理系・文系を重ねて見る光景は
藤井聡太四段 天才の推定確率 里見香奈女流5冠
藤井聡太四段がプロデビュー以来、無傷の29連勝と記録を塗り替え、大変なことになっています。
でもまあ、藤井聡太四段が言うように連勝はいつか途切れ、またいつか塗り替えられるもので、勝負の世界にいるものの必然。
といっても、この記録のすごさは最年少での14歳のプロデビュー以来という記録が重なっており、となればその29連勝という数字、その確率は奇跡的で、実力もさることながらまさに僥倖・望外というべきものかもしれない。
確率とは本来、将来起きる出来事の起きやすさを表現するもので、たとえば宝くじは発行枚数、当たりくじ枚数で当選の確率が導き出され、まず当たらないものと判断しながらもわずかな夢を買うわけですね。
一方で推定確率というのもあって、これはとりあえずと主観的な事前確率をおいて事実を積み重ね推定をより確かなものにしようとするもので、なにやら難しそうだけど、日常でも自然に人は使っているらしい。
僕はミステリーが好きで宮部みゆきの本ならたいてい持っているけど、僕にとってはまず外れがないというのも推定確率。
アマゾンなどではさらにおすすめ本まで紹介されたりするけど、これも購入歴から顧客はどんな本に関心を持っているかを推定、常にデータを集め、より正確に好みを判定しようとするもので、時には驚くべき推察力で作品を勧めてくれます。
様々なデータを見つつも経験や勘(主観)で市場や会社の状況を読んだり、積極的な働きかけも組み込むこんで意思決定するので、社長の確率論ともいうらしい。
でもあまり心の内在に踏み込まれるのはいやだし、むしろ推定を越えて思いもかけないものを見つけたほうが嬉しいかもしれないし、この良し悪しはなかなか難しい。
藤井聡太四段はAIも駆使するらしいから膨大なデータの上に天才的な勘(主観)が働くのだろうか。
もっとも僕はみそっかすだったので、たとえ膨大なデータの上に天才的な勘が加えられた最強の推定確率論でも思いもつかない事もあると思ったりもする。

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これは先日も紹介した古本だけど、こんな書き込み見つけたら、つい、買っちゃうじゃないですか。
突然、目の前に現れた思いもかけぬ文字、こんな偶然の動機に突き動かされることもあるのだ。
やっぱり、本屋には自分で足を運ぼうと。時には古本も開いてみようと。何の話だ。

というわけで、将棋の話に戻って、先日女流王位戦を守り、将棋女流5冠(女流名人、女流王将、女流王座、女流王位、倉敷藤花)を守ったの里見香奈さんです。
女流5冠で女子の中では圧倒的な強さは誇るものの、女流初のプロ棋士を目指す奨励会の三段リーグでは苦戦している。

倉敷藤花のタイトルを獲得したとき里見香奈は16歳の現役女子高生だった。
女流棋士の高橋和によれば、女の子は勝ちたいという気持ちが前面に出ている子と勝ち負けではなく、なんとなく差している子の二つのタイプに分かれるらしいのだが、幼少の頃出合った里見香奈は後者のタイプだったという。
彼女にどうしたら強くなれるかと問われ、「毎日、詰め将棋を解くこと」と答えた。
彼女は毎日、詰め将棋を解いたのだった。今も解いているという。
「私は常々、棋士とは勝負の世界に生きる限りその頂点を目指し、達成したもののみが存在価値を与えられると考え、自らの生き方を否定してきた。しかしいまではこう思う。人はそれぞれに役割があり、たとえ頂点に立たなくても何かしら人に影響を与え、未来に続く架け橋になることは立派な存在価値であると」(高橋和女流棋士)
天才を前にして思う孤独。天才であればまたいかほどなのか。
「ちゃんとやくそくをまもって毎日詰め将棋をといています。大会でゆうしょうもしました」と鉛筆で手紙を書き送った里見香奈ちゃんは架け橋を繋いで、なおも未踏の女性初のプロ棋士を目指す。

藤井聡太四段も詰め将棋だったなあ。
話題になるのは仕方ないけど、天才はもちろん、みんな孤独のなかにいる人たちなのだ、たぶん。
まあ、これは僕の愚者の推定確率。
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永遠の妹 内藤洋子
土屋太鳳ちゃんの映画「兄に愛されすぎて困ってます(兄こま)」がテレビドラマに続いて6月30日公開予定だけど、このテーマは少女マンガ定番のテーマでもあります。
まあ、少年漫画でも稀代の名作「みゆき」(あだち充)というのもあり、広く文学全般の普遍のテーマかもしれない。
ここでいつも問題になるのは?「恋人派」なのか「妹派」なのかということであるけど、まあ、日本の伝統から言えば「妹派」ということになるのだろうなあ。
僕の少年時代のアイドル女優は当時の東宝の2大清純派アイドル女優内藤洋子、酒井和歌子になるのだが、二人が共演したこの映画「兄貴の恋人」でもわかるとおり、内藤洋子は妹キャラ、酒井和歌子は恋人キャラで、僕はやはり妹派で、圧倒的に内藤陽子派だった。「みゆき」も若松みゆき派だったし。
あの「男はつらいよ」の寅さんだって、毎回、美女と恋に落ち、振られてしまうけど、あれは振られるというよりはむしろ振られるように振る舞うというか、妹さくらのもとにいつも帰りたいのだろう。
それはなにも日本だけではなくて、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」だって、そうですからね。

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さて、多くの妹キャラは生まれてきたのだが、僕がなかでも内藤洋子を唯一無二の妹キャラと思うのは、妹のときのみに輝き、潔く去ったキャラクターだったからだ。
テレビでは「氷点」「えり子とともに」、映画では「あこがれ」「伊豆の踊子」「育ちざかり」「娘ざかり」。
「娘ざかり」のわずか1年後、吉沢京子主演の「バツグン女子高校生 16才は感じちゃう」 が公開され、内藤洋子はこの映画で教師役となり、妹からの、自らの若き落葉を知るように去って行ってしまった。
永遠の妹たる内藤洋子に世代替わりを知らしめるような「バツグン女子高校生 16才は感じちゃう」 は残酷な映画だった。
いわば映画の内外にあった妹殺しの物語。
なかなか幸せにはなれないんだよ、妹的存在は。「君よ知るや南の国」のミニヨンとかね。
だから「みゆき」やテレビドラマ「青い鳥」のラストにはびっくりした。

ちなみに朝ドラ「ひよっこ」で「内藤洋子ならしかたない」「これだから男どもは…」というような話があったけど、「しかたない」というのは恋人というより、妹的な発想なのだろう。
「妹ならしかたない」でしょう!?

テーマ:邦画 - ジャンル:映画

ブラタモリ、名古屋に来る
タレントのタモリさんが全国各地を巡るNHKの人気番組「ブラタモリ」で10、17日の2回にわたって名古屋編が放送されましたね。
タモリはかつて名古屋を笑いのネタにしたこともあって、名古屋編が決まると放送前から東海地方では新聞などでもずいぶん話題になっていた。
また全国主要8都市の中で「行きたくない街ナンバーワン」となった名古屋市では番組を“汚名”返上のきっかけにしようと、PRに力を入れていたとはいえ「歴史的和解」などとは少しあおりすぎ。
もっともタモリはそんなわだかまりはみじんも感じさせず、いつも通り楽しく案内されていた。
しかし、名古屋城は大きかったんだね。石垣の違いも、その謂れも初めて知ったけど、全国の多くの視聴者はなぜここまで来て天守閣に登らないのかとも思ったのではないかなあ。
実は放送でも言ってはいたけど、あの天守閣は空襲で焼け落ち、鉄筋コンクリートで復元されたものなのだ。
木造復元を狙う河村名古屋市長としては願ったりのタイミングだったかもしれない。
でも、タモリがネタにしたものって、名古屋もそうだけどほとんど印象とかひらめきであって、おそらく他意はない。

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僕のよく覚えているのは「四季の歌」批判ネタというのがあって、これには「四季の歌」を好きな女性対する考察というものも書かれていて、まあ、見事にコテンパン。
たしかにいささか気恥ずかしい歌詞ではあるので、思わず茶々を入れたくもなり、「若い根っこの会」の匂いがすると言われれば、実態もよく知らないけど、なるほどと思うような見事に本質を突くがごとくなセンスであり、そう、ごとくであって実際は他意はなく(だから始末が悪いともいえるけど)印象、イメージの連想に過ぎない。
と同調しながらも、ややどぎまぎもしてしまうのは「四季の歌」にすこし寄っている自分もいるからかもしれないけど。

でもまあ、自虐的になりすぎでしょう。名古屋は家康が天下を見据えて作った街なのだ。
わが岐阜県などは「岐阜は名古屋の植民地」なる本なども出ていて、なんだろうなあ、これって。
岐阜もまた、信長が命名したという街なんだけどなあ。
さて、「ブラタモリ」、岐阜はいつになるのだろう。
岐阜市より、高山や白川郷あたりになってしまうか。
信長の居城たる岐阜城のある金華山も天領だった故の照葉樹が守られ、またその固いチャート構造を利用して金華山内部には日本初の大規模地下空洞式配水池もあって、けっこう楽しいと思うぞ。
「ブラタモリ」は地理・地質の重要性の理解を深めたと日本地質学会から表彰されたけど、その日本地質学会が去年、全47都道府県で初となる県の石を定めていてもいる。
県の石は岩石・鉱物・化石のなかからそれぞれに3つ選ぶという実にマニアックなもので、ちなみ岐阜県はチャート(木曽川(鵜沼-坂祝),飛水峡,金華山)、鉱物はヘデン輝石(神岡鉱山)、化石はペルム紀化石群(大垣市赤坂金生山)と来た。
よほど、「ブラタモリ」にがんばってもらわないと。

テーマ:史跡 - ジャンル:学問・文化・芸術

文豪を妄想する、文字を妄想する はじまりはいつも雨
ツイッターで話題になり書籍化されたという「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」(神田桂一・菊池良 宝島社)が人気らしい。たしかに

(前略)④ただ、一つだけ言いたい。⑤完璧な湯切りは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。

とは、なるほど村上春樹風ではある。
いやあ、これは寺山修司なら、こんなこともかくいうであろうかというタモリの形態模写?などに連なるものですかね。
まあ、いずれも…風であって本質とはあまり関係ないのだろうけれど。
それとも先日まで放送されていたNHKドラマ「ツバキ文具店」のヒロイン(文具店と代書を生業とする)のように、依頼者に心も深く寄り添い、ペンやインク、便せんなどもそれに相応しいものを丁寧に選び取ることで、書き手が降りてくるような感じだろうか。

下記の画像は以前に「クリスマスに贈るロマンチックミステリー」として書いた古本の少女マンガのページ末尾の同じ書き手による書き込みですが、以前のものもお父さんと町に出た折、あるいは雨降りの記述があって、その少女マンガなどの作品から中高生くらいで、雨降りも気にしない、または雨音もロマンチックな、加えて字の美しさ・言葉選び、簡潔さは頭のいい子で、家族思いで優しい子なのだろうと僕は夢想した。
書き込みのある本を処分したのは何か事情があったのかもしれない。もしかしたら父子家庭なのだろうか。
こんな書き込みからも書き手が降りてくるからね。まあ、僕のは勝手な妄想だけど。

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さて、このブログでも書いたのだけど、僕は学生の頃、けっこう雑誌などに投稿していて、たまに掲載されることもあった。
「ビックリハウス」などの全盛期で、他にも「絶対絶命」「やんろーど」などずいぶんバカな投稿をしたけれど、カップ焼きそばの作り方とは思いつかなかったなあ。
某誌にはこんな投稿もしている。ということでこちらは再掲になります。
「雨」というテーマのショートショートパロディである。



PART1 筒井康隆風
また降られた。全く悲しくなってくる。いったい、いったい、どうしてこうも降られるのだ。くそっ。
ひょっとするとCIAの陰謀なのかもしれん。いや、農協か、PTAか。それとも…。
すべては文学のために心正しくやってきたというのに。雨は俺の軽快なリズムを狂わせるのだ。
ぴちぴちじゃぶじゃぶらんらんらんとはいかんのだ。
鬱々たる日々よ、これではますますもって帆立て貝、心優しく暖かく、顔はハンサムことのほか、頭脳明晰汽車の上、末は乞食か大臣か、なおも驚異は文学の非凡非凡の大才能、狐狸庵先生「沈黙」し、どくとるマンボウ「後悔」す…

PART2 宇能 鴻一郎風
すごいんです、この頃の雨。今は少し小降りになったようですけど、さっきはそれはもうすごい降り方だったんです。
家の中まで濡れてしまうんじゃないかと思ったくらいですもの。
あたし、嫌いなんです。あまり激しいのは。こうしてしっとり降るような雨は好きなんですけど。
このくらいがちょうどいいんです。傘をさすのは。わかってもらえるかしら、女ってそうなんです。
ちょっと出かけてみようかしら。あっいや、また激しくなってきた。

PART3 庄司薫風
ぼくは雨が降るとなんとなく嬉しくてそれだけでそわそわしてしまうのだけど、これはいったいどうしたわけなのだろう。
やっぱり、由美のせいなのだろうか。由美というのは僕の小さいころからの女友だちなのだけど、彼女はまあどういうわけか雨が大好きで、こうした雨降りの日には必ずぼくを散歩に誘いだすのだ。
まあ、だからうれしいということなら単純でわかりやすいけれど…

おまけ 永六輔風
朝だ、雨だ。

僕の思う風であって、実際、宇能 鴻一郎は本を買った覚えもなく週刊誌の連載小説を見かけたくらいなのだろう。
筒井康隆も支離滅裂で、庄司薫の「この感じ」はやはり村上春樹にも影響を与えているだろうか。
永六輔はおまけだからね。いちおう念のために書いておくと、「浅田飴だ」 で、オリジナルでもありません。
掲載された某誌からはミッシェル・ポルナレフのペンダントを貰ったような気がする。
「シェリーに口づけ」も「愛の休日」も、はじまりはいつも雨。

テーマ:読書記録 - ジャンル:小説・文学

サブカルの上がり方 植草甚一 
僕はスマホを持たないのだけど、今は様々なアプリがあるらしく、何でも教えてくれるらしい。
たとえば散歩しながら、「道端のこの花は?」と思えばスケッチをしたり、摘んで誰かにあげようと思えば、少し花言葉を調べたり、知るという行為にはなにかしらの手間や学びが必要だったけど、今は簡単にアプリが教えてくれるらしいのだ。
僕は高校の時に百科全書派というの知って、ちょっと志したのだが、いくら広く浅く(広く深くは到底無理なので)と言ってもせいぜいオタク系全般(マンガ・アニメ・小説・映画・ドラマ・アイドル等)がやっとで、オタク系でも音楽・美食、ファッションなどには手も足も出なかった。
素養・資質も必要だったし、なにより何度も足を運んだり、調べたりする努力、根気も要したのだ。
以前はそんな雑学でも夥しい労力が必要だったけど、今では簡単に手に入り、雑学もバラエティやクイズなどのお手軽なアイテムになってしまった。
1970年代ごろ、あこがれた植草甚一というなにかかっこいいジイさんがいて、ディレッタントという言われ方もしたけど、その雑学・趣味・教養は半端でなく、いったいどんな生き方、勉強をすればこんな風になれるのかと思っていた。
今はかっこだけはおそらくなれるのだろうけど、植草甚一の本質には程遠いのだろうなあ。
あの頃のサブカル上がりの理想形のひとつは植草甚一で、あんな人も最近は見なくなった。

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そう言えば、植草甚一の膨大なジャズレコードコレクションをを引き取ったのはタモリで、やはりディレッタントを継ぐ人だったのだなあ。
どこかの雑誌でタモリは旦那芸とも評されていて、一般的に旦那芸って批判的にも使われるけど、内田樹教授によれば旦那芸とは芸の達人や学術研究の業や成果にひたすら唸り、己の身の程を知る人のことだといい、こういう半玄人がいて、芸や学術研究のすそ野が広がり、大きな成果の礎となるという。
「ブラタモリ」はまさにそんな役割も果たしていますね。
また吉田豪の「サブカル・スーパースター鬱伝」によれば「サブカルは40歳を超えると鬱になる」らしいけど、スーパースター扱いもされれば居心地も悪くなるでしょう。身の程を知る人たちですからね。サブカルならなおのこと。サブカルのジレンマ。

サブカルはやはり野に置け蓮華草
サブカルは蓮華草のように野にあってこそ美しく、蓮華草のように蜜に緑肥となり、メインカルチャーの花を、実りを付けるのだなあ。

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

共謀罪のマイノリティリポート
折も折、映画「マイノリティリポート」をやっていましたね。
折も折というのは共謀罪法案が重要な局面を迎えていたタイミングだったのだけど、この映画、予知能力者たちによる殺人予知システムでの予防的治安維持を遂行する犯罪予防の不安定さ、無謀さを描くものなのだ。
予知されただけで、まだ何も起こっていない犯罪を予防的に阻止するって、科学的にまずありえないし、もちろん共謀罪とも全く別だけど、人間って思い込みをするものだからなあ。
とすれば、それに沿った合理的な物語を作ってしまう…、そういうことなら大いにありうるかもしれない。
まあ、多くは杞憂であっても、それでも権力や科学は暴走することはあるのだ。
また、科学的にも予知はともかく、夢や記憶の研究は進んでいて、その物理的解析、夢や記憶への侵入もSFとばかり言っていられなくなった今では、夢や妄想への意図的介入もあるのかもしれない。
夢や妄想の中では人は犯罪者や背徳者だったり、理性のハードルが極めて低いから、暴走を目的化する侵入なら極めて危険だし、促すだけなら案外たやすいのかもしれない。
僕のような文系の理系好きは科学を文学的に読み込んだり、ファンタジー的な発想を持ち込んだりして夢想するからなお危険かもしれない。
なにかしら物理的な境界線をきっちり引いておかないとアイデアは優れていても実証は外れていくというような。
人は現実においてもかくのごとく、幻想と紙一重のところで危ういバランスの中で生きている。
生きていくということは境界線上を歩き続けることであり、現代はネット、AI、再生医療など一段と細い境界線の上。
夢や妄想をコントロールしようとして、実は夢や妄想に取り込まれる危険も多いのだろうなあ。
竜宮城から帰ってきた浦島太郎が玉手箱を開けておじいさんになってしまうのも時間の経過ではなく夢の代償なのかもしれない。
あるいは藤澤周平の「陽狂剣かげろう」のように陽狂(偽って狂気をよそおうこと)のふりをしていれば、いかにきちんと境界を切り分けていてもいつか本当の狂気に呑み込まれてしまうことがあるように、その境界は自在に蠢く。
僕たちは錯誤を誘うトワイライトゾーンに分け入っていく。

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スペースオペラ「フラッシュ・ゴードン」も妄想すると「フレッシュ・ゴードン」になってしまうけど、これをけしからんと排除するばかりでもつまらないしなあ。
まあ、どんなに下品なロケットだとしても。
超巨大噴火の鬼界カルデラ
約7300年前に超巨大噴火が起きた九州南方の海底にある「鬼界カルデラ」(直径約20キロ)に、直径約10キロの溶岩ドームがあると、神戸大などのグループが3月31日発表した。ドームは超巨大噴火の後に形成された可能性が高いという。(中略)鬼界カルデラは薩摩半島の南約50キロにあり、7300年前の超巨大噴火では火砕流が海上を走って薩摩半島に達し、九州南部の縄文文化が一度壊滅したとの説もある。国内では過去12万年間に計10回の超巨大噴火が起きた。(朝日新聞デジタル)

7300年前なんて、地球史的にいえば直近といっていいんだろうなあ。
そして過去12万年間に計10回の超巨大噴火があったとすれば、ほぼ1万年に1度は超巨大噴火に巡り合うってことで、また、その他、超巨大噴火でなくても巨大噴火、大噴火などもそこそこにあって、中小噴火に至っては承知の通り日本ではあちこちの火山であり、日常茶飯事なのだ。
ちなみに超巨大噴火というのは鬼界カルデラの説明にもある通り広くは地球全体にも影響をもたらし、該当地域・周辺では壊滅レベルの、もうほぼ具体的対応策の取りようもないもので、巨大噴火、大噴火でもそのリスクは極めて大きい。
いちばんの減災というならまずは原発をなくすことでしょう。

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地震の予知などと違って、これだけ科学的に検証された事実があるのに、なんで原発をやめないんだろうなあ。
島国で近隣諸国の影響も多少は受けにくく、自己完結・自国管理ができるのに。
戦争やテロなどの別の要因的にも致命傷になるような弱点は国防上もなくしておいたほうがいいと思うけどなあ。
国破れて山河ありというけれど、山河も残らない、住めないとなればどうしようもない。
安倍一強と言われた安倍首相もほころびも見えてきたけど、今なおこれだけの支持率があるのなら、共謀罪(テロ等準備罪)などの強引な採決より、ここは一挙、反原発に舵を切ることこそ、保守本流、古来からの日本を守る礎のような気がするけど。
再生エネルギーの目途も付いているのだからね。
岩盤規制をドリルで開けるといっても、日本のほんとうの岩盤はゆっくり対流するマントルの上を各プレートがひしめきあって、ところどころには膨大なマグマが眠っている。日本の岩盤はかくも怖ろしいのだよ。
岩盤規制にドリルで穴をあけるというなら、この怖ろしい日本の岩盤を見知らぬふりをする原子力村ですかねえ。
また、産業技術総合研究所の及川輝樹氏によれば、たとえば江戸時代の絵地図27枚には現在は活動していない火山にも噴煙が描かれていて、必ずしも現在の活火山の活動状況とちがうものがあるという。
櫻島を描いた地図は10枚のうち噴煙が描かれているのは2枚だけで、近くの霧島は10枚中9枚が描かれ、絵地図通りなら櫻島は今ほど活発に活動をしていなかったことになり、霧島はすごく活発だった。この絵地図には活火山に指定されていない雄阿寒岳に11枚中4枚に噴煙が描かれ、同じく北海道の渡島小島などにも噴煙が描かれているといいますからね。
1万年以内に噴火した形跡があるか、いま活動している火山が活火山に指定されるのだけど、たかだか200、300年で全然ちがうこともありうるのだ。つまり、確実なことはわからないのだ。
もちろん科学的視点のみで絵地図が描かれているとは限らないから、こちらも多方面からの研究も必要だけど。

テーマ:自然科学 - ジャンル:学問・文化・芸術

南極の緑生は「樹魔」
【AFP=時事】南極大陸(Antarctica)では地球温暖化の影響で、現代でこれまでにないほど植物が生育しているとの研究論文が18日、発表された。温暖化によって氷の融解が進み、南極の景色が白から緑に変わっているという。論文の共同執筆者で、エクセター大のマット・エイムズベリー(Matt Amesbury)氏は「南極半島(Antarctic peninsula)での過去約50年にわたる気温上昇は、この地域に生育するコケ群に劇的な影響を及ぼしている」と話す。南極半島で採取されたコケのコア(地中から採取した柱状の土壌サンプル)5個には、科学者らが「変化点」と呼ぶ、生物活動が明らかに増加した時期の痕跡が残されていた。

植物は南極大陸全体の約0.3%にしか存在していないらしいけど、このままではその植生も大きく変わってしまうのか。
つい先日には南極のラーセンC棚氷から、米デラウエア州の面積に匹敵する約5000平方キロメートルもの巨大な氷塊が分離する目前だと発表されたばかり。ただし、既に大陸から海にせり出した部分なため、分離しても心配される海面上昇にはならない。
僕は南極の緑生化というと水樹和佳のSFマンガ「樹魔・伝説」を思い出す。

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地球の生物の進化は必ずしも連続的ではなくカンブリア紀のように爆発的にも進行するけど、「樹魔」では別の進化系として超生命体「樹魔」という存在が設定される。
およそ500年後の未来、地球では流星群による大災害があり、南極大陸の各国の基地も閉鎖された。そんな南極で爆発的に植物が進化しながら植生を広げているのが発見される。流星群は南極に超生命体「樹魔」を置いていったのだ。
「樹魔」は南極でたった一人取り残された少女ためだけに純粋に進化の枝葉を爆発的に伸ばし始める…。
進化論って、やっぱり僕には不思議で生存競争など外的要因だけではなく、たとえば個(少女)の意志がこれだけ進化を促すように(マンガですが)、人類全体の様々な想い、希望や怨念たるエネルギーもまた進化の要因となりうるのではないか、人間の想像するものが時間はかかっても全て叶えられていくのを見ると、それは必ずしも文明ともちがう生物的な進化もあるのではないか、そして案外「樹魔」的存在は地球そのものではないかとも思えてきます。
願う存在(生物・人間)と、その願いを受容し守護する存在(地球)。
たった一人の少女のために進化を始めた「樹魔」だけど、小さなツバルの人々の願いは「地球」に届くだろうか。
地球には他にも様々な願い、欲望が渦巻いているからなあ。まあ、これもSF。
我は王蟲なり、ビワコムシ
滋賀県のシンボル・琵琶湖で、気候が和らぐこの季節に大量に発生する虫をご存じだろうか。淡褐色で体長1センチ程度の通称「ビワコムシ」だ。ときには住宅の壁や車などにびっしりと張り付く。今年は特に大量発生し、自治体には住民から「気持ち悪い」との苦情も。ただ、迷惑虫の実態は、環境保全に役立つ“いい虫”でもあった。迷惑害虫とされるビワコムシだが、水生昆虫の研究者によると、幼虫が湖底の泥の中の有機物を食べることで「湖底の浄化に役立っている」。湖に流れ込む生活排水による有機物も食べているとみられる。さらに成虫は鳥やクモの餌になり、琵琶湖周辺の生態系の維持にも一役買っている。人畜無害で環境保全にも貢献しているビワコムシ。外見だけで一方的に嫌わず、“共生”を図る発想も必要なのかもしれない。(産経新聞 )

おお、ナウシカの世界ですね。あれほどでなくてもナウシカ的世界はささやかに密かにどこにも転がっているのだ。
大婆様の言う通り「やがて王蟲の躯を苗床にして胞子が大地に根を張り 広大な土地が腐海に没したのじゃ」 という猛毒の瘴気に覆われた腐海だけど、大いなる浄化のゆえの瘴気だった。
今年は特にビワコムシが大量発生したというなら、琵琶湖に流れ込む生活排水による有機物が多いという汚染のひどさを示すのかもしれない。

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「ビワコムシは人間が汚してきたこの琵琶湖を綺麗にするために生まれてきたの。大地の毒を体に取り込んで、綺麗な結晶にしてから、死んで砂になっていくんだわ。この地下の空洞はそうしてできたの」

なんて、琵琶湖のナウシカ姫たちもがんばっているかもしれない。
森も虫も地球の生態系の中で循環し、大地も大気も作られている。
過去、大地を跋扈した恐竜が滅び、大地を覆ったシダ類も失われ、あるいは文明の痕さえも、やがてまだ暗き森や海が、そして小さな生き物たちが長い時間をかけて、ふたたび美しい緑を、生き物溢れる世界を蘇らせるのだ。
今、地球を跋扈するのは人間だけど、ほどほどに生態系の中であまたの自然と共生しようというナウシカ姫の視線はやはり大切なのだろう。
時には人を殺すような激情も持ち、地下室での水耕栽培実験ように真実を見つめる検証的姿勢、メーヴェのような軽飛行機も楽しむようなナウシカは人間そのものでもあるからなあ。
風に揺れるブランコはどこの町にもある
少し前のことだけど、朝、目覚めてテレビを点けたら「小さな旅」というのをやっていて、旅人は作詞家の松本隆だった。
以前にもインタビューだかで斉藤由貴との対談をやっていて面白かったのだが、やはり今になって、歌詞という表現活動だけではなく何か直接語りかけたいものがあるのだろうか。
新宿の雑踏を少し離れた、なにかしら懐かしい人たちがそのままに暮らしているような時間と場所を訪ねていく。
狭い部屋で句会を開いている人もいた。
若くさまざまな人が参加している。松本隆が句会に参加したからだろうか。
出た句のひとつは
「ブランコはほとんど風でできている」

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まさにオマージュな?「幾千の風を集めてパーマかな」というのもあった。
ちょっと、記憶のみで書いているから間違いがあるかもしれないけど。
僕も田舎の街を学生の頃出ていたら、こんなところにいたのかもしれない。
画像は「アルプスの少女ハイジ」。ハイジのブランコもアルプスの風でほとんどできていた。
少女マンガには「花ぶらんこゆれて」(太刀掛秀子)というのもあって、あれは何でできているのだろうなあ?
風か、花か、少女の夢か。
目をつぶってブランコに乗るとちょっと異空間に持っていかれる感じがあって、目を開ければ現実に戻れるのだけど、ときどき目を閉じたまま手を放して飛び出してしまえっていう衝動を思い出す。
飛び出せば、そのまま現実の地面に落ちるのか、はたまたそこは別の町なのか…。
ブランコはどこの町の小学校や公園にもあって異空間を繋ぐソースのような気がした。
人が乗っていなくても揺れているブランコを僕は見たことがあるのだ。
あるいは宇宙。
銀河鉄道のイメージは素晴らしいけど、宇宙ブランコはどうだろうか。
スイングバイなんて宇宙ブランコそのものようで、繫いで繋いでいつか宇宙の果てまで。
さし旅 文房具 ツバキ文具店
先日のNHKさし旅「文房具マニアと巡る熱狂ツアー」というのがあり、AKB48指原莉乃と文房具マニア(万年筆好きの俳優・木下ほうか、鉛筆マニアのNONSTYLE・石田、文具ソムリエール、鉛筆削りかすマニア、ペン改造マニアなど)と東京・下町を巡るツアー。
僕も店に入ると楽しくてしようがない「シモジマ」も紹介されてマニアでなくても必見の旅。

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TBS「マツコの知らない世界」でたびたび登場した菅未里が文具ソムリエールとして参加し、またNHKではちょうどドラマ「ツバキ文具店」もやっていて、やるなら今でしょというタイミングだったのだ。
しかし、「さし旅」もさることながら、文具のバリエーションでいえば「ツバキ文具店」のほうでありましょう。
物語も美しい心温まるものだけど、登場する代書に必要とされる文具の数々、代書屋も兼ねるとはいえ、また文豪も多かった鎌倉とはいえ、小さな文具店とも思えぬ品揃えなのだ。
万年筆のモンブラン、インクの種類、羊皮紙、原稿用紙、クリームレイドペーパー、ガラスペン、羽ペン、押し花、ロウ引き加工、見知ったボールペンも様々にあり、虫こぶインクなどは聞いたこともない。
それらを依頼者の心に寄り添い、ペン、紙などを選び、ときには鏡文字まで駆使して見事に代書するのだからすごい。
祖母から厳しくしつけられたとはいえ、途中で逃げ出し、8年ぶりに戻った女の子とは思えぬ知識・才能だけど、まあ、そういう体験を経た故ということもあるかもしれない。
手紙が電話に変わり、電話もメールに変わりつつある今、手紙の意味を考えるときかもしれないなあ。

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あなたは常々言っていました。字とは人生そのものであると。
私はまだこんな字しかかけません。でもこれは紛れもなく私の字です。

このブログ、はたして僕の字で書けているだろうか。
近くにあんな代書もしてくれる文具店あったらいいのになあ。

画像上は僕が中学か高校の入学祝いでもらった万年筆・ボールペン・シャープペンのセット。結局、しまい込んで使わずじまいだった。
画像下は児童年鑑より、季節の便りの文例。9月は雁の便りですからね。ちなみに10月は燈下。こんな言葉ももう使わなくなってしまった。

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

久生十蘭 演劇や小説は数学的、物理的構成による
土屋隆夫に続く、古い本や雑誌を整理にふと気になって読み始めてしまう作家発見シリーズです。
ミステリー作家の久生十蘭ですね。
僕が久生十蘭を知ったのは、たぶんNHK少年ドラマシリーズ「霧の湖」で、この不思議なドラマの原作者が久生十蘭だった。
ミステリー選集の中でも見つけたし、まあ、ミステリー選集のいいところはいろいろな作家に出会うことでやはり土屋隆夫も必ずあったりする人だった。そういえば、この二人、ともに演劇畑ということでも共通点がある。
やはりマニアックな作家だったらしく、定本久生十蘭全集の刊行の折には入手困難と思われた欠落資料もマニア(ジュウラニアンというらしい)から続々集まったという。
全集第1巻収録の「妖術」の初出は「令女界」という希少な少女雑誌らしく、たしかにマニアでなければ見つけられないような雑誌ですね。「令女界」というのはもちろん少女雑誌で、少女でもちょっと大人びたハイブロウな読者層なのだろうなあ。
他の執筆作家もなかなかすごい顔ぶれで大原富枝 、川端康成 、森田たま、龍胆寺雄 などでちょっと耽美な感じもします。
少女という括りが、純文学だとかミステリーだとか少女小説だとかのカテゴライズを越えさせたかのような、執筆陣です。

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あの奇想に満ちた山田風太郎に「わが創作意欲をフンサイさるを感ず」と言わしめたのに相応しく、異才で日常も相当変わっていて、たとえば演劇や小説はそもそも数学的、物理的構成によるとし、よって書いた原稿の一行削っても全体が崩れるのだと。
したがって、原稿は遅れるのが常でその理由はでたらめの嘘八百。
まあ、この演劇論・小説論がそもそも原稿遅れの理由づけから始まったような気もするけど、せいぜい、そういう一面もあるくらいじゃないですかね。
もっともこれを読んだときは「しめた」とばかりに第1章 加減乗除、第2章 分数、第3章 連立方程式など因数分解、微積分までひたすら公式、計算式を羅列するだけというまだ誰もやっていないだろうという小説を思いついたのだが、数学が苦手な僕はこれも上手く構成できず、空前の奇作?は想像の中に埋もれた。
それでも当時の編集者は怒り、泣きながら原稿を待ったらしい。
出来上がった作品は待つだけの価値が十分にあり、一行一字たりとも無駄なことは書かないという姿勢は短編「母子像」のニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の第2回国際短篇小説コンクールで第一席という結果を生んだ。
久生十蘭の名前はシャルル・デュランのもじりとも、「久しう生きとらん」、「食うとらん」とも言われるけど、もしかしたら名前も数学的、物理的構成を秘めているのかしらん。

画像は雑誌「面白半分」 新青年むかし話(土岐雄三)より。

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六角形の梵鐘 安珍・清姫
1560(永禄3)年創業とされる岐阜市若杉町の鋳造会社「ナベヤ」で4月11日、寺の釣り鐘を鋳造する「梵鐘(ぼんしょう)吹き」が行われた。伊勢市西豊浜町の忍徳寺の注文により、初めて六角形をした鐘に挑戦した。(中日新聞)

前回の円、球に続いて美しい形は六角形です。
雪の結晶、花粉とか自然にあるがままの形はすべてにおいて美しく、そこには必然となるべき原理があるのだろうなあ。
ましてや日本人は「かたち」が好きですからね。
武道などもまず形から入ったりするし、家紋の種類も自然からの模倣だし、さらに人は洗練する。
自らもその原理のなかにおきながら、それを越え、創造しようとするのが人間なのだろうか。
さて、今や梵鐘を作れるところも少ないらしいのだが、岐阜には茶釜を千利休にも納めたというナベヤという由緒正しい鋳物鋳造会社があって、今回初めて六角形をした梵鐘に挑戦した。
このナベヤは鋳物技術の伝承から最先端加工技術まであって、六角形梵鐘というのは伝承技術と最先端加工技術の結晶かもしれない。
しかし、あの遠くまで届く低い鐘の音、六角形ともなるとまるで違いそうで、難しいのだろうなあ。
もともと梵鐘は500~1000キログラム(銅合金)の重さで、全工程が手作業のうえ、この大きさだと他の鋳物とも全然違うらしい。
さらにちがうというのは信仰心が込められるということで、流し込む作業の前には式典・読経が詠まれ、檀家からは指輪やネックレス、金歯なども一緒に混ぜて欲しいといわれることもあるらしい。
僕は梵鐘というと横溝正史の「獄門島」を思い出すけど、「安珍・清姫」などの伝説も、そんな思いも具体的な物質も放り込まれた梵鐘ならむべなるかな。
鐘の音も教会の鐘は鳴らす感じだけど、梵鐘は強く打ち、思いを解放するような音のような気もしますね。

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数十年前までは年に30個前後製造されたものが、現在2、3個しかないというから梵鐘の技術の伝承も大変です。
でも古来からの伝承技術が日本の最先端技術を支えるものであること示し、自然の模倣に始まる技術、文化はやはり大切だなあ。
エジプトのピラミッドの技術なども失われていることが多く、断絶もまた大いなる革新をもたらすけれど、長く緩い継続も強いらせん(梵鐘に巻きつく蛇・清姫の化身じゃありませんよ)のような?進化力を感じさせます。
御朱印だとか仏像ガールとかがブームらしいけど、梵鐘ガールいうのはいないのかなあ。
文化的にも科学技術的にも梵鐘ってなかなかの偏愛の対象ですよ。
ちなみにナベヤの梵鐘技能保存担当者の持つ資格は銑鉄鋳物鋳造作業特級、1級、銑鉄誘導炉溶解作業1級、機械系保全作業1級、銑鉄キューポラ溶解作業1級。ちょっと見たくなるでしょう?

画像は「へうげもの」。主人公古田織部の師匠にあたるのが、千利休。

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