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理系・文系を重ねて見る光景は
雪華葬刺し Cocco葬刺し
「マツコの知らない世界SP」であいみょん!広瀬香美!手嶌葵!歌姫たちの歌声を徹底分析!マツコに直太朗が本気な生歌披露!というのをやっていて面白かった。女性の歌声を分析し続けているというシンガーソングライターの森山直太朗が“歌声ソムリエ”として登場し、「歌姫の世界」を紹介してくれるのだが、森山いわく、自分に合う歌声を知れば最高の安らぎを得ることができるという。そして女性歌手の歌声を12種類にかくのごとくジャンル化。

悟り系(自分の世界に浸りたい時) – 五輪真弓、森田童子、Cocco、鬼束ちひろ
まっすぐ系(勇気をもらいたい時) – 松たか子、満島ひかり、高畑充希、上白石萌音
エンジェル系(心を浄化したい時) – 原田知世
噛めば噛むほど系(自分を見つめ直したい時) – Aimer、Uru、milet
カリスマボイス系(ひとり立ちした時) – 中島みゆき、椎名林檎、宇多田ヒカル
パンチ力系(テンション上げたい時) – 広瀬香美、大黒摩季、水樹奈々、LiSA
洋風DIVA系(感動したい時) – Crystal Kay、AI、平原綾香
和風DIVA系(感動したい時) – 吉田美和、MISIA、JUJU
歌謡・民謡DIVA系(感動した時) – 天童よしみ、夏川りみ
NEWフォーク女子系(青春を感じたい時) – YUI、miwa、chay、大原櫻子
生きざま系 – Chara、UA、bird
シャーマン系(神々しさを放つ存在) – 松任谷由実、aiko、あいみょん、オノ・ヨーコ

どうかなと思うのもあるけど、まあ個人的な好みもあるからね。エンジェル系はただ一人で 原田知世。なるほど。
他にも「ララバイ系の母性のある歌声」に手嶌葵など紹介され、Coccoもずいぶん話題となるのだが、僕はCoccoを歌詞がすごいこともあって、僕は映画の「雪華葬刺し」にかけて「Cocco葬刺し」と呼んでいた。

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雪華と葬刺しって真逆のようなものが並んで、実は裏腹である暗喩ような忘れがたい題名だった。
映画化もされた赤江獏の小説「雪華葬刺し」は京都を舞台に彫り物に魅せられた男女の哀しい耽美な物語で全編美しくも幻想的な映像で彩られ、カンヌ映画祭でも高い評価を得ている。
茜(宇都宮雅代)は恋人の藤江田の強い願いにより、 雪のように美しい背中には刺青が彫られている。茜の背に墨を入れたのは日本一の彫り物師 大和経五郎(若山富三郎)で、ある事情から20年来、その筆を断っていたが、茜の美しい肌に魅せられ再び筆を執ることになるのだが…。その墨入れは狂気とも美の執念とも、常人には理解しがたい耽美なものであった。
そして、最後の一針を入れる儀式こそが葬刺し。
雪華とCoccoという語感だけではなく、Coccoの歌声と歌詞にもまたそんな気配があるようにも思えるのだった。
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テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽

日本的美少女「小さな恋のメロディ」のトレーシー・ハイド
さて美少年ときたらやはり美少女もということで、僕は「プリティ・ベビー」のブルック・シールズや「ダウンタウン物語」のジョディ・フォスターが役柄も含めてびっくりしたけど、まあ、好みはそれぞれにあるでしょうがオーソドックスには「リトル・ロマンス」のダイアン・レイン、「レオン」のナタリー・ポートマン、「ハリー・ポッター」のエマ・ワトソンなどでしょう。
もっと日本では美少女というよりカワイイが尊ばれる!?こともあり、「ペーパー・ムーン」「がんばれ!ベアーズ」のテータム・オニールなども人気があったりする。なかでも日本でとりわけ人気があったのは「小さな恋のメロディ」のトレーシー・ハイド。「小さな恋のメロディは製作されたイギリスやアメリカではヒットしなかったけど日本では大ヒットした。
少年と少女の幼い恋を美しい画像、美しい音楽に乗せて描く…それだけでも日本人の感性に合うのだろう。
ビージーズの「メロディ・フェア」「若葉のころ」を聞くとまだシーンが思い出されたりするからなあ。
ぼくの住む岐阜、東海地方では映画は2本立てで、何度も見たはずなのだが、僕の記憶のある同時上映作品は「哀愁のみずうみ」だったはずだけど、当時の映画広告を見てみると必ずしもそうではなくて「青い海と白い鮫」とか「」が出てきます。
いずれもリバイバル上映ではなくロードショー公開の時だと思うので、映画館によって同時上映作品が違うなんてことがあったのだろうか。微妙に公開日も違うしなあ。思わぬヒットに劇場が順次広がっていったのだろうか。
女優の原田美枝子さんも大好きで、映画界入りのきっかけともなったらしいけど、それほど二人の可愛い姿は日本人を虜にした。

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岐阜日劇での同時上映は「哀愁のみずうみ」だった。

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マーク・レスターは日本でも映画(「卒業旅行})が製作されるほど人気が出たけど、トレーシー・ハイドも可愛かった。
バレエのシーンで男の子が思わず目を奪われるのも分かります。制服姿も可愛い。
その後もしばらくは映画雑誌で取材記事もときどき扱われていたけど。

Don't ask me why, but time has passed us by

誰も輝く時はあっという間に過ぎゆく。

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随所に美しい映像がちりばめられ、そして、なんといってもその美しい映像に載せられたビージーズの「メロディフェア」「若葉のころ」もまた美しく切ない。
クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの「ティーチ・ユア・チルドレン」はいささか説教臭いとの声もあったけど、まあ、二人の漕ぐトロッコの先にあるのは現実でファンタジーというばかりにはいかないからなあ。

テーマ:洋画 - ジャンル:映画

美少年ビョルン・アンドレセンの苦悩
少年の名は、ビョルン・アンドレセン。“世界一の美少年”として輝いた彼の人生は、大人たちによって性的に搾取され続けた。そこに導いたのは、子どもへの愛情不在の家族、両親、そして祖母の業。
2019年、世界中でヒットした『ミッドサマー』。本編が終わると各国の観客席で次々に小さなどよめきが起きた。劇中、頭の白髪と髭を長く伸ばし、グロテスクな死を迎える気味の悪い老人。それを演じた役者の名前が、50年前、映画史に残る伝説の美少年タッジオを演じた15歳の男の子と同じだったからだ。
そのどよめきは、1971年5月23日、カンヌ国際映画祭『ベニスに死す』上映時のレッドカーペットに少年が登場した時のため息交じりのどよめきとは、まったく異なるものだった。ビョルンが小さな作品に出始め、『純愛日記』(’70)で主人公の不良仲間のひとりとしてスクリーンに出たころ、巨匠ルキノ・ヴィスコンティがトーマス・マンの小説『ベニスに死す』の映像化のため、欧州各地で開いた美少年のオーディションがスウェーデンでも行われることを耳にし、祖母に言われるままビョルンは参加する。これがのちの人生で彼の美を餌食にする蜘蛛の巣であることに気付きもせず……。『ベニスに死す』が公開されたあとヴィスコンティから見放されるのと反対に人気が爆発した日本での仕事を祖母は応援した。来日中は本人もある程度楽しんだとはいえ、エージェントと祖母にとってそれはあくまでCMやレコード発売などで儲け目当てにすぎなかった。そのため、ビョルンは連日のハードスケジュールをこなすために、薬物を飲まされていたこともわかっている。(ELLE配信記事より)

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当時、大変な話題作だった。

「純愛日記」にも出演していたのか。僕も見たけど、全く知らなかった。というか、もうほとんど覚えていない。ただパンフレットのミニスカートからすらっと伸びた脚だけが強く印象に残っている。
ヴィスコンティの映画信奉者とすれば映画は傑作であるけれど、作品のため搾取され、その後の人生も見失ってしまった美少年がいたのだった。作品、才能、多様性…様々な問題が絡み合い、どう言っていいかわからないけど、ビョルン・アンドレセンがそんな悲劇を抱えているとは想像もしなかった。アラン・ドロンもヴィスコンティに可愛がられけど、「太陽がいっぱい」でアラン・ドロンが演じた青年トムのようなタフさがあったのだろうか。
NHK朝ドラ「半分、青い。」で秋風先生が美少年をタジオと呼んでいたけど、まさかそんな苦悩を抱えていたとは秋風先生も知らなかったにちがいない。

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オスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」だからね。

ヘルムート・バーガーはどうだったんだろう。

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「象牙色のアイドル」とか「早春」とは美少年にふさわしい?題名です。

ジョン・モルダー・ブラウンも美少年と言われていた。

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日本でもその美少年ぶりは話題・人気となり来日もしている。日本で人気が出たりするとマーク・レスターやルノー・ベルレーのように邦画に主演させたり、CMに使われたりもするからね。
レイモンド・ラブロックという名前からすごいのもいたけど、美というのは一瞬のきらめきであったりもする。
だから、時には残酷な一面もあるのかもしれない。自分にとっても周りにおいても。

テーマ:映画 - ジャンル:映画

その場のその場の新型コロナ対策
政府がなんと言いつくろうと新型コロナは間違いなく第4波。この一年間で、もう、よほど知見も学んだはずなのに、あまり変わり映えのしない繰り返しばかりの対策となって、今のところ、「まん延防止等重点措置」もあまり効果が見えません。
そして相変わらず、政府と新型コロナ分科会、そして各自治体等とも歩調は整わず、行楽シーズンのGWはもちろん、オリンピックも目前まで来てしまった。
とりわけ第3波などはじゅうぶんに収まりきっていないのに、一部は前倒しで非常事態宣言も解除してしまい、案の定、あっという間に第4波が来てしまった。予想以上という人もいるけど、変異ウィルスは感染力、重症化リスクも高いと言われていてじゅうぶん予測もされていたのだ。日本だけは例外とでも思っていたのだろうか。
気象庁の大雨特別警報・津波など命にかかわるものは空振りに終わっても出したほうがいいはずだったのになあ。
どうせ足並みがそろわないのなら、自治体の特色・地域性・県民性に合わせた、それぞれもっと固有な対策を取って、検証し、有効だった対策を実効的に全国に生かす工夫も出来たのではないか。じゅうぶんなワクチン接種終了まで根本的な決め手はないのだから。
あるいは、逆の検証、シミュレーションも立てられるかもしれない。あの時、十二分に期間を取った非常事態宣言であったとしたらとか、gotoトラベル、gotoイートを実施していなければ新型コロナの波はどうであったか、その経済的得失はどうであったか。今更ではあるけど、今後の物差しの一つ、納得の材料にはなって、対策への協力もより得られるというものでしょう。
とはいっても、今のままの非常事態宣言では短期間に繰り返せば、オオカミ少年ではないけど効果は薄れるに決まっていて、最初、もしくは2回目、おまけしてせいぜい3回目まで。
「仏の顔も三度まで」「二度あることは三度ある」「居候三杯目にはそっと出し」ですよ(なんのこっちゃ)。

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画像は「県立地球防衛軍」。県立地球防疫軍って、独自にやる知事はいませんか。
もちろん、科学的知見に基づいてですが。まあ、いつもの外野にいるからこそ言える勝手な妄想です。
黒部の太陽 それぞれの矜持と誇り
BSプレミアムで見たのだけど「ありがとう裕さん さらば石原軍団 ~日本人が最も愛した男 真実の物語~」が面白かった。
大スターの素顔から、独立プロとしての戦い、闘病生活など様々に描かれて目が離せない。
でもやっぱり、独立プロでやるのは大変だったのだなあ。映画大手5社の5社協定の縛りは大スターにも容赦はなかったのだ。
石原裕次郎にも三船敏郎にも。それでも作りたかったのは「黒部の太陽」だった。
戦後日本の高度成長を支える電力開発だけど、黒部は人を寄せ付けぬ秘境だからなあ。
そして建設担う建設五社もすごい。もう、下請けの土木会社の社長(設計技師石原裕次郎の父)はほどんど狂気に近いような土建屋。
今ならブラックもブラックな過酷な環境だけど、時代の中ではこういう事実もあって日本の繁栄は形作られてきた。
むろん、良しあしはあるけど、もう映画会社も建設会社も、そして大いなる協力を申し出た関西電力も今では作りえない映画であり、ダムでもありましょう。
岐阜も県歌に木の国、山の国、水の国と歌われるくらいなので、御母衣ダム、徳山ダムなどたくさんあるけど、土木学会選奨土木遺産でもある日本初のダム式発電所(1924年完成)である大井ダムは当時の世界的なビッグプロジェクトであり、黒四ダム勝るとも劣らぬ難工事だったという。苦難の歴史に紡がれた土木・治水技術であり、土建屋魂なのだ。
ブラックというのは簡単だけど、それでも誇り高き矜持があった。
今の関電の原発マネー、東電の福島原発事故、建設会社の談合体質などなど、あの誇りはどこに行った!?

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黒部ダムの完成から50年の折りには昭和シネマ専門上映館岐阜ロイヤルでは「黒部の太陽」の上映をしている。
石原裕次郎が望んだであろうノーカットフィルム上映で。
いまやシネコンはむろん、ほとんどの映画館はデジタル化されているから、フィルム上映できる劇場はわずからしいですからね。
全国から大スクリーンで見たいという裕次郎ファン、ダムマニア?が押し寄せて?昭和名作専門上映館になっての最多記録を更新し、異例の続映ともなった。これは地方映画館の矜持。

テーマ:邦画 - ジャンル:映画

もの言う石もの言わぬ石 「ブラタモリ日本の岩石スペシャル」
今週、4月17日の「ブラタモリ」は「日本の岩石スペシャル」ということだけど、タモリさんの岩石好きを見て石や岩に興味を持つ人もずいぶん増えたのだろう。宇宙には「もの言う石」(アイザック・アシモフ)、シリコニーだってほんとうにいるかもしれない。
地球のもの言わぬ石だって、タモリさんのようによくよく見れば語りかけてくるのかもしれず、研究者の楽しそうな表情を見るとそんな気もしてきて、人に話しかけるよりよっぽどいいのかもしれない。
つげ義春にも「石を売る人」「無能の人」というのがあるけど、やっぱり石に興味を持つ人は変わり者が多いのだろうか。
僕の実家は木曽川の堤防の際にあったから、ずいぶん木曽川の河原でも遊んだ。石を投げたり、珍しい石を探したり、また大雨で流れ着いた流木や、やはり流れ着いたのであろう種子か幼木が、芽吹き育ったよくわからない花や木を探したりするのも好きだった。ただ、漫然とした興味だったけれど。
そんな興味を知ってか僕が父親の旅行土産で小学生の頃にもらったのが阿蘇山の鉱石セット。
別に珍しいものでもないのだが火山の石はこういうものなのかと何度も見たり触ったりした。
もっとも一度ぶちまけてしまって、何の鉱石か分からなくなってしまい、一応調べたりして戻したのだが、正しいのかどうかは自信がない。今も売っていたりするのかなあ。植物の押し花もついていましたね。
そんな興味もいつか薄れてしまったけれど、「ブラタモリ」などを見るとやはり楽しい。
岐阜県の岩石(県の石というのが選定されている)となったチャートはここ各務原鵜沼でも見られ、地層は古生代から中生代のもので近くを流れる木曽川の露出したチャートからもジュラ紀あたりの放散虫が見つかったりする。
僕も子供の頃、木曽川で化石なども探したけど、鵜沼よりやや下流で見つけることはできなかった。
まあ、それでも近くの三井山なども含めて、きれいな石、水晶ややじりもどき、薬莢など変なものを見つけ集めていた。
古墳などもあり、山の裏側には岐阜航空自衛隊基地があったりもしたのだ。
ちなみに熊本県の岩石は阿蘇山の溶結凝灰岩だった。

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線で消してあるけど、方解石、黒曜石が欲しかったなあ。

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火山の地にも豊かに?!草木は育ち、花は咲くのであった。
観光土産にもあった蝶のしおり
春ですね。春といえば春の女神ギフチョウです。もう菜の花畑にも蝶が舞うけど、やっぱりひらひらときれいだな。
昔は観光地のお土産にこんなものがあって、蝶のしおりですね。
今は種の保存など採集や販売の規制なども多そうだから、こんなしおりはまだあったりするのだろうか。
これは美ケ原のお土産でもらったもので、ウスムラサキシロチョウ、ミカドアゲハ、クモガタシロチョウ、ホソチョウ、モンシロチョウの5種があってモンシロチョウの羽は一部風化してしまった。
金華山の麓にある岐阜公園にはギフチョウで有名な名和昆虫博物館があったりするから岐阜は蝶好き、昆虫好きも多いかしれない。館長の名和さんはラジオのディスクジョッキーもやっていたし。
なかなか風情のある古い洋館で、少し怪しくもある蝶などの昆虫博物館としては最高の舞台かもしれない。

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以下は過去ブログからの加筆、再編集です。
いつだったかNHKBSプレミアムで山と蝶に魅せられた写真家田淵行男の人生を描くドキュメンタリードラマ「蝶の山脈」というのがあり、標高3000m級の北アルプスを舞台に希少な高山蝶を見つめ続けた写真家・田淵行男の破天荒な生涯を描くもので、貴重な証言ドキュメントと大自然の映像美が鮮やかで美しかった。平岳大、奥貫薫がともに変人、慎ましやかな印象のままに好演していて、蝶好きが変人のように扱われるのはさてはこの人が原点だったかと思わせます。
法務大臣だった故 鳩山邦夫氏(『チョウを飼う日々』という本まで出している)は「変質者の代名詞のような蝶のコレクター」と言われたらしいけど、あまりの言われようだなあ。
蝶といわず昆虫好きには、北杜夫、養老孟司、宮崎駿、香川照之などあまたいるけど、みんな変わり者風で、映画・ドラマや小説で描かれても「コレクター」「羊たちの沈黙」の変質者の印象が強くあって、「相棒」「金田一少年の事件簿」などでもマニアックなエピソードで登場する。
やはり、蝶好きだった岸田森は「怪奇大作戦」で変人の面目躍如とばかりに頭脳明晰で冷血なほどの科学の信奉者牧史郎を演じ、奇しくも「人喰い蛾」というエピソードもあった。(蛾であって蝶ではありませんが)。アサギマダラは1000キロも移動した記録もあり、蝶は美しいだけでなく不可思議な知的好奇心も呼び覚まし、ローレンツの『予測可能性ーブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか』というバタフライ効果や、宇宙にすら蝶のような惑星状星雲を見いだす。「∀ガンダム」にも月光蝶というのがあったな。
僕なんかも科学的にはありえない漆黒の宇宙にひらひらと舞い、進む蝶の群れを何度も夢想した。美しいでしょう!?
「チョウたちの時間」(山田正紀、SFです)「チョウはなぜ飛ぶか」(日高敏隆)などもわくわくして読みましたね。
映画「西部戦線異状なし」の美しくも衝撃的なラストシーンも象徴的で、蝶だからこそ、なお焼き付く。

テーマ:趣味と日記 - ジャンル:趣味・実用

訃報 田中邦衛 健さん、邦さんの巴里凸凹珍道中
テレビドラマ「北の国から」や映画「若大将」シリーズなどで活躍した個性派俳優の田中邦衛(たなか・くにえ)さんが3月24日、老衰で亡くなった。88歳だった。告別式は近親者で済ませた。岐阜県出身。1955年、俳優座養成所に3度目の挑戦で合格。57年の今井正監督の映画「純愛物語」でデビューした。61年に始まった加山雄三さん主演の「若大将」シリーズでは主人公のライバル「青大将」役で出演。アクは強いが失敗ばかりの憎めない役を好演し、主人公に匹敵する人気を得た。(読売新聞)

名バイプレーヤーとも呼ぶべき人だったと思うけど、やはり「北の国から」の黒板五郎のイメージが強いのだろう。訃報も異例なほどの大きな扱いで、さっそく追悼の「北の国から'87初恋」も放送された。出身はわが岐阜県なのだけど、すっかり北海道富良野のイメージとなってしまっている。独特の口調はずいぶんものモノマネもされて、どうだったのだろうなあ。実際、朴訥な感じはあのままだったらしく、バラエティなどの出演もほとんどなかったら知る由もないけど、やはり無口で知られる高倉健さんとは「網走番外地」に始まり「駅」「居酒屋兆治」などの共演も多く、お互い、尊敬し気心の知れた存在だったという。
映画「夜叉」で健さんと共演した折には、やはり出演していたビートたけしに「俺たち漫才師や芸人は役者も出来るけど、役者は漫才でも出来るのか」と問われ、健さんは田中邦衛さんに声をかけたという。二人とも無口なので笑い話で終わったらしいけど、相方に田中邦衛を選んだというのは案外本気だったというような気もする。どちらもまじめな人だからね。

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映画「若大将シリーズ」から

漫才はともかく、「渥美清さんが演じた寅さんのような“テキ屋”が、今の日本では生きづらくなってきた。そんな窮屈な日本を飛び出した男がヨーロッパに渡り、パリで新たな出会いを経験するという物語」で「オッチョコチョイでお調子者の田中邦衛さんと、真面目で頑固なテキ屋の高倉さんのふたりが、“弥次さん喜多さん”のようにパリで日本人観光客を騙そうと珍騒動を起こす…」のような話もあったという。ちょっと「若大将」シリーズの青大将役なんかも思い浮かべちゃうけど、健さん、邦さんの凸凹コンビ、最高じゃないですか。
この情報を聞いた記者は事務所に確認を求めると、すぐさま電話があった。
「高倉です。(事務所に)ご連絡いただいたように、新作映画で邦ちゃんとパリで共演したいという話は事実です。でも実は邦ちゃんはいま、体調があまり良くないんです。この共演の話が報じられてしまうと、彼が無用なプレッシャーを感じてしまうのではないかと心配しています。自分としても心苦しいですし、記事にするときは、邦ちゃんの名前だけは出さないでもらえないでしょうか」
どこまでもまじめで気遣いの二人なのだった。映画「居酒屋兆治」のなかでも親友を演じている。

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キャスティングでは主演・ヒロインを除いてほぼ二番手なのにポスターなどではあまり使われない。「バカ言え、俺の顔なんか使って誰が見るんだ」ってな感じが。

漫才も面白かったのではないか。
高倉 「高倉です」(実直に)
田中 「五郎です」(照れながら)
高倉 「…」
田中 「…」
高倉 「純です」
田中 「…」
高倉 「蛍がいいですか?」
田中 「知らねえよ」
と、さっぱりかみ合わず言葉が出てこない二人なのだが、さすがに名優同志、大いに受けるのでありました(妄想です)。
健さんも亡くなってしまったけど、あちらでは映画企画も持ち上がり、二人で盛り上がっているかもしれない。
岐阜出身の俳優と言えば今では綾野剛、伊藤英明とイケメン俳優となってかっこいいけど、やはり田中邦衛さんだな。

テーマ:俳優・女優 - ジャンル:映画

切手少年
映画ポスターなどの映画関連に限らず、収集癖は小学校時代からあって、このころは子供たちの中で人気のあった記念切手ですね。よく少年マンガ誌にも切手販売の広告があったりもした。高価だったのは国際文通週間の「蒲原」とか「見返り美人」などがあったけど、とても小学生には手が出ない。教室での交換などもあったりした。
僕は「鳥」シリーズとか「花」シリーズとか、何らかのシリーズに惹かれるような傾向があった。
今ではマンガやアニメなどもあるけど、昔はマニアックなシリーズといっても鉄道くらいですかね。

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切手帳。子供だからシートで集める発想もお金もなかった。1枚づつ丁寧にハトロン紙で包んだ。

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国際国際文通週間の東海道五十三次や国立・国定公園シリーズなど絵やデザインの綺麗なものが好きだったな。
お年玉付き年賀はがきで当たる年賀切手も毎年、3~5枚程度は当たっていたから、一枚は必ず僕がもらっていた。

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消印のあるものや外国切手、お土産でもらった琉球切手などもある。
今でも大切に取ってあるけど、収集する人もずいぶん減ったから価値も下がったのだろうなあ。
固定電話などもそうだけど、手紙の投函、切手の消印、切手を貼る唾液など、昭和ミステリーの謎も消えていく。
あの頃の教室には野球少年(スポーツ系)、昆虫少年(生物系)、ラジオ少年(理科系・分解系)、マンガ少年(文科系)、天文少年(理科系)などいろいろあるなかで、切手少年というのもあったのだ。

テーマ:趣味と日記 - ジャンル:趣味・実用