理系・文系を重ねて見る光景は
迷宮の人間の未来、AIの未来
老齢になると認知テストというのがあるらしいけど、僕はまったく自信がない。若い頃であってもトランプの神経衰弱など、つい前のカードの位置さえ、忘れてしまうのだ。
あれはここでそれはそこでなどと思っていても、誰かが何か言ったり、なにか少しでも気を取られたりしたら、あれ?あれのここはどこだったっけ、それのここは…という具合に全く分からなくなってしまう。
右左もそうだ。突然、右向け右などと言われても慌てて分からなくなってしまうのだ。
だから体育の時などは事前に僕は右利きだから箸の持つほうが右であり、そうかこちらだなと考えて密かに準備していた。
視力検査もそうで、慌てるとよく見えてるのに空いてる側の左右を間違えてしまうことがあり、ひょっとして僕はものすごいバカなのかと不安になったりした。

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まあ、あまり悪いほうに考えてもいいことはないので、条件反射的に右や左に即座に反応できるより、きちんと右利き→箸を持つほう→右と反応するほうがむしろ論理的思考の持ち主ではないかと慰めたりもした。
もっとも条件反射そのものがコンピュータのようにその論理回路スピードが圧倒的に早いからかもしれず、やはり、このゆるさ加減はバカなのかもしれない。
いやいや、コンピュータはその論理に可能性は最大限想定、潰していくけど、人はたとえば右を規定するにしても人間には利き手があり、それは箸、あるいはナイフを持つほうであり、しかるに左手にはフォーク、でもまあ、これはマナーであって…などと面倒くさく考えはしないだろうから、このゆるさはまた別次元の論理的可能性を秘めるもので、たとえ、今の世界では認められなくても、別世界では有効かもしれないと前向きに考えもした。
AIの進歩はとどまることを知らず、将棋や囲碁のような膨大な探索空間ですら、あっという間に処理・判断するというならもはや人間には勝ち目はないのかもしれない。囲碁などでも人では思いもつかない手を打つらしいからね。
戦争などでも思いもつかない手を打ちそうで怖ろしいよ。
人間は論理的なものであっても逡巡するからなあ。
僕は1+1でもほんとうに2で正解なのかなと思ってしまうところがあり、実際、右向け右と同様にバックミラーの視認も信用できず、やっぱり振り向いて確認までしないと安心はできない。
それはともかく。これでは勝てないと思うか、いやここにこそチャンス、別の可能性があると思うか。
まあ、僕は自己弁護じゃないけど、ここにチャンスがあるのだと思いたいのだね。
AIの膨大な知識の集積か、人間の矛盾や逡巡も抱え込むインディヴィデュアル(個々の分けることのできない)である個性か。
いかん、また迷宮に彷徨っているぞ。
ラブレーは「学問のない知識は心を荒らす」と言ったけど、AIに心はない。
それともいつか心も持つのか、持てばAIの心も荒れるのだろうか。
まあ、バカにも大いなる可能性があるってことで!?
画像は中洲産業大学試験問題。うむむ、難しい。
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