理系・文系を重ねて見る光景は
「パパ活」 花であることを願うこと
「パパ活」というのを深夜ドラマでやっていて、どっかで見たようなテイストだなあと脚本家を見ると野島伸司だった。
かつて、あれほどの人気脚本家だったのに深夜ドラマなのか。
いや、この作家はテーマ性からもやはり本来はマイナーで、こうあるべきだったような気もする。
「パパ活」というのは女性が男性から金銭的支援を受けるため肉体関係のない交際をするというものらしいけど、まあ、実際はさまざまな欲望や事情もあるだろうから、たぶん、そんな単純ともいかないだろう。
ドラマの「パパ活」は野島伸司らしく、娘を失った大学教授が娘の純粋な代償としてのみの若い女性を求めるもので、恋愛感情が少しでもほの見えると関係を解消してしまうというもの(娘から逸脱する)。
一方のヒロインもそんな病んだ心?を理解しながらも交際を始めるのだが…。

子供が大人になる時、無垢なるものからの葛藤に過度に揺れるものがあるけど、大人になってなお無垢・純化を求めれば人は植物のようになってしまうのだろうか。
そんなテーマでもあったのがやはり「美しい人」(田村正和・常盤貴子主演)で、もう、花のような美しい人になるしかない。
月9ドラマだった「薔薇のない花屋」もそんな主人公で、ぎこちなく語られる「世界一長い告白」は、まるで雄しべから雌しべに蜜蜂や蝶が花粉を運ぶような植物的な長い告白だった。

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ギリシャ神話や少女マンガ的世界でもありますね。
水樹和佳「灰色の御花」では自分はピンクの花だと信じて疑わない孤独な少女エリアヌとやはり戦争で心に傷を負った青年ロジェの物語。自分が花でないのは呪いがかけられて人になったというのだ。
少女は過酷な運命に翻弄され、絶望し人として砕かれ、最後に一筋の希望だけを胸に花として眠りについてしまう。
ゲーテの「ミニヨン」も思わせますね。
ずっと野島伸司にもこういうテーマが根底にあり、「パパ活」も今の時代性や深夜枠もイメージしながら、根っこはやはりここにあるような気がします。
さて、どんなファンタジーにと思っていたら、突然、衝撃的な展開に。
やっぱり、これも野島伸司、というか、人というものなのだなあ。

エリアヌはそうして自分が人であることを知り、絶望するだろう。
その時はこうして話してやってほしい。
人は誰のがほんとうはおまえのように生きたいと願っているのだと。
願いながらそうはできない自分を悲しんでいるのだと。
この悲しみが孤独をよび、孤独が愛をよぶ…愛はそれゆえ 自体罪深いが同時にそれゆえ…
罪や悲しみをつつみこみ、とかしてしまえるのだ。
神の愛はもちろんすばらしいのだが人の悲しみを理解できるのは人しかいない…
神は罪をおかしたことがないのだから…

そして、長い、長い冬が終わり、ようやく春の訪れのように少女は大人となり目覚める。

ぼくたちはほんとうにひとなのだ
過ちにみちた悲しい…しかしこうして完全に理解しあい 許しあい
対等に愛し合える唯一の存在なのだ
開かれた灰色の瞳が あの幸福な夢を よみがえらせる
ぼくはとけてゆく罪の音をききながら
綴じた眼の奥に 光を感じていた

「灰色の御花」(水樹和佳)より
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テーマ:テレビドラマ - ジャンル:テレビ・ラジオ

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