、科学的にまずありえないし、もちろん共謀罪とも全く別だけど、人間って思い込みをするものだからなあ。
とすれば、それに沿った合理的な物語を作ってしまう…、そういうことなら大いにありうるかもしれない。
まあ、多くは杞憂であっても、それでも権力や科学は暴走することはあるのだ。
また、科学的にも予知はともかく、夢や記憶の研究は進んでいて、その物理的解析、夢や記憶への侵入もSFとばかり言っていられなくなった今では、夢や妄想への意図的介入もあるのかもしれない。
夢や妄想の中では人は犯罪者や背徳者だったり、理性のハードルが極めて低いから、暴走を目的化する侵入なら極めて危険だし、促すだけなら案外たやすいのかもしれない。
僕のような文系の理系好きは科学を文学的に読み込んだり、ファンタジー的な発想を持ち込んだりして夢想するからなお危険かもしれない。
なにかしら物理的な境界線をきっちり引いておかないとアイデアは優れていても実証は外れていくというような。
人は現実においてもかくのごとく、幻想と紙一重のところで危ういバランスの中で生きている。
生きていくということは境界線上を歩き続けることであり、現代はネット、AI、再生医療など一段と細い境界線の上。
夢や妄想をコントロールしようとして、実は夢や妄想に取り込まれる危険も多いのだろうなあ。
竜宮城から帰ってきた浦島太郎が玉手箱を開けておじいさんになってしまうのも時間の経過ではなく夢の代償なのかもしれない。
あるいは藤澤周平の「陽狂剣かげろう」のように陽狂(偽って狂気をよそおうこと)のふりをしていれば、いかにきちんと境界を切り分けていてもいつか本当の狂気に呑み込まれてしまうことがあるように、その境界は自在に蠢く。
僕たちは錯誤を誘うトワイライトゾーンに分け入っていく。

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スペースオペラ「フラッシュ・ゴードン」も妄想すると「フレッシュ・ゴードン」になってしまうけど、これをけしからんと排除するばかりでもつまらないしなあ。
まあ、どんなに下品なロケットだとしても。
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