理系・文系を重ねて見る光景は
AIは人に寄り添うか
「ターミネーター」も「2001年宇宙の旅」「禁断の惑星」も人工知能の人智を超えた怖さを描くものでもあったけど、囲碁や将棋などの無駄も排除せず、あらゆる可能性を潰していき、最終的に勝利することを目指し、そのうえでそのための最大の効率化を図っていくようなものだとしたら、やはり恐怖は否めない。
人は基本的に包丁を野菜や肉を切る食事のためのものとするのであり、自動車はより早くより遠くまで多くを乗せて行きつくものであり、人の生活を豊かにするものだけど、あらゆる可能性を探れば簡単に凶器にも変わる。
秀吉は「刀狩り」で農民から奪ったのはまさに「刀」で、農作業に使う鉈などの刃物類を取り上げることはなく、猟師鉄砲ですら取りあげなかった。人を殺傷するものではないからだ。
「なぜ、人を殺してはいけないのですか」という問いかけに対して、人は明快な答えが見つけ出せないけど、「ならぬものならぬ」といって、「AI」は果たして理解するのだろうか。

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まあ、そんなものを理解しては「AI」の意味もないのだろうけれど。
本が読んでも読まなくても、本のある風景が多様で豊かであるように、人は役に立とうが立つまいが、そんなことは結局誰にもわからないし、人のある風景はただあるがままで多様でも豊かなのだ。
人が自然に抗いながらも寄り添って生きてきたように、「AI」は人にどのように寄り添っていくのだろうか。
「スタートレック」のスポックや「宇宙家族ロビンソン」のロボット「フライデー」などの論理のみの思考や会話とのズレが、ふとユーモアを生み、怪訝な表情を浮かべたり、「それは計算できません」と繰り返したりするときがあるけど、あれってけっこう、人との関わりの中で重要なところではないかなあ。
ユーモアを解するかどうか。
福田恆存はユーモアは「その人の教養を物語り、真面目は腐ったり、堕落しやすいが、冗談(演技)は腐らない」と言ったけど、「AI」はどう解するのだろうか。
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