理系・文系を重ねて見る光景は
ささやかな日常にあるエロス、あるいは死、または破滅の延長線上にあるエロス
以前、側溝に潜んで上を歩く女性のスカート内をのぞき見ようとしたとして逮捕された男がいたけど、人間のエロスの欲求はかくもさまざまで?難しそうな現代文学もエロいと聞けば読んでしまうのが青春?
たとえばヘンリー・ミラーという米文学の巨匠がいるけど、僕が学生の頃、当時の風説によれば、すごいエッチな小説だということで、代表作「北回帰線」を喜び買いこんで読み始めたのだけど、どこまで読んでもちっともそんなものは出て来ず投げ出してしまった。諦めきれずに「南回帰線」も買ったのだが挫折。すくなくともぼくには分からなかった。
ノーマン・メイラーの「鹿の園」もそうで、よっぽどツルゲーネフの「初恋」のほうがどきどきした。
変な期待のあるものより、思いがけないささやかな光景のなかに見出すものなのかもしれない。
でもまあ、そういう好奇心は文学や映画など多様なものに親しむきっかけともなり、評判などは当てにせず、またつまらないと思っても最後まで読み通すという忍耐を学ばせてくれた。

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あるAV女優は「村上春樹がペニスと書いただけで興奮する」と書いていたし、ノーベル賞候補とも言われた安部 公房は、ストイック教養小説ともいえる庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて(薫くんシリーズ第1作)」、まあ、由美という彼女がいるのにもかかわらず、セックスのセの字も出てこないのだが、「あのおしまいのとこ、歩きながらそっと手を差し出して、指先が触れ合うとこ」で、「立っちゃった」といい、また庄司薫も書きながらそうなったと告白したように、いや、実は僕もという人も多いに違いない。

以前にも「愛の顛末」(梯久美子 日経新聞)の原民喜(作家・詩人)を読んでいたら、晩年(といっても45歳で自殺した)、原にとって奇跡のような少女に出会い、お茶をセッティングされても話しかけることもできず、少女のいるささやかな風景だけで彼の心は揺すぶられ、満たされたのだろうという。
人間の観念。それが僕を振落し僕を拒み僕を押つぶし僕をさまよわし僕に喰くらいつく。
僕が昔僕であったとき、僕がこれから僕であろうとするとき、僕は僕にピシピシと叩たたかれる。
僕のなかにある僕の装置。人間のなかにある不可知の装置。人間の核心。人間の観念。観念の人間。
洪水のように汎濫はんらんする言葉と人間。群衆のように雑沓する言葉と人間。言葉。言葉。言葉。(原民喜 鎮魂歌より)

先の側溝の男は「生まれ変わったら道になりたい」と言ったらしく、行動はともかく、ずいぶんとソフィスティケートな言葉ではある。
画像は映画「白鳥の歌なんか聞こえない」(庄司薫原作)。薫くんを演じたのは現東映社長の岡田祐介。
由美ちゃんは「赤ずきんちゃん気をつけて」の森和代に変わって本田みちこだった。
こんな何でもないシーンでもどきどきした。

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テーマ:現代小説 - ジャンル:小説・文学

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