理系・文系を重ねて見る光景は
ぎふ清流ハーフマラソン マラソンの孤独「一人の道」
シドニー五輪金メダリストの高橋尚子さんを大会長に岐阜市の長良川沿いで開かれる「高橋尚子杯ぎふ清流ハーフマラソン」について、中日新聞社などでつくる実行委員会は三十日、国際陸上競技連盟が大会の格付けをシルバー(銀)から最上位のゴールド(金)に格上げしたと発表した。
ゴールドの取得は、国内ではフルマラソンを含めて五大会目だが、ハーフマラソンでは初めて。五月の第六回大会で、有力選手が出場し、五カ国以上で放映されるなどの条件を満たした点が評価された。格上げによって国際的な注目度が高まり、有力選手らの出場が増えるとみられる。(中日新聞)

まさか、岐阜のハーフマラソンが東京マラソンなどと並ぶ屈指の大会になるとは思わなかった。
よくどこにもある市民マラソンかと思っていたのだ。
ハーフマラソンだしね。五カ国以上で放映されているとも知らなかった。
高橋尚子さんのおかげですね。さあ、岐阜からもマラソンの有力選手が出てきますか。
昨日は全日本大学女子駅伝もやっていましたね。

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でもマラソンって孤独だからね。
先日はNHKBSプレミアムで「ザ・フォークソング~青春のうた~」を見ていたら、なんとピンク・ピクルスが登場した。
44年ぶりに復活だという。
僕が忘れられないはやはり「一人の道」。64年の東京五輪で銅メダルに輝き、27歳の若さで自殺した伝説のマラソンランナー円谷幸吉さんの遺書を元にランナーの孤独と両親への思いを歌ったもの。
実際の東京五輪のマラソン実況録音を使用し、円谷選手とイギリスのベイジル・ヒートリー選手との2位争いの「頑張れ円谷!」と絶叫する実況ともに歌が始まるのだから泣かずにはいられない。
しかし、やっぱり歌うのも憚れるようなデリケートな歌、デリケートな環境での歌だったのだな。

ある日走ったそのあとで僕は静かに考えた
誰のために走るのか若い力をすり減らし

大きな夢はただひとつ五つの色の五つの輪
日本のためのメダルじゃない生きる力の糧なんだ

見てほしかったもう一度表彰台の晴れ姿
だけど身体は動かないとってももう走れない
これ以上は走れない

華やかな世界にも影はあり、忘れてはいけないのだろう。
ちなみにゴールドのマラソンは東京マラソンのほか、名古屋ウィメンズマラソン、びわ湖毎日マラソン、福岡国際マラソン。
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シナリオ「十七歳」 17歳の遺書(神田理沙)
引き続き、のんびり趣味の本や映画関連などの整理をしているのだけど、映画の台本などもたまに出てきますね。
今回、見つけたのは松竹映画で「十七歳」、ありがちな題名だけど「覚えがないなあ」と調べているとやはり見つからない。

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原作は神田理沙という少女の「17歳の遺書」で、17歳の若さで自殺してしまった日記をまとめたもの。
脚本は石森史郎で、準備稿とあるから、結局映画化はされなかったのだろう(調べた限りでは見つからなかった)。
台本の中にもずいぶん詩が挿入されているから、日記でもあり詩集でもありますね。
冒頭の海辺のシーンでいきなりこんな詩が刻まれている。

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どんなことが 起ころうと どんな時代の 波風が荒れようと
どんな批判を受けようと どんな苦悩のどん底にあろうと
どんな幸福の 絶頂にあろうと
常に変わらぬ ありのままの人 そんな人に私はあこがれる

いつも大地に 足を踏みしめ 周囲をぐるぐる めぐってゆく
物象の変化に とらわれず 自分を見失しなわず
自分の道を かんぜんと進む人 そんな人を わたしは愛したい

気どらず 飾らず 知恵深く 情深く
心の底で 自分を信じて 誤解にも 不幸にも じっと耐えて
いつも ありのままの人 そんな人を わたしは尊ぶ

うむむ、こんなに知的で強く優しくあろうとした子であっても、現実の「17歳」というのは死の誘惑と紙一重なのだ。
これより少し前にベストセラーにもなった「二十歳の原点」というのがあって映画化もされたけど、ヒットしたとは聞かなかったから、「十七歳」は映画化に至らなかったのだろう。
若年者の自殺は現実とややもすれば形而上学的な苦悩の相克みたいなところがあり、ピュアで琴線に触れやすくもあって、あまりベストセラーや映画もヒットしてもいけないのだ。
実際、多少、時期や意味合いは違っていても「二十歳の原点」、「17歳の遺書」と連鎖していると言えなくもない。
1970年代、とりわけ、あの時代はセイレーンのように美しい音色になって共鳴する感じがあった気がします。
自分の青春がかぶるだけかもしれないけれど。
今の若い人たちにはどう共鳴するのかしないのか、改めて聞いてみたい気もしますね。
そして、ラストシーン。

「そんな思いまでして 何のために生きているのか わからない」
「愛がむなしい」
「死にたい なぜだか 私には わからないが…」
「でも 負けたくない 苦しみに…」
「強く 生きたい」
「お母さん お母さん」

最後は絶叫のような言葉で結ばれるこのシナリオの準備稿。

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今こそ、誰か映画化しませんか。
「お母さん お母さん」が胸を打ちますね。
なお、時を越えて聞こえてくるようです。

テーマ:日本映画 - ジャンル:映画

朝ドラ「べっぴんさん」のヒロインは普通の子
好調が続くNHKの朝ドラで、「べっぴんさん」の視聴率が久々の20%の大台割れというニュースがあったけど、まあ、今までの朝ドラのヒロインに比べて地味というか大人しい子ですからね。
今までのドラマだったらおそらくヒロインの脇にいたような子なのだ。
ほぼ同時代だった「朝が来た」「花子とアン」「ごちそうさん」などもヒロインは元気いっぱいだったし、「おひさま」が典型だったけど、ヒロインを囲む友人たちも「白紙同盟」など強烈なキャラ揃いでもあった。
彼女たちの青春であればそりゃあ輝いていたことでしょう。
その点、「べっぴんさん」はヒロインばかりか友人たちも輪をかけて大人しいというか。
せっかく、昨日もせっかくヒロインが「何かやりましょう」と言っているのに、もう少し前向きの返事と思うくらいですが、まあ、生活が困窮していてもなにかしら危機感が欠けるのもふつうのお嬢様のゆえ。

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でもこの朝ドラなかなか周到というか、リアルというか、たしかにこの子たちなら華やかな青春時代もドラマチックなことはあまりなく、あっという間に子持ちのお母さんになってしまったドラマ展開も不自然ではない。
ふつうの青春を贈った僕たちの青春にさほどの耀きがなかったように。
でもまあ、輝き方もそれぞれだからね。ドラマ的・ドラマ向きな輝きがすべてではない。
大人しい子の周りにはやはり似たような大人しい子が集まるのも普通のことだからなあ。
あまりドラマにならないような子でもヒロインになれるって、希望のドラマなのかもしれないぞ。
お嬢様には違いないけど、ヒーロー、ヒロインになれなかった僕たち普通の子のドラマなのだ。
まあ、たぶん、これからはちがうんだけどね。
芳根京子ちゃんは、まさにそんなヒロインを体現する健気でいい子なのである。
画像は芳根京子ちゃんの連続ドラマ初主演作『表参道高校合唱部!』。
これもいいドラマだったな。
日本の石は翡翠、争ったのは水晶
日本鉱物科学会が2016年9月24日に金沢市で行われた総会で「日本の石(国石)」にヒスイを選定した。国石は古くから俗説があったため会員の投票で決定した。
国石の候補は花崗岩、輝安鉱、自然金、水晶、ひすいの5種類あり、公式ホームページ上で投票を呼び掛けていた。上位2種による決選投票の結果、71票を集めたヒスイに決まった。水晶は52票だった。ヒスイは5~6億年前に地中深くに生まれた石で、とても硬く比重が大きい。縄文時代以降の遺跡からは勾玉といった宝飾品が見つかっている。新潟県糸魚川市は08年に市の石に選び、16年5月には日本地質学会が新潟県の石に選んでいる。(J-CASTニュース)

マニアックな県の石の発表が以前にあって、あまりの専門的さにびっくりした記憶があったけれど(多くが聞いたこともないような石、鉱石で占められていた)、まだ日本の石は決まっていなかったのか。
そして翡翠となったか。そうだなあ、日本では古来、勾玉など宝飾品に使われているから馴染みはある。
勾玉といえば三種の神器のひとつだからなあ、いや、あれは瑪瑙だったか。
水晶でも悪くなかったけどね。

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以前、日立製作所が半永久的にデジタルデータの保存が可能な技術を開発したと発表した素材は石英ガラス、水晶だった。
フラスコなどに使われる石英ガラスにコンパクトディスク(CD)並みのデータを3億年以上保存でき、経年劣化なく保存が可能らしく、歴史的に重要な文化遺産や公文書など後世に残したいデータの長期保存用に向くという。
3億年ですからね。地球史、宇宙史レベルまで残せるのだよ。
といっても先史文明はもちろん、文字だって失われれば意外に近世の文明だって謎となってしまいますからね。
あとはデータ読み取るべき文明に遭遇するかどうかです!?
某口伝秘史によれば正倉院にはいまだ謎に包まれた未公開の宝物があるとも言われ、もし江戸時代に光ディスクなどが公開されても鏡としか理解されないように、意外にありきたりのようなものでも、実は…なんてこともありえそうです。
3億年前といえば古生代の頃だけど、その地層にはアンモナイトの化石だけでなく、石英ディスクが埋まっているかもしれない。
「一万年と二千年前から愛してる…1億と2千年あとも愛してる」というアクエリオンの歌も絵空事ではない。
さて、翡翠にはどんな謎が…。
画像は小学生の頃?のお土産でもらった阿蘇山の鉱石セット。
阿蘇山は大丈夫だろうか。小笠原諸島の西之島にも噴火後、初めて研究チームが上陸し噴出物の採取などの研究が始まるけど、地球は生きているのだなあ。そしてまだまだ謎に満ちている。

テーマ:自然科学 - ジャンル:学問・文化・芸術

マツコ会議「同窓会」
少し前のマツコ会議でやっていたのは「同窓会」。
高校の同窓会来てる人がほとんど既婚者で、既婚者でなくてもいわゆるリア中ですね。
マツコは「同窓会に来てる人は来れる人なのよ」「同窓会には幸せな人が来てるのよ」と言っていたけど、まあ、そうなのだろうなあ。
それにしても幹事の女性が「同窓会の参席者にデブ、ハゲ、ニートはいない」と言い切ったのにはびっくり。
そういう人以外は来れないのか。デブ、ハゲ、ニートには外見だけでなく、属性も付いていそうだし。
僕も学校にはあまりいい思い出はないけど、もう卒業すれば、今さらそこまで付き合う必要はないからね。
いささか露悪的になってしまったのだろうけれど、やはりこの言葉には本音が隠されているのだろうか。
「同窓会の参席者にデブ、ハゲ、ニートはいない」ではなく、そういう人に目が届いていないだけなのではないか。
まさに教室の中でそうであったように。
社会に出てからもそんな再体験はしたくないから自ずと出ない人は出なくなるだろう。
幹事としての能力が問われるとばかりに調べてしきりに誘っても、参加すればひとりぼっちで放りっぱなしってことありませんか。
まあ、いいんだけどね。

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あれは中学生の時だった。
僕には特に親しい友人が3人いて、ある日、クラスメートの女の子がその友人の一人K君と二人で話してるところに割って入ってきて、こう言った。
「あなたたち、いつも仲がいいけどいったい誰がいちばん頭がいいの」
唐突だったけど、気のいい僕たちは問われるままに「それはM君だね」と答えた。
彼は図抜けて成績も良くて実際、県内のいちばんの進学校にも進み、ストレートで某国立大学にも入った。
彼女は続けて聞いた。
「じゃあ、2番目にいいのは?」
僕は迷わず、目の前にいた友人のK君の名前を挙げた。
しかし、彼はもう一人の友人I君の名前を挙げた。
当然だろう、友人を差し置いて自分の名前を挙げるような奴じゃないのだ。
僕たちは無邪気に「いやそうだ」「そうじゃない」と言い合っていたのだが、彼女がじっと僕の方を見つめているのを見て、はっと気がついた。
「じゃあ、4人の中でいちばん頭が悪いのはあなたなのね」
彼女はそう言っていた。
友人もいつか黙ってしまった。
もちろん、そんなことで友人関係は壊れたりはしないけど、僕の心には鮮やかな傷を残した。
彼女には不思議だったのだろう、なぜこの仲間たちに僕がいるのかと。
周りが不思議に思うようなことに全く気付かない僕こそ、まさにいちばん頭が悪いのだと。
そう、彼女は正しかった。
僕は孤独で引きこもりがちな子供だった。
母が心配して友だちになってほしいと知り合いの親を回ったということもあったのだ。そんなことも忘れてはじめから自分の周りに友だちがいたかのような勘違いをして、無自覚な僕は自分が中心とすら思って振る舞っていたのかもしれない。
誰かが望んでもなかなか話しかけられないような子たちのなかに、いまやその成り立ちも忘れて図々しく立つ僕が不思議でならなかったのだ。
彼女は自尊心だけは強く、成績も人柄も友人たちにかなわない僕を優しく、そして冷ややかによりオタクな道に僕を誘ったのだった…なんてね。
いや、その中学の同窓会の案内が届いたよ。
どうしたもんじゃろのう。

テーマ:同窓会・同級生 - ジャンル:学校・教育

「運命に似た、恋」NHK大人になった少年ドラマシリーズ
「運命に似た、恋」。
原田知世に斉藤工ですよ。まさにピュアなるものとエロなるものの邂逅ですよ。
両極にあるものこそが激しく強く惹かれあうのは宇宙の真理!?
終わりは始まりであるように。
どきどきするなあ。

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大人版のNHK少年ドラマシリーズですね。
少年・少女時代のひと夏の触れ合いを経て、時は流れても魂は変わらないまま、ふたたび二人は邂逅する。
たとえ、似た恋であっても魂は引き継がれ、なお純度は磨かれる。
やはり、時をかける少女だったな、原田知世。
画像は映画雑誌「バラエティ」から。

テーマ:テレビドラマ - ジャンル:テレビ・ラジオ

数学 わかりたい対象に共感し、心を通わせあうこと
中日新聞に「数学の中の人生」という森田真生さん(数学者)のエッセーがあって、
(略)デカルトは数学における「計算」を思考のあるべき姿の規範としたが、そんな彼が文字通り計算によって思考する現代の「計算機」を見たらどんな感想を持つだろうか。人間の知的能力のうち、計算機に全く欠けているのは他と共感する能力である。人の悲しみを前にして、自分もすっかり悲しくなること。こうした能力は囲碁が打てたり、積分が出来たりするよりもはるかに基本的な人間の知能である。数学は計算だけでは成り立たない。単に正しい答えを見つけるだけでなく、その答えの意味するところを「わかる」ことを目指すからだ。では「わかる」ということはどういうことか。それは煎じ詰めれば、わかりたい対象に共感し、心を通わせあうことではないだろうか。計算のような正確な思考こそ数学の美徳だというのがデカルトの考えだったが、およそ日常とかけ離れた対象までに心寄せていく開かれた想像力も数学の美点だ。数学と人生の関係について漠然とした疑問を抱えていた私はいまでは、数学がよく考え、よく生きようとする営みそのもだと考えている。

ううむ、数学って単に正しい答えを見つけるだけでなく、その答えの意味するところを「わかる」ことを目指し、それは煎じ詰めれば、わかりたい対象に共感し、心を通わせあうことなのか。
なるほどと思うようで、実はさっぱりわからぬような数学ではある。
将棋の竜王戦では挑戦者の三浦弘行九段が対局中のスマートフォン搭載の将棋ソフトを使って不正をした疑われ、出場停止となったけど(真相は不明)、それは「勝つ」ことのみに執着したのか、それとも「勝つ」だけではなく、「勝つ」ところの意味を「わかる」ことを目指したのか。
微積分などはもちろん、今や分数、加減乗除さえ怪しい僕にはさっぱりわからない。

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以前にNHK BSプレミアム『ハードナッツ! 〜数学girlの恋する事件簿〜』というのがあり、天才的な数学の才能を持つ美女大学生・難波くるみが、テロや殺人などの様々な難事件を、数学を使って推理していくという、ちょっと風変わりなサスペンスミステリー。
物理学者の湯川準教授が活躍する「ガリレオ」よりさらにマニアックで、感性的なのは主人公が女性でまだ大学生ですからね。
二重、三重の仕掛けでちゃんと数学の謎解きで、古代ギリシアの古代数学などは音楽や哲学も入り込んで来ます。
わかりたい対象に共感し、心を通わせあうことというなら、天才的な数学ガールのヒロインが真相を突き止めるのもなるほどなあ。
数学者ケプラーが天文学と音楽の共通性を見出そうとするのも、およそ日常とかけ離れた対象までに心寄せていく開かれた想像力も数学の美点というのならそうなのかも。

テーマ:哲学/思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

ON 異常犯罪捜査官 藤堂比奈子
BPOが残虐シーンへの配慮求めたらしい「ON 異常犯罪捜査官 藤堂比奈子」は最後の最後まで、異常犯罪で占められていたけど、ヒロインの抱える闇がテーマというべきものですからね。
避けては通れず、むしろ堂々と描いたのはよかったのかもしれない。
ヒロインに限らず、あちらの世界に行く者と留まる者のボーダーはどこにあるのか、ヒロインのいささか不謹慎な言葉を借りれば興味深い主題だったのだ。
フジは以前にも「無痛」という似たような主題のドラマもあって、合わせて見ると、より人間の本質を問うものとなって、決して異常犯罪を興味本位で描くものではなかったと思う。
「無痛」には「007シリーズ」にも登場する痛みを感じない男が登場するけど、この男の無痛が怖ろしいのは身体的な先天性無痛症のうえ、なんと痛みという概念すら理解できないということ。
案の定、病巣を切り取るみたいに無味乾燥に悪も切り取ってしまった。

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痛みは生命にとってともにあるという叫びでもあるのだろうか。叫びが届かないのは怖ろしい。
多少の痛みを抑えるということは必要であっても完全なる無痛は人としての生命、善悪さえも危うくするのかもしれない。
僕も病気を得て身体的にも知覚的にも障害があり、身体の一部は無痛、あるいは鈍麻している。
骨折しようが火傷をしようが神経が遮断されて脳が痛みを感知しないということで、いつかもファンヒーターに足をずっと向けていたら、大きな熱傷の水ぶくれが出来てしまっていた。
痛覚、温・冷覚も悪く、きっと雪原だって裸足で何時間もきっと歩けるかもしれないけれど、凍傷になることに変わりなく、むしろ限界が分からない分、危険なのだ。
しかし痛みという概念すら理解できないというのはさらに怖ろしく、また無垢であるがゆえに悲しく残酷だ。
痛みはほどほどには必要なのだ。時に激しく痛んでも。
僕は幸いなことに痛覚が健在な部分であればやっぱり泣きたいくらい痛く、痛くないところでもぶつけたりすれば反射的に痛いって言っちゃうものなあ。
痛覚の失われた部分も痛覚の記憶は健在なのだ。
過度の痛みも人を失わせることがあるけど、痛みを知らぬ者は「痛み」はどう知るのだろう。
ヒロイン 藤堂比奈子の最後の敵 真壁永久は過度の痛みで「痛み」を知らぬ怪物になってしまったけけれど、藤堂比奈子は無垢な迷い人だった。
はじめて流す涙、ヒロインの人としての物語がこれから始まるのだろう。
テレ東の「模倣犯」がなかなかの傑作だったけど、この犯人も「痛み」を知らぬ怪物だった。

テーマ:テレビドラマ - ジャンル:テレビ・ラジオ

王道を越えて行け「司法試験」
平成28年司法試験の合格者数と合格率を法科大学院別にみると、1位はいずれも「予備試験合格者」であることが、法務省の発表より明らかになった。予備試験合格者の合格率は61.5%。一方、合格者を出せなかった法科大学院は7校あった。
司法制度改革の一環で、受験資格を問わない旧司法試験が平成23年で終了し、平成24年より法科大学院修了または司法試験予備試験の合格が必須となった。(リセマム)

なんとまあ、予備試験合格者がメインとなってしまうとは。
予備試験はもともと学費が払えない、仕事を辞められないといった事情で法科大学院に通えない人を考慮して設けられた例外ルートだったはずだった。
法曹養成の中核と位置付ける法科大学院は「人間的に豊かな法曹」を育てるのが目的とされるけど、これらの結果は、そうした本来の法科大学院を迂回し、予備試験を「金と時間を節約する抜け道」としている可能性があるのだ。
法曹界を目指すものがルールの抜け道を原点とするような行為はどうかなという気もするし、今の法曹界がまさに法の不備、グレー部分をつくようなやりとりに終始しているようではそうかもしれないという気もしてきます。
いやあ、それでも昔は初心くらいは正義、不正・抜け道は許さないという情熱に燃えていたのではないか。

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映画も今やファンタジー映画やアニメなども傍流であったはずなものが、主流となりつつあるような感じだけど、僕としては王道たる文学や映画があって、安心して傍流たるものが楽しめたのだ。
「君の名は。」などが典型で、少し前までは少数派の宝物のような作品だったはずなのになあ。
話がそれてしまった。王道たるものが確固としてあっての傍流。その王道が弱体化して、いびつなものになってしまうようでは。
法律であればなおさらです。
画像は法廷ドラマの原点「ペリー・メイスン」。やっぱり法廷ものは面白い。

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阿蘇山の噴火 火の国に生きる
8日に熊本県・阿蘇山の中岳第1火口で発生した爆発的噴火は、マグマの熱が地下水に伝わって起こる「水蒸気噴火」か「マグマ水蒸気噴火」との見方が強い。熊本地震との関連を指摘する専門家もいる。(西日本新聞)

熊本近辺では今も活発な余震が続くし、なにしろ、九州・四国から本州関東に至る中央構造線に連なるところだからね。
自然科学的には証明できないと断言はできないけど、地球史的、あるいは有史以来の歴史的事実など交えての社会科学的見地でみればもう十分に熊本地震と阿蘇山の噴火は結びつくし(火の国とも呼ばれるのだから)、東日本大震災から始まっているのかもしれない。
巨大カルデラ噴火の日本での可能性が100年以内に1%の確率で発生するとの予測もあったばかりで不安が募ります。
地球史的にいえばもういつあってもおかしくないということだけど、ここまで来ると日本の壊滅的危機と同時に世界にとっても未曾有の危機。日本にはどこにも火山はあり、中央構造線に連なるからね。
といって、遥かな危機を煽ると世紀末のような荒廃を招き、天災より、人災が増えるのが常。
事故・事件に始まり、戦争だって地球を滅ぼすことがあって、こちらのほうがよほどリアルでリスクが高い!?
まあ、このスパンの地球的危機であれば、他にも巨大隕石の衝突、スーパーフレア、地軸の逆転、スーパーウイルス、宇宙人の来襲などいくらでもあって、用心に越したことはないけど、まずは日常の心配をしたほうがよさそうです。
その用心に越したことはないと計画されたのが「国土強靭化計画」で、「強さ」と「しなやかさ」を持った安全・安心な国土・地域・経済社会の構築に向けた「国土強靱化(ナショナル・レジリエンス)」というやつ。
どうも「強さ」(ハード)は予算も付きやすそうで、こちらばかり目が行くけど、カルデラ噴火ともなればこれでも無理で、むしろ、「しなやかさ」(ソフト)に傾注すべきなのでしょう。
人さえ残れば荒れ果てた大地にも希望の朝陽は昇ります。国破れて山河も変わり果てても人は在り。
その障害になりそうなのが、原発ですね。
まあ、そこまで大向こうに考えなくても、この地震・火山列島たる日本にやはり原発は向かない。
東日本大震災の最大の教訓でしょう。
東日本大震災は未曽有の天災だけど、福島原発事故は未曽有の人災だった。
未曽有であっても天災の地は回復し、人災の地は人を寄せ付けないのだから。

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さてさて、日常の用心だけでなく地球史的危機、大地を失う日本沈没さえ思うような人もいるかもしれないけど、こちらも地球史的スパンで考えれば、たとえば西之島新島は大陸になる可能性だってあるのだよ。
火山島は概ね玄武岩が噴出し重くてマントルに沈むのだが、西ノ島は軽い安山岩を噴出し、これは大陸の組成とほぼ変わらないのだという。(NHKスペシャル)
パンゲア以来の地球史的な大陸誕生という出来事に立ち会っているのかもしれないのだ。
生態系もしぶとく、これだけの噴火活動があっても、なお西ノ島に生息していた鳥類は健在で繁殖活動も確認された。
やはり、人も自然とともに生きるのだろう。

テーマ:自然科学 - ジャンル:学問・文化・芸術

妄想予想?NHK「紅白歌合戦」の司会者には祝祭感
もう、いつ発表があってもおかしくないNHK「紅白歌合戦」の司会者の発表。
直近の報道ではV6の井ノ原快彦と有働由美子アナウンサーの同局「あさイチ」コンビが濃厚で、また総合司会には3月にテレビ朝日「報道ステーション」を降板した古舘伊知郎が有力とのこと。
他にも様々な予想がされていて、紅組では高畑充希、波瑠の朝ドラ女優も有力候補で、どちらもそつなくこなしそうではあります。
総合司会ではタモリの予想もありますね。
そしてやはり、綾瀬はるかという声もあって、彼女の持つ祝祭感というのは思わずなるほどなあと。
祝祭感だったのだ、あの不思議な幸福感は。
年の最後を締めくくる非日常たる祭り「紅白歌合戦」を飾るには祝祭感も大きな要素にもなるのだろう。
「精霊の守り人」セカンドシーズンもクラックアップで来年1月の放送も楽しみですね。

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祝祭感なら黒柳徹子ということもあるだろうか、トットテレビの満島ひかりの力も借りて。
審査委員席にはトットテレビの大御所の面々?が並ぶのも壮観というか。森繁さんじゃないけど、こんなのも1回どう?
あるいは松岡茉優ってのはどうだろうか。こちらは正月のにぎやかさを体現する感じなのかなあ。
モーニング娘。' 16と一緒に歌って、踊ってくれたりして。
少女小説作家の氷室冴子は「女の子がただいるだけで祝福される存在と考えていた」というけど、ましてや紅白だからね。

テーマ:J−POP - ジャンル:音楽

君の名は。君の住み処は岐阜
結局、ブログ更新は月・水・金となりそうです。まあ、水曜日はもう少し軽く短くいこう。

最近、なぜか「岐阜」が舞台のアニメ映画が相次いで公開されている。8月公開の「君の名は。」は飛騨市、同「ルドルフとイッパイアッテナ」は岐阜市、さらに、9月公開の話題作「聲(こえ)の形」は、大垣市がそれぞれ舞台とされている。この時期に集中して公開されるのは偶然とみられ、アニメファンからは「なぜ岐阜?」と不思議に思う声も。飛騨など現地には早くも「聖地巡礼者」が続々と現れているようだ。(産経新聞 ) 

まあ、以前から「ひぐらしのなく頃に」(世界遺産に登録された白川郷)や高山市が主な舞台とされる「氷菓」、「僕らはみんな河合荘」(岐阜市)や、「のうりん」(美濃加茂市)もあって、密かに聖地だったのだ。
しかも「君の名は。」は宮崎アニメにも負けぬ大ヒットになっているから、もう隠しおおせぬ聖地。

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でもほんとうに聖地と言えるのは岐阜出身の作家でありましょう。
「半沢直樹」「下町ロケット」の池井戸潤、奥田英朗(空中ブランコ)、朝井リョウ(桐島、部活やめるってよ)、冲方丁(天地明察)、中山七里(さよならドビュッシー)、ほかにも堀江敏幸、小川一水、北川悦吏子などベストセラー作家、純文学、エンタテインメント、ミステリー、SF、脚本家などが多士済々です。
先のアニメの「氷菓」もいまやベストセラー作家となった米澤穂信の作品。文芸誌が作れるな。
「言の葉の庭」は見たのだが、「君の名は。」まだ見ていない。
名刀の復活 祖師野丸 抜けば玉散る氷の刃
中日新聞によれば、下呂市金山の祖師野八幡神宮 に祀られる名刀 「祖師野丸(そしのまる)」 (県文化財の神刀)が、関市の研師の手によって往時の輝きを取り戻した。祖師野丸は源義朝の長男義平の愛刀で伯耆国大原の刀工 安綱の作で同神宮には村人を困らせていた妖怪を義平が退治した伝説とともに伝わる。
毎年、虫干しの8月に1日だけ公開していたのだが、長年の間に錆が全体にわたり、折れる心配もされるような状態で折からの刀剣ブーム、刀剣女子に情報が拡散、修復の運びとなったらしい。
桑名でもあの「村正」を中心に桑名ゆかりの刀工を紹介する展覧会が開かれ人気らしいけど、ここ岐阜は関市など刀工も多く、名刀の宝庫?
しかし、刀は心を奪うからね。刀をきちんと御せればいいけど、人が刀に使われてしまうと主従が逆転、机龍之介のごとく「よく、斬れそうじゃ」などと心の虚無にすんなりと入り込む。

そのあたりの物語は数多くあって、先の机龍之介が主人公の「大菩薩峠」が映画化もされて有名なところ。
のどかな風景のなか、いきなり子供づれの老人を主人公 机竜之介が意味もなく斬ってしまうシーンから始まり、因果は果てしなく巡るのだけど、まさに彼の虚無に剣・名刀は入り込むのだ。

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かくて机竜之介は名刀国広?を手にして、「よく斬れそうじゃ」などど不気味につぶやくのですが、日本刀は明確に武器として作られ、すなわち、人を斬る目的のものだから、より名刀というならば、机竜之介のように身を守るべき手段としてではなく、まず斬ることそのものに目的化するというともあるかもしれない。あの妖しげな刃紋が人のわずかな虚無に入り込み、迷宮に誘うような気がするなあ。
三島由紀夫が手に入れた名刀というのも、「関の孫六 兼元」。
やはり名刀だったのか。鍔鳴りがしたか…とすこし思ってしまうのは、実はなんらかの目的のために手に入れたわけでなく、手に入れてしまったがゆえに行為そのものが目的化したというようなことはないのだろうか。
行為そのものを飾るために満艦飾な理由、舞台をを描くのは三島由紀夫らしいとも思ったりして。
往時の耀きを取り戻し、夜な夜な鍔なりがなんてことがなければいいけど。
錆に閉じ込められていた美しい刃紋が揺らめき、八幡神宮では夜な夜な鍔鳴りが響き、心奪われた少女は…と、また妄想が。
画像は「抜けば玉散る氷の刃」と謳われた『南総里見八犬伝』。宝刀は「村雨」だった。