理系・文系を重ねて見る光景は
進化のための存在と時間
最近のスマホの急速な進化、あるいは本でもレバレッジリーディングなどという効率のいい読み方があるらしいけど、科学、文化、あるいは進化でも本来は着実なステップを踏むものではないかなあ。
近代までは例えば電話もベルの発明から電話機・電話線・電柱などが必要とされ、少しずつ改善されながら、そのインフラには膨大な費用と時間がかかり、そのうえにゆっくりと熟成するように生活、文化が育まれ、人間も成長してきた。
携帯、スマホに至るまでに日本では明治から昭和にかけて、人々との長い電話の歴史、それにまつわる物語があるのだ。
今はそういうインフラの整わない場所でもいきなり通信は可能となり、いわゆる先進国と変わらぬ状況があっという間に作られ、長く育まれた生活や文化も経済的裏づけがあれば簡単に彼の地にも取り込むことが出来るのだ。
これは文明の公平化というか、経済、あるいは教育などの格差をなくすための強力な武器ともいえるけど、長く積み上げ文明・文化を経て持ち得たものと、経ずに持ち得たものとの差は果たしてないのだろうか。
ピケティは金持ちは資産の運用で稼ぐことができ、その収益のほうが給与所得者の収益の伸びを上回っているから、給与所得者はどんなに頑張っても追い抜けないとしたけれど、ほんとうの資産というのはまさに「長く積み上げてきた時間も含めての文明・文化」ではないのか。

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効率の名のもとに実利的な部分のみを残し、いともあっさり投げ捨ててしまうのはほんとうの資産を失うことではないか。
あっさり捨ててしまうものにこそ、測れぬ価値があるのかもしれないぞ。
経済の指標は数字として残るし、お金など資産も形として残るけど、長い時間をかけた文明や生活・文化ももちろんほんとうに人間が叡智と感性をかけて作り上げた資産なのであり、伝承されなければ二度と取り戻すことはできない。
幸いにして古来より多くを残す日本の多くの遺産だけど、その名もなき姿なき遺産もアベノミクス的思考のみでは多くを失うのではないか。効率よく国際競争に勝ち抜こうとすれば日本語すら失いかねないからなあ。
シンプル化、フラット化は効率や公平化に繋がるものではあるけれど、せっかく急峻な山、深い渓谷、唸る大地と寄り添い、それゆえ豊かで美しい自然と調和してきた独自な文化をグローバルスタンダードの名のもとに捨て去るのではなく、常に新たなる可能性として守り提示し続けるものではないだろうか。
現実のなかでそのバランス、調和を図るのが大人の、政治の知恵であり、多様な自然・文化に育まれた日本の知恵。

画像は読んだこともない「存在と時間」。まあ、ハイデッガーなんて筒井康隆と笠井潔の小説で知るのみなので、こんな話になってしまうのだけど。
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コメント
この記事へのコメント
江戸時代以来、喪失の歴史
こんばんは。
仰ること、分かります。
日本文化は、西洋に追いつけ追い越せでどんどん後ろに追いやられ、今は辛うじて細い糸で繋がっているだけ。
世界的競争力をつけるのに、英語を公用語にせよなどと云う議論が出ること自体、「美しい日本」は意識から無くなって過去のものになってますね。
一番大切なものを捨て去って、残ったのは、高温多湿の日本ではAC無くしては暮らせない家の形。
なんか、家屋の形が象徴的ですね、一番。
2017/09/29(金) 14:09:23 | URL | yokoblueplanet #-[ 編集]
進化のための存在と時間
こんばんは。
グローバルな時代、さまざまな矛盾のなかで生きるしかないのだろうけれど、バランスが難しいですよね。
具体的にどうすればいいのかとなるとこの議論、袋小路に入りそうで…。

2017/09/29(金) 21:00:11 | URL | クプクプ #-[ 編集]
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