理系・文系を重ねて見る光景は
老大家の時代 老大家子供に帰る
前回に続いて「老大家の時代2」です。
テレ朝『やすらぎの郷』がすごいと書いたばかりだけど、「秀さん」こと高井秀次失踪事件、どうケリを付けるのかと思ったら、何と驚くべきファンタジーで片づけてしまった。

「ほらみんな眼鏡とか時計なくしてないないって2〜3日捜してもなくって諦めかけてたら急にある朝、目の前にあって。 あれ?なんだって…。経験あるでしょ?あれやるのよ」
「いなくなっていた秀さんがある朝、気づいたらちゃんとベッドの中にいるんです。あれ?なーんだ。いたじゃん!ってみんな思っちゃうんです、ねっ」
「いたのにみんな見えなかったのね。それが突然ある朝見えるのね」
「なーんだ!いたじゃん!どうして今まで見えなかったのかな?」
あの、 眼鏡と秀さんじゃ大きさが違います。
「馬鹿ねえ。 原理は同じ事よ」

なるほど、どうすれば誰も傷つかずに事態を解消するにはもうファンタジーにするしかない。
なんか、「カルテット」のアリスちゃんのような強引さでもあるけど、幸い、老人には眼鏡のようなことがあるといえばあり、永遠の乙女のような九条さん(八千草薫)の言葉はかわいい魔法のようであり、おまけに秀さんは無口だった。
老人は子供に帰るとも言われるけど、こういうことでもあったのか。
子供だけにトトロが見えるように、老人は「秀さん、なーんだ!いたじゃん!」で押し通せるのだ。

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あるいはオタク。
僕は「飛べ!フェニックス」という映画が好きなのだけど、サハラ砂漠上空で輸送機が、砂嵐に遭遇した上にエンジントラブルを起こして、砂漠のど真ん中に墜落してしまう。
12名が生き残るけど、絶望的な状況に追い込まれていくなかで、一人が思いがけない提案をする。 墜落機のスクラップから飛行機を自作して、砂漠から脱出しようと言うのだ。
機長は反対するがワラにも縋る思いの生存者たちは、この試みに賭けてみる事にする。
かくして、紆余曲折・波乱万丈のなか「フェニックス」と名付けられた飛行機が誕生するのだ。
ところで提案した青年は航空機デザイナーと名乗るのだが、ある日、機長は青年の持つカタログを見てしまう。
「そのカタログは君の会社のものか」
「ああ、そうだよ」
そのカタログは模型飛行機のものだった。本物の飛行機の設計などしたことはなかったのだ。
「でも、原理は同じだ」
ドイツ青年のオタクぶりが見事です。ラストはぜひ映画をご覧ください。

画像は航空力学の権威、佐貫亦男「不安定からの発想」。
「人も飛躍するためには最初から安定を求めてはいけない。空が不安定であることを受け入れ、過度な安定に身を置かず、不安定な状態を自分の力で安定させてやろうと勇気を出してこそ、道が開けるのだ」と。
青春も、あるいはまた老年も不安定で、まず不安定であることを受け入れてこそ、さまざまな道もあるのだろう。
倉本聰の『やすらぎの郷』がまさにそれで、こんなドラマもありえたのだし、しかもヒットしたのだ。
まあ、僕なんか子供・青春・壮年…ずっと不安定なんだけどね。
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テーマ:テレビドラマ - ジャンル:テレビ・ラジオ

ひよっこの時代は青春歌謡映画で
朝ドラ「ひよっこ」がやっぱり面白いですね。
僕にとってはあの時代の青春は少し上の世代で、子供からの視線だけどじゅうぶん理解できる時代です。
映画は大人400円だったか。僕の持っている映画資料もほぼ同時代と思うけど、2番館だったりするので大人200円、学生150円となっていますね。
さらに東映の宣材資料でこの頃の子供のお小遣いを見ると、さすがは高度成長期、お小遣いもなかなかの急上昇ぶりで、「ひよっこ」の時代は1964年前後だったから、中学3年で319円、ちなみに僕は決められたお小遣いはなかった。
映画はちょっと難しいですね。まあ、中学生で映画館に行ったら不良扱いかもしれない。
「ウエストサイド物語」も恋の物語でもあるけど、少年非行グループの抗争の話だったりするからなあ。
見れば、やっぱり愛子さんじゃないけどみんな踊ってしまいますか。

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日本映画のミュージカル映画って滅多にないけど、青春歌謡映画というジャンルがありますね。
「ひよっこ」でも合唱など歌がよく歌われるけど、その頃の歌は青春・希望でもあったのだなあ。
以前に作家の久間十義が青春歌謡映画について新聞コラムを書いていて、久間十義って「世紀末鯨鯢記」などいかにも難しそうな小説というイメージがあるのだが、こういう人に書いてもらうのはいいなあ。
なかなか、声を上げて言うことは出来ませんからね、青春歌謡映画好きだとは。

~何しろ今まで神妙に演技していた人間が突然歌いだすのだ。その種のお約束を知らない者は面食らう。けれどというか、だからこそ、高度成長期の雰囲気満載。いい調子に無根拠な自信に溢れていて気持ちが和む。集団就職があり、中卒の労働力が金の卵と呼ばれた時代の映画である。隠そうとしても隠せぬ当時の貧乏が、画面のそこかしこにそのまま覗く。あの頃、人々はその貧しさのなかから立ち上がり、明日を夢見て、希望に燃えて働いた。つらつら思うに青春歌謡映画では何が素晴らしいって、この貧乏と希望が素晴らしいのだ。当時、人は何もないところで味噌や醤油の貸し借りをした。ないものを分け合い、思いや希望を分かち合った。若者たちは親の苦労を知り、弟妹のために健気に生き抜こうとした。そこには何もなかったが、希望があった。貧乏は希望の代名詞だった(久間十義)。

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最近の映画やドラマは貧乏も描くけど、隠そうとしても隠せぬ日常のあったものはどこにもなく、作られた貧乏ようなものしか映りこんでいないのかもしれない。
「貧乏は今も変わらず至るところに転がっているのに個人主義やらプライバシーやらで見えにくくなり、隠され、本当に見えなくなってしまった。でも貧乏は転がっていて、そこには希望がある。貧乏に気づかぬフリをするうちに、きっと、そこにある希望に気づかなくなっただけだ」と。
画像左は舟木一夫主演「君に幸福を」(1967年公開)。これは未見だけど、見つめあうのではなく、同じ方向を見上げ、そこには希望の明日があるような笑顔ですね。中3のお小遣い319円の「ひよっこ」の時代。
画像右は浅田美代子主演の「しあわせの一番星」。こちらは1974年だから中3のお小遣いも1500円の頃。
同じように希望の「しあわせの一番星」を探していても、それぞれに見るものが違ってきているのかも。
まあ、これは青春歌謡映画というよりアイドル映画だけど。これは見たなあ、「あした輝く」ってのも見た。
トランジットガールな「ひよっこ」
「ひよっこ」のヒロインの親友の時子は佐久間由衣で「トランジットガール」に出ていた子だなあと思っていたら、なんとやはりヒロインの親友、三男の就職先の米屋の娘で伊藤沙莉が登場した。
伊藤沙莉は佐久間由衣ととも「トランジットガール」でダブルヒロインを務めていたのだ。
まあ、「ひよっこ」でも三男を巡るライバル役にもなりそうで、先日のクレジットでは二人の名前が並べて置かれていたから、NHKもじゅうぶんに分かってやっているのだろうなあ。
NHKはLGBTなどの問題にも積極的だから、なかなかの意欲作「トランジットガール」にも注目していたのだろう。
先日の5月7日にも「東京では性的少数者への理解を進めるイベント「東京レインボープライド」のパレードがあり、約6千人が渋谷駅前のスクランブル交差点など約3キロを歩き、性の多様性を象徴する虹色の旗や横断幕を掲げ「同性婚を認めて」「多様性を学ぼう」などと訴えた。」(朝日新聞)とあり、ずいぶん、理解が深まったようにも思うけどそうでもないのだろうか。
日本は表だってということはないにしても、性についても古来より自然と同様に多様性を認めていたと思うのだけどなあ。

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画像は1980年代に発売されたゼネプロ製のTシャツで、さすがにこれは着なかったけど、同じロゴのワッペンもあって学生の頃付けていたことがあり、街を歩いているとたまに外人に声をかけられた。
アイ・ラブ・SFはアイ・ラブ・サイエンスフィクションの意味なのだけど、「アイ・ラブ・サンフランシスコ」と思う人もいて、あるいはサンフランシスコにはLGBTに寛容という暗喩の意味もあるのか、すこし妖しい人もいた。
サンフランシスコはLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)な人たちの割合が人口の20%あり、当時の僕はまったく知らなかった。
LGBTという性的マイノリティが暮らしやすいということは、性的な面だけに限らず差別が少なく、自分らしさを発揮するのに寛容な都市や社会を示し、鋭い感性、自己研鑽意欲が高く、クリエーティブ・クラス(創造者階級)が多いといいますね。
日本は自然も多様で、おそらく性的にも多様なはずと思うけど、秘すれば花っていう文化もあるからそう単純にはいかないのかもしれない。

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詭弁の罠に落ちるな
森友問題、加計問題、果ては共謀罪、憲法改正など最近多岐にわたって議論されるけど、ものによっては嘘や真が真偽不明のままに飛び交い、重要法案も変なたとえ話や詭弁があふれてしまう。
最近はディベート教育もされるらしいけど、ルールを外れて議論の形骸のみを楽しむというか、都合よく誤用している人もいるかもしれない。まあそんなことが続いていると、おかしなこともそこそのところで落ち着いてしまっているというような感じだなあ。
慣れてしまっているのだ。非日常も続けば日常になる。人は平和にも戦争にも慣れるのだ。
しかし、詭弁ってすごいですからね。日常的には明らかなものでも(たとえば「アキレスと亀」、アキレスは亀を追い抜けないというやつです)、詭弁の罠にはまるとなかなか論破できない。
ということで、以前のブログにもたびたび書いた「男はつらいよ」からです。

博「もし、仮にあんたに好きな人がいてその人の兄さんがお前は大学出じゃないから妹はやれんといったらあんたはどうする」
寅「なに俺に好きな人がいてその人に兄さんが…バカヤローいるわけがねえじゃねえか、冗談言うなって」
博「いや仮にそうだとしても、俺と同じ気持ちになるはずだと」
寅「冗談言うなよ、俺がお前と同じ気持ちになってたまるか、馬鹿にすんなこの野郎」
博「なぜだ?」
寅「なぜだ、お前頭が悪いな、俺とお前は別の人間だ、早え話が俺が芋を食えば、てめえの尻からプッと屁が出るか?どうだ」
博「…」

僕なら思わず絶句するか、ちょっと感心してしまうか、あるいはクラインの壺のようであればそういうこともあるのではないかと、相手の議論に乗ってまんまと詭弁の罠に落ちてしまうような気がします。
無学者、論に負けずというべきなのか、寅が天才なのかよくわからないほど面白いけど、まあ、言葉尻をとらえるだけ、あるいは話の論点が変わってしまっているのに、世慣れしたインテリの博でも煙に巻かれてしまう。
議論の強さは頭の良し悪しだけではないのだ。だけど押しの一手で勝ってもなあ。
かたや野党の反論も安倍首相と同様に微に入り細に入り過ぎて、かえって本質が見えてこず、ともに自ら詭弁の迷宮に入り込んでいる。

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過去の批判が自らに返ってくるというのも詭弁のひとつ相殺法ともいうべきもので、
ママ「〇○ちゃん、宿題すんだ?」
息子「ママ、洗濯すんだ?」
という、なにやら子供のようなやりとりと変わらぬような気がする。
ギャフンと言わせて終わるのではなく、公平の原則を踏まえてそれぞれの落ち度認め、解決としなければなあ。
まあ、国会は詭弁と強弁ばかりで、これで通してもあまりいい結論とはならない。
安倍一強では「泣く子と地頭には勝てぬ」と言われるように、無理が通って道理が引っ込みがちなので、一層の自重が必要でしょう。
これは野崎 昭弘先生の「詭弁論理学」を参照して書いているけど、先生によれば詭弁術に押されない、また気づかずに操ったりしないための心構えを紹介しています。

1 無理やり説得しようとするな
2 時間を惜しむな、打ち切るのを惜しむな
3 結論の吟味を惜しむな
4 わからないことを恥じるな

この本で僕が好きなのは付録の「鏡をめぐっての会話」。鏡見ると左右は逆になるのに上下はなぜ逆にならないのかってやつですね。ずっと左右や鏡に悩まされてきたからなあ。
昭和51年発行の名著です。
迷宮の人間の未来、AIの未来
老齢になると認知テストというのがあるらしいけど、僕はまったく自信がない。若い頃であってもトランプの神経衰弱など、つい前のカードの位置さえ、忘れてしまうのだ。
あれはここでそれはそこでなどと思っていても、誰かが何か言ったり、なにか少しでも気を取られたりしたら、あれ?あれのここはどこだったっけ、それのここは…という具合に全く分からなくなってしまう。
右左もそうだ。突然、右向け右などと言われても慌てて分からなくなってしまうのだ。
だから体育の時などは事前に僕は右利きだから箸の持つほうが右であり、そうかこちらだなと考えて密かに準備していた。
視力検査もそうで、慌てるとよく見えてるのに空いてる側の左右を間違えてしまうことがあり、ひょっとして僕はものすごいバカなのかと不安になったりした。

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まあ、あまり悪いほうに考えてもいいことはないので、条件反射的に右や左に即座に反応できるより、きちんと右利き→箸を持つほう→右と反応するほうがむしろ論理的思考の持ち主ではないかと慰めたりもした。
もっとも条件反射そのものがコンピュータのようにその論理回路スピードが圧倒的に早いからかもしれず、やはり、このゆるさ加減はバカなのかもしれない。
いやいや、コンピュータはその論理に可能性は最大限想定、潰していくけど、人はたとえば右を規定するにしても人間には利き手があり、それは箸、あるいはナイフを持つほうであり、しかるに左手にはフォーク、でもまあ、これはマナーであって…などと面倒くさく考えはしないだろうから、このゆるさはまた別次元の論理的可能性を秘めるもので、たとえ、今の世界では認められなくても、別世界では有効かもしれないと前向きに考えもした。
AIの進歩はとどまることを知らず、将棋や囲碁のような膨大な探索空間ですら、あっという間に処理・判断するというならもはや人間には勝ち目はないのかもしれない。囲碁などでも人では思いもつかない手を打つらしいからね。
戦争などでも思いもつかない手を打ちそうで怖ろしいよ。
人間は論理的なものであっても逡巡するからなあ。
僕は1+1でもほんとうに2で正解なのかなと思ってしまうところがあり、実際、右向け右と同様にバックミラーの視認も信用できず、やっぱり振り向いて確認までしないと安心はできない。
それはともかく。これでは勝てないと思うか、いやここにこそチャンス、別の可能性があると思うか。
まあ、僕は自己弁護じゃないけど、ここにチャンスがあるのだと思いたいのだね。
AIの膨大な知識の集積か、人間の矛盾や逡巡も抱え込むインディヴィデュアル(個々の分けることのできない)である個性か。
いかん、また迷宮に彷徨っているぞ。
ラブレーは「学問のない知識は心を荒らす」と言ったけど、AIに心はない。
それともいつか心も持つのか、持てばAIの心も荒れるのだろうか。
まあ、バカにも大いなる可能性があるってことで!?
画像は中洲産業大学試験問題。うむむ、難しい。
フランケンシュタインの恋ときのこ
大の幻獣好きです。
ボルヘスの幻獣辞典を学生の頃、買ったくらいですからね。
今のようにファンタジーノベルや映画が大ヒットする時代ではなかったから、小難しそうなラテンアメリカ文学作家のものを買うしかなかった?のだが、こんな偶然からも新たな興味が広がるのだ。
実際、怖いものは大嫌いだけど、知れば見ないではいられないのが人間の本質。
誘惑されなくてもリンゴだって、きのこ(マタンゴ)だって食べてしまうのが人間。
ただ食すのではなく、誘惑だの空腹だの言い訳・葛藤をしながらも甘く自堕落な腐臭に酔ってしまうのだ。
かくて、神は人に堕ち、人は獣に堕ちる。
でも獣は神の化身ですからね。永遠のループ。

私は聞いたことがある 月夜にきのこたちが歌うのを
見た事がある 一本足でゆらゆら踊るのを
きのこの胞子は夢の砂 私に美しい幻を見せてくれる  『きのこ 森の妖精』(藤沢寿&谷川俊太郎)

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新しく始まった日テレ「フランケンシュタインの恋」。復活の秘密にきのこを持ってきましたか。
あの生命力、植物のような動物でもない不可思議さ、美しくも妖しい形容、肌触り…。
映画「マタンゴ」の水野久美には子供ながらにゾクゾクしたものなあ。
フランケンシュタインをモチーフにした大森寿美男のオリジナル脚本。やはり同枠で放送された大森寿美男の名作「悪夢ちゃん」を思い出してしまった。
この大森寿美男「TAROの塔」「64(ロクヨン)」などのリアルなものから、「悪夢ちゃん」「精霊の守り人」のようなファンタジーまで、いずれも人間の奥底を見つめるような視線がいいですね。
それにしてもフランケンシュタインときのことは天才的なひらめきというか組み合わせのような気がする。
雷の静電気でやはり覚醒するし。
僕のサボテンに静電気を当てて女の子の意識を持つサボテンを作り出すってのもそう悪くないアイデアだったかも。
サボテンの棘はアンテナでもあり、避雷針のようでもあるようだしなあ。

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雷の多い年は豊作
「雷の多い年は豊作になる」という言い伝えは本当か-。この疑問の解明に松江市の池田圭佑さん(18)が開星高校(同市)に在学中、カイワレダイコンと放電装置を使って取り組み、「雷を受けると植物は成長する」との実験結果をまとめた。この研究成果は学会誌に掲載され、専門家からも評価を受けた。池田さんは、校内にある実験用の放電装置で落雷と同様の状態を作り、カイワレダイコンの成長の様子を調べた。この結果、種子に50秒間放電してから育てると、放電しなかった種子に比べて成長が約2倍速かった。また、放電を5分間続けた水道水と、通常の水道水を使って栽培したカイワレダイコンの成長の違いをみたところ、放電した水で育てた方が通常の水に比べて芽の伸びが約2倍になった。
宮沢賢治が、農学校教員時代の授業で雷と作物の出来との関係に触れていたということを高校2年の時に本で読んだのがきっかけ。(産経新聞 )  

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実は我が家には子供の頃、足の痺れ直し器と伝わる静電気発生装置があって、まあ、ボルト数が数段階調整でき、また発生器の先端は様々なガラス管と交換して、多様な形の静電気を当てるような仕組みだった。
足の痺れにはさっぱり利いた覚えはないけど、そこそこ強力な静電気だったりはしたので死んだ金魚が蘇生するのではないかと当てたりはした。部屋の萎れていくばかりのサボテンに当てたこともあった。
もちろん金魚が蘇生することも、サボテンが回復することもなかったのだけど、やはり科学的に検証、実験というのはこういう姿勢で臨まないといかんのだなあ。
さらに使った水を分析すると、放電した水は通常の水に比べ、窒素量が約1・5倍で、窒素は肥料の3要素の一つとされることから、「放電で空気中の窒素が水に溶け込み、成長の違いに影響した」と結論づけ、また、放電時間を50秒より長くすると発芽率や成長の度合いが下がったため、「それぞれの作物について適切な放電時間を突き止めれば、収穫サイクルの短縮などで生産量の向上につながる」と極めて検証的、論理的。
僕も何十年も前にやったのに、唯一、できたのは静電気を放電したサボテンが意識を持った女の子になり、孤独な少年と会話を交わすようになって…という出来の悪い妄想小説だけだった。
画像は家の蔵にあった広告チラシで、種まきや蚕の暦・歳時記が書き込んであって、こういうことにも科学的な根拠が何かあるのだろうし、養蚕家でなくてもけっこうその頃の一般常識としてあったのだろうなあ。今では失われていくばかりだけど。
皇室では皇后陛下が古来から伝承される養蚕を続けていて、ここでこそ残りえた、貴重な発見もあって、こういうのも繋げていってほしいけど、皇室伝承さえいささか心配な状況ではある。
さて、蚕はもちろん桑の葉を食べるのだが、雷が鳴ると「くわばらくわばら」と言いますね。
一説には雷様は桑が嫌いだからともいうらしいけど、いや、雷・静電気と農作物ってまだまだ研究の余地がありそうですよ、池田くん。

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老大家の時代 倉本聰 筒井康隆
テレ朝『やすらぎの郷』がすごい。
もちろん、倉本聰がシニア世代に贈る大人のための帯 ドラマということもすごいし、石坂浩二を取り巻く大女優たちがハンパではない。
八千草薫、有馬稲子、浅丘ルリ子、加賀まりこ、野際陽子、五月みどり、山本圭、ミッキー・カーチス、藤竜也などの大女優や大ベテラン、中堅あたりが風吹ジュン、草刈民代、常盤貴子、名高達男、唯一の若手が松岡茉優で、松岡茉優は奇跡のような幸運に巡り合えたと言うべきでしょう。今どき、トップスターでもこれだけのメンツにはなかなか会えない。
しかも、こんなことを言ってはなんだけど、いま会っておかなければ、もう会えないかもしれない。
そして、物語がけっこうエグイというか、もう好き勝手にとまではいかなくても、まあ、自由に書いているのだろうなあ。
みんなあてがきに違いないけど、もう多少のことも許し、許されてしまうんだろうなあ。松岡茉優もあてがきなのかな?
しかし、八千草薫さんはやっぱり天使のような人だ。
僕はもうちょっと覚えてはいないけれど、古い時代劇映画で八千草薫さんのお姫様を見たことがあるけど、そりゃあもう、図抜けて可愛らしかったのだ。他にもお姫様を演じた女優は様々にいるけど、僕はやっぱり八千草薫さんです。
それにしても倉本聰、自由に楽しげに書いている!?老大家たる自分を楽しんでる!?

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かつて、筒井康隆が藤枝静男の「田神有楽」を評して、老大家となって、こんなふうに勝手気ままに自由に書きたいものだと言っていたけど、その筒井康隆もずいぶん物議を醸す勝手気ままなこと書いてしまった。
でもまあ、昔から画像(雑誌 面白半分より)にある通り、こんな過激なことを自ら(身内ですね)も含めやっていた人なのだ。

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これからのネットの時代、高齢化社会、果てしてどうなってしまうのか。ねえ、八千草薫さん。
今や作家王国岐阜(池井戸潤、米澤穂信、冲方丁、奥田英朗、朝井リョウ、中山七里など) の誇る老大家 瀧井孝作は原稿を取り来た編集者に「釣りに行かんで書いたのだが」と、まるで「釣り」が本業であるかごとくに抜け抜けと言っていたという。
時代もあるけれど、これくらい長閑というわけにはいかないのか。

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学校図書館にも必ずある「幸福な王子」
中日新聞の日曜版に「学校図書館」の特集があって、それによれば図書標準(学級数に応じて定められた蔵書冊数)というのがあり、国から図書整備費として約470億円(2017年度)の地方財政措置が講じられているという。
もっとも自治体へは使途を問わない地方交付税として交付され、実際の予算配分は市町村に任され、図書の整備状況には大きな格差が生まれ、達成率のトップは岐阜県の98.1%、2位山梨県95.4%、3位佐賀県91.9%、東京は20位で72.5%、愛知県は25位で68.4%、下位には大阪府45位で36.4%、奈良県46位で36.1%、最下位の47位は北海道の35.2%。
財政の豊かさとも教育熱心とも地域性とも読み取れるような読み取れないような不思議なランキングではある。
でも、まあわが岐阜県が実直に図書整備に努力しているというのは確かなのだろう。

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昨日のNHK朝ドラ「ひよっこ」で乙女寮の読書家の女の子が図書室であ行から全部読んでいたと言っていたけど、以前にもNHKで上戸彩主演「十年先も君に恋して」という出来のいいSFドラマがありヒロインは編集者だったけど、やはり学生時代のエピソードとして学校の図書室の本をアイウエオ順で全部読んだと話していた。
セレクションして好きな本を読むのもいいけど、たしかに小中学校くらいのときはなんでも読んでおいたほうがいいような気もする。
こんなエピソードが繰り返し出てくるのは意外におすすめ読書法として密かに?伝承されているのかもしれないなあ。
岐阜に有名作家の多い所以はこの読書法を実践し、県もそれに応えるべく図書整備を充実させている結果かもしれない。
ところで、この「10年先も君に恋して」では「幸福な王子」(オスカー・ワイルド)のエピソードも登場するのだが、やはりNHKにはドラマ「火の魚」(室生犀星 原作 原田芳雄 尾野真千子主演)という傑作があって、こちらもヒロインは編集者で、さらに不思議な偶然なのか「幸福な王子」のエピソードが印象的に上手く使われていた。
編集者になるほど本好きにとって「幸福な王子」って特別なのだろうか。
まあ、「相棒」でも使われていたから、ミステリー的な暗喩としても魅力的な物語なのだろうなあ。

さて、岐阜県の図書館では学校史や記念誌の一部が相次いで切り取られた器物損壊される事件があり、被害の多くは大正から平成初めまでの児童生徒の集合写真が掲載されたページに集中していたという。(現在、他県にも広がっている)
きっと幸福な王子が見ているよ、泣いているよ。
画像は岐阜市立中央図書館のぎふメディアコスモス。「知の拠点」の役割を担うらしいけど、オシャレすぎてまだ行っていない。
たとえ、みすぼらしく朽ち果てようとも蔵書の一冊一冊が人々の心に耀きをもたらす場所こそ、知の、美の拠点。

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蜘蛛は2500万トン 足元の小宇宙
【3月15日 AFP】全世界に生息するクモが食べている昆虫の量は、毎年4億〜8億トンに及んでいるとの研究結果が14日、発表された。これは人間が1年間に消費する肉と魚の総量に匹敵するという。 この種の分析としては世界初の今回の研究で、研究チームは過去の65件の研究のデータを使用し、地球上に合計2500万トンのクモが生息していると推定した。
研究チームは次に、クモが生きるために必要な食物の量はどのくらいかを考慮して、クモが捕食する昆虫などの無脊椎動物の年間総量を推算した。 科学誌サイエンス・オブ・ネイチャー(Science of Nature)に掲載された研究論文には「世界のクモ群集が捕食する獲物の量が年間4億〜8億トンに達することを、今回の推計は示唆している」と記されている。 この結果は、特に大半のクモの生息地である森林や草原で、クモが害虫や保菌生物を食い止めるのにどれほど大きな役割を担っているかを示している。

人間による肉と魚の年間消費量は約4億トン、クジラは年間2億8000万〜5億トン、海鳥は年間約7000万トンの餌を食べているというから人間も、いや、やはりクジラはすごいというか、まあ、海鳥も含めてよくわからん比較でもある。
しかし、地球上のクモが2500万トンですよ。蜘蛛にも大小はあるけれど、基本5グラム、大きくても10グラムにも満たないように思うから、もう何兆、何十兆匹もいるのだね。
総じてよく見かける昆虫ってこんな数のレベルでいるのだろうか。また、その捕食量が4億〜8億トンって。
捕食されるさらに小さな生物はもっと膨大で、地球のダイナミズムってすごいな。
地球の生態系はとても人間の知識では計り知れるものではないような気がします。

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先日はNHKで「足元の小宇宙~絵本作家と見つける生命のドラマ~」というのやっていて、雑草の素敵で凄まじい世界が見事に描かれていたけど、振り返りさえもされない雑草もきちんとした役割があって地球の生態系の礎となって支えているのだ。
しかし、まさに宇宙でも稀な、あるいは唯一の奇跡のような生命の横溢した地球であるなあ。
地球は宇宙をさまよう種子なる惑星なのだろうか。
ちょっと半村良「妖星伝」を思い出してしまった。
火山国日本の長寿
日本の食文化は和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたほどに世界的にも有名で、寿司、天ぷら、ラーメンとさまざまにあるなかで、やはり忘れてはいけないのがうまみをもたらす「だし」の存在。
でもこれだけ評価されても「鰹節」などは簡単に輸出などはできないらしい。EUや中国では発がんのリスクがあるとされ、規制値が設定されている(日本はない)。
以前にも中国の検疫当局が日本産醤油から1キロ当たり3.15ミリグラムのヒ素が検出され、中国の基準値の6倍以上だったというニュースがあり、「え、なんで?」と思ったけど、輸出元の盛田によれば「原料の鰹節に有機ヒ素が含まれるが、体内で分解されるために健康に影響はない」との見解だった。
さらに以前には英国食品規格庁も日本産ひじきについても無機ヒ素が多く含まれ危険という報告をしていて、無機ヒ素はがんの発生リスクが高まるということらしい。

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WHOが1988年に定めた無機ヒ素のPTWI(暫定的耐容週間摂取量)の基準があり、まあ、毎日食べても基準を超すことはまずないし、むしろヒジキは食物繊維を豊富に含み、必須ミネラルも含んでいるから健康食でもある。
だいたいヒ素は自然界に存在し、他の海藻中にも含まれていて毒性の低い有機ヒ素として存在しているとされている。
日本は元来火山国だから、海にも土中にもヒ素なり水銀なりが含まれ、他国・他海域より多いのは必然ですね。
マグロなども食物連鎖の最高位にいて、日本近海で回遊するならこれらの含有量も多いのかもしれない。
ヒジキや海藻、マグロの食物連鎖の最高位は人間で、とりわけ日本人ということになるのだけど、古代からの食生活で現在世界最高の長寿国のひとつであるのも間違いなく、もし固有の耐性・免疫性がそのなかで培われたのなら、必ずしも全地球的によいとは限らなくても、また逆に世界の基準・意見に過剰に怖れることもないのかもしれない。
極寒、灼熱などの厳しい環境、あるいはなお火山ガスのある三宅島などそれぞれの暮らし、ふさわしい生活慣習、食生活があるのだろう。
やはり、地産地消が環境にも健康的にも精神的にもいちばんいいのかもしれない。
少し前の「ブラタモリ」は奄美大島だったけど、薩摩藩の圧政にも耐えて島内の産物のみの工夫で生き延びたのだという。
蘇鉄が有毒であるにもかかわらず、毒抜きを徹底し、食糧にも変え、土止め、さらには大島紬などの役にも立っていたとは。
子供たちは蘇鉄の実で運動会の玉入れをやるらしいし。すごいよ、奄美大島島民。

画像は映画「土佐の一本釣り」から。カツオがでかい。
まあ、漁法も一気にさらうようなものでなく、一本釣りなど生態系にあまり影響が出ないものがいいのだけど。

テーマ:食に関するニュース - ジャンル:ニュース

貧乏もまた楽し、貧乏は発想・工夫の神様
明石家さんまのコンプレッくすっ杯。
『ブサ顔』、『子供にナメられる』、『田舎』、『貧乏』、『変声』、『結婚 できない女』といった“コンプレックス”を自虐的に面白おかしく競っていたけど、やはり貧乏は最強なのか。
貧乏レジェンド風間トオルも審査員でいて、たいていのエピソードにも驚かず、ひょうひょうとしていたのはさすがにレジェンドだけど、突き抜けた感なのか、貧乏感どころか品位すら漂わせます。
しかし、鉛筆の後ろについてる茶色の消しゴムのけし屑が鮭フレークとかはリアルな実話だからこそなんだろうなあ。
僕は思いつかなかった。
また紙は山羊も食べるし、食べるなら教科書は写真の少ない国語の教科書が自然でいいと言ってけど、これはやはり稲垣足穂が生活に窮していたとき黄ばんだ破れ障子見て、「あの障子紙、焦がしたら焼き海苔の味にならんだろうか?」といった話が文学の香りも高くいいよなあ。貧乏でも何かしら味わいがある!?海苔ではないけど、糊ならついているし。
でも、これはならんのですね、これは。前に実家の破れ障子紙で試してみたから間違いありません。
いや、貧乏こそが発想・工夫の神様であり、好奇心を揺さぶります。

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まあ、この稲垣足穂先生、発想がすごすぎて、人間の本質を口から肛門という空洞に見立てた(その周りに骨、肉、血管が取り巻いて皮で覆われたのが人間、つまり人間の中心は空洞なのだ)という「A感覚とV感覚」などの怪作も書いていたりして、いや美少女も美少年も形無しなのだが、これも貧乏史観の果てにあるのだろうか。
あるいは山田風太郎の言うように「性の快楽と死 の苦痛はみな平等である。しからば、なぜそれ以上の平等を求める必要があるのだろうか」というような突き抜けた真理を見る眼差しなのか。
ちなみに僕の祖父は若い時の苦労が身に沁みた人らしくなかなかの吝嗇ぶりで、母によれば嫁に来た頃は(戦後間もなく)風呂を沸かすのにも祖父の許可が必要で、「人間、垢で死なず」と言っていたらしいです。うむむ、手ごわい。
まあ、沸かすにしても画像の手前の井戸から何十回も汲み、手桶でけっこう離れた風呂場まで運ばなければならず、母も大変だったらしい。実家を整理した折にはそんな祖父が若かりし頃書いた短歌も見つかっている。

紅幕を張れるが如き桃園に遊ふ乙女の影ぞゆかしき

あの祖父がこんな歌も詠みましたか。
木皿泉 パンセ
木皿泉 パンセ。
テレ東、木皿泉、パフュームのなかなか思いもかけない組み合わせですが、やはりちょっと不思議で、優しい物語。
変わりない、閉ざされた日常に訪れるささやかな変化、違和感に、ともどいながらも優しく新たな時間が流れ出す。

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「われわれの本性は、運動のうちにある完全な静止は死である」(パンセ)

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NHK BSプレミアムの「嘘なんてひとつもないの」も不思議なドラマだったけど、まずは部屋を出ること、動くことなのだ。
アニメ「トップをねらえ」のタカヤノリコは人類を救う偉業もって、「ヲカエリナサイ」と迎えられたけど、またひきこもりからのささやかな戦いの旅から帰った力丸も「おかえりなさい」と暖かく迎えられた。
大宇宙だろうと小宇宙だろうと帰れる場所があり、温かく迎えてくれる人・場所があるということは希望だ。
「わたしがどんなときも人のために願えるひとでありますように」
「野ブタ。をプロデュース」も「セクシーボイスアンドロボ」「Q10」も、いつの時も変わらないテーマだ。

ちなみに「パンセ」にはこういうのも書かれている。
正しいものに従うのは、正しいことであり、最も強いものに従うのは、必然のことである。力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制的である。
力のない正義は反対される。なぜなら、悪いやつがいつもいるからである。正義のない力は非難される。したがって、正義と力をいっしょにおかなければならない。そのためには正しいものが強いか、強いものが正しくなければならない。
このようにして人は、正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである。

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