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理系・文系を重ねて見る光景は
「dele(ディーリー)」一度きりの物語を大切に
山田孝之と菅田将暉がバディを組み、デジタル遺品にまつわる人間ドラマを描くドラマ「dele(ディーリー)」がすごく面白いですね。
毎回、それぞれ違った展開の出来に感心するのだけど、第7話では和歌山の毒物混入事件のような事件をめぐって(すでに犯人は逮捕され死刑判決が確定している)、実はそれぞれの関係者にそれぞれに隠された秘密があり、誰でも起こしえた事件であったことが、あるデジタル遺品から掘り起こされるのだ。
逮捕によって、そして最後には死刑の執行を受けて真相はデジタル遺品とともに消され?、町はいつもと変わらぬ日常が続くのだが、どこの平和な町にもこんな邪悪が眠っているのかもしれない。
フジの「絶対零度」のミハンシステムというやつも使う側の良しあしでどうにも転ぶような怖ろしさがあるけど、そんな神の眼、神の手足になるようなものは人は本来、持つべきではないのだろう。
どうもネット社会は便利でいいことも多いけれど、人の心の夜まで煌々と照らし出し、誰もが持つ小さな嘘や密やかな闇まで暴き出し、それらを全部拾い集めるような不気味な監視社会を作り出す気持ち悪さもありますね。
さて、スティーブン・ジェイ・グールドの「ワンダフル・ライフ」というのがあって、それによれば今から5億4千300万年前のカンブリア紀に、生物は爆発的な進化を遂げ、現在の地球上に存在する全ての生物の門の祖先が登場するという。つまり、進化は連続的にゆっくり進むのではなく、あるとき爆発的に進化することがあり、生物進化の初期にはもっとも多様性が大きく、また生物進化の歴史はリプレイしても同じことが起こらない、一度きりの物語なのだと。

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そして映画「素晴らしき哉、人生」を例にあげて、この映画で主人公がいたかいないかで町の様子が大きく変わってしまうのと同じように、この現実世界の生物の様子も実はちょっとした偶然の積み重ねで今のようになっていて、もし大昔に「ちょっとした何か」が起こらなかったら今とはまったく違う世界になったはずだと。
先の「dele(ディーリー)」の事件をめぐってもそれぞれが犯人になりえた世界があり、周辺も含めて全くちがった物語があったのかもしれない。リセット、リプレイはあってもやり直しではない。
それでも全ては一度きりの物語なのだ。
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