理系・文系を重ねて見る光景は
元号・改元の謎 養老改元千三百年祭
天皇陛下の退位に関し特例法案での対応となったけれど、まあ、いろいろ難しい問題があるのだなあ。
元号の問題もそうで、新元号はなんとするか、いつのタイミングからとかって、乱暴な意見としてはこの際、元号をなくして西暦のみにしてしまうという意見もあるらしい。
たしかに面倒で西暦のみで事足りるし、グローバルスタンダードにも沿うものかもしれないけど、文化こそは非関税障壁などと簡単に奪うことの出来ない大切なものですからね。
自ら外すような必要はないというか日本文化(の重要なファクターで、もしかしたら西暦の永続性と元号の改元の多さは他文明も受け入れながら固有の文化も守る知恵だったのかもしれないぞ。
またそれは異文明も異人も日本的なものに同化させる軍事力でもない、また経済力でもない、魔法のような文化を守り育てる重要なシステムの源泉なのかもしれない。
天皇家が権能の変遷はあっても世界にもまれな永続性を持つのも改元というリセット機能?が大きいのかもしれないなあ。
改元でなくても歳時記など四季折々に期日を定めて、気持ち新たに迎えるのは日本人の特性!?

yourou.jpg

春の卒業など典型で、こんなに卒業ソング(桜ソング)が歌われるのは日本だけでしょう。
折々の日々、折々の季節、折々の年を慈しむ日本文化の特性はこんな改元に支えられるのかも知れない。
仏文学者の鹿島茂は「世は〆切り」と言ったのは故・山本夏彦で、少なくとも自分に関してはこれほど真実を衝いた言葉はないと言い、まあ、たしかにどんな人も「〆切り」あるいは「区切り」がないとなかなか動かない。
一日の終わり、週末、月末、年度末、幼年、少年、青年、壮年、老年、そして人生の終末…などありとあらゆるものに「〆切り」はあり、人生は過ぎていくのだ。
「〆切り」がなければ人は毎日をだらだらと過ごしてしまうのだろう。
ゆえに鹿島さんに言わせれば「〆切り汝を玉にする」ばかりでなく、不可能を可能とし、無から有を生じせしめる、魔法の杖ということになるのだが、西暦と元号を併せ持つことで、まさに日本は玉となるばかりでなく、不可能を可能とし、無から有を生じせしめる、魔法の杖を持ったのだよ…なんてね。
魔法の杖をなくしてはならない。
岐阜の養老町では奈良時代の717年に元正天皇の詔によって元号が「養老」へ改められてから今年で1300年を祝う「養老改元千三百年祭」が開幕した。伝えられるところによれば717年に行幸した元正天皇は老いを養う若返りの効果があった当地の美泉に感激して改元した。
突然の浅田真央ちゃんの引退にはびっくりしたけど、これも区切り。
真央ちゃんが自ら言うとおり、区切りをつけて真央ちゃんはさらに玉になる。
スポンサーサイト

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック