理系・文系を重ねて見る光景は
悲しき破壊神 痛みを知ること、痛みという概念
名古屋市で知人女性を殺害し、仙台市で高校の同級生ら2人に劇物の硫酸タリウムを飲ませて殺害しようとしたとして、殺人や殺人未遂などの罪に問われた名古屋大の元女子学生(21)の裁判員裁判の公判が怖ろしい。

放送は終ってしまったけれど、見た目は優しく優秀な美人外科医が実は悪魔のような冷酷で残虐な事件を引き起こしていくという「真昼の悪魔」をちょっと連想してしまいますね。
あるいはやはりフジテレビで放送されたドラマ「無痛」だろうか。
無痛というと、「007シリーズ」にも登場する痛みを感じないやや荒唐無稽な不死身のような怪人を思い出すけど、ドラマ「無痛」がリアルで怖ろしいのは身体的な先天性無痛症であるばかりではなく、なんと痛みという感覚に伴う悲しみ、精神的苦痛などの人間的な感覚・概念すら持ち合わせず理解できないということ。
案の定、病巣を切り取るみたいに無味乾燥に「悪」を切り取ってしまうのだが、人間は善も悪も抱えての存在だからね。
「悪」という判断も、またその対応も葛藤なしではいられず、人は徳を備え、あるいは法を生み出した。
痛みは生命にとってのひとつの叫びでもあるのだろうから、叫びが届かないのは怖ろしく、痛みという感覚、概念がなければ生命のハードルはずいぶん低くなってしまうのかもしれない。
友人さえ実験体に過ぎぬような感覚、モルモットのような観察などはもう常人には理解不能だけど、先天的ともいうべき無痛感覚がそういう思考・行動に至らせたのだろうか。

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やはりフジの「ON 異常犯罪捜査官 藤堂比奈子」というドラマ似たような感覚があり、このドラマのヒロインもあちらの世界に行く者と留まる者のボーダーを彷徨っていた。
ヒロイン 藤堂比奈子の最後の敵 真壁永久は過度の痛みで、それゆえ「痛み」を知らぬ怪物になってしまった。藤堂比奈子は無垢な迷い人で、はじめて涙を流す(痛み・悲しみを知る)ことでようやく人としての物語がこれから始まったのだけど、このリアルな物語は今のところ過度も痛みもなく「痛み」を知らぬ。
僕も病気を得て身体的にも知覚的にも障害があり、身体の一部は無痛、あるいは鈍麻している。
骨折しようが火傷をしようが神経が遮断されて脳が痛みを感知しないということで、いつかもファンヒーターに足をずっと向けていたら、大きな熱傷の水ぶくれが出来てしまっていた。
痛覚、温・冷覚も悪く、きっと雪原だって「007」の無痛怪人のように裸足で何時間も歩けるかもしれないけれど、凍傷になることに変わりなく、むしろ限界が分からない分、危険なのだ。
しかし身体的「痛み」そのものだけではなく、「痛み」という概念すら持ち合わせず理解できないというのは、それに伴う悲しみや恐れなどの人格形成を歪め、徳を得ることもなく、また無垢であるがゆえに残酷だ。
痛みはほどほどにはたぶん必要なのだ。時に激しく痛んでも。痛みは生きているとの叫びだ。
人は叫び、その叫びを聞き届けなければならないのだ。
過度の痛みもその痛みゆえに人を失わせることがあるけど、痛みを知らぬ者は人をどう生きるのだろう。
それは「精霊の守り人 悲しき破壊神」のテーマでもあった。
画像はサフラン。ほどほどの鎮痛効果がある。
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