理系・文系を重ねて見る光景は
言葉の霊力 「天城越え」から「ベスト・フレンド」へ
今年、最後の更新です。今年もいろいろあって、最後に来たのがSMAPの解散。
何も語ることはなかったけど、言葉を飾ってもいけないだろうし、正直に語っても伝わらないこともあるだろう。
下手をすれば悪口とも受け止められかねない。
言葉は受け取り方次第で思いとずれてしまうこともあるからなあ。
昨今のいじめ問題でも分かるように言葉は必ずしも悪口のつもりでなくても、場合によっては怖ろしいほどに相手を傷つけます。
といっても、どんな人でも時には悪口ほどでなくても軽口くらいは言うことはありますね。
「悪口という文化」(山本幸司著 平凡社)は、そんな悪口にも社会生活を営むうえで有効な場合もあることを示します。
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たとえば煩雑な人間関係によって生じる葛藤や悶着がもたらすストレスやフラストレーションが高じ、社会的に集団化すると体制、社会が崩壊しかねず、そこで解決策として悪口祭り、悪態祭り、歌喧嘩などの祭礼やイベントを通して、ことを丸く収めようとして自然発生的に編み出され制度化したものが「悪口という文化」(中日新聞 金田久樟 民俗学者)という説もあるらしいのだ。
あまたな不正が儀礼的な規制の下で暴かれ、悪口をもって糾弾され、是正がはかられ、やがては和解が成立するのだという。
まあ、あまり気持ちのいい制度ではないけど、まあ、吊し上げのような記者会見などを見るとそんなような気もしてきます。
また悪口は廉恥心と深く関わり、呪詛の言葉の霊力が古代における歌の発生を促したという。
なるほど、石川さゆりの「天城越え」って怖ろしい歌だなあと思っていたけど、まさに呪詛の歌でもあったのか。
演歌は日本古来の歌の原点を引き継ぐものでもあった。
SMAPの「ベスト・フレンド」は廉恥心、日本に連綿と連なるそれらを昇華したひとつの歌なのかもしれない。
紅白歌合戦もこの1年を丸く収めようとする祝祭なのだけど、まあ、こんなときもあるさ。
悪口が多様性文化の保証であり、知恵であるとするなら「言葉の空虚な美化」は文化としての悪口をなくしてしまうかもしれない。
すでにパソコンでは差別語が知らぬ間に消されてしまっている。
悪口を勧めているのではなくて廉恥心と深く関わりがあり、文化の多様性を認めていくなら、やはり心に留め置くべきだろうし、そうでなければ歌にも文化にもならない救いようのない悪罵となってしまうのだ、たぶん。
また、長くなってしまったな。それでは皆様、よいお年を。
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3.9+5.1=9.0は減点対象か、その答えの意味するところは
Twitterに投稿された「3.9+5.1=9.0」が減点されていたとする画像が話題になりました。画像では「.0」の部分が斜線で消されており、正しい解答は小数点の付かない「9」とされていました。これについては脳科学者の茂木健一郎さんも「虐待である」としてブログで抗議するなど物議を醸しましたが、そもそもなぜこの計算が減点されてしまうのでしょうか。文部科学省に見解を聞いてみました。
このことに関して文科省は「基本的には『9』と『9.0』は同じと考えている」「『.0』を付けてはいけないというルールは学習指導要領にはなく、文科省が指示しているものではない」と説明しており、斜線で消すというルールについては「教科書にはそうするように書かれている」とのこと。しかし「『.0』を書いた場合減点するよう指導しているわけではない」と語っており、特に明確な基準の下で減点対象とされているわけではないそうです。(ねとらぼ)

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もう小学校からずっと数学に悩まされた者としてはつい目が行ってしまう記事です。
しかし、明確に成り立つべく数学にかくも人間の判断の余地があることにはちょっとなんだともうれしくもあるような。
思い出したのは少し前にこのブログで紹介した「数学の中の人生」という森田真生さん(数学者)の中日新聞に寄せられ文章。
一部、以前に書いた「数学 わかりたい対象に共感し、心を通わせあうこと」のブログ記事の再掲になります。

(略)デカルトは数学における「計算」を思考のあるべき姿の規範としたが、そんな彼が文字通り計算によって思考する現代の「計算機」を見たらどんな感想を持つだろうか。人間の知的能力のうち、計算機に全く欠けているのは他と共感する能力である。人の悲しみを前にして、自分もすっかり悲しくなること。こうした能力は囲碁が打てたり、積分が出来たりするよりもはるかに基本的な人間の知能である。数学は計算だけでは成り立たない。単に正しい答えを見つけるだけでなく、その答えの意味するところを「わかる」ことを目指すからだ。では「わかる」ということはどういうことか。それは煎じ詰めれば、わかりたい対象に共感し、心を通わせあうことではないだろうか。計算のような正確な思考こそ数学の美徳だというのがデカルトの考えだったが、およそ日常とかけ離れた対象までに心寄せていく開かれた想像力も数学の美点だ。数学と人生の関係について漠然とした疑問を抱えていた私はいまでは、数学がよく考え、よく生きようとする営みそのものだと考えている。

ううむ、数学って単に正しい答えを見つけるだけでなく、その答えの意味するところを「わかる」ことを目指し、それは煎じ詰めれば、わかりたい対象に共感し、心を通わせあうことなのか。
基本的には『9』と『9.0』は同じではあるけれど、単に正しい答えを見つけるだけでなく、その答えの意味するところを「わかる」ことを目指すならば減点もあるのかもしれない。
減点を前にすればすっかり悲しくもなるからなあ。
なるほどと思うようで、実はさっぱりわからぬような数学ではある。
常に数学悩まれてきた僕は茂木健一郎さんの言うように「虐待である」ようにも思えるし、いやだからこそ、よくわからないままではあるけれど惹かれるものであったともいえるような(マゾか?)
でも確かにそう考えると、よく生きようとする人生の営みそのものだなあ、数学って。

人生楽ありゃ苦もあるさ 涙の後にはトポロジーな虹も出る
なんにもしないで生きるより 何かを求めて生きようよ♪

テーマ:数学 - ジャンル:学問・文化・芸術

噛むの、だるくね?から始まる少子化問題
ガムの売り上げが10年間で4割も落ちている。若者の車離れやスマホの普及がガム離れを加速させている、との説も。日本人はどうして、そんなにガムを噛まなくなったのか。高校生に、ガムは「おいしいけれど面倒くさいお菓子」らしい。捨てるのが煩わしく、ずっと噛むことも面倒だと。ガムが“面倒くさい”扱いなのだ。日本チューインガム協会に聞いてみた。ガムの“ピーク”は2004年。国内生産量が4万6100トンで、小売額が1881億円。それ以降は減り続け、15年は2万7780トン、1113億円まで落ちている。どうするか。ロッテの関氏は言う。 「聞き間違いかと思いましたが、ガムを『硬い』と感じる若者が少なからずいて衝撃でした。我々が考える以上に、若者や子どもの噛む力が弱っている。噛むことへの意識が変わってきたのではないでしょうか」〈週刊朝日〉

川上未映子氏のエッセーを思い出す。
エスカレーターで後ろに位置した高校生のカップルの男の子がこれから何食べようかと女の子に提案してる。女の子は気乗りしない感じと見えていまいち明るい顔ではない。何か別のものが食べたいのだろうか。ご飯じゃなくてケーキなのかな?若い子ってそういう感じ?なんて思っていると、大きなため息をつきつつ女の子が放ったひと言「噛むの、だるくね?」。
だ、だるくね?って…そっちなのか。噛むのってもうだるいのか。いよいよ始まったというべきか来るとこまできたというべきか。

意表を突くというテーマだったわけだけど、もう、今では意表でもなんでもないのか。
「 逃げるは恥だが役に立つ」で、平匡さんが「面倒を避けて、極限まで避けたら食べるのも面倒になり、息をするのも面倒になり、限りなく死に近づくのではないでしょうか」と言っていたけど、けっこう現実なのかもしれない。
いずれ、顎に電動アシストがついたりして。
しかし、若い人のスタイルがどんどんよくなるのは分かりますね。
面倒な噛むことを避け、柔らかく消化のいいものばかり食べていれば顎は細り、小顔になって、消化器官はコンパクトとなって胴は短くなる。
サプリばかりの食生活ならなおさらですね。八頭身は当たり前となり、九、十頭身だって出てきそうな。
「巨人の星」で決勝戦を前に食中毒で全員が下痢になるなか、星飛雄馬が無事だったのは貧乏ゆえの粗食にあったけど、サバイバルな時代がやってきたら、このままでは「消化するの、無理じゃね?」なんてことにもなりかねない。
これって、さらに根本的なテーマでもあって、いわゆる「イチャイチャ」さえも面倒になりつつあり、そのあとの妊娠、出産、子育てといったらなおさらでしょう。
そういう中で、面倒を一瞬で忘れさせるみくりの「イチャイチャしないの?」発言は出生率を跳ね上げるのかもしれぬ。

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そして、あとは「べっぴんさん」のキアリスガイドに頑張ってもらおう。

泣いている赤ちゃんを前に途方に暮れているお母さんへ
私たちもおんなじでした。あなただけではないんです。
子育ては思うとおりに行きませんね。でも、だからこそ楽しいこともあるんですよ。
お母さんと赤ちゃんの幸せへの道しるべになればと想いを込めてこのガイドを送ります。--キアリス

少子化問題って社会的環境を整えるだけでなく、ここらあたりから考えないといけないのかも。
クリスマスに贈るロマンチックミステリー 「君の名は」
もうすぐクリスマス。ちょっと気恥ずかしくもミステリアスなロマンチックメモリーを。

ゆっくりと本など趣味の私物の整理を進めているのは前にも書いたとおり。なかには古書店で手に入れたものも少しだけある。
以前に『ビブリア古書堂の事件手帖』という僕好みなドラマがあって、いずれも古書に絡まる事件・出来事を古書店主のヒロインが解き明かしていくのだけど、謎に絡んで「たんぽぽ娘」が絶版であるとか(現在は再版された)、「時計じかけのオレンジ」が原作者の意に反して最終章が削られていたとか、思わぬことも教えてくれて楽しかった。
古書にときどきあるかつての所有者の書き込みからの事件もあって、それで僕が思い出したのは「SUB」なる雑誌。
究極のサブカル雑誌というか執筆陣はなんとか知っていても、まあ、書かれている評論の難解で意味不明なこと、だってまず登場してくる人物の名前がほとんど知らない、わからない。
その知らない名前などにびっしりと朱のアンダーラインが入っていて、どんな人が読んだのだろうなあと想像した。
およそ、僕とはかけ離れた知性の人なのだろうと。
そして、もう一つ。さらに時代が遡って少女マンガのコミックスだった。
僕は少女マンガも大好きでけっこう多くあったりするのだけど、あまり見覚えのない少女マンガがあった。
「愛のひみつ」「妹のぶんまで走れ!」って。パラパラめくって、ふと記憶が蘇った。

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これは古本だ。
うしろの空白のページに書き込みがあるはずだ。
書き込みに惹かれて、買ったものだ。

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春分の日 雨の中を お父さんと町に行く 高英堂にて

そして、もう1冊、

My Father と町に出て 買ってもらったのよん

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お父さんとMy Fatherと書き換えてはあるけど、同じ子だ。
たぶん、僕より少し年上の子だろうか。
高英堂ってどこの書店だ。
町に出るとは田舎なのだろうか。珍しいことなのだろうか。
メモ書きに過ぎない短文だけど、なにか素敵でたまらなかった。

「春分の日 雨の中を お父さんと町に行く」だよ。
「My Father と町に出て 買ってもらったのよん」だよ。

もちろん、その下には名前が書かれていた。

君の名は。

テーマ:読書メモ - ジャンル:学問・文化・芸術

日本のロケット打ち上げ成功率は98%、30回連続で成功
国際宇宙ステーションに物資を運ぶ補給機「こうのとり」6号機を載せたH2Bロケット6号機が9日、種子島宇宙センターから打ち上げられ、こうのとりは予定の軌道に投入され打ち上げは成功した。
これまで、H-IIAロケットも含めて日本のロケット打ち上げは30回連続で成功しており、今回も成功すれば31回連続となります。宇宙航空研究開発機構(JAXA)によると、日本のロケットの打ち上げ成功率は、米ロなど世界各国と比べても高いレベルにあるといいます。30回連続打ち上げ成功のうちわけは、H-IIAロケットが25回、H-IIBロケットが5回です。(中略) JAXAでは今後、国内の関連企業とともに開発に取り組む「H3ロケット」に、H-IIAおよびH-IIBロケットで培った実績と経験を注ぎ込む方針です。H3ロケットは、2020年度の試験機1号機打ち上げを目指しています。(THE PAGE)

内之浦宇宙空間観測所で東大宇宙研がラムダロケットなど打ち上げていた頃とは雲泥の差だなあ。
当時もテレビ中継などがあって、食い入るように見たけどよく失敗があってがっかりしたものだった。
またアメリカやソ連のロケットが垂直に打ち上げるのに、日本のロケットは斜めで不思議に思ってた。
円谷ロケットでも垂直に打ちあがるのに。まあ、噴射煙などは風にたなびいたりもしたけど。

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米映画「遠い空の向こうに」が世界初の人工衛星スプートニクが空に描く美しい軌跡を見て、すっかりロケットの魅力に取りつかれてしまう少年達の物語であったように、日本のロケット技術のありさまになにくそと、宇宙を目指した人がJAXAには多くいるのだろうなあ。
小惑星探査機 「はやぶさ」の燃え尽きる軌跡も美しかった。
やっぱり宇宙はロマンにあふれている!?
さて、昨日JAXAは「はやぶさ」を打ち上げたM5ロケットの後継機である新型固体燃料ロケット「イプシロン」2号機を内之浦宇宙空間観測所から国産の新型固体燃料ロケット「イプシロン」2号機を打ち上げ、小型衛星を予定の軌道に投入し、打ち上げは成功した。こちらは小型人工衛星打ち上げ用に開発されたもので、「H2A」の技術も採用し、人工知能による自動点検で作業期間を大幅短縮するなどして低コスト化されたもの。
大型も小型も安定してきたものです。

画像はNHKドラマ「ふたつのスピカ」 。宇宙を目指す若者たちの、感動の青春ドラマ!!
―それでも私は宇宙へ行きたい
もう、そんな時代がやってきた。重力のくびきを越えて。

テーマ:星・宇宙 - ジャンル:学問・文化・芸術

人の高齢化、インフラの老朽化
東京に40万件の大停電をもたらした東電の地下のケーブル火災、あるいは福岡の博多駅前の大陥没も地下鉄の延伸工事が原因とはいえ、やはりケーブルと同様に老朽化した下水管・水道管など複合要因もあるのだろう。
いずれも戦後の高度成長期におけるインフラ、老朽化も目立ってきたころで、メンテナンスや改修が必要な時期なのだ。
同じように目立ってきたのが高齢者ドライバーによる事故の多発でやはりこちらも戦中・戦後高度成長期を支えてきた人たちで、こちらはメンテナンスというわけにもいかないから、健康であっても役割に沿った軽負担な生活に変わっていくべきなのだろう。
高齢者ドライバーによる事故が目立つようになってきたのは、まあ、高度成長期以前の老人はまず運転免許自体持っていなかったからね。
いわば高度成長期を作り上げ、自動車社会とともに生きた初めての世代が高齢化・老齢化を迎えているのだ。
これからも高度成長期におけるインフラの老朽化じゃないけど、どんどん増えてきますね。
しかも、むしろ、運転技術もオートマ化されたこれからの世代のほうが老齢化すればもっと危なくなる可能性すらありうるような気もして、そのためのさらなる自動運転の開発かとも考えてしまいますね。

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昨今の若者は車にも乗らず、運転免許も持たない人が増えているのなら、そうでもないのか。
しかし、少子化で街は寂れ、公共輸送機関の運営も厳しそうだし、どうなるのかなあ。
先のことはなかなか予想もつかなかったりするけれど、人もモノも事故や災害のない社会であるように作り上げていかないとなあ。
画像は映画「スペースカウボーイ」。
若い飛行士になめられ、バカにされようとも地球を救うのは痛快な老人技術士や飛行士たちだった。
今はどんなものでも細分化・緻密化されてしまうから、意外に全体を見渡した判断が出来なくなってきているけど、昔の技術者などはなんでもやったりするから、いざという時の現場の突破力はきっと強い。まあ、ロートルな技術だけどね。
実際、ロケットでもスペースシャトルよりソユーズのようなシンプルで古い技術のほうが泥臭いけど安定し、コストも安かったりする。
長いスパンで考えるようなインフラにはロートルな技術のほうがいいのかもしれない。活躍の場も出来るしね。
ロートル4人衆はクリント・イーストウッド、トミー・リー・ジョーンズ、ドナルド・サザーランド、ジェームズ・ガーナーの名優揃い。

テーマ:ニュース・社会 - ジャンル:ニュース

終わらない人、変わらない人 宮崎駿
NHKスペシャル「終らない人宮崎駿」を見た。やっぱり長編を作っちゃいそうですね。
でも宮崎駿は終らない人でもあるけど、変わらない人でもあるなあ。
毛虫のボロが初めて世界を見るシーンのこだわりとか、ファーストインプレッションが全てなのだろうなあ。
宮崎駿がはじめて演出を手掛けた「未来少年コナン」のコナンとラナの初めての出会いのシーンのこだわりを思い出しますね。
「1話ですか…、僕は1話を見たとたん首を吊ろうかと思った。作っているときはイメージが膨らんでしますからね。フィルムになって愕然としたのが本当です。ラナってのはコナンが一目見た途端に一生この女のために生き抜くぞという美少女でなければならないのにすごいブスラナが出てきましてね。ラナを抱え上げるときは鳥のように軽やかにでなければいけないのにヨイショって持ち上げてる…」
怒り狂った宮崎さんは2話から全部原画チェックを取ってしまったという。

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ドワンゴの社長がAIを使ったCGの動きを見せたときの静かな激怒ぶりも変わらない。
AIが生物学的な動きを越えて見せた映像の動きは気味が悪く、まあ、本来の生物学的な構造や痛覚などを排除しているからね。実験映像を見せたスタッフはゾンビなどの動きに使えるようなことも言っていた。
宮崎さんは友人に障害者がいて、僕は彼を思い出してとても見る気がしないと断じた。
ドワンゴの社長はジブリの鈴木敏夫に弟子入りした人で、まさにピュアな場所からこそ悪意のようなものが生まれてくる怖ろしさがあるのかもしれない。
僕などは多少世間ずれはしているから、これは危なそうと規制がかかるのだがピュアな人たちはピュアであるがゆえに世間的評価など関係なしに突っ走ってしまうところがあり、また確信しブレなかったりもし、また巧妙にそれらに近づき悪意を潜ませる人々もいたりして、思わぬ悪意が誕生したりもするかもしれないのだ。
ナウシカもほどほどの火や武器も必要とするし、宮崎さんも煙草は吸い放題だし、金集めは怪しかったし(ジブリの金主はフィクサー徳間康快だからね)、やはり雑多なのだ。
しかし、徳間康快しかり。彼もまた雑多ゆえに宮崎駿との邂逅があり、奇跡のようなジブリが生まれたのだ。

画像はその宮崎監督心魂のテレビアニメ「未来少年コナン」が、勝手に劇場版総集編として公開されたことに激高した檄文。
ね、変わらないでしょう?(アニドウ「未来少年コナン」より」
口から出た言葉と投げた石とは呼び返すことができない
「チューブからあふれ出す歯磨き粉のように、一度口から出た言葉は、心の中に戻すことはできないのよ」。少し前、アメリカで話題になった、母親と娘の会話。
アメリカの新学年9月から中学生になる娘ブリオーナさんに、母親のエイミー・ベス・ガードナーさんはあるアドバイスをする。
エイミーさんは、皿に歯磨き粉を目一杯出すようブリオーナさんに伝える。そして、出した歯磨き粉をすべて戻すように言う。
これに対して、ブリオーナさんは「ムリだもん!」「出す前の状態にはならないよ!」と叫び始めた。
出した歯磨き粉を戻すなんて、誰もできないこと。これが言葉の力だとエイミーさんは語った。
「言葉には人を生かす力と同時に、殺す力もある。中学に入ると、言葉の重みを知ることになるでしょう。言葉で人を傷つけたり、侮辱する機会を得る。そして、言葉で人を癒したり、勇気づけたり、愛したりする機会も出てくる」
「優しい人、共感できる人として知られるようになりなさい」【山光瑛美、井指啓吾 / BuzzFeed Japan】

エイミーさんのFacebookへの投稿は、アメリカで大きな話題となったらしく、日本のウェブメディアでもちょっとした間違いも加えられて取り上げられた。
「とてもためになる」ということで話題を集めたらしいけど、もちろん、こういう諺、金言はいくつもあって、この例でいえば「口から出た言葉と投げた石とは呼び返すことができない」(ドイツ俚諺)ですね。
もっとも諺・金言もずいぶん失われつつあって、今ではまったく見かけないものも多い。
1952年の児童年鑑にはたとえば社会・政治関係だけでも下記のごとく続々と出てくるけど、今ではあまり見かけないかもしれない。

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☆「腐敗したる社会には、数多の法律あり」(ジョンソン)
☆「法律多ければ犯すもの多し」(イギリス俚諺)
☆「いかに重い税金でも自分の怠惰、驕慢、愚鈍のために招く損失に比べればはるかに軽い」(フランクリン)
☆「愚かな人たちは、ひとつの極端から解放されると、その反対のいっそう悪質な極端に走ろうとする」(ホレース)
☆「どの時代でも古い誤りを正して、新しい誤りを作っている」(ソクラテス)
☆「政府の中で暴民の政府は最も残忍、軍人の政府は最も冗費多く、法律家の政府は最も煩累である」(ゴルドン)
☆「改革はもっとも必要な場合のおいて、もっとも人気に投合しないものである」
☆「何人も自分の負担を最も重きものと思う」(セネカ)
☆「腕力は議論にあらず」(ドイツ俚諺)

今年の流行語大賞は「神ってる」だったけど、トップ10には「保育園落ちた日本死ね」というのもあって、ちょっとした物議をかもした。
たぶん「じぇじぇじぇ」「お・も・て・な・し」なような今まで選ばれた流行語とちょっと違和感があったのはそのメッセージ性と、確かに言葉は知っているけど、流行語のような使われ方はしなかったということですね。
同様なメッセージ性なら「同情するならカネをくれ」というのもあったけど、これはドラマだし、実際、子供たちなど多くが口にした。
「口から出た言葉と投げた石とは呼び返すことができない」の諺にあるように、言葉は取り返しのつかないこともある。
ブリオーナさんのお母さんが言うように「言葉には人を生かす力と同時に、殺す力もある。中学に入ると、言葉の重みを知ることになるでしょう。言葉で人を傷つけたり、侮辱する機会を得る。そして、言葉で人を癒したり、勇気づけたり、愛したりする機会も出てくる」「優しい人、共感できる人として知られるようになりなさい」と知るべきなのだ。
流行語といえども言葉選びは難しいと。室賀正武には「「黙れ小童!」と言われてしまいそうですが。
と書いていたら、「逃げるは恥だが役に立つ」最終回の予告に似たような言葉「一度出てしまった言葉はなかったことにはできない」が登場してびっくり。最終回が楽しみだなあ。

テーマ:ことば - ジャンル:学問・文化・芸術

相棒 あとぴん~角田課長の告白
先日の「相棒 あとぴん~角田課長の告白」は、本来の「相棒」らしいマニアックでなかなか行き届いたお話(事件)でした。
あとぴんに天文とは。僕も角田課長ではないけど、ずいぶん以前のブログをひっぱり出してきてしまった。
ということで、8年ほど前のブログからの再掲です。

日本人のノーベル物理学賞の受賞で宇宙への関心が広がっているはずなのに、あるいは「流星の絆」など人気ドラマでも天体がエピソードとしても登場し、プラネタリウムも人気だと聞くのに天文に対する人気は上がらないですね。
天文雑誌の老舗「月刊天文」が休刊したのは2年前だけど、もう復刊はないのだろうなあ。
学生の頃、すこし読んでいたこともあるので休刊はやはり寂しかった。
20年ほど前から天文ファンの数が減少し、部数も落ち込んでいき、「天文ファンの年齢が上がり、若い子が入ってこなくなった…、小さな望遠鏡でぼんやり見える星に感動してくれない」と同誌編集長は嘆いていたのであった。
いささか今の、これからのマンガ・アニメ界の先行きを示すような嘆きとも聞こえますが。

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それにしても冥王星問題、太陽黒点の消滅、アトラス実験、ノーベル物理学賞など大きな話題になるのに、本来のファンは確実に減っているのはなぜか。
日本が打ち上げた赤外天文衛星「あかり」というのがあって、宇宙全域の地図作りを目指しているのだが7割が完成した(2006年11月1日発表)。
宇宙地図は1983年米英とオランダが打ち上げた衛星で行なって以来、更新されていない。
軍事・商業衛星ばかりでこういう地道な基礎研究には日本に限らず予算がつかないのだね。
でも軽やかな時代の流れも見失ってはいけないけれど、何に限らず軍事・商業的なものばかりでなく本質的・基礎的な研究は重要なのだ。
またそのためには小さな望遠鏡でぼんやり見える星に感動する心が必要なのだろう。
「流星の絆」で子供たちが流星を見るために家を抜け出すワクワク感、流星を見た喜び、見れなかった悔しさを見ているとそんな心が少し思い出されます。
僕はもう視力があまりよくないのだけど、田舎の冴えわたった冬の夜空に輝く満天の星は息を呑むような感動を与えてくれるのだ。

そんななか、突然起きた成宮寛貴の薬物疑惑、引退騒動。
真相は不明だけど、「あとぴん」のようにあとになってからしか分からぬこともあるかもしれない。
僕たちが見る星の光が遠い過去のものであるように。
夜空を見上げてほしいなあ。

テーマ:星・宇宙 - ジャンル:学問・文化・芸術

「古舘~忠臣蔵、吉良邸討ち入り完全実況~」VS「架空実況放送・関ケ原の戦い」
NHK大河ドラマ「真田丸」いよいよクライマックスを迎えてますます面白い。
本筋でないところなどはずいぶん大胆な脚色で虚実ないまぜの楽しさがありますね。
さて、ここに新たに登場するのはテレビ朝日『忠臣蔵』のクライマックス、吉良邸討ち入りを実況中継する新しい切り口のドラマ&バラエティー番組『古舘トーキングヒストリー~忠臣蔵、吉良邸討ち入り完全実況~』(12月10日午後8時50分放送予定)というもの。
フリーアナウンサーの古舘伊知郎が『忠臣蔵』のクライマックス、吉良邸討ち入りを完全実況中継するというのだ。
『忠臣蔵』といえばもう年末の定番で、現在、NHKでも「忠臣蔵の恋」が放送中だけど、討ち入り実況中継と来ましたか。
今回の特番では、吉良邸討ち入りを時代劇ドラマとして新たに撮り下ろし、まさにその現場に時空を飛び越え現代のスーツ姿で潜入した古舘が、吉良邸討ち入りの現場リポートをしながら、その裏側に舌鋒鋭く斬り込み、知られざる真実を明らかにしていく(オリコン)というのだが、似たようなこと、もっと斬新なことをずいぶん前にNHKがやっている。
実は、まだ聞いたことはないのだけど「架空実況放送・関ケ原の戦い」なるNHKラジオドラマですね。

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民放に限らず、ラジオという媒体はチャレンジングです。

「架空実況放送・関ケ原の戦い」 1957年
作/西澤實、演出/中川忠彦
実況アナウンサー/北出清五郎、福島幸雄、中神定衛
戦況解説/村上元三、出演/山岡荘八、尾崎士郎

よくは知らんけど、めちゃくちゃ面白そうな感じではないですか。
SF嫌いの村上元三がよくも戦況解説などをしたもので、山岡荘八、尾崎士郎というのがまたすごい。
実況アナウンサーは北出清五郎、福島幸雄、中神定衛とあって、北出清五郎さんは大相撲中継で鳴らした人ですね。
スポーツアナというのが古舘伊知郎にも通じるけど、そういえばイザヤ・ベンダサンが「日本人とユダヤ人」で関ヶ原の戦いはトーナメント戦と言っていたなあ。
忠臣蔵も様々な権謀術策があっても最後は堂々たる討ち入りの儀式だものなあ。
「古館版忠臣蔵」も「真田丸」も発想の原点は「架空実況放送・関ケ原の戦い」かもしれない。

画像は「最後の忠臣蔵」。これもまた史実のひとつのエピソードから始まる美しくも妖しい仮想の物語。

テーマ:真田丸 - ジャンル:テレビ・ラジオ

木くずに白熱灯
東京都新宿区の明治神宮外苑のイベント会場で男児が死亡した火災から一ヶ月。
燃えた展示物を制作した学生は白熱灯をライトアップに使用したことについて、「燃えるとは思っていなかった」と説明しているという。

まだLEDは普及段階というのに白熱電球はもう記憶の彼方なのかな。
昔の電球はフィラメントが粗悪でしょっちゅう切れたし、白熱電球はけっこう熱くもなった。
投光用の発熱灯ならなおさらだろう。
そして、木くず。
木くずなんて、まず火起しに用意されるような燃えやすいものだし、くわえてジャングルジム状の木製構造物では燃えやすい条件に満たされていて、あっという間に火が回りそうと想像できそうなものなのになあ。
猫に小判、いや、猫にまたたびのようなものだ。
そういう僕も小学生の頃、ボヤを出しそうになったことがあり、トラウマになった。
消し炭というのがあって、よく水をかけて消したはずなのだが、それでもなおしばらくそのまま放置しておけばよかったのに消し炭入れの木箱に戻してしまった。やがてモクモクと煙が出て、危うく火事になるところだった。
幸いに火事にはならなかったけど、大きなトラウマになって、それ以来、あらゆる火、マッチの燃えカスや蚊取り線香の灰を捨てる時も時間と場所を選ばないと心配でしようがなかった。
ガスの元栓もいまだに3回も声掛け確認だよ。
まあ、人間ってかくのごとく実際に骨身にしみないと流されがちですね。
しかし、LEDなど技術の革新は人間の本来の五感を奪っていくなあ。
下手をすればこんな熱くなるような白熱灯がいかんのだとなりかねない。
僕はスマホも使わないけど、先日「アメトーーク iPhone使いこなせてない芸人」を見ていたら驚くべき進化を遂げているのだね。
知識も健康も、そして五感すらなんかよくわからんけどアイクラウドに預けている感じで、知識はともかく五感まで委ねてしまうのはいかんだろうという気もしますね。

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文明が失われるようなクライシス(猿の惑星ですね)になったら、スマホや自動運転など役に立ちませんよ。
せいぜい、モールス信号やランクルか。
画像はアリシア・ベイ・ローレル「地球の上に生きる」。
こんな知識もいちおうは持っていたほうがいいのかもしれない。
こんな本(自然の中で生きるためのシンプルでナチュラルライフの手引き書、当時のヒッピーのバイブル?)も読むようなちょっと怪しい時代・青春でもあったけど、僕は読むだけだったんだよなあ。

テーマ:ニュース・社会 - ジャンル:ニュース

妹のチカラ 
さてさて「妹伝統」です。
伝統というか、やはり人には、とりわけ日本人には独特の妹萌えがあるのではないかと。
典型が「男はつらいよ」の寅さんとさくらの兄妹。
寅さんが流離って結局戻ってくるところといえば、「とらや」というか妹さくらのところで、いつもさくらに支えられている。
母親がいないこともあるけれど、母でなく妹というところがまた微妙なニュアンスも醸し出します。
守るべきものでありながら、実は支えにもなっている特別な存在なのだ。
思えば「るらら科学の子」のタイトルは矢作俊彦の「ららら科学の子」や手塚治虫「鉄腕アトム」、スピッツの「ロビンソン」を合わせたものだったりするのだけど、そのいちばんの「ららら科学の子」は作者矢作俊彦にとっての「ライ麦畑でつかまて」(サリンジャー)とも言われていたりもして、たしかに両作品とも主人公における妹の存在の大きさが際立ちます。
あだち充の「みゆき」は義理の妹とはいえ、これら大いなる「特別な存在」守るべきものでありながら、外にあって支える伝統を脱して、なんと結婚して幸せになってしまった。
連綿と続く伝統の物語性を壊してしまった。あだち充、畏るべし。ラブコメ、畏るべし。

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妹ではないけど、テレビドラマの「青い鳥」もラストはすこしびっくりした。
今はもう、こんな守り方、幸せのつかみ方の物語もあるのだと。
画像は藤田敏八監督「妹」(林隆三・秋吉久美子)、1970年代の匂いが漂いますね。
ここらあたりはやっぱり小津安二郎にもつながる日本の伝統を強く感じさせます。
私説に過ぎて意味不明かもしれませんが。
タッチ
さあ、その野球部の女子マネジャーがエースのユニフォームを洗う時にちょっと匂いを嗅いで、「くさっ」っていう定番のシーンがあったような気がする国民的マンガ・アニメの「タッチ」です。
この誰もが知るような青春野球漫画・アニメ作品の「タッチ」について、作者のあだち充さんが漫画雑誌のインタビューで裏話を語ったらしく、すなわち、あの上杉和也の死を「最初から殺すつもりだった」と。
ネットでは衝撃の新事実と驚きをもって伝えられとあったけど、ほんとうにそうなのか。

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「タッチ」はヒロイン浅倉南と幼馴染の和也・達也の兄弟の三角関係が高校野球を通して描かれるもので、「南を甲子園に連れて行く」と宣言していた和也が甲子園予選決勝の直前に交通事故であっけなく亡くなってしまう。
南と同様に読者も呆然としてしまったけれど、と同時に「ああ、そういうことだったのか」とやっと思い至ったシーンでもあったのだ。
弟・和也の死は南のことも甲子園出場もすべて兄・達也が引き継ぐべく生まれた「タッチ」なのだと。
その前提があったから「タッチ」にしたのだと。
いわば日本伝統の「繋ぐ」、「君の名は。」にも通ずる「結び」の物語なのだよ。
同時代的に読んでいた読者はたいていそう思ったと思うんだけどなあ。
これって新事実だったの?とちょっとびっくり。
あだち充って行間を楽しむ漫画家ですからね。
僕なんかはやはり人気を誇った「みゆき」のラストのほうがよほど日本の「妹伝統破り?」でびっくりした。
ん?「妹伝統」ってなんだってことですが、それはまた別のお話で、次回に続きます。
画像はマンガ雑誌「ぱふ」あだち充特集より。