理系・文系を重ねて見る光景は
共謀罪法案の妄想・現実・幻想
政府は21日、組織犯罪処罰法改正案を閣議決定した。犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の新設を目指すが、戦前・戦中の治安維持法による監視社会を招きかねないとして、表現活動に携わる人たちが反対の声を上げている。兵庫県内では77年前、同法違反容疑で文学青年らが逮捕された「神戸詩人事件」が発生。事件に詳しい詩人季村(きむら)敏夫さん(68)=神戸市垂水区=は「権力による表現の自由への介入を許す危険性がある」と警鐘を鳴らす。(神戸新聞NEXT 3/21)

まあ、まさかとも思いますが、文学青年、理系少年、妄想オタクなどは頭の中ではとんでもないことを考えたりしますからね。
仲間が集えばさらに妄想は深まり、文学青年、理系少年、妄想オタクの別種まで結集すれば、理論的、緻密な妄想にもなりえて、たしかにここに扇動者でも登場すれば危ないことにもなるかもしれない。
たった一人でも兼ね備え、自己完結させる人だっているかもしれない。
「神戸詩人事件」のことはよくわからないけど、詩を嗜むような文学青年だからなあ。
人間の根源に潜むものを文学で表現しようとする人たちと社会の実相で捉えようとする人たち…、ううむ、よくわからん。
ただ、これら人間の根源に潜むものはもちろん、取り締まる側にもあって、ささやかな妄想が恐るべき妄想に見えてしまう、あるいは職業柄、見ようとしてしまう傾向もあるだろうから、やはり人はそれを身に染みて知っておくべきなのでしょう。
ちなみに僕は子供の頃、電車の線路に耳を当てて音を聞いていたこと、傘の柄に2B弾を仕込んで発射実験を行なったこと、台風の時、風呂敷を広げて堤防を駆け降り飛んだこと、梵鐘を揺らそうと1日中念じたこと、地図帳で世界制覇を目論んだこと、天気図で超巨大台風を上陸させ日本列島を縦断させたこと、静電気発生器で金魚の蘇生を試みたこと、チャンバラ好きが高じて秘剣 位相微塵斬りを編み出したこと、砲丸投げの真似をして大石を投げ、便所の換気塔を壊したこと…などがありますが、大丈夫でしょうか。

tomitasabisinn.jpg

映画「さびしんぼう」のようなめぐり合い(チェーンの外れた自転車の少女を助ける)も繰り返し妄想したけど、そんなこと一度も起こらなかった。
ほとんどの妄想は「おーい、さびしんぼう」って呼びかけているだけかもしれない。
さて、こんな純朴なる夢は終り、エンディングの「別れの曲」流れ始めたとき、突如、公安警察が踏み込んでくる。
青春の夢と恋、その遥かなる郷愁と幻想に襲いかかる公安警察の魔の手。「さびしんぼう」は砕け散ってしまうのか。
愛と幻想とその破壊と希望を描く純愛サスペンス巨編「さびしんぼうに触れるな」いよいよ近日公開…なんて妄想がまた始まり、妄想を信じた連中がほんとうに映画化を進めたり、いよいよ現実と幻想は虚実入り乱れ迷宮に入り込む。
スポンサーサイト
つボイノリオ 愛知県芸術文化選奨
今年の愛知県芸術文化選奨の発表が少し前にあったのだけど、なんとその受賞者の中につボイノリオさんがいらっしゃいましたね。
CBCの『つボイノリオの聞けば聞くほど』など、ラジオ番組での長年の功績が評価されたのだろうけれど、時は流れるのだ。
一時は放送禁止歌のキングのような存在だったのだからなあ。
今は放送禁止歌も規制(自主規制?)もゆるくなったのだろうか。

houkinn1.jpg

人間、あまり真面目ばかりでは融通が利かず、社会も気詰まりになってきますからね。
こういう文化もないと多様で豊饒な文化は生まれない。長い伝統の祭でも田縣神社の豊年祭とかありますからね。
神社ではさらに身近なものに盆踊りなどもあるけれど、ここで欠かせないのが民謡やら音頭などの歌や踊りで、こういうものにもなかなか妖しいものがあったり、いわば放送禁止的な歌や世界があったりします。祭は非日常空間でもあるからね。
近田春夫が音頭には猥褻感があるといっていたけど、原初的には非日常でもあった音頭や踊りなど歌は今や日常のものですからね。
さて、音頭に欠かせない盆踊りは戦前頃まで、見知らぬ相手と性関係を持つ出会いの場であった…と記したのは「盆踊り 乱交の民俗学」(下川耿史)。

houkinn2.jpg

〈盆踊り〉とは、生娘も人妻も乱舞する“乱交パーティ”だった! 日本人は、古代より性の自由を謳歌してきた。歌垣、雑魚寝、夜這い、盆踊り……。万葉の時代から近代までの民俗文化としての“乱交”の歴史。 日本最古の“乱交”の記録は、『記紀』や『風土記』の「歌垣」である。古代日本では、宮廷人から農民までの男女が、おおらかに性の自由を謳歌していた。『万葉集』にも、歌人・高橋虫麻呂の「人妻と我も交わらん、我が妻も人から誘われよ…」という歌が残る。そして、中世からは「雑魚寝」や「夜這い」、江戸時代には日本各地で「盆踊り」という形で乱交は行なわれ、明治以降も密かに続けられた。森鴎外も『ヰタ・セクスアリス』で、故郷・津和野の盆踊りでの「性的な体験」を記している。本書は、膨大な歴史文献・資料をもとに、古代より連綿と続く“民俗としての乱交”の歴史と文化をまとめた、初めての「乱交の民俗学」である…という本もあるのだ。

まあ、危険は避けなければならないけど、まったく、すべて、予定調和、監視下におかれるような現代では人間本来の活力、それは危険の察知能力も含めて失われるのではないかなあ。
全てを機械や社会に委ねてしまうのもつまらない。
それはともかく、音頭はもちろん、演歌、歌謡曲にもある種の猥褻感が隠されていたりもしますが、隠さず表現したのがつボイノリオさんなのです、ハイッ。
こちらの貢献も認めての?愛知県芸術文化選奨なら古来の伝統に沿うものなんだろうなあ。
画像は放送禁止歌のいろいろ。

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

あなたの「瞳の中の訪問者」
容疑者から押収したスマートフォンに保存されていた被害者の写真を徳島県警鑑識課が解析した結果、写真を撮影した容疑者の姿が被害者の瞳に映っていることが判明し、重要な証拠となった事件が昨年あった。同課によると、瞳に映った姿が証拠になるケースは大変珍しいという。(毎日新聞)

おおっ、新たなる「瞳の中の訪問者」ですね。
手塚治虫が「ブラック・ジャック」で描いた「瞳の中の訪問者」とは全く違うけど、こんな形の訪問者もありうるのだ。
そういえば、以前にも雪肌精のCMで新垣結衣さんの瞳にスタッフが写り込んでしまって、謝罪したというニュースがありましたね。

morisu.jpg

まあ、美しい瞳であればこそなんだろうけれど、やはり美しい瞳に嘘はつけず、美しい瞳は真実を暴くのだと。

「マンウオッチング」でデズモンド・モリスは「人間観察の目的は人間を操り、のぞき見することにあるのではなく、人間を真に理解することにある。」と書いたけど、美しい目は真実にも幻想にも導く。
しかしまあ、最近は画像に撮られた手の指から指紋が盗られたり、解析技術の発展は怖ろしいものがある。
これもまた、人間を操るものではなく、人間を真に理解するものであってほしいなあ。
危機を救うのは優等生ではなく、みそっかす
「ダーウィン流の適者生存は環境に適応し、より多くの子孫を残した者を強者と考えます。ただしこれは環境変動による生存の危機が起きないとの前提の下です。鳥類には産卵能力を下回る数しか卵を産まない種がいます。目いっぱい卵を産むと、余裕をなくして危機の際に全滅しかねないからです。人間はさらに環境変化による影響を受けにくくするために集団生活を始め、社会を築き、文明を育ててきた。文明の初期では生き延びるため、皆が協調し、しかし生存が既定のものと思うようになると、自分さえ良ければいいという自己利益の最大化に走ります。結果は滅亡です」吉村仁静岡大学教授(進化理論)「一人勝ちを生まない経済に」新聞コラムより。

なるほどなあ。
地球温暖化の利害問題、過度の経済のグローバル化、それぞれに最大利益を求める愚を説くもので、本当の強者は平時に支配的な者ではなく、危機を生き延びるものだと。
そういえば、ドラマでもマンガでも危機を救うのは必ずしも強者や優等生ではなく、みそっかす扱いされたりした者だったりしますね。 
robot.jpg

異分子、異端…、歴史を遡れば、芸術も歴史の折々の偉人は多くが異端であり、軋轢はありながらも異端が新たな未来を切り開くものだった。
米SFTVドラマ「宇宙家族ロビンソン」ではひとつのモデルケースとして家族を中心においたクルーが宇宙に送り出されます。
でもイレギュラーに加わったトラブルメーカー ドクター・ザックレー・スミスの存在が危険も招きながら、最終的にはより強い絆をもたらしクルーが生き延びる様は、長い宇宙の生活、すなわち社会には異端ほどでなくても僕たち「みそっかす」の存在も捨てたもんじゃないぞと妙な自信をもたらしてくれます!?
地球というクルーにはいつも多様性が担保されていて、進化発展してきたのだ。
過度の経済のグローバル化、最大の効率・利益を求めるばかりでは、地球というクルーの資格はないのかもしれない。
画像は「宇宙家族ロビンソン」からロボットのフライデー。こういうのもいてほしい。
山本地方創生相「学芸員はがん」
山本地方創生相が16日、大津市で開かれた地方創生セミナーで、「文化観光を進めなければならないが、一番のがんは学芸員という人たち。一掃しないといけない」などと発言した。セミナーは滋賀県主催で、自治体や企業の関係者約330人が出席。講演後、外国人観光客による地域活性化について質問を受けた山本地方創生相は、文化財の活用が重要との考えを示しつつ、「文化財に指定されると、部屋で水や火が使えず、お花もお茶もできない。バカげたことが行われている」と指摘。「学芸員は自分たちがわかっていればいい、わからなければ(観光客は)来なくてもいいよというのが顕著」などと述べた。(読売新聞)

さすがにすぐに撤回、陳謝となったけど、現場の学芸員からは「理解がない」などの反発の声が多いのだろうなあ。
せっかく、NHK「ブラタモリ」で学芸員の認知度も、人気も高まりつつあるのに?水を差してしまった。
まったく本末転倒というべきで、永々と守り継がれた文化だからこそ、人気化、観光化するのであって、観光に目的化してしまってはそんな文化は骸。
ここは学芸員のうるさい(ほめ言葉です)ほどの解説、注意を聞きながら、その文化の本質に寄り添うものなのだよ。
先日も熊本城の修復のニュースをやっていたけど、国宝だから杭の1本を打ち込むの大変らしいけど、こんな震災からの修復でさえも決められた手順でするしかなく、またそれでこそ、誇りうる文化たりえたのだ。
浮世絵もずいぶん海外に流出しまったけど、まあ、あれも海外で発見され、ようやく日本人もあれは芸術・文化なのだと気付かされたように、またぞろ、別の失敗をしでかすような。
マンガやアニメが今、海外での評価が高いのも別に海外や芸術を目指したからではなく、むしろ日本的世界やマニアックな世界にひたすら閉じて邁進したこそだからね。

syoujyohitomi.jpg

少女マンガの大きな瞳も以前は海外では不自然で、気持ち悪いとさえ言われていたはずで、そんな声も気にすることもなくひたすら大きくつぶらな瞳を進化させたのだ。
閉じられていたからこそ、独自の発展となり、やがて海外に発見されたのだ。
はじめから海外市場や観光に向けられたものはもはや別もので、違う次元の発展はもたらすかもしれないけど、独自に形成された日本の伝統、文化は崩れてしまうのかもしれない。
「国が政策的に国外に売り出そうと宣伝したりするのは愚の骨頂です。骨董品の包み紙に使われていた浮世絵が、ある日、外国で高く評価されたように、和様化したものの何がユニークな価値を作り出すのか分かりません。いいものは自然に外に流れ出し、外の目が拾い出してくれるはずです。それが島国、日本が抱える宿命なのです」と磯崎新(建築家)も言っている。
マンガやアニメなどを世界に広がる巨大市場と大手資本や海外からの参入も目立つけど、今までのような大衆迎合的なビジネスモデルが必ずしも通じない、それらの計数化できない価値はその道のオタクにか理解不能など、誰でも参入出来るにもかかわらず、そこには「見えざる壁」があって、実は参入の壁のハードルは非常に高かったのだ。
なのに、あたりまえの分かりやすい経済的な指標にアニメやマンガなど、すなわち文化を貶めてどうするのだ。
一時的には潤っても独自の文化は崩壊し、消費されつくして終わってしまうぞ。
ここは経済的には理解不能でも学芸員やオタクに頑張ってもらわないといけません。
誰にも破られなかった見えざるATフィールドを自ら外してどうする。

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

本屋大賞は恩田陸の「蜜蜂と遠雷」
少し前になるけど「そこまで言って委員会」は万引き問題もあって、万引き防止のため写真の貼り出しの有無を議論するものだった。作家の猪瀬直樹は書店、作家、ひいては文化の危機と言ってましたね。
まあ、たしかに徳間書店の出版社がツタヤの傘下に入るなどを見ると隔世の感があります。
書店の低迷には書籍の電子化、ネット通販など他にも要因はあるけど、やはり万引きの影響は大きい。
中小、零細店ではまさに死活問題。1冊盗まれれば10冊ほども売らなければ、その費用は回収できない。
やはり、よく話題となるオレオレ詐欺などの被害金額は400億円強に対し、万引きの被害金額は4000億円強のほぼ10倍なのだ。
昔のように貧しさの故などという例は、もはや幻想なのだ。
費用をかけて防犯装置を付けても万全ではないし、人を疑うような疑われるようなストレスがまた人を劣化させかねない。
これがまた人間、文化の危機なのだ。万引きが蝕むものは人そのものであり、たおやかな文化なのだ。
画像は昭和56年の関西地区の書店状況だけど、どれほど変わってしまっただろうか。

honnya1.jpg  honnya2.jpg

あの京都の大手老舗書店の駸々堂も今はなく、小さくても何かしら文化の薫り高い心地よい空間はこの今も失われつつある。

honnya3.jpg  honnya4.jpg

まあ、僕は名古屋ですらもなく岐阜もしくは豊橋なんだけどね。地方都市はもう様変わり。
さて、今年の本屋大賞は恩田陸の「蜜蜂と遠雷」で、なんと直木賞との初のダブル受賞。
しかも恩田さんは「夜のピクニック」でも本屋大賞を受賞していて、2回目の受賞はこれまた史上初。
分厚く、2段組というからわくわくするなあ。
それにしても本は以前はなにかしら特別なもの、という気持ちがあったけど、今やほかの商品と変わりなく並べられ、古書の価値もずいぶんと平面的になってしまった。
坂口安吾は「小説はたかが商品ではないか、そして商品に徹した魂のみが、また小説は商品ではないと言い切ることも出来るのである」と言ったけど、何の思いれもない、ただの商品になってしまうのはなあ。
ちなみに僕の通った本屋さんは各務原では大野書店、岡田書店、栄進堂、岐阜では自由書房、星野書店、大衆書房、南陽堂、豊橋では精文館、豊川堂、文泉堂あたりだったかな。
少し怪しげな古本屋さんにも通ったりした。
梨花一枝春雨を帯ぶ 浅田真央
浅田真央がフィギュアスケートから引退です。
報道もテレビもトップニュースでやっぱり愛されているなあ、真央ちゃん。
十二分な活躍だったけど、悲劇性もあってきっと永遠にに語り継がれるスケーターになるのでしょう。
まあ、森喜朗元首相みたいに「あの子は、大事な時に必ず転ぶ」なんていう人もいるけどね。
やはり、ソチ五輪のフィギュアスケートのフリーは忘れられない。
ということで、当時のブログからの再掲載です。

2014年2月23日、網易体育はソチ冬季五輪の10大感動シーンの一つとして、浅田真央の名前を挙げ、「人生の目標は実力でかなえるものだということを浅田は証明した」とした上で、演技後に感極まって見せた涙を、美人の泣く姿をたとえた言葉「梨花一枝春雨を帯ぶ」と表現した。

梨花一枝春雨を帯ぶ
僕たちも学校で習った白居易『長恨歌』かららしいです。
この辺りがすらすらと出てくるのが中国の奥深さでしょう。

nasi.jpg

やはり、あの姿は国境を越えて、時代を越えて美しいのだなあ。
日本は独自の文化を築いてきたけれど、中国などからも多くを学んできた。
梨花一枝春雨を帯ぶ  うーむ、浅田真央ちゃんに相応しい美しい言葉ですね。
この言葉にともに美しさを、ともに感動できるのになあ。
日中韓、この姿に矛を収めていくことはできないのか。
ところで「トリプルアクセルに声をかけるとしたら、何と言いますか?」って質問、NHKアナだったんだね。
なんだかファンタジーの住人のような真央ちゃんならではの問いで、その答えも「何でもっと簡単に跳ばせてくれないの…」とは、ファンタジーの住人にまたふさわしい。
森友問題でのギスギスした会見とは大違いだなあ。まあ、あたりまえか。
いよいよきな臭いこの時代。
梨花一枝春雨を帯ぶような真央ちゃんに世界中、魔法をかけられてしまえばいいのに。
わっ、僕もファンタジーの住人になってしまった。

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

元号・改元の謎 養老改元千三百年祭
天皇陛下の退位に関し特例法案での対応となったけれど、まあ、いろいろ難しい問題があるのだなあ。
元号の問題もそうで、新元号はなんとするか、いつのタイミングからとかって、乱暴な意見としてはこの際、元号をなくして西暦のみにしてしまうという意見もあるらしい。
たしかに面倒で西暦のみで事足りるし、グローバルスタンダードにも沿うものかもしれないけど、文化こそは非関税障壁などと簡単に奪うことの出来ない大切なものですからね。
自ら外すような必要はないというか日本文化(の重要なファクターで、もしかしたら西暦の永続性と元号の改元の多さは他文明も受け入れながら固有の文化も守る知恵だったのかもしれないぞ。
またそれは異文明も異人も日本的なものに同化させる軍事力でもない、また経済力でもない、魔法のような文化を守り育てる重要なシステムの源泉なのかもしれない。
天皇家が権能の変遷はあっても世界にもまれな永続性を持つのも改元というリセット機能?が大きいのかもしれないなあ。
改元でなくても歳時記など四季折々に期日を定めて、気持ち新たに迎えるのは日本人の特性!?

yourou.jpg

春の卒業など典型で、こんなに卒業ソング(桜ソング)が歌われるのは日本だけでしょう。
折々の日々、折々の季節、折々の年を慈しむ日本文化の特性はこんな改元に支えられるのかも知れない。
仏文学者の鹿島茂は「世は〆切り」と言ったのは故・山本夏彦で、少なくとも自分に関してはこれほど真実を衝いた言葉はないと言い、まあ、たしかにどんな人も「〆切り」あるいは「区切り」がないとなかなか動かない。
一日の終わり、週末、月末、年度末、幼年、少年、青年、壮年、老年、そして人生の終末…などありとあらゆるものに「〆切り」はあり、人生は過ぎていくのだ。
「〆切り」がなければ人は毎日をだらだらと過ごしてしまうのだろう。
ゆえに鹿島さんに言わせれば「〆切り汝を玉にする」ばかりでなく、不可能を可能とし、無から有を生じせしめる、魔法の杖ということになるのだが、西暦と元号を併せ持つことで、まさに日本は玉となるばかりでなく、不可能を可能とし、無から有を生じせしめる、魔法の杖を持ったのだよ…なんてね。
魔法の杖をなくしてはならない。
岐阜の養老町では奈良時代の717年に元正天皇の詔によって元号が「養老」へ改められてから今年で1300年を祝う「養老改元千三百年祭」が開幕した。伝えられるところによれば717年に行幸した元正天皇は老いを養う若返りの効果があった当地の美泉に感激して改元した。
突然の浅田真央ちゃんの引退にはびっくりしたけど、これも区切り。
真央ちゃんが自ら言うとおり、区切りをつけて真央ちゃんはさらに玉になる。

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

桜ほうさら
定番の今こその話題です。お花見ですね。
今年は珍しく平年より遅めで、開花してからも気温が低めで、ここ岐阜でも開花から満開まで1週間以上の経過があった。
早いと開花から満開まで2、3日という、あっという間ってこともありますからね。
全国的に満開なってからも雨模様が続き花見にはあいにくだけど、春の嵐も今のところなくて満開のあとも散り果て、葉桜までゆっくり楽しめるのかもしれない。
最近は開花情報も各地、気温から詳細に情報が出ていて、また日本の桜が人気ということで海外向けに外国語でも開花情報が出されるらしいけど、外国の桜ファン向けというならデータだけでなく言葉も豊富に使ってほしいなあ。
今はたいてい、新聞などの開花情報もつぼみ、咲きはじめ、五分咲き、満開近し、満開、散り初めくらいになってしまったけど、かつてはつぼみ固しに始まり、つぼみふくらむ、ちらほら、三分咲き、5分咲き、満開近し、満開、散り初め、落花盛ん、散りはて、葉桜まであったのだ。もし満開で嵐ならば花吹雪としましょう。
外国語の表現ではどうなるのかわからないけど、このあたりの表現、語彙の豊富さも日本文化の魅力のはずだから、もっと積極的に発信したほうが日本に興味のある外国人には喜ばれるのではないだろうか。
インバウンドの目先の消費ばかりでなく、日本人さえ忘れがちな文化、折々の歳時記にこそ魅力が潜むのだよ。
あるいはもう少し楽しんで開花情報を符丁にするのもいいかもしれない。扇子の開き具合で折々の開花状況を知らせるとかね。
今年は久しぶりにゆっくりとした開花ペースで、その豊かな言葉通りの桜が楽しめる貴重な年になっているのだから。
たぶん、これからは温暖化も進んでゆっくりした季節の変わり目も楽しめなくなりそうだし…。

sakurahousara.jpg

画像は宮部みゆきの時代小説から『桜ほうさら』。
父の汚名をそそぐため江戸に出てきた古橋笙之介はある日、桜の精と見まごうばかりの美しい娘に心奪われるが、娘には秘密があった。また、父の汚名には藩の重大な陰謀が隠されていた。
周りの人々、美しい娘 和香の優しさ、励ましの中で困難を乗り越えていく成長の物語。
さあ、今年も新年度が始まりました。
いろいろたいへんなこともありましょうが、桜を愛でて心豊かに生きていきましょう。
先人たちは桜の楽しみに象徴されるように、華やかに咲き誇ることもはかなく散ることも、またそのあとは力強く芽吹くことも、季節ともに生きてきたのだ。

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

悲しき破壊神 痛みを知ること、痛みという概念
名古屋市で知人女性を殺害し、仙台市で高校の同級生ら2人に劇物の硫酸タリウムを飲ませて殺害しようとしたとして、殺人や殺人未遂などの罪に問われた名古屋大の元女子学生(21)の裁判員裁判の公判が怖ろしい。

放送は終ってしまったけれど、見た目は優しく優秀な美人外科医が実は悪魔のような冷酷で残虐な事件を引き起こしていくという「真昼の悪魔」をちょっと連想してしまいますね。
あるいはやはりフジテレビで放送されたドラマ「無痛」だろうか。
無痛というと、「007シリーズ」にも登場する痛みを感じないやや荒唐無稽な不死身のような怪人を思い出すけど、ドラマ「無痛」がリアルで怖ろしいのは身体的な先天性無痛症であるばかりではなく、なんと痛みという感覚に伴う悲しみ、精神的苦痛などの人間的な感覚・概念すら持ち合わせず理解できないということ。
案の定、病巣を切り取るみたいに無味乾燥に「悪」を切り取ってしまうのだが、人間は善も悪も抱えての存在だからね。
「悪」という判断も、またその対応も葛藤なしではいられず、人は徳を備え、あるいは法を生み出した。
痛みは生命にとってのひとつの叫びでもあるのだろうから、叫びが届かないのは怖ろしく、痛みという感覚、概念がなければ生命のハードルはずいぶん低くなってしまうのかもしれない。
友人さえ実験体に過ぎぬような感覚、モルモットのような観察などはもう常人には理解不能だけど、先天的ともいうべき無痛感覚がそういう思考・行動に至らせたのだろうか。

safurann.jpg

やはりフジの「ON 異常犯罪捜査官 藤堂比奈子」というドラマ似たような感覚があり、このドラマのヒロインもあちらの世界に行く者と留まる者のボーダーを彷徨っていた。
ヒロイン 藤堂比奈子の最後の敵 真壁永久は過度の痛みで、それゆえ「痛み」を知らぬ怪物になってしまった。藤堂比奈子は無垢な迷い人で、はじめて涙を流す(痛み・悲しみを知る)ことでようやく人としての物語がこれから始まったのだけど、このリアルな物語は今のところ過度も痛みもなく「痛み」を知らぬ。
僕も病気を得て身体的にも知覚的にも障害があり、身体の一部は無痛、あるいは鈍麻している。
骨折しようが火傷をしようが神経が遮断されて脳が痛みを感知しないということで、いつかもファンヒーターに足をずっと向けていたら、大きな熱傷の水ぶくれが出来てしまっていた。
痛覚、温・冷覚も悪く、きっと雪原だって「007」の無痛怪人のように裸足で何時間も歩けるかもしれないけれど、凍傷になることに変わりなく、むしろ限界が分からない分、危険なのだ。
しかし身体的「痛み」そのものだけではなく、「痛み」という概念すら持ち合わせず理解できないというのは、それに伴う悲しみや恐れなどの人格形成を歪め、徳を得ることもなく、また無垢であるがゆえに残酷だ。
痛みはほどほどにはたぶん必要なのだ。時に激しく痛んでも。痛みは生きているとの叫びだ。
人は叫び、その叫びを聞き届けなければならないのだ。
過度の痛みもその痛みゆえに人を失わせることがあるけど、痛みを知らぬ者は人をどう生きるのだろう。
それは「精霊の守り人 悲しき破壊神」のテーマでもあった。
画像はサフラン。ほどほどの鎮痛効果がある。
書道 新幹線の旅行
TBS「プレバト!!」やマンガ「とめはねっ! 鈴里高校書道部」などの人気もあって、やはり書道は気になりますね。
「カルテット」で有朱ちゃんを見事に演じていた吉岡里帆もスタジオパークで書道八段という腕前を披露していたけど、いや、字が美しい人はうらやましい。
親の字を見ていて、字なんて大人になれば自然にうまく書けてくるものと子供の頃は思っていたけど、大間違い。
少女マンガも大好きだったせいか、男なのに丸文字風になったりもした。
昔の子供の習い事といえばそろばんか習字だったりしたけれど、今は昔。
ぼくも授業でやったくらいで褒められたことはなかったけど、でも好きだったのだろう。
新聞紙などにいっぱい書いていた覚えがありますね。
俳句の自由句ではないけど、自由に書けるのは楽しい。
でもやはり基本は必要で、その上での自由が楽しく、また美しくなるのだろう。
先日、実家で母と「父さんは字が上手かったよね」などと話していたら、母が何やら箱から大量の習字紙を出してきた。
お稽古ごとの発表会のプログラムの題字やら、なにかと頼まれたらしく、まあ、いろいろとってあること。
聞けば手引書はあったけど習ったことはまったくないという。
僕など「はて、これは?」と浅学菲才で読めもせず意味も分からない。

syodou2.jpg

こんな分かりやすいのもあった。1回くらいは行ったのだろうか、「新幹線の旅行」。
今ならロクに旅行も出来なかった苦労もわかるけど、時は戻らない。
うーむ、「新幹線の旅行」か。

syodou1.jpg

さて、書の達人では政治家の宮沢喜一元首相が有名だけど、記者が「政治家では他に誰が」とたずねたら「副島種臣、犬飼木堂、そして岸さんですかね」と答えた。
「いまの政治家、田中角栄、大平正芳さんらは?」、抑揚のない話し方で宮沢氏は「あなた、あれが書だと?」と答えたという。
宮沢喜一元首相は書の達人にして初代財務相でもあったけど、「財務省」の看板の揮毫は断ってしまった。
今の「財務省」の文字はコンピュータ作成によるものらしく、いやあ、達人はかくあるのか。
勝手に載せてしまって、父は怒るだろうか。まあ、母がどうぞってことだったので。

テーマ:習い事 - ジャンル:学校・教育

半分、青い。青春の坂道
NHKは22日、東京・渋谷の同局で会見し、2018年度前期の連続テレビ小説が、北川悦吏子さん(55)原作の「半分、青い。」に決まったことを発表した。北川さんが朝ドラを手がけるのは今回が初めて。今秋にクランクインし、放送予定は18年4月2日から9月29日。北川さんは、社会現象を巻き起こした木村拓哉主演の「ロングバケーション」をはじめ、「ビューティフルライフ」「オレンジデイズ」「愛していると言ってくれ」など多くの大ヒットドラマを手がける人気脚本家。
 「半分、青い。」は、高度経済成長期の終わり、1971年に岐阜県東濃地方に生まれ、子供のころに病気で左耳を失調したヒロイン・鈴愛(すずめ)が主人公。バブル期に上京するものの、夢破れ、シングルマザーとなって故郷にも戻り、失敗を繰り返しながら困難を乗り越え、生き抜いていく物語。(デイリースポーツ)

ここ岐阜ではやはり朝ドラに日本人女性初金メダリスト前畑秀子を推す運動もあったから「半分、青い。」が決まって複雑な思いの人もいるかもしれない。東京オリンピックを前にしてのタイミングでもあったからなあ。
ちなみに大河ドラマもという声もあって、岐阜だと信長、光秀あたりになるけど、「へうげもの」古田 織部もありかな。
現代に近くなれば杉原千畝や佐橋滋ってのもあるかもしれない。それはともかく。
「半分、青い。」の脚本家は北川悦吏子(岐阜県出身)で小説家でもあるけど、なんといっても岐阜は小説家の宝庫なのだ。
池井戸潤、米澤穂信、冲方丁、奥田英朗、堀江敏幸、小川一水、朝井リョウ、中山七里 …、ベストセラー作家、純文学、エンタテインメント、ミステリー、SFなどが多士済々。

okadanana.jpg

岐阜出身イケメン俳優も多いから(綾野剛、伊藤英明、岡田義徳、平山浩行など)、すべて岐阜尽くしのドラマ、映画作りも夢じゃないのだよ。
あとは女優だけど、これはいまだに岡田奈々(AKB48ではない)を越えることはできない!?
「俺たちの旅」の女子高生姿が眩しかったなあ。
なかでも22話「少女はせつなく恋を知るのです」は彼女のためのオリジナルエピソードで、彼女のヒット曲「青春の坂道」も歌われた。
画像の岡田奈々主演「青春の構図」の原作は曽野綾子。
三人の女子大生が、スポーツに、恋に、ライバル意識を燃やしながら少女から大人へと成長していく様を描いた至極まっとうな青春映画ですね。バスケットというのが当時としては珍しいかもしれない。

seisyunnnokouzu.jpg


「青春の坂道」ならまだ口ずさめます。

寂しくなると訪ねる坂道の古本屋 立ち読みをするキミに逢える気がして~

古本屋で立ち読みする姿は見たことがないけど、学生の頃、新岐阜駅各務原線のホームで制服姿の岡田奈々を見たような記憶があるのはまさに青春の幻だろうか。

青春は長い坂を上るようです 誰でも息をきらし一人立ち止まる
そんなときキミの手の優しさに包まれて 気持ちよく泣けたなら幸せでしょうね…

朝ドラ 「半分、青い。」に出てくれないだろうか。「青春の坂道」もオープニング主題歌に使えそうじゃないですか!?