理系・文系を重ねて見る光景は
カルテット 行間を読む
今冬シーズンドラマも「東京タラレバ娘」「就活家族」「スーパーサラリーマン左江内氏」「お母さん、娘をやめていいですか?」など、なかなかにバラエティに富んでの力作ぞろいです。
月9の「突然ですが、明日結婚します」もバタバタらしかったらしいけど、かえって新鮮でいいかもしれない。
でもまあ、TBSのドラマ「カルテット」がさすがですね。会話のやり取りが面白くて二度見したくなりますね。
けっこう、言葉が過剰だったりするのに行間を読むたくなるのは、真実を覆い隠そうとするから言葉が多くなるのか、行間を際立たせようとあえて言葉が多くなるのだろうか。
揃いもそろって曲者でオタクのような人たちではあるけど、エンディングのようにまた妖しく美しい大人の人でもあるからなあ。
行間もうまく理解できて使いこなせたり、たとえ間違っても慌てることもないのだろう。

以前にも書いたのだが、学生時代、冬休みにガラにもなく友人たちと柄にもなくスキーに行ったことがある。
大雪となりリフトも止まり、ほぼ旅館に閉じ込められた。
小さな旅館でほかには二人の若い女性客がいるだけで、なんとはなしに彼女たちも交えて卓球をしたりして遊んだ。
こんな偶然がなければ巡り合わなかっただろう、奇跡。帰りも途中までは一緒に列車に並んで乗ったのだ。
数か月後、その一人の彼女から岐阜に行くので会いませんかと連絡があり、喜んだ僕は一緒に出迎えてあげようと友人にも連絡を取った。
その日は楽しく遊んだはずだけど、少し名残惜しそうな彼女を東京に送り出した後、友人の彼が言った。
「彼女、君に会いに来たのじゃないか」
「え?」

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僕も友人たちもことあるごとに彼女ができることを欲してきたけど、いざチャンスが来ても気づきもしない。
もう連絡が来ることはなく、僕はまた妄想のなかにもぐりこんでしまった。
「タッチ」(あだち充)で行間を読んで来たはずなのになあ。
妄想は現実のシュミレーションにはならず。
「われわれの日常の90%は頭の中で起こっている」(森見登美彦「太陽の塔」)とは、まさにその通り。
それにしてもあんなスリリングな大人の恋愛って。やっぱりもぐりこんでしまうか。
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テーマ:テレビドラマ - ジャンル:テレビ・ラジオ

スロー・サイエンス、スロー・ビジネスに尊敬を
子供の頃から膨大で多様な情報のなかにいると、たしかに一見個性豊か、十人十色ではなく一人十色ともなりそうで、恐るべきオタクが生まれそうな一方、表層的にもなりそうで、最近は実際、ずいぶんライトなオタクも増えてきた。
情報があふれる中ではオタクですらゆっくり吟味し、じっくり埋没する暇もない。
社会に出る前までの学生時代がそういう時間に追われない自由があったはずなのだけど。
さて、そんな若者を労働市場にどう適応させるかが大きな課題だけど、一方で教育の現場では労働市場の要請からどの程度独立出来るかが課題としたのは大澤真幸京都大大学院教授。
国立大学は独立行政法人になったのだけど、いわば一部民営化されて、短期的に成果が上がり、収益に繋がる実学が優先され、文系やスロー・サイエンス(長期的熟成を要する基礎学問)が金銭や人事などさまざまに不利な扱いを受けてしまう危険が潜む、というかすでに軽視されつつある。
これはまさにノーベル賞を受賞した大隅さんが繰り返し語った短期的な成果に直結しない基礎科学を追究する科学的精神の重要さ、そして、それがなかなか許されなくなっている社会への憂いそのものが証明していますね。

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理系大学の最大の存在意義は、スロー・サイエンスの探求の場であること。
目先の利益など市場の要請よりもはるかな未来を遠望するものであればこそ、人類の希望ともなるノーベル賞も受賞出来たのに、今や大学は生き残りをかけて目先の実学ばかりとなるのかもしれない。
企業はそうとばかりとは言っていられないけど、それでも短期的な収益ばかり追っていたら、危ういトランプビジネスのようにもなりかねない!?
僕は天文が好きなのだが、以前に巨大レンズを受注したキヤノンオプトロンのニュースが面白かった。
~キヤノンオプトロンは100億光年離れた星の光も分析できる天体望遠鏡用の巨大なレンズを製作した。ガラスより高性能な蛍石製で1枚が直径40センチ、重さ20キロ。地球から見た様々な銀河の分布を示す宇宙地図を作成するのに使用されるもので、米スミソニアン天文台から1991年に受注、15年かけて完全納品した。従来のガラスレンズでは20億光年までしか分析できず、要望に応えるために蛍石レンズとなったが通常は大きくても25センチ前後、大きいほど製造が困難なため受注する会社がなく同社が引き受けた~
蛍石のかけらを溶かす専用の大型電気炉の導入から始めたというからすごい。
生産性や効率性のみの収益を得る事業が脚光を浴びるなかで、やはり地道な製造業はえらいなあ。
それにしてもレンズに15年ですよ。
さすがに天文学、発注する学者も受注する企業も揺らぐことのない天文学的時系列で動いてる?
科学の真摯で深遠な発展はこういうところに支えられているのだ。
もちろんスローばかりがいいわけでないけど、スロー・サイエンス、スロー・ビジネスには、尊敬をこめるというか誇りを持たないとなあ。
まあ、僕のように大学はモラトリアム期間などと能天気に過ごすのもどうかと思うけど、高校・大学はもちろん、小学生からあまりに具体的な目標に突き進むのもどうですかね。まだまだ夢の途中であってもいいのではないかなあ。

テーマ:ニュース・社会 - ジャンル:ニュース

「大人の科学」より、カエデドローン
学研の「学習」と「科学」もなくなってしまったけれど、今あるのは「大人の科学」。
「学習」と「科学」が休刊となったおりには学研幹部は今の子ども事情を「ゲームやインターネットの普及で子どもが求める情報が細分化。趣味の多様化も進み、男女を分けずに学年で分ける「学年別学習誌」はもはや、時代の変化に合致しない存在となっていたとし、いまや十人十色ではなく一人十色だ」とも。
僕の子供のころは、ほぼ全員というほどクラスのみんなが「学習」か「科学」のどちらかを買っていた。
「学習」がおそらく先に創刊されていて、「科学」が発売されると圧倒的に競って「科学」に流れてしまい、「学習」派はクラスで僕を含めて二人きりになってしまった。

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実は僕も「科学」の実験付録などにずっと惹かれたけど、流されるように変えるのも癪だし、もう一人の憧れの彼女は毅然として「学習」を変えることはなく、僕は心ひそかに忠誠を誓った?
どうも子供のころから下らないことに限って頑張る体質なのだね。
そして肝心なことには頑張れないのだ。
一人十色もいいけど、多様なことはいいけれど、子供の頃はまず基礎づくりでもあるからなあ。
ほんとうに好きなものなのかどうか。好きでなくてもいいけど、自分の意志なのかどうか。
情報に踊らされるばかりではこんなささやかな思い出も作れないぞ。いらないってか?
妄想より、リア充だものな。
でも、「逃げ恥」だって妄想の果てに得られたもの。現実にはオーバー・ザ・レインボーだとしても。
我らが妄想恋愛小説?の権化「夜は短し歩けよ乙女」(森見登美彦)もいよいよアニメ映画化ですね。
主人公の声優を務めるのは「逃げ恥」の星野源。

画像は「大人の科学」より、カエデドローン、わずか10グラムほどでこんな片羽でも飛ぶんだね。
久しぶりに買ってしまった。虹の彼方に飛んでいくか?
紅白は年の終わりの大祝祭
小倉智昭が紅白演出バッサリ「質が落ちてるんだよ」。
内田裕也「マジかよ、NHK?」紅白演出を痛烈批判 。
伊集院光「スベっていた」紅白歌合戦をバッサリ 。
劇作家の鴻上尚史の「人間の生理を完全に無視している」と年末の紅白批判が相次ぎましたね。
僕も武田アナなんかいいのだろうかと、どきどきしたけど、まあ、お祭りだからね。
僕は子供の頃から、紅白の気恥ずかしいような演出が不思議で仕方がなく、今になってようやく、あの不思議なお祭り感が理解できた気分だったけど、いやいや、ずいぶん年配の人からも批判が出てしまった。
祭りって子供も楽しいけれど、ほんとうは大人にしかわからぬ部分もたぶん多いはずだった。
少し違うけど、やはり年末恒例の「レコード大賞」は今も不思議な受賞が続くけど、子供の僕には大賞受賞曲のよさがわからないものもずいぶんあった。
いちばんの典型は佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」で、一度もいいと思ったことはなく、何でこれがレコード大賞なんだと思っていた。
でも大人になって(しかも50も過ぎてだよ)、ある日ふと耳にすれば、実に彼女にあったいい歌だった。
詩も曲も歌声も、数多くの希望、勇気、愛…それに伴う困難や悲しみ、そのすべてを諦めたような歌と歌声。
子供に分かるわけがない。もしかしたら大人だって永遠に分からないような詩とそれを体現する佐良直美の歌声なのだ。
簡潔な詩に無限の虚ろが漂っている。
抜群の歌唱力を携えながら、なんの抑揚もなく歌う「いいじゃないの幸せならば」、すごい歌なのだったと。

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大人の歌は、祭りはかくも奥深いものだなあと。いや、昔の大人や祭りというべきか。
せっかくの非日常たる祝祭を日常性のなかでの質や生理で考えるなという気もする。
紅白でもアイドルなど子供ような子たちが歌だけでなく、ずいぶんな応援に駆り出されるけど、あれも子供みこしなどよく意味の分からぬままに参加させられるのに似ていて、やっぱり祭りの気分。
紅組の司会は有村架純だったけれど、綾瀬はるかという声も繰り返し上がるのは彼女の持つ祝祭感と言われれば思わずなるほどなあと。祝祭感なのだ、あの不思議な幸福感は。
有村架純ちゃんもよかったけどね。
少女小説作家の氷室冴子は「女の子はただいるだけで祝福される存在と考えていた」というけど、思いもよらぬ逆転勝ちも紅組ならまあいいかなと。祝福、祝祭だよ。
さあ、祝祭感漂う、かの人綾瀬はるかの「精霊の守り人」セカンドシーズンもいよいよ始まった。

テーマ:J−POP - ジャンル:音楽

大雪は出来る限りやり過ごす
先日はここ岐阜や名古屋、広島でも雪が積もり、今日あたりはまた広く太平洋側でも雪の可能性があったりしますが、都会で雪が降ると必ず言われるのが、都会の雪に対するインフラの弱さ、遅れ。
雪国ではどうという雪でもないのに大騒ぎになってしまうのは雪への対応、インフラが出来ていないというのだけど、ほんとうだろか。心構えだけの問題のような気もするなあ。
まあ、地震でも噴火でも、台風でもなく、たかがといってはいけないかもしれないけど大雪ですからね。
しかも雪国ほどの大雪には程遠い。
他の天災と違い、大雪や積雪そのものでは生命が脅かされることはまずない。
もちろん、それに付随することでの被害は生命も含めてあるし、何らかの対応は必要だけど、都市部の雪ってどうだろうか。

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そもそも雪国がさほど大騒ぎにならないのは特別にインフラが整っているのではなく、冬の大雪は当たり前のものとしてあるがままに受け入れ、春を待つようにやり過ごしてきたからだ。
かつては冬に備えて塩漬け、乾燥食品の用意をしたり、働き手は雪のない都会に出稼ぎに出掛けたように。
ひたすら冬は冬として、雪は雪国としてやり過ごしたのだ。
せいぜい生活の知恵の蓄積であって、さして雪へのインフラがあったというわけではないだろう。
ましてや都会の大雪などはせいぜい1日や2日、家でのんびりやり過ごせば、いやでも慌ただしい日常がすぐに帰ってくるのに。
出来るだけやり過ごすということでもかなり多くの障害は解消されるだろうになあ。
自然にただ寄り添うということもたまにはいいのでは。雪の風情を楽しむのもいいのでは。
そうでなくても僕たちにはすぐにでも脅かすような災害が待ち受けているのだ。
まずはその対応でしょう。
地震、噴火、台風、津波などはやり過ごすことはできず、それに付随する危険もいっぱいあるのだから。

テーマ:自然科学 - ジャンル:学問・文化・芸術

雪の手紙
ようやく、ここ岐阜でも積雪があった。およそ、10センチほどの積雪だった。
今冬、最強の寒波で、夜の間に積もったというのに、べた雪というほどではないけど重く湿った雪だった。
僕の子供の頃は暖冬もあったけど、やはり今よりはずいぶん寒さが厳しかった。
厳冬だった頃の雪は降雪量の多いのはもちろん、さらさらの粉雪で、手を空に向かって差し伸べると手のひらにきれいな結晶がそのままにふわふわと降りて、体温ですぐに融ける様が美しかった。
手袋でもしていれば結晶のままに積み重なり、息を吹き書ければまた結晶のままに舞うのだ。
中谷宇吉郎先生の「雪は空からの手紙である」というのはこういう雪をいうのだろうなあ。
ベタ雪も空からの手紙にはちがいないけど、あまりロマンチックではない。
まあ、降雪の多い雪国では日々の雪かき、雪下ろしなどロマンチックどころではないのだけど。
いずれにしても日本では古今、多くの空からの手紙、雪が和歌、俳句、歌などに詠まれてきた。
現代の名曲「なごり雪」は雪深い北国?から都会に向かう女性を切なく見送るばかりの歌で、「落ちては融ける雪を見ていた」とはなごり雪のゆえで、真冬であればホームに落ちた雪は結晶が風に転がり、壊れても融けることなくそのまま積もっていき、まだ見送ることなく間に合ったかも知れず、またアニメ「秒速5センチメートル」は雪のシーンが限りなく美しいけど、そこに流れる歌が「ただ生活をしているだけで、哀しみはそこここにつもる。陽に乾したシーツにも、洗面所の歯ブラシにも、ケータイ電話の履歴にも」とは、北国に当たり前に積もる雪のような日常にある切なさでありますね。
雪を歌う、雪を描く作品は多く、雪の手紙の読み手は今もかくも多い。

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雪の歌ではないけど「冬の星座」もいい。

木枯しとだえて さゆる空より 地上に降りしく 奇(くす)しき光よ
ものみないこえる しじまの中に きらめき揺れつつ 星座はめぐる

たしかに降りしきった雪のあと、雪雲が切れて、夜にさあっと広がる空は澄み渡り、いつもはきらめく星の光も収斂し、夜の空に光の粒のように満天に輝く。
ささやかな声や音さえも厚く積もった雪に吸い込まれ、夜のしじまが訪れる。
まあ、そんな雪の夜も地球温暖化と、生活の24時間化でなくなってしまいそうだなあ。
これもまた、天から贈られた雪の手紙。あなたは読んでいますか?

雪の手紙/片平孝
「雪は天から贈られた手紙」と言われるように、雪の結晶で上空の気象状況が分かる。
降る雪積もる雪様々な姿を見せてくれる一冊。
雪の造形(降雪;冠雪;着雪;雪球;雪捲り;雪紐;雪輪;巻き垂れ;雪崩;風雪模様;融雪模様;虫眼鏡の中の雪);氷の造形(氷紋;結氷・針状結晶;鏡氷;御神渡り;飛沫水;氷柱;霜柱;氷河;霜;ダイヤモンドダスト・霧氷;粗氷;樹氷)
青春はキケンな香り、夢の香り
高専男子のロボコンなどを見てると、やっぱり理系男子(最近は理系女子も多い)の情熱は熱い。
映画「遠い空の向こうに」のロケットボーイのようにちょっと間違うと誤解や危険と隣り合わせだったりしますが。
地元各務原市には川崎重工業をはじめ航空宇宙関連企業が多く、岐阜県全体でも全国二位の約五十社の航空宇宙関連企業があるらしく、そのなかで岐阜工業高校はすでに航空宇宙産業教育の中核拠点と位置づけられていて、2018年度からはさらに航空宇宙産業の教育に特化した学科を新設する方針を固めたという。
昨日はJAXAが内之浦宇宙空間観測所から小型ロケット「SS-520」4号機、別名電柱ロケットを打ち上げたけど、なにしろ全長9.54メートル、重量2.6トン、直径に至っては52センチとまさに電柱サイズ。
この電柱ロケット、発射台を見ると傾斜角がついていて、ラムダロケット?の頃を思い出し、まさにペンシルロケット以来の伝統を引き継ぐものだと思っていたら、失敗してしまった。
あのころもよく失敗があってがっかりしたのだが、そこまでは似なくてもよかったのに。
でもまあ、今の大型ロケットの成功率の高さも試行錯誤や失敗の積み重ねがあり、これからは小型ロケットなど、さまざまなロケットの需要も増えて、岐阜からそんな失敗や疑問を越えていくロケット少年・少女が続々と生まれる日も近いのかもしれない。

さて、自衛隊マニアでもある?有川浩の「キケン」というのがあって、危険な奴らが巻き起こす、熱血(?)青春(??)物語。
えっ、理系男子って皆こんなにアブナイの?――― 成南電気工科大学にある、「機械制御研究部」なるサークル。ここは、その活動における様々な伝説や破壊的行為から、「キケン」と称され、忌み畏れられていた。「キケン」はまさしく、危険人物に率いられた特殊集団であり、犯罪スレスレの「実験」を行うことすら日常であった。これは、その黄金時代を描いた物語である…。
理系少年・少女は実験室で宇宙さえ作っちゃうからなあ(神様のパズル)。

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いやいや、理系だけではないぞ、妄想系・文系男子もキケンです。
科学的真実の追究、あるいは好奇心の前に立ちふさがるものなど、なにもないのが青春。

電車の線路に耳を当てて音を聞いていたこと、傘の柄に2B弾を仕込んで発射実験を行なったこと、台風の時、風呂敷を広げて堤防を駆け降り飛んだこと、梵鐘を揺らそうと1日中念じたこと、地図帳で世界制覇を目論んだこと、天気図で超巨大台風を上陸させ日本列島を縦断させたこと、静電気発生器で金魚の蘇生を試みたこと、チャンバラ好きが高じて秘剣 位相微塵斬りを編み出したこと、砲丸投げの真似をして大石を投げ、便所の換気塔を壊したこと、急坂のギリギリで自転車のブレーキをかけて、ブレーキのゴムが吹っ飛んで田んぼに突っ込んだこと…(理系・文系でもなんでもないただのバカです)。
あーあ、妄想・実行を繰り返したのであった。

振り返れば、かくも自分の青春はバカで危険だった。「遠い空の向こうに」のロケットボーイとはちがうな、やっぱり。
日本のロケット・ボーイ、ロケット・ガールはいかに。ちょっとキケンで夢の香りの宇宙の空。
「べっぴんさん」のさくらちゃんも青春の危険な香りをただいま通過中。
抜け道、過疎狙う 「理想郷・まちおこし」の甘い誘惑
厚生労働省が大麻の栽培許可の申請に監視を強めている。栽培はしめ縄などの原料にする大麻草農家に限って認められているが、過疎に悩む自治体に「町おこしになる」と持ち掛けて新たに許可を得ようとする動きが各地で見られるためだ。10月には栽培業者が大麻を吸引していたことが判明して逮捕される事件も起き、同省は小冊子などで自治体に「甘言に乗らないで」と呼び掛けている。(毎日新聞)

以前はカルトみたいな閉鎖集団が怪しかったけど、今は新手の限界集落狙いも出てきた。
僕はSFやミステリーの読みすぎのせいか、平家の落人伝説、異形の町、瀬ぶりの民などを勝手に想像し、知らない町や村が怖くて足早に通り過ぎてしまったりしたけど、リアルで怖いとなってしまうな。
とにもかくにも人がそれなりに住んでいたところで、人目がなく、移住も歓迎されるとなれば、ある種目的を持った怪しげな連中の格好の標的となってもおかしくはない。
なんて思っていたら、テレ朝「相棒元旦SP 帰還~」はそんな町の再生に付け込むような、あるいは宗教的な、権力の監視、ゲーム的快楽者など盛りだくさんの怖ろしいミステリーでしたね。
やはり理想郷を掲げるほどに、その理想や正義ゆえに見間違うことがあるように思うなあ。
杉下右京が言うように「彼女を一人にしないこと、正義よりも大事な事です」というように大義よりも身近な愛。
大層な理想郷より平凡でもありきたりの日常のある暮らしがまず根幹なのだ。
それが守られてこその町おこし、発展なのだろう。

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しかし、地球での人口爆発・資源枯渇などの対策でガンダムのようなスペースコロニーも提案されたけど、少子化・高齢化の日本では限界集落がスペースコロニー的な場にもなりますね。
やや既成の社会に違和感や疲労、あるいは反発を覚えた人たちだったりもするだろうから、「ガンダム」のジオン公国のように既存の権威に対抗すべくようなコロニーが生まれてこないとも限らないから意外に行政府、既存の市民からの監視の目は厳しいかもしれない。
町にはあらゆるところに監視カメラ、衛星からの監視、位置情報も把握され、どこもかも落ちつかなくなってしまったけれど、安心の代償というべきか。まあ、安心というわけでもないけどなあ。

伝統的な共同体の絆を断ち、自由を得たがゆえに、不安や孤独にさいなまれ、結局は新たな安定を求めて「権威」に縋りつく(「自由からの逃走」エーリッヒ・フロム)。
「愚かな人たちは、ひとつの極端から解放されると、その反対のいっそう悪質な極端に走ろうとする」(ホレース)

自由、解放を得たあとこそがいちばん大切なのだろう。
画像は「月刊ヴューズ」特集記事。まあ、僕はあまり旅にも出なくて本や雑誌、映画やマンガなどから知識に過ぎないんだけど。

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

正しいケンカの仕方、不良と非行の違いとは?
相変わらず虐めはなくならないし、陰惨なものも増えてきているような気がするけど、実際はどうなのだろうか。
あまり、昔を懐かしむのもいけないけど、虐めの構図はもう少しわかりやすかったような気がします。
たまたま、映画「パッチギ」をまた見てしまったけど、あれはやはり井筒和幸監督最大の傑作ですかね。
井筒監督には「岸和田少年愚連隊 」というやはり不良ものがあって、1970年代の不良のあり方を教えてくれます。
さて、不良と非行の違いって、パッと言えますか?
「10人相手に一人でけんかしに行くんが不良、一人相手に10人で行くんが非行」と分かりやすく教えてくれるのが、「シックスポケッツ・チルドレン」(中場利一著、「岸和田少年愚連隊 」の著者)、さらに続けて「それを見てんのが金持ち」といささか類型に過ぎるけど明快です。

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考えてみれば映画やマンガなども、かつては大人の道徳観からみれば不良だった。
市民権を得たのはまだ最近だし、一部ダークな部分もあって何かがあれば標的にされたりします。
子供のものだからといって無垢なものにはならないし、人間の影の側面も描かなければつまらないに決まっている。
非行の排除に当たって不良的なものも一緒に論じられ、同じように括られ、排除されることにはなにか危険な匂いも感じますね。
映画やマンガのヒーローって様々な形があっても基本的には不良でしょう!?
でも決して卑怯なことはしないというのが、日本の少年マンガ(正義と勇気と友情)の基本です。
ちょっと前のベストセラー藤原正彦の「国家の品格」も結局は卑怯なことをするなということだと思うけど、いちばん強く教えてきたのは文科省や先生でもなく、少年マンガ雑誌だったのではないかなあ。
ニューミュージック以前のフォークや、かつての映画に、文学に、新聞すらも不良の匂いがしたけど、今、不良の匂いのするものは減ってしまった。
非行とともに捨てられてしまったこともあるのだろう。
だけどか、だからかわからないけど、非行、いじめはなくならない。

テーマ:ニュース・社会 - ジャンル:ニュース

西の魔女が死んだ
少し前、深夜にやっていたのは映画「西の魔女が死んだ」。
主演はサチ・パーカーで、母はかの名女優シャーリー・マクレーン。
シャーリー・マクレーンが映画「愛と追憶の日々」でアカデミー主演女優賞を受賞したのは1983年で、娘のサチ・パーカーは1956年生まれというから、このとき27歳ということになりますね。
親娘2代にわたっての親日家らしく、サチ・パーカーは幼少時代を日本で過ごした。
だからこの「西の魔女が死んだ」はまさに適役だったのだろう。

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サチ・パーカーによればハリウッドのトップ女優だった母 シャーリー・マクレーンは忙しく、この映画のもうひとりのヒロインの少女にその孤独を重ねたという。
登校拒否だった孤独な少女が魔女に自然にゆっくり癒されていくように、自らも少女時代を重ねることで、もう一度やり直すような気持ちだったと。
実は誰もがそうであるように孤独で寂しかったのだ。
人は一人では生きられない。人は一人では人として生きられないのだろう。
心残りな別れの夏となったけど、こどもの頃はなかなか寛容になれないものなのだ。
でもちゃんと西の魔女は約束どおり、優しいメッセージを残してくれたのだった。

テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

配送の中の魑魅魍魎
「佐川急便」(本社・京都市)の男性従業員が荷物を放り投げたり、たたきつけたりしている様子を撮影した動画がインターネット上に投稿され、同社が事実関係を認めた。同社の調査に対し、従業員は「いろいろなことでいらいらが募っていた。反省している」と話しているという。(朝日新聞デジタル)

もちろん、論外なのだが大手通販各社の即日配送、一部送料無料などのサービスを思うと、実際、配送を請け負う配送会社というか、配達人は大変なのだろうなあ。
無駄を省くというのではなく、本来、物理的にコストや時間がかかるものまで極力省こうというのはやはり無理があって、どこかにコストや時間、あるいは同等のエネルギーに変換されたものが付け替えられているのに違いない。
再配送なども2重3重の手間暇で、指定の時間に行ってもいないこともあるらしいからサービスの範疇を越えていると思うなあ。
もう、受け手である僕たちもそういうサービスに相当慣れてしまったから、当たり前のようになって、なにものかに変換されたコストや時間、あるいは感謝を忘れてしまっている。
不要不急なものまで乗っかって行ってしまっているから、そういう区別、判断までわからなくなってしまった。
以前に金融市場を大きく揺るがせたものに米国のサブプライム問題というのがあったけど、あれも金融工学を駆使してリスクヘッジなどしたはずなのに、もう、あまりに複雑で損失がどこで発生し、どれくらいなのかよくわからなくなってしまったように。
また遺伝子組み換え技術が安全を確保しつつといいながら、もう食物連鎖のなかに組み込まれて、あらゆる異変を内在してしまったのではないかと思うような怪しい感じもしますね。
金融工学は経済学・工学・数学などノーベル賞学者が作り上げたらしいけど、やはり人間のやること、経済でも社会でも数理的にコントロールなど出来ないのだ。おそらく遺伝子工学も。
ましてやどれだけ機械化してもあちこちで人の手がかかる配送であり、人という変数を置く限り予想通りにはならない。
コストや時間のかかったものが無料や安価に提供されることがあっても、宣伝費等有形無形のところで必ず費用回収はされ、代価は誰かが払っており、払われていなければそれは怒りや破壊衝動に変換されているのかもしれず、無料や安価で得た人たちもいずれ無関係ではいられないはずなのだ。
地球温暖化対策も宇宙・地球というシステムがよくわかっていない以上、実は何がよいのか多くはまだわからない。
だから何もやらなくていうというのではなく、地道でも分っていることを確実にやることが大切なのだ。
まあ、なんにしろ錬金術のような都合のいいものはない。

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ぼくは数学も物理も経済も苦手で妄想の域を出ないかもしれないけど、星新一「おーい、出てこい」で教わったのだ。
プリンセスメゾンな高橋一生
まあ、あの「逃げるは恥だが役に立つ」の最終回と被っていたし、毎度おなじみのようなクリスマススペシャルドラマとあったから、見過ごした人が多いだろう「わたしに運命の恋なんてありえないって思ってた」だけど、多部未華子と高橋一生のラブコメディーとあれば見ないわけにはいかない。
王道のラブコメディ、サービスも満点で楽しかった。「月9」もこれでいいのになあ。

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しかし多部未華子はもう堂々たる主演・ヒロイン女優だけど、高橋一生もいよいよクセのある2番手から主演俳優の仲間入りですね。
もっとも、この人主演もいいけど、2番手あたりにあってきらり輝く個性がなんとも言えませんからね。
「民王」の敏腕?秘書、「グ・ラ・メ!〜総理の料理番」の凄腕料理長、「僕のヤバイ妻」の怪しい隣人とか、高橋一生のフィルターがかかると、なんというか。
やはりBSプレミアムドラマ「プリンセスメゾン」も、まさにそういう役どころで、まあ、「プリンセスメゾン」自体が散文詩のようなドラマで、テレビドラマ的な物語性とはちょっとちがうけど、これもなんというか「あの感じ」が好きという人も少なからずいるのでしょう。
そして、また「あの感じ」にもよく似合うのが高橋一生です。
そして、1月には新ドラマ「カルテット」が始まりますね。
怖いほど個性豊かな松たか子、満島ひかり、松田龍平、そこに高橋一生が加わって、どんな四重奏を奏でてくれるのだろうか。
脚本は「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」の記憶も鮮やかな坂元裕二だけど、やっぱりこのドラマでも「いい感じ」で出ていたなあ。
多部未華子ちゃんの「視覚探偵 日暮旅人」(主演 松坂桃李)も連ドラとなって、こちらも楽しみです。

テーマ:俳優 - ジャンル:テレビ・ラジオ

明けましておめでとうございます。さて、あなたの今年の初夢は?
明けましておめでとうございます。
去年も最後の最後まで様々な災害が日本列島を襲いましたが、今年は穏やかな年になるといいですね。
さて、危機といえば天災だけではなく、文学など教養の危機も同様ですね。
東日本大震災のような災害の前に科学はよくも悪くも生きるものではあるけど、文学や芸術は何が出来るのか。
大学においても実学が重きをなし、教養課程や文学部などの存在が薄くなっているのもそうで、実学はたしかに形となって人の役に立ちますからね。
人が人たる所以は生存のため行為を超えることに意味を見出すことで、それを知るのが文学や芸術や哲学であるとも思うけど、近代化はかたや生存をたやすくし、かえって動物化を促すような気がしないでもない。
一説によれば動物というかペットの幸せ感というのは日常の永遠の繰り返しらしいけど、たとえば人にとってもゲーム的快楽は動物的な幸せ感に近いのだろうか。
文学においても教養小説的な意義は失われ、快楽的な面白さの物語がより好まれていく。

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「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」のラムが求めたのも楽しき日常の永遠の繰り返し。
でも、あの諸星あたるでさえ、その繰り返しには耐えられない。
人間は常に成長・進歩を求めるが故に、永遠に安息を得ることはない。
だから、そんなものは夢だけにしておけというのが名作「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」だけど、さて、あなたの今年の初夢は?
一姫二太郎三なすび、じゃなかった一富士二鷹三なすびといきたいものですが。