理系・文系を重ねて見る光景は
北海道の空に軌跡を描いたのは観測ロケットMOMO(モモ)ではなく…
北海道大樹町の宇宙ベンチャー「インターステラテクノロジズ」は天候悪化で1日延期のうえで30日、自社開発した小型ロケットの打ち上げたけど、約80秒後に機体からの飛行データが受信できなくなり、機体の状態が確認できなくなったため緊急停止した。関係者によると、高度100キロの宇宙空間に到達せず、約8キロ先の海上に着水した。 民間企業が単独で開発したロケットとしては日本初となる宇宙空間への到達を目指す。国の主導で進められてきた日本の宇宙開発に、民間が本格参入する試金石として成否が注目される。 打ち上げるのは観測ロケットMOMO(モモ)。全長約10メートル、直径50センチ、重さ約1トンで液体燃料の1段式。発射から約4分後に高度100キロ以上に達し、約50キロ沖の太平洋上に着水する計画だった。(共同)

もう旧聞になるけど、ロケットは難しいよね。
日本のロケットは糸川先生のペンシルロケットに始まり、内之浦宇宙空間観測所で東大宇宙研がラムダロケットなど打ち上げていた頃もずいぶん失敗していた。

以下は再掲(一部追加)になります。
テレビ中継などがあれば、食い入るように見たけどよく発射失敗があってがっかりしたものだった。
またアメリカやソ連のロケットが垂直に打ち上げるのに、日本のロケットは傾斜角があり不思議に思ってた。
円谷ロケットでも垂直に打ちあがるのに。まあ、噴射煙などはフニャフニャと風にたなびいたりもしたけど。
米映画「遠い空の向こうに」は世界初の人工衛星スプートニクが空に描く美しい軌跡を見て、すっかりロケットの魅力に取りつかれてしまう少年達の物語だけど、当時のアメリカ南部の保守的な風土なども読み取れる佳作です。
田舎の炭鉱町に住む少年たちが夢をかなえるべく都会に出るためには、アメフトのトップ選手になって大学の奨学生になるくらいしかチャンスはなく、でなければ炭鉱で働くことくらいしかなかった。
そんな風土のなか、主人公の少年達は無理解と偏見のなかで、そしてささやかな応援のなかで全米科学コンクールでグランプリを得てチャンスをつかみ取るのだ。スプートニクの時だから1957年の頃の物語ですね。
それからほぼ10年後、日本ではラムダロケットの時代で、やはり何度も失敗していた。
一歩一歩技術を積み重ね、ようやく成功に至るのだが、それに続こうと憧れや疑問を持って、またその美しい軌道に感動して日本でもロケット少年が生まれ、今のJAXAを支えるのだろう。
北海道の田舎町であろう大樹町と、相似するような気もしますね、「遠い空の向こうに」。
ちなみに「遠い空の向こうに」の原題「October Sky」は「Rocket Boys」のアナグラム。
もちろん、少年達がスプートニクの美しい軌跡を見た空も10月で、きれいなアナグラムですね。
北海道の美しい空にも、またMOMO(モモ)の軌跡は見えるのだろうか…と思っていたら、北海道の美しい8月の空に軌跡を残し、飛んで行ったのはそんな少年たちの夢を壊すような、現実を突きつけるような北朝鮮のミサイルだった。
8月か。映画でも8月って付くのは「8月の濡れた砂」「皇帝のいない8月」などとギラギラと危険な香りがする。
「8月の狂詩曲」というのもあったなあ。

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でもまあ、今日のここは科学のロマン、未来を語る場なので。
さて、川崎重工岐阜工場(航空機関連)、航空自衛隊岐阜基地の南側に隣接する航空宇宙関連の展示施設の「かかみがはら航空宇宙科学博物館ではリニューアル期間となり、平成28年9月26日(月曜日)~平成30年3月下旬の閉館後、パワーアップして新規オープンとなるのだけど、その新たな目玉となるのが三式戦闘機「飛燕」ですね(現在、収蔵庫で「飛燕」などが限定公開中)。
「飛燕」は川崎航空機(後の川崎重工岐阜工場)で開発・製造された当時、唯一の量産型液冷戦闘機。
さらにゼロ戦でもあればより充実するけど、あれは三菱ですからね。でもこちらも大丈夫。
ゼロ戦の試作機「十二試艦上戦闘機」(実機も模型も存在せず)を三菱重工の設計資料を基に実寸大模型を新たに制作するというからね。
くわえて、アジアの博物館としては初めて米スミソニアン博物館連携協定を結び、第1弾として、4式重爆撃機『飛龍』の改良型試作機に搭載されたエンジンを借り受け、同機は終戦まで実用化されなかったもので、県によるとエンジンともども他には現存していないらしい。
また航空宇宙科学博物館と名乗る以上、宇宙関連でも新たに「ISS実験棟きぼう」や「はやぶさ2」の実寸大模型も展示、今後も宇宙技術の発展とともに収集に力が入りそうです。
また岐阜基地では最新のステルス・先進技術実証機X-2(ATD-X心神)も飛んだりもするしね。
前線に?立つような基地ではないので、いまいち一般には知名度が低いのかもしれないけど、飛行開発実験団がおかれ、珍しい機種も多いのだ。
11月19日には航空祭も開催される予定けど、きな臭くなってきて大丈夫だろうか。
科学の明るい未来、少年少女の夢や希望を育む博物館になってほしいものですが。
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噂の真相
僕が学生の頃、ときどきサブカル系マイナー雑誌に投稿していたことは前にも書いたけど、実は一度だけ、記事として書いたことがある。あの「噂の真相」ですね。
もともとは「マスコミ評論」という雑誌の編集長をやっていた岡留安則が発行人と揉めて独立し、「噂の真相」の発行に至るのだが、
創刊準備号には読者にも支援を求めるようなことが書かれていたりした。
今では休刊(廃刊?)となってしまったけれど、そして賛否も山ほどあったけれど、マイナー系のあの雑誌があれほど売れるとは思わなかったなあ。
ぼくはすこし雑誌マニアの傾向もあって、一時いろいろなマイナー系雑誌(東京おとなクラブ、面白半分、話の特集、絶体絶命、やんろーど、ぱふ…)を読んでいたのだが、いずれも時代の波に飲み込まれていったけど、「噂の真相」のみがある意味メジャーとなった。

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掲載されたのはルポ記事。映画館に勤めているころで、宣伝も兼ねようという気もあったのだろうけれど、振り返ってみれば、あのころはまだマイナーに過ぎず、とりわけ地方都市では認知が弱く、僕の買い求める書店(地域では大手書店)ではたしか2冊しか置いてなかった。
僕のほかにもう一人しか買う奴はいなかったんだからね。宣伝効果などあるはずがない。
「地方都市2番館事情」という、名画座と言えば聞こえがいいけど、どちらかと言えばB級映画などの再映専門館で、日記調でルポしたもの。甲斐もなく、その後まもなく映画館は閉館してしまったのだけど。
まあ、だから書けてしまったのだろう。誰にもばれなかったし。
商業原稿など一度も書いたことがないし、企画を手紙で送ったら電話がかかってきて、一度のやり取りで決まってしまった。
掲載原稿もほぼ修正もなくそのまま載っていたのだった。
いくら「噂の真相」とはいえ、あの頃だったからまかり通ったのだろうなあ。
原稿料は図書券だったような気がする。
硬軟併せ持ち、真偽も不明などは今のネット記事にも似ているけど、やはり覚悟が違うのだろうなあ。
様々なところから叩かれたけど、熱狂的な支持者も多く、大手雑誌なみの豪華執筆人(筒井康隆、ナンシー関、高橋春男、筑紫哲也、本田靖春、斎藤美奈子 など)を揃えたコラムは雑誌のひとつの正当な評価でもあった。
2番館はなくなってしまったけれど、映画は娯楽としてシネコンという装置とともに復活した。
「噂の真相」も「2番館」も硬軟取り混ぜたような猥雑さがあったけど、また、今のネット記事ともシネコンともちがうよなあ。
このブログも硬軟取り混ぜたような猥雑さの香りがするのはそんな時代の背景があるからです!?

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なにしろ、あの映画館、僕の頃でも「ビートルズ」「矢沢永吉」から「ヒポクラテス」「翼は心につけて」「翔べイカロスの翼」「鯉のいる村」「ルードウィヒ」「大理石の男」「モア」、「ウルトラマン」「家なき子」、「青い体験」「ヤコペッティの残酷大陸」「女体拷問人グレタ」などまでやっていたからなあ。

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薬師丸ひろ子が薬師丸博子だった頃
筒井康隆の鳴門元号サイン本に続くお宝シリーズです!?
まあ、僕個人の思い入れだけなんですけどね。
いや、僕もマンガやアニメからアイドル、映画、ドラマ、切手、雑学など、たいていのオタクだったと自負!?するのだけど、なかでもアイドル女優・歌手ファンとしては内藤洋子に始まり(少し遡って芦川いずみってのもある)、吉沢京子、富田靖子、斉藤由貴、浅田美代子、原田知世、石田ひかりなどと続き、今もなお綾瀬はるか、堀北真希、吉高由里子とキリがなかったりするなあ。
それでも誰か一人というなら、やはり薬師丸ひろ子に止めをさす。
映画やドラマはほとんど見たし、まあ、同時代として動き、集めやすかったということもあるけど。
といっても岐阜を出ることはなかったから限界もあったはずだけど、それでも映画ポスターなどずいぶん収集した。
角川の映画雑誌「バラエティ」も買っていたし、「セーラー服と機関銃」の公開時の一度きりの「オールナイト・ニッポン」も録音したからなあ。
なかでも、いちばんのお宝映画ポスターがこちら。
薬師丸ひろ子のデビュー作「野性の証明」の先行告知ポスターですが、わかりますか?

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ほら、アップでよく見てください。
薬師丸博子とあるでしょう。
そう、まだ芸名も決まっていなかった頃の超先行映画告知ポスターなのだ。
この大人びた表情にやられてしまったのだった。

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追記
今ちょうどBSプレミアム「カバーズ」薬師丸ひろ子を見終わったところです。
デビューの頃は人見知りで挑戦的な写真ばかりと言っていたけど、このポスターもまさにそんな頃。
しかし、高倉健、相米慎二、松田優作、松任谷由美、松本隆、大滝詠一、井上陽水、宮藤官九郎、木皿泉など大物に愛されているなあ。
ゲストに石橋蓮司が出てきたのにはちょっとびっくり。あの石橋蓮司も薬師丸ひろ子の透明感あふれる声に癒されるか。
まあ、強面で気難しそうな印象もある蓮司さんだけど、映画「四十九日のレシピ」(地元岐阜でのロケ作品・タナダユキ監督作品)の岐阜での試写会ではタナダユキ監督と石橋蓮司さんがゲストで、舞台挨拶もあり、試写が終わって会場ロビーで来場者に握手までしてくれたのだった。

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元号ミステリー 元号鳴門の謎
少し前だけど、「マツコの知らない世界」で「冷やし中華」をやっていましたね。
でも「なぜ夏だけなのか」という、あの疑問はずいぶん昔からあって、かつては有名人が多く参加した「冷やし中華愛好会」というのまであって、けっこう盛り上がって議論も尽くされていたはずなんだけどなあ。
だから、かの人のフォロワーが一人とはびっくりした。いつの間のそんなに関心が薄れてしまったのか。
といっても夏には必ずあり、コンビニにもある王道の定番商品。
人の口に上らないというだけで、だからこそ、時々こういう人が出てくるのだろう。

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僕は筒井さんのファンクラブに入会していたことがあり、まさに筒井ブームの絶頂期で、筒井さんを囲む会があった折にはサインもしてもらえたりするから、近くで開催されたとき「欠陥大百科」の単行本を持っていった。
その「欠陥大百科」には名の通りに欠陥があって、奥付の刷数の日付に誤植があり、数年も先の日付になっていた。
未来の発行年月日である。しかもその未来の日付は刻々と近づいており、その日を越せばもう見ただけではわからなくなる。
僕はいつでも証明出来るように、サインしてもらう時、日付もと勇気をもってお願いした。
筒井さんはすこし怪訝な表情で、でもすぐ納得がいったようにサインを入れてくれた。
なんと大いに気を利かせてくれて、鳴門元号で入れてくれたのだ。
筒井さんは冷やし中華愛好会の中心会員で、初代会長 山下洋輔から 二代目会長を引き継ぎ、会の創立とともに定められた元号も「冷中」の時から「鳴門」の時代になっていたのだ。
もう、当時の「冷やし中華愛好会」の会員やファンじゃないとわからない。
いや、当時の会員やファンでも鳴門元号に改元されていたなんて知らない人も多いだろう。
実際、僕もサインを見て「ああ、そうなのか」と思ったくらいなのだ。
普通の人では誰も分からない。
麗しき、鳴門二年一月二十二日のこと、昭和53年、西暦1978年のことだった。
ちなみに奥付の年月日は1970年5月10日初版発行、1979年5月15日9刷発行。
鳴門元号入りのサイン本を持っているのはおそらく僕だけに違いないぞ、あはは。
画像がその筒井康隆鳴門元号入りサイン本。
もし、新元号が「鳴門」になったら、このサイン本、すごいことになるかも。
はるか未来、この本の年号は時空を越えた永遠の謎として研究者を悩ませるのだ。
真相はこんなものと解き明かす者があれば、冷やし中華マニアか筒井マニアだろうか。
王道の研究だけでは絶対見えて来ず、多くの謎は意外にこんなところにあるのかもしれない。

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

「若親分」(市川雷蔵)と「兵隊やくざ」(勝新太郎)
さあ、テーマがあちらこちらと飛ぶぞというわけで、今回は映画だよ。まあ、古いんだけどね。
市川雷蔵と勝新太郎というか、「若親分シリーズ」と「兵隊やくざシリーズ」ですね。
市川雷蔵は「眠狂四郎」や「忍びの者」、勝新太郎は「座頭市」「悪名」など、ともに大映の大スターだけど、印象はまるでちがいます。
分かりやすいのは、ほぼ同時期にスタートした市川雷蔵の「若親分シリーズ」、勝新太郎の「兵隊やくざシリーズ」でしょう。
僕はともに好きなのだけど(まあ、テレビで見たのですが)、やはり僕はどちらかといえば雷蔵派というか、いわば「海軍」対「陸軍」、または「スマートでかっこいい」対「汚く泥臭い」という構図でもあったからね。

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明治以来の日本の軍隊の伝統的イメージなのか、たいてい、こんな括りで映画など作られていた感じがしますね。
今でも軍隊ではないけど、陸自より海自や海保などの人気が高いのは(たぶんだけど)、この伝統が引き継がれているのだろうか。
まあ、実際、陸軍や陸自では泥にまみれるのだろうけれど。
最近ではアニメ「ガールズ&パンツァー」「艦隊これくしょん -艦これ-」などがあるけど、まったく別物になってしまったなあ。
「汚く泥臭い」は論外で、「スマートでかっこよく」、さらには「かわいい」ということなのか。
でも、現場は今も変わらず、やはり汚く泥臭く命がけなのだ。
映画もほんとうはこういう作品にこそ、戦争の真実が垣間見えたりするような気がするけどなあ。
まあ、戦争を知らない僕が言うのもなんだけど、時にはこんな作品も作らないと、リアルな現場が見えてこないぞ。
稲田前防衛大臣は映画はどちらも見ていなかったのだろうなあ。
戦争の正面を見据えるような「プライベート・ライアン」「プラトーン」「ディア・ハンター」「シンドラーのリスト」、あるいはエンタメ系の「ランボー」などでもいいけど、意外と「若親分シリーズ」や「兵隊やくざシリーズ」、洋画では「MASH」、「まぼろしの市街戦」といった作品のほうが、核心を突くこともあるんじゃないかなあ。
まあ、「若親分シリーズ」については雷蔵(元海軍士官)がかっこいいだけで、海軍は特に描かれることもないのだけどね。

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「ひよっこ」みね子のリンク特異点 オイラーの贈物
NHKの『AIに聞いてみた どうすんのよ !?ニッポン』というのを見ていたのだが、まあ、よくわからないのだけど、あの画像で出てくるリンクポイント?が面白いですね。
さして重要とも思えないポイントから、けっこうなリンクが広がっていたり、しかも意外なものや、重要なものに繋がっている。
以前に、インターネットの地図の点と線を数えると、何百万ものリンクを持つ点がごく少数ある一方でリンクを1.2ヶ所しか持たない点が非常にたくさんある…というのを読んだけど、あんなものだろうか。
これで連想するのがNHK朝ドラの「ひよっこ」ですね。
奥茨城村の多少ドラマチックなことがあっても、普通の女の子みね子が行く先々で(乙女寮、すずふり亭、あかね荘など)、さして目立つわけでもないのに、いつのまにかなにかしら多くを繋げ、特異なリンクポイントになっているような。
まあ、ヒロインだから当然でもあるけど、それでも「みね子」がいなければ大女優も揺らぐことなく、そしてすずふり亭の高子さんも奥茨城村に嫁に行くようなこともなかった。
これは人が考える重要なものばかりではなく、何事もなくある存在が実は何よりも欠かせないものであるというような。
目先や効率はもちろん、どんなに考察を重ねても、なお見落しがあるのかもしれぬということで、AIについて言えば、AIだからできる、いわば全ての可能性を総当たりしてこそ分かるものだろうか。
人間は総当たりできるわけではないけど、直感や何かしらの感情などの変数があって、さらに奥が深いかもしれないなあ!?
また、逆にリンクポイントが多ければ、その存在の意味や価値が高いのかと言えば、それも果たしてそうなのか。
おいらにはさっぱりわからないけど、この手の解析にはオイラーの数学理論は役に立つらしいよ。

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グラフ理論の第一人者秋山仁 東海大教授によれば、「オイラーの素晴らしいところは一筆書きができるかどうかというネットワーク全体に関わる問題を頂点から出る線分の数という部分の性質に置き換えて解いたことだ」といいます(日経新聞)。
7つの橋くらいであればしらみつぶしに調べることが出来るけど、ネットワークが複雑になると総当りは困難で、そんなとき部分を調べたオイラーの発想が役に立つという。

オイラーの贈物
代数、幾何、解析。数学の多くの分野は唯一つの式に合流し、そしてそれを起点に再び奔流となって迸る。ネイピア数、円周率、虚数、指数関数、三角関数が織りなす不思議の環:オイラーの公式。ファインマンは「これは我々の至宝である」と嘆じた。本書はこの公式の理解を目標に、数学の基礎を徹底的に解説する。記述は極めて丁寧かつ平明である為、意欲溢れる中高生の副読本としても好適である。

うーむ、さっぱりわからん。だけど、なんか楽しい。これが変数かしらん!?

テーマ:数学 - ジャンル:学問・文化・芸術

老大家の時代3
老大家の時代」シリーズ3です。
先日のNHK「思い出のメロディ」を見ていたら、なんと浅丘ルリ子、五月みどりなどもいて、まるで「やすらぎの郷」シフトだなあと思っていたら、本命石坂浩二も登場してきた。まあ、歌うわけではなく、作詞家としてだったけど。
しかし、「思い出のメロディ」くらいになると、歌謡界・映画界の大御所・老大家というべく人が続々出てきて、小林旭は自由気ままにしゃべり倒し、浅丘ルリ子は久しぶりの歌に震えるほど緊張して司会の氷川きよし、有働由美子、そして映画のパートナー小林旭に送り出されるも、歌い終わるや否や、かつての映画のパートナー小林旭に寄り添うのかと思ったら、しっかり氷川きよしだった。
「やすらぎの郷」で描かれた向井理や清野菜名に向けられる老人の視線ってリアルなのだなって。

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そして、あれほどに焼付いたはずの戦争や大震災の悲惨さえ、時は風化させることも。時は優しくも残酷でもある。
重いテーマあり、軽妙なやりとりあり、老人のエロありのさすがは老大家 倉本聰のドラマだけど、やはりその眼は衰えない。
手をつなぐことばかりが「絆」と言われるけど、手を放すこともまた「絆」だったように。
倉本聰はこのドラマの主人公のように山田太一と競い旬の若手女優を引き上げたけど、今は松岡茉優と清野菜名なのかな。
倉本聰だけでなく、山田太一も自由に書きだしたら面白いのになあ。
もっとも自由といっても今のテレビ界などのあまりのガチガチのコンプライアンスを気にせずにということだけど、この二人なら風穴を開けれるかもしれない。
それにしても「やすらぎの郷」って、けっこう老人たちを元気にしたのではないかと。これがほんとうの「働き方改革」!?。
老人が元気に働けば人口が減っても労働人口は減らず、健康であれば老人医療費の伸びを抑えられ、好循環になるし。
下手をすれば(上手くすれば?)、マロのように結婚、子供も生まれて少子化対策にも。
なにしろ、あの老大家の世代、すべてにバイテリティがあるからなあ。
画像は若き日の石坂浩二が演じた「花咲ける騎士道」。地で行くようなモテっぷりだった!?

しかし、ハッピーがえらいことに。倉本さんもつらい記憶があるはずなのに、避けることもなく、あえて書くのだな。
やはり、覚悟の作品なのだ。

テーマ:TV番組 - ジャンル:テレビ・ラジオ

日本の夏には怪談を「ハロー張りネズミ」
夏になり、お盆辺りになればレギュラーのテレビドラマでも怪談ものが挟まれたり、2時間ドラマでも怪談ミステリーのひとつくらいはあったものだけど、それも今は昔。
かつての人気ドラマ「ザ・ガードマン」などは毎年、恒例のように怪談仕立てのものがあったような気がするなあ。
これも歳時記というか、季節感がもっと大切にされたころの夏の風物詩だったのだろう。
子供会でも肝試しというものがあり、正味、深夜の自殺体もしばしば出たという河川敷上の雑木林の地蔵を回ってくるというもので、上級生が容赦なくこんにゃくやマジックをもって待ち伏せたりするので怖ろしかったのだが、やれようやく上級生となり、脅す番となったら、中止となってしまった。
今は行われていてももっと安全は確保され、むしろ、お化け屋敷のようにカップルが手を繋いで出てくるような、夏の花火のような甘酸っぱいものさえあるのかもしれない。
肝試しも驚かすことが出来ず、甘酸っぱいこともなかったというのは、団塊でもなく、新人類・バブル世代でもなかったシラケ世代の憂鬱さに通じるような気がするなあ、ほんとうか?
さて、TBSドラマ「ハロー張りネズミ」が面白く、久しぶりに夏の怪談ものを入れてくれたのだけど、なんとまあ、風物詩程度かと思ったら、本気も本気の怪奇ものだった。ゲストも蒼井優で、2週にわたってという本気ぶりだった。
床柱か、やっぱり、家に憑くというのは怖いですね。

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怪談ものはまた画像が美しくあってこそ、映えるものでもあるけれど、BSプレミアムで再放送が始まった「おそろし~三島屋変調百物語」もそうで、やはり監督の金子修介の絵はきれいだなあ。
波瑠はこれがテレビドラマ初主演だったと思うけど、闇を抱えながらも慎ましやかで凛とした姿が美しい。
また、やはり不吉で妖しい彼岸花が美しいのだけど、庭に彼岸花をほんとうに植える家があるのだろうかと思っていたら、山本富士子さんが「徹子の部屋」に出ていて、小津監督の義妹さんが自分の庭に咲く彼岸花の切り花を毎年贈ってくれるのだという。
小津監督の「彼岸花」は山本富士子主演で、これはまだ見ていない。
今年は夏に「ハロー張りネズミ」「おそろし~三島屋変調百物語」と怪談ものが続き、しばらく蒲団から足を出して眠れないなあ。
足を出すとね、つかまれちゃうんだよ。「うわーっ、手が」なんてね。
画像は「怪談残酷物語」。田村正和の主演ですね。怖いんですよ、日本の怪談は。

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人外は微睡に潜む
   人外は微睡に潜む

富島健夫のジュニア小説をずいぶん読んだ時がある。芥川賞候補にもなり、また一般的には青春小説、官能小説家としても有名だ。だからジュニア小説でもずいぶんシニカルな視線をもって、少年少女の性を書いている。
どんなに正義感に満ちていても、どんなに真面目であっても悪に少しでも隙を見せれば、結局そのまま戻れず堕ちてしまう少年少女が物語のなかに必ずいた。性質の悪いクラスメートから友だちを助けようと真面目な子が知らず知らずのうちに少しずつ堕ちていくのだから胸が苦しくなる。優しい気持ちに悪は平然と、ほくそ笑むように遠慮なく付け込むのだ。ジュニア小説にさえ潜む容赦のない冷笑的な視線はゾクゾクとさせた。
ともに堕ちてしまうほどの覚悟がなければ悪に近づくべきではないと、富島健夫はあの頃から少年少女たちに言っていたのだ。
某元清純派アイドルが薬に堕ちた時、「覚せい剤でもタバコ・酒でも、あるいはあんな亭主でも、すべての中毒者は意志の弱い人間」と言った大学教授がいたけど、僕は清純、そして正義や真面目さにこそ悪は惹かれ、そして付け込むのだと思った。そして一切を撥ねつけるような純粋さ、意志の強さに悪はほくそ笑むのだ。

「この人はわたしがいないとだめになる」
「気持ちを強く持てば自分は大丈夫」

誰にも負けないような優しさ、純粋さはもう悪を呼び寄せずにはおかないものなのだ。       
果てのない波のように寄せて、少しずつ内面をむしばみ、あとはゲームのようにじっくり楽しむ。悪は一色のみだ。少しでも沁み入られ、魅入られたら逃れる術はない。逃れたようでもその沁みは消えるわけではなく眠りにつくだけだ。
そして平和な日常に悪は保護色をまとって、そこここに転がっている。
人は神でも悪魔でもない。
誰も純白ではなく漆黒でもない。誰もわが身に沁みはある。人の外に、人の中に人知れず置かれている。

誰からも祝福される女性がいた。
裕福な家庭に生まれ、文字通りの才色兼備で、奢ることない真っ当で楽しい青春も過ごした。大学時代の友人と結婚し、幸せな家庭を築いていた。
彼女が三五歳の時、二人の子供に恵まれ、仕事にも家庭的にも申し分のない夫がいた。
夫は有能で人望も高く、その幸せな家庭環境に憧れて多くの同僚などが家にも集まった。夫も妻任せにはしなかったし、同僚たちもわきまえた人たちだったから、彼女にとってもそれは楽しいことだった。
一人、冗談のようにいつも来ると誘いかける男がいた。夫の後輩だった。
「一度でいいからあなたのような人とお食事、デートしたいなあ」と。
大勢の前でも夫の前でも来ればいつでも言っている。困惑して夫には何度も聞いている。
「あの人はなんなの?」
「気のおけない後輩だよ。あれぐらいになると、もうただの口癖だな」
たしかにいやらしいニュアンスはなかったし、そんな視線も一切なかった。だから夫は言ったのだ。
「一度、デートでもしてやるか?」

冗談からこんなこともあるのだ。食事をすることになった。一度きりのデート。
都合で会うのは夕刻の時間となった。ディナーということになる。
彼は車で家まで迎えに来ると、少し緊張して夫と話している。
「ママを子供たちが待ってるからあまり遅くなっちゃだめだぞ」と夫が笑いながら妻を送り出した。
ディナーはなんとファミレスだった。
「すみません、あんなこと言ってもなれていないんです」
彼女は微笑んだ。学生時代に戻ってしまうようで、思わず微笑みが出てしまった。
まるで子供のようなデート、学生のようなたわいのないを話しながら食事はあっという間に終わった。
名残惜しそうに彼が言った。
「この近くに公園があるんです、少し歩けませんか?」
彼女はうなづいた。まだ話足らないぐらいだった。学生時代の思い出を語り合うのは久しぶりだ。夫の知らない少女時代まで彼は憧れるように聞いてくる。わたしは少女のようにはしゃいでいた。
外に出ると、もう日は落ち暗くなり始めていた。外灯が公園を明るく照らし出している。人は少なくはなかった。
歩きながらも話が弾んだ。
公園を進むにつれて外灯がまばらとなり、辺りは暗くなってくる。彼女は言葉少なくなっていた。少し怖かったのかもしれない。彼は変わらず楽しく話している。
出口に近づくと公園はまた明るくなった。
彼女も元気を取り戻したように言葉も増え、声も弾んだ。
彼が言った。「わあ、もう出口だ」
「そうね」
「終わりかあ」その言い方がまるで子供みたいでかわいかった。
「残念ね」
「あの、手をつないでもらってもいいですか?」彼はおずおずと言う。
彼女は笑った。ほんとうに子供みたいだ。
「しようがないわね」彼女は手を出した。二人は少年少女のような初々しさで、手をつないで公園を出た。
車に乗ると、また彼はあとわずかばかりのデートを惜しむようにまだ話している。彼女にとっても彼にとっても楽しいデートだった。
彼は家の少し手前の駐車場で車を止めた。
「着いちゃった」
「そうね、ありがとう」
わたしは彼のほうを向いて言った。
目が合い、時間が止まるような沈黙があった。
彼は止めた時間をかいくぐるようにゆっくりと顔を近づけ、さらにスローモーションのように唇を重ねてきた。いきなりだったら反射的に撥ね付けていたはずなのに、ゆっくり近づいてきたキスは避けることができなかった。彼の唇が優しく触れ、また強く押し付けられる。
(なぜなの?)
彼女は呆然とそのままキスを受けていた。やがてキスは陶然とするような情熱的なものと変わっていく。強く吸われ、彼女もかすかに応じていた。
(どうしたの、わたし?)
彼の手が胸におかれた。
「いや」ようやく彼女は撥ね付けた。
(わたしはそんな女じゃない)
彼も撥ね付けられて我に返ったのだろう。子供のように彼も素直に謝った。
「ごめんなさい」
そう、彼も一時の感情に流されそうになっても最後は節度が守れる優しい青年なのだ。
「デートは終わりよ」彼女は言った。
終わりにすべきだ。
「ごめんなさい、せっかくのデートを最後で間違えてしまった」
彼は恐縮している。
「もう一度やり直させてくれませんか?いい思い出にしたいんです、間違ったままにしたくないんです。僕にとってもあなたにとっても」彼は真剣だった。
「だめよ、デートは一度だけの約束」
彼女は気丈だ。

「また、あいつがデートさせてくれって言ってる」夫が言った。
「よっぽどあいつにとっては楽しかったのかな?」
「彼、少し子供みたいところあるのよ」
彼女は落ちついて言った。
「僕はかまわないけど、どうする?」
夫はまったく気にもとめていなかった。彼女だって同じだ。彼女は家族を愛しているし、きちんと立ち止まることも出来る。彼も少し感情に押されることがあっても節度はわきまえている。大丈夫だった。
「ほんとうのデートのシュミレーションにされているのかもしれないわ。食事もファミレスだったのよ」
「そうだったな、それが心残りだったのかな、あいつは」

二度目のデートが設けられた。やり直しならしかたがない。
「今度は高級レストランなのね」
フレンチだった。彼女は落ち着いていた。ふたりとも前よりは慎重な会話になっている。周りも大人たちの大人の会話だ。食事は静かに終わり、公園デートは省かれ、彼女は彼の車に乗った。
(危ないことはない、今日はきちんとやり直すのだから。わたしも彼も)
車の中の会話も慎重になっていた。
彼は家の少し前の駐車場で車を止めた。少し沈黙があった。互いに声をかけようと顔を向けた。目が合った。また時間が止まるほどに緩やかに流れている。彼がゆっくりと顔を近づけ、いつでも止められるほどゆっくり唇を重ねてくる。デジャブだ。
いつでも止めていいよとばかりにゆっくり近づいてくるキスを避けることができなかった。
(なにをしているんだろう?)
彼女はまた陶然とそのままキスを受け入れている。彼の手が胸におかれた。
「いや」
声は小さく、よけようとする手にも力が入らない。手は胸におかれたままだ。彼は強く優しく揉んできた。彼女の身体にまだ知らなかった未知の快感が走っていた。情熱的なキスと変わり、彼女もいつのまにか激しく応えていた。
彼の舌が入り込み、唾液が押し込まれる。また見知らぬ快感が押し寄せた。彼の手はブラウスのボタンを外しはじめている。
(ああ、脱がされている、私は止められるはずなのに)
力が入らなかった。ブラのホックが外される。露わになった乳房が優しく激しく揉まれた。
「ああ」
(こんな場所で、わたし)
しがみついていた。彼の手がスカートに差し込まれた。
「お願い、それだけはやめて」呆然としながらもつぶやく。
彼は手を止めた。彼はなおも自制が利くのだ。
「ごめん、やり直しはずだったのに」彼は冷静さを取り戻したように詫びた。

彼女はなにも答えず衣服を整え、無事、家についた。早く帰りたかった。
(無事?無事といえるの?私はキスされ、胸を揉まれるままに快感に身を任せた)
彼女は強く恥じた。
彼女は今まで以上に夫を、子供たちを愛した。愛してる。
くつろぎに優しさに毎日がつつまれる。彼女にまた曇りのない幸せが訪れる。

しばらくして。
また彼が会社の同僚とやってきた。彼は何事もないようにふるまった。もう、誘うような冗談も言わなかった。ただすれ違った時、そっと手渡されたメモだけが心臓を突き動かした。そっと開いたメモにはこうあった。
(あの場所、あの時間。いつでも僕は待ってる。あなたの唇、あなたの乳房。僕の唇が、僕の手があなたを覚えている。あなたも覚えているでしょう?)
彼女は怖ろしさに震えた。
彼女は行かなかった。明日も明後日も行かなかった。彼女は幸せな妻で、優しい母なのだ。彼女は気丈だ。
でも何かが燻っている。身悶えた彼女がどこかにいた。彼女は恥じた。

ある日の夕刻、彼女は覚束ない足どりで歩いている。
(覗いてみるだけよ、彼だっているはずがない。もう何日も何日も経っている)
車があった。彼はいた。

と、もう少し続くのだけど、まあ、ここまでですね。ちょっと長いし、これ以上は危ないかもしれない。
下手な小説に付きあわせておいてなんだという方もあるかもしれませんが、申し訳ありません。
次回からはまた通常な?穏やかな日々に戻ります。

テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

壇蜜の宮城県観光PR「見立てのエロス」
タレントの壇蜜さんが出演する、宮城県の観光PR動画が議論を呼んでいる。4日に動画投稿サイトで公開されてから再生回数は115万回を超えたが、性的と受け取れる表現が含まれていることから、批判も起きている。14日には、仙台市議らが動画配信の即時停止を奥山恵美子市長に申し入れた。問題となっているのは宮城県や仙台市、JR東日本でつくる「仙台・宮城観光キャンペーン推進協議会」が作成した「涼(りょう)・宮城(ぐうじょう)の夏」という動画。先祖が仙台藩に仕えたという壇蜜さんが、2分半にわたって宮城県内の名所を紹介する内容。壇蜜さんの唇のアップや、性的な意味として受け取れるような言葉が多用されており、ネット上でも「面白い」「趣味が悪い」と賛否が分かれている。
村井嘉浩県知事は10日の記者会見で批判について問われ、「賛否両論はあるが、可もなく不可もなくでは関心を呼ばない」などと評価した。一方、公開停止を求めている仙台市議らは「品位が感じられない」と反発している。(朝日デジタル)

ちょっと前にも同じような問題でサントリーのCMが炎上したとあったけど、ジェンダーな話題を下ネタに扱うと難しくなりますね。
万人に向けた観光PRなら女性を敵に回すようなものは少し無謀だけど、それにしても笑いなども含めて、それぞれにちがうであろう人の感性によるものの扱い方はほんとうに難しくなってしまった。
すぐになんでも白黒をはっきりつけたがるからなあ。放っておいたほうが上手くいくことも多いと思うのだけど。
人間は善悪も好悪も、人品も高貴から下卑まで合わせ持つものだから、あまり徹底するのはなあ。
以前に呉智英さんも新聞インタビューで「差別しかない社会はもちろん暗黒社会ですが、差別をまったくなくしてしまっても逆の暗黒社会になってしまう。国民全員がニコニコして歩いていたら不気味でしょう。北朝鮮のパレードと同じです。全てに光が当てられたハイトーンな社会は異常です。顔に陰影があって人間がある。差別もあり差別と戦うこともある社会が人間らしい。さらに続けて「よく共生といわれるけど人間のネガティブな面と共生しなかったら、これはうそ。貧困や病気はなくならないし、差別もそう。差別を無理になくそうとするのは啓蒙の暴力、人間は暗い顔の時もあれば怒りをぶつけたいときだってある。不快感や嫌悪感というネガティブな感情は人間が生身である限りなくなりません。きれいごとだけにしてしまうのは不気味な社会です」とだんだん持論の近代社会批判となっていくのですが、それはともかく、今週のテーマはエロなのだ。
日本は「見立て」の文化も特異に発展したから(?)、エロにも余計そういうことを潜ませることがあったかもしれない。

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あの、吉永小百合さんだって、女優や文士も参加した句会で、「今日はバレ句(色っぽい句)を詠みましょう」というテーマが出されたおりにはあっと驚くような艶っぽい句を詠んだ(僕には書けません)。
川端康成などの文士にも愛されたというから、人間の奥底を見るような眼もあったにちがいなく、またそういう人の奥底を垣間見たり、あるいは清純派とばかりに言われることの反逆もあったかもしれない。
だから『青春の門』や『天国の駅 HEAVEN STATION』のような作品にも挑戦した。
この山口百恵の写真だって、下卑た見立てがあろうともやはり、山口百恵はいいのである。
「ひと夏の経験」など少女にとってはずいぶんな見立ての歌詞だったりしたけど、山口百恵は動じない。
動じちゃうのはこっちだものなあ。
今はまた斉藤由貴の不倫疑惑が騒がしいけど、まあ、プライベートを覗くようなことのほうがよほど趣味が悪い。
しかし、動じるようで動ぜず、のほほんと会見を終えてしまった斉藤由貴。やっぱり、すごいな。
白いワンピースで記者会見に臨んだけど、陰翳礼讃たる優美さです。
だんだん、こっちも意味不明になってきた。
ということで?、次回は僕もちょっとエッチな小説に挑戦です!?

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ささやかな日常にあるエロス、あるいは死、または破滅の延長線上にあるエロス
以前、側溝に潜んで上を歩く女性のスカート内をのぞき見ようとしたとして逮捕された男がいたけど、人間のエロスの欲求はかくもさまざまで?難しそうな現代文学もエロいと聞けば読んでしまうのが青春?
たとえばヘンリー・ミラーという米文学の巨匠がいるけど、僕が学生の頃、当時の風説によれば、すごいエッチな小説だということで、代表作「北回帰線」を喜び買いこんで読み始めたのだけど、どこまで読んでもちっともそんなものは出て来ず投げ出してしまった。諦めきれずに「南回帰線」も買ったのだが挫折。すくなくともぼくには分からなかった。
ノーマン・メイラーの「鹿の園」もそうで、よっぽどツルゲーネフの「初恋」のほうがどきどきした。
変な期待のあるものより、思いがけないささやかな光景のなかに見出すものなのかもしれない。
でもまあ、そういう好奇心は文学や映画など多様なものに親しむきっかけともなり、評判などは当てにせず、またつまらないと思っても最後まで読み通すという忍耐を学ばせてくれた。

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あるAV女優は「村上春樹がペニスと書いただけで興奮する」と書いていたし、ノーベル賞候補とも言われた安部 公房は、ストイック教養小説ともいえる庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて(薫くんシリーズ第1作)」、まあ、由美という彼女がいるのにもかかわらず、セックスのセの字も出てこないのだが、「あのおしまいのとこ、歩きながらそっと手を差し出して、指先が触れ合うとこ」で、「立っちゃった」といい、また庄司薫も書きながらそうなったと告白したように、いや、実は僕もという人も多いに違いない。

以前にも「愛の顛末」(梯久美子 日経新聞)の原民喜(作家・詩人)を読んでいたら、晩年(といっても45歳で自殺した)、原にとって奇跡のような少女に出会い、お茶をセッティングされても話しかけることもできず、少女のいるささやかな風景だけで彼の心は揺すぶられ、満たされたのだろうという。
人間の観念。それが僕を振落し僕を拒み僕を押つぶし僕をさまよわし僕に喰くらいつく。
僕が昔僕であったとき、僕がこれから僕であろうとするとき、僕は僕にピシピシと叩たたかれる。
僕のなかにある僕の装置。人間のなかにある不可知の装置。人間の核心。人間の観念。観念の人間。
洪水のように汎濫はんらんする言葉と人間。群衆のように雑沓する言葉と人間。言葉。言葉。言葉。(原民喜 鎮魂歌より)

先の側溝の男は「生まれ変わったら道になりたい」と言ったらしく、行動はともかく、ずいぶんとソフィスティケートな言葉ではある。
画像は映画「白鳥の歌なんか聞こえない」(庄司薫原作)。薫くんを演じたのは現東映社長の岡田祐介。
由美ちゃんは「赤ずきんちゃん気をつけて」の森和代に変わって本田みちこだった。
こんな何でもないシーンでもどきどきした。

テーマ:現代小説 - ジャンル:小説・文学

天災も人災も忘れぬうちにやってくる
政府は29日未明、北朝鮮から弾道ミサイルが日本海へ発射されたと発表した。ミサイルは28日午後11時42分ごろに同国中部から発射され、45分程度飛行し、北海道西方沖の日本の排他的経済水域(EEZ)内に落下したとみられる。北朝鮮が深夜にミサイルを発射するのは極めて異例。(毎日新聞)

続報によればロフテッド軌道による米国本土ロサンゼルスにまで達する可能性のあるICBMだった。
以前にに北朝鮮の弾道ミサイル発射を受け、東京メトロが一時全路線で運転を見合わせたことに韓国では過剰対応との批判があって、また日本でも違和感をもって受け止められたりもしたけど、これには少しお国柄ということもあるのかもしれない。
東日本大震災では100年どころか、1000年・万年単位の恐ろしさを再認識させられたこと思えば、どんな可能性にも対応しようというのは不思議ではないし、実際、地震などではどこの国にもない、科学的には疑問さえつくほどの体制づくりになっているのだろう。気象情報の徹底ぶりもすごい。
ただ、古来その恐怖(自然)に寄り添ってきたものと、またまったく別の次元での恐怖(人間)とは必ずしも相いれないものもあるのかもしれない。人の意図も働くからなあ。

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まあ、人はやっぱり都合よく考えますからね。
分かりやすいところでいえば地震も噴火も台風など自然災害も危険だし、人為的なものでは原発も危険だし、テロ・戦争も危険。
長いスパンでいえば温暖化や寒冷化などに始まり、隕石落下、地軸の逆転、身近なところでいえば年金・人口減など、いくらでもあるのだけど、政治や経済システムも、人は都合よく考え、使うからね。
まあ、それが人間でもあるけど、時々は、誰かはきちんと考えないとなあ。
今日は新しい内閣の顔ぶれも決まったけど、どのように考えたものだろうか。
田原総一朗氏が安倍晋三首相と28日に首相官邸で面会し、田原氏から安倍首相に対して「政治生命をかけた冒険をしないか」などと提案したことが話題になっていて、すなわち、政治的冒険とは何かを巡って北朝鮮問題関連など、様々に言われてるけど、僕は「超巨大噴火の鬼界カルデラ」にも書いたけど、反原発、脱原発じゃないのかなあとも思うけど、どうだろうか。
地震・火山大国の日本ではどうあっても合理性を欠くし、また北朝鮮がミサイル発射するたび、地震が発生するたびに不安だった、少なくともそれらによる原発の危険は回避され、まだまだ廃炉処理など始まったばかりだけど、原発の妙な頸木から解放されることだけでも、がらりと変わるのではないのかなあって。
ねらわれた学園、ねらわれた地球
ちょっと前だけど、NHKの探検バクモンは「防犯カメラ」。まあ、監視カメラといってもいいのだが。
「世界最大手のカメラメーカーを探検、最先端の防犯カメラを目撃する! たたいても壊れない、暗闇でも撮れる、さらには“知性”も獲得? 驚くべき進化を目の当たりにする!」
と謳われていたけど、そのとおり。すごいことになっている。
今や犯罪捜査では欠かせぬ追跡アイテムだし、もう街の防犯カメラ程度でも怖ろしく精度が上がっていて、さらには顔認証から群集の正確な人数確認など留まることを知らない。
でもまあ、あの群衆における正確な人数確認は、よく祭りやデモ集会など警察発表と主催者側発表にずいぶん乖離があったことにはケリを付けますね。
セキュリティーカメラが安心・安全のために増えていき、AIにつながることで安心・安全を超えて、今想像がつかないような楽しいこととか面白いこととか、そういったことのエリアがあるのではと思っているなどと開発者たちはいうけど、AIの想像もつかないエリアって、楽しいこととか面白いに限らないだろうからね。

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画像は映画「ねらわれた学園」より。
ジュビナイルSFで時代もあって、かなり管理社会を否定的に描くものだったけど、今は自由のようでプライバシーが守られているようで、実は管理が当たり前のように、すでに慣らされてきているのかもしれませんね。
いかに正義でも、便利なものでも過剰なるものには危険がつきまといます。
最近は商店街には多くの監視カメラが導入され、よくわからないところにもあったりするらしく、また、スマホ、GPSなどがAIにつながれば、プライバシーは奪われそうで、いずれ何らかの意図を持ちそうで怖ろしいけど、目先の安全の声に抗することは難しい。
目先の安全の積み重ねが未来の安全を担保するわけもなく、機械的に守られることに慣れきったヒトって、剥き出しの危機が訪れたとき生き残れるのだろうか。
魔術・呪術が跋扈した時代、人は呪術から逃れるため、真実の名前や血、誕生日などを個にまつわる情報を秘匿した。
不確実なものが一つでもあれば、呪術は完遂できないからだ(SF小説などやマンガの読みすぎかもしれない)。
AIが魔術を代行することはないのだろうか。
すべてをゆだねていいのだろうか。
伝統的な共同体の絆を断ち、自由を得たがゆえに、不安や孤独にさいなまれ、結局は新たな安定を求めて「権威」に縋りつく(「自由からの逃走」エーリッヒ・フロム)。
万人ことごとく自由を愛す、しかも自由を滅ぼすことを好むようなこともよくやる(ヴォルテール)

人ができることは、たとえすべてのことから守れなくても「守ってあげたい♪」という気持ちを大切に持ち続けることなのだ。