理系・文系を重ねて見る光景は
「男はつらいよ」寅さんに学ぶ
大人気シリーズだった『男はつらいよ』の“寅さん”こと渥美清の没後20年を偲んでNHKBSプレミアムで特集が組まれていましたね。
8月30日の「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」(マドンナは太地喜和子)が最後かな。
テレビでも繰り返し放映されたこともあって、劇場で見たことのない若い世代にも人気だという。
寅さんの言葉なども人気でたしかにネットでも名言集が組まれていたりします。
でも、名言もいいけれど、言葉のやりとりの面白さが出色。

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ずいぶん前だけど、「マツコ&有吉の怒り新党」の新・3大調査会でも「男はつらいよ」があったのだけど、第1作とリリー(浅丘ルリ子)の「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」が圧倒的だったらしく、3大ならぬ2大ということになってしまった。
どこの家でもありそうな?あのメロン事件の顚末は何度見ても面白いなあ。
線香花火のように話がまわりにパチパチ飛び火する楽しさが見事。
寅さんはテキ屋さんなので、口上慣れしているというかエリートでも言葉で転がしてしまうところがすごい。

「男はつらいよ 葛飾立志編」より
博「いいですか、勉強して眼が悪くなって、その結果、眼鏡をかけるんですよ。眼鏡をかけたから勉強したことにはなりませんよ」
寅「気分だと言っているんだ、気分から入るんだからさ。ね、新しい褌をつければ体だってキリッとするじゃないか」
博「今、褌の話してんじゃありませんよ、眼鏡の話をしているんですよ」
寅「たとえ話よ。お前だってそういうことあるだろ、新しい褌したらその気持ちになるんじゃないか」
博「僕はパンツですよ」
寅「あ、そうか、お前パンツか。お前のようなパンツ野郎とは話し合いにならないよ」
博「パンツはいてどこが悪いんですか」

眼鏡論争からパンツ論争へ、はずみというものはおそろしい。しかもこれは必ずしも偶然的なはずみではなく、寅さんのほうから仕掛けたはずみである。「詭弁論理学」より

言葉のすり替えだけでなく、「兄ちゃんは恋をしたんじゃねえ、ただ、あの人が幸せになればいいな、そう願っただけよ」とカッコよさも半端ではない。
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テーマ:邦画 - ジャンル:映画

夏の怪談
まあ、8月も終わりですが、夏といえばやはり怪談。
昔のドラマなどでは必ず、連続ドラマのなかでも怪談仕立てのストーリーが1本や2本用意されていたのだけど、最近は原作物が多いことの制約なのか、オリジナルストーリーが挟みこめなくなったのかなあ。
ということで、せいぜい、「ほんとうにあった怖い話夏の特別編』みたいなオムニバスくらいですね。
今も薄幸な幽霊役が似合いそうな木村多江さんや奥貫薫さんがいるんだけどなあ。
そして、取り込まれそうになりながらも立ち向かうは波瑠さんですかね。
さて、今や恒例となった岐阜・柳ケ瀬商店街のお化け屋敷「恐怖の細道」。
今年のテーマは「曲がり角」。先が見通せない暗がりから感じる気配や 目線、そこから生まれる不安感。少年が選ぶ選択は、そして「あの女」の思惑は如何に…ということらしいです。ちなみにあの女とは岐阜発祥の「口裂け女」のこと。
ところで、あなたは幽霊派ですか、それともお化け派ですか?

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ぼくの理解では幽霊は恨みなど過度の感情によって出てくるから、恨みなどさえかってなければ恐れることはないはずで、それに対してお化け・妖怪はまあ、恨みなど関係なく出てくるもので、だからこちらの方が出くわす確率が高いにちがいない。
でも恨みなど知らぬうちにかっていたり、思い込みというのもあるから幽霊も侮れない。
親の因果が子に報いともいうし、平安時代あたりからの因果とかありそうだと思うときりがない。
それにこちらは恨みを持つから、明らかに害意があり危険です。
それにしてもこれだけ怖がりなのに怪談映画をつい見てしまうのはなぜだ?

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おかげで寝苦しい夜が続くのに、未だにぼくは布団から足も出せないのだった。
だって、足を出せば足をつかまれちゃうんだよ!
何の映画か、お話だったんだろう。忘れられないのだった。
トイレはウォシュレットになって安心になったけど(もう、便器から出てくることはないだろう、たぶん)。

テーマ:ホラー映画 - ジャンル:映画

キメラ誕生
【AFP=時事】人間の細胞を動物の胚に注入する研究に、米政府の資金が初めて投入されることになるかもしれない。米国立衛生研究所(NIH)は4日、ヒト幹細胞研究のガイドライン変更案と、特定の動物胚にヒト細胞を注入する研究領域案について声明を出し、30日間にわたってパブリックコメント(意見募集)を行うと発表した。倫理面や科学の許容範囲をめぐって懸念の声が上がっている。アルツハイマー病やパーキンソン病といった疾病や不妊などの治療で医学的に大きな突破口を開く可能性があり、不足している移植用臓器の育成にもつながると期待を寄せる声がある。

もちろん、医療や科学に多大な発展・功績ともなるのだろうけれど、どうしても倫理的な不安、科学の是非まで問われそうな問題も抱えますね。
あまり、SF的発想を持ち込んでもいかんのだろうけれど、フランケンシュタインや狼男の悲劇を連想してしまうからなあ。

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やはり三つの頭を持つキングギドラもキメラ怪獣で、宇宙最強とも言われるけど、「伝説の生き物大図鑑 世界の神獣・怪物大集合/近藤雅樹」によれば、生物学的には少なくとも八岐大蛇やキングギドラみたいなものはいない、もしくは生き残れないらしい。
あのような怖ろしげな異形であれば厳しい生存競争も勝ち抜けそうだけど、そんな生物はいない。
生物は進化によって様々な形が生まれた。
脊椎動物ではヒトや魚、鳥、カエルのように外見は大きく異なる。しかし、体の基本構造は同じで頭部も背骨も一つで鳥の羽はヒトの腕やカエルの前脚に相当する。動物には変化しやすい部分と変化しにくい部分があるらしく、脊椎動物は共通の基本構造に従うという。
仮に八岐大蛇・キングギドラなどは生まれても進化的な脆弱性があり、生き残ることは難しいということだったのだ。
実はか弱い存在だからこそ、怖ろしげで異形な姿をもって他を寄せ付けないとするなら、なんと哀しい存在だろう。
ギリシャ神話などの異形のものは進化論から外れた人工的に作られた感が強いけど、そうみればキングギドラもまた哀しげな。
永久凍土から目覚める病原体
【AFP=時事】ロシア極北ヤマロ・ネネツ自治管区で今月初めに起きた炭疽(たんそ)の集団発生で、先週までに23人の感染と少年1人の死亡が確認された。ロシア北部同自治管区にあるヤマル半島での集団発生については、炭疽菌に感染したトナカイの死骸が永久凍土の融解により露出し、他の動物に感染したことが感染拡大の原因と考えられている。
.今後の懸念は、温暖化によって永久凍土が解け、その他の病原体が今回と同じように露出することだ。中には氷河時代にまでさかのぼる病原体もあると考えられている。

ツタンカーメン王の墓といえばファラオの呪いが思い出されますが、有力な説に墳墓を暴いた折にたまっていたガスの影響というのがあった(盗掘を防ぐため意図的に仕組まれた)。
僕はそこまでは思わないけど、当時の空気環境がそのままに保存されていて、それが現代人に悪影響を及ぼしたということはあると思う。
しかし、氷河時代にまでさかのぼる病原体とは。僕たちには時限装置が仕掛けられているみたいだなあ。
地球温暖化はそんな時限装置のボタンを押すものだったか。
そこまでいかなくても地球温暖化が影響して日本への上陸が懸念されている感染症は他にもあって、「マラリア」「西ナイル熱」「デング熱」「SARS」「狂犬病」などがありますね。
「狂犬病」って日本では発生例をあまり聞かないけど世界ではやはり恐れられているのだ。
映画化もされた小説「リング」(鈴木光司)は駆逐されたはずの天然痘ウイルスの恐怖を描くものだった。
「ペスト」だって決して過去の病原体ではないのだ。

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そんな病原体の怖ろしさをぼくに最初に教えてくれたのは、マイケル・クライトンの未知の病原体の恐怖を描く「アンドロメダ病原体」で、映画化もされた。
東京に冷たく眠る「シン・ゴジラ」もまたその象徴となる。
400メートルリレーの職人芸
リオデジャネイロ五輪第15日(19日=日本時間20日、五輪スタジアム)陸上男子400メートルリレーの決勝を行い、予選と同じ山県亮太(24)=セイコーホールディングス、飯塚翔太(25)=ミズノ、桐生祥秀(20)=東洋大、ケンブリッジ飛鳥(23)=ドーム=のオーダーで臨んだ日本は、37秒60の日本新&アジア新記録で銀メダル。銅だった2008年北京五輪以来、2大会ぶりのメダルを獲得した。(サンケイスポーツ)

日本も9秒台が狙えるような最強チームだったわけだが、それでも普通なら9秒台を揃えた持つアメリカに勝てるはずもない。
それを可能にしたのは日本のアンダーハンドバトンパス。
わずか400メートルに4回のバトンパスというのはけっこうパスの比重が大きく、おそらく400メートルリレーのみにありうる可能性ではないかなあ。
まさに職人技を磨き上げる日本の伝統技能・文化がスポーツでも花開いた稀有な例。
400メートル走は体操や柔道などと違って圧倒的な身体能力のみスポーツで、技術的な要素があってもその余地は少なそうですからね。
ところが400メートルリレーでは繋ぐという、いかにも日本的なバトンパスの工夫の余地が意外にあったのだ。
ただ、これでアンダーハンドバトンパスの優位性が証明されたから各国も導入するのは必須で、東京オリンピックにこの競技での期待はもう難しいかもしれない。工業技術と違って優位性を保てる特許権はない。
あるいは日本の家電メーカーが技術の汎用化のなかで優位性を失ったようなものかもしれない。
あまりに細部こだわってガラパゴス的進化となったような。
ここはやはり競技によっては王道に立ち返ったり、あるいはそういう工夫が可能な競技を見つけ優先し、磨き上げるべきだろうか。

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昔のスポーツマンガにはよく不可能技が登場し、そんなありえない技にこだわるより、まず王道たる基礎体力の充実だろうと思うけど、マンガだからね。それとも八百万神の神が示すように「神は細部に宿る」ということなのか。
画像のドラマ化もされた「金メダルへのターン」などが典型で必死に会得したトビウオターンが本来の泳ぎでやすやすと抜かれるようでは、やってもいいけど順番が違う。まずは泳ぎでトップレベルに伍してのトビウオターンだよ。
あまり細部にこだわると全体を見失うからなあ。
東京オリンピックでは野球やソフトボールも復活したけど、ボーリングはさっぱり消えてしまった。
「美しきチャレンジャー」では「今やボウリングはオリンピック種目に加える動きさえある」ナレーションされていたのだよ。
まあ、これもオーソドックスにストライクを取るべく、専心すればいいものをありえない魔球の習得に全力を注いた。
日本人気質というべきで、まあ、これもそう悪いものでもない。合理性だけで勝ってもつまらんし。
スティーブン・ジェイ・グールドの「ワンダフル・ライフ」では、今から5億4千300万年前のカンブリア紀に、生物は爆発的な進化を遂げ、現在の地球上に存在する全ての生物の門の祖先が登場する。
つまり、進化は連続的にゆっくり進むのではなく、あるとき爆発的に進化すると。
さらなる文明の発展、人類の進化は必ずしも連続的ではなく、合理的でもない、案外こんなところにブレークスルーがあるのではないかって期待もしてしまうのだなあ。
オタクの願望だな。我らオタクの夢見る人類進化のワンダフル・ライフ。
かくて、「シン・ゴジラ」は日本に登場し、オタクたちの手で東京に凍結保存された。

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シン・ゴジラ オタクの王道
小池新都知事が誕生した。
さっそく都連に対しては戦闘モードで就任会見でも「世の中を変えていくのは『よそ者、若者、ばか者』 と言ったけれど、この言葉は残念ながら小池都知事のオリジナルではない。
これに加えて「オタク」「鼻つまみ者」「異端児」などと続けたら、「シン・ゴジラ」となってオタクの受けも一層よくなったかも(わからんけど)。
さて、「シン・ゴジラ」を見た。
スピーディで感傷的なドラマ的要素はそぎ落とされて、ひたすら人智を超えたゴジラの圧倒的な強さ、破壊を描き、それでも希望を失うなと主人公矢口内閣官房副長官のもとに集められた対策室のメンバーを中心に、核兵器攻撃を避けるべく、矢口プラン「ヤシオリ作戦」で日本の存亡をかけた自衛隊(米軍も)とゴジラとの最後の攻防に挑むというもの。
その対策室のメンバーが「オタク」「鼻つまみ者」「異端児」などの寄せ集めで、これがいずれも優秀でオタク幻想を高めます。
まあ、優秀な人が多いだろうとは思うけど、世の中を変えていくというより、きっかけとなるくらいのような気もします。
なにしろ思い込みも強く、なかなか素直に修正も出来そうもないというのが「オタク」「鼻つまみ者」「異端児」たる所以。
だから優秀なリーダーを持ってきているわけだけど、現実は目に迫る危機があってもこの連中、そう簡単ではない。
未知なる外敵(ゴジラ)にいかに戦うかを現実のリアリティをもって徹底的にシュミレーションした作品ともなるのだけど、このあたりのこだわりが評価の分かれるところかもしれない。
その意味でもオタクの王道たる傑作。

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少し、作戦遂行にあたってもシンプルにそぎ落としすぎて上手くいきすぎで、このあたりはリアリティに欠けたかも。
福島原発事故でよくわかったけど、あんな現場近くに特殊車両、ミキサー車を持っていくのは、あの破壊ぶりからは無理でしょう。
急場しのぎで変わった凡庸のようで意外に頑張る総理のように二段三段構えの、とっておきのアナログ作戦として見事遂行されるくらいがよかったかも。

テーマ:邦画 - ジャンル:映画

イギリスのEU離脱 国民投票はただの人気投票
イギリスでは大変なことになってしまったと後悔しているらしいのが、EUの残留か離脱かを問うた国民投票。
国民投票なんて言うといちばん民意を反映した民主主義そのものような気がするけど、その時代の気分というか、ただの人気投票。
毎年、恋人にしたい芸能人とか上司にしたい有名人とか、様々なランキングがあるけれど、1年でも随分変わったりしますからね。
長く未来にわたるような案件を国民投票に問うのはどうなのだろう。
大澤真幸京都大大学院教授は資本主義という経済について、民主的な体制とともにあるときだけ、自然で整合的に機能するのではなく、現代中国の中国の現状をみれば、資本主義は権威主義的な権力と結合しても問題なく動く機械だとし、資本主義の普遍性は民主主義のそれを凌駕しているといいます。
さらに資本主義を越える普遍性として、倫理学者ジョン・マクダウェル「徳と理性」から、「徳」のある人は道徳的事実の中で何が特にせり出し、何が目立っているかを適格に判断する認知能力を持つ人、分かりやすくいうと、たとえば一方では開発が必要に見え、他方では自然保護が必要に見えているとき、どちらの事実が重要かを正確に見極める認知能力こそが、徳であると。
いわば、徳は中庸なのだけど資本主義が侵食するのは、このような意味の徳なのであり、すなわち資本主義はときには守銭奴並みの節制を要求し(産業資本主義)、ときには異様な浪費が誉められる(金融資本主義)、極端を許容し、奨励する。
民主主義って万全の普遍性を保証するものでもないのだ。
国民投票はただの人気投票。
民主主義はほどほどに面倒くさいのがいいのかも。

イギリスではEUからの離脱を決めた国民投票後、移民に対するヘイトクライムが急増しているらしいけど、歴史のある民主国家、終われば多少のことはあっても仲良くスコッチでも飲んでほしいものです。

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イギリスは反戦映画ですら、こんなにシャレた映画に仕上げるのですから。
映画の題名も奮っています、原題は「OH What a Lovely War」、邦題も「素晴らしき戦争」。
いつのときであってもユーモアを。
ゆえにユニオン・ジャックは力強くはためく。

テーマ:国際政治 - ジャンル:政治・経済

オリンピックが魂と肉体のスポーツだった頃
さて、リオデジャネイロオリンピックです。
日本勢の活躍も見事で次回東京オリンピックに繋げてもらいたいものですが、昨今は政治がらみからドーピング、商業主義となかなかの難問が山積です。
いつの時代もオリンピックは感動の物語を作り出しますが、映画「炎のランナー」の頃はまさに権威主義・商業主義よりも個人の誇り、信仰・友情がいちばんだった頃。
なにしろ、英皇太子が説得しても「日曜は神が定めた安息日だから、走れない」というのだからね。
オリンピックといえどもエリックにとっては走ることは神の思寵をたたえることだったのだ。
今では選手の体調より、スポンサー、テレビ局の放送時間帯を優先するらしいからね。
リオオリンピックでも内村航平選手が体操男子個人総合で逆転の金メダルとなったけど、記者の意地の悪い質問に逆転をされたオレグ・ベルニャエフ選手が質問を遮るように内村航平選手を讃えたのは、まだ美しい精神がオリンピックに息づいてはいるのだ。
ヴァンゲリスの曲が聞こえるようだったな。
東日本大震災を経て、2度目の開催となる東京オリンピックはコンパクトで、魂をも再生するようなオリンピックとなるか。

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こちらはミュンヘンオリンピックの「時よとまれ 君は美しい」

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いかに美しい映像であったかは、チラシ裏の虫明亜呂無の賞賛の言葉で。

だれでもひまわりを知っている。
が、ゴッホのようにひまわりを見たひとはいなかった。
だれでも人間を知っている。
が、この映画のように人間を見たものはいなかった。
わけても、スポーツをするときの男と女を。その情念と肉体を。その剛毅と洗練を。
ぼくは映画の全編を通じて、
人間は美しい、
と、それだけを思っていた。

やはり国威発揚の場というばかりではなかったのだ。
時よとまれ 君は美しい。

テーマ:オリンピック総合 - ジャンル:ニュース

「裸のサル」は美しい 妄想進化論
「裸のサル」といえば人間のことですが、そう著したのは動物行動学者のデズモンド・モリス。
「マン・ウォッチング」という写真集のようなものもありましたね。
さて、人間がなぜ「裸のサル」なのかといえば、200種もある霊長類でヒトだけが全身を覆う毛がないから。
200万年前以上前の初期の人類は体毛が密生していたのだ。
紫外線から身を守り、体温を保つ体毛を捨てたのはなぜなのか。
草原に出た人類は食べ物を求め、長距離を活発に動き回っても体温を上げない工夫が必要で、体毛を捨て汗腺を必要とした。
汗は蒸発して体温を奪うからだ。
もっとも体毛を失うと寒さには弱くなってしまうけど。
まあ、これは原始人とはいえ、知恵もあって居住にも衣装にも防寒の工夫はできるし、やがてそれらは文明の基礎ともなり、ファッションなどの文化の礎ともなった。

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ところで、ダーウィンが唱えたのは性選択説、つまり、オスが毛の少ないメスを好んだからだという。
確たる科学的根拠は見つかっていないらしいけど、有望な気がするなあ。
写真集といえばまず女性で、水着、ヌードと露出が高くなり、衣装を限りなく取り外そうとしますからね。
そして、もちろん買うのは男で、まあ、これも種の存続のための生存競争。
まったく、科学は身もふたもないね。
いっそ、学術書のみすず書房あたりがヌード写真集を出すほうがいいのかもしれないぞ。
こちらは伝説のりんごヌードの麻田奈美。
まあ、みすず書房の編集者にこんなセンスがあるかどうかは知らないけど。
ということで、僕は意外に妄想進化論なんてこともあるのじゃないかと。

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喫煙シーンのある映画やドラマがなくなる日
世界保健機関(WHO)は喫煙シーンのある映画やドラマについて、若者を喫煙に誘導する効果が高いと指摘する報告書をまとめ、「成人向け」に指定する措置を各国政府が講じるよう勧告したというニュースがあったけど、措置が取られなくても自主規制が始まるのだろうなあ。
WHOによると、子どもや青少年の視聴を見込む作品であっても、喫煙に関する規制は世界的にみられず、このため、登場人物や役者の行動に影響されやすい若者が、まねして喫煙を始めるケースが多いという。
世界保健機関(WHO)といえば,その専門組織「国際がん研究機関(IARC)」が世界800件の研究を精査した結果、加工肉に大腸がんを引き起こす証拠が得られたと発表し、赤身肉も「おそらく」がんを引き起こすとした上で、加工肉をアルコールやアスベスト、たばこなどと同じグループ1の発がん性物質に分類したと大ニュースになったのはまだ少し前だったというのに、今度はタバコの喫煙シーンもなのか。
発がん性物質に限らず危険から極度に遠ざけるばかりでは人間本来の豊かな生活からも遠ざかり、危険に対する対応能力も退化してしまう。危険は避けえないのだからどう立ち向かうかを学ばなければならないのではないか。
映画もドラマも豊かな生活を提供してくれるエンタテインメントであり、また人間や社会を問う表現・芸術の側面もあるだろう。
表現者や芸術家はかならずしも他人を歓ばせたり、笑わせたりすることではなく、ときには他人が眼を背けたくなるものさえ創ってしまう衝動のなかに生きているのであり、映画やドラマのエンタテイメントだって、そんなエッセンスを取り除いてしまったら、平板でつまらないものになってしまう。
先日も「グロテスク過ぎる」連続ドラマに視聴者から苦情が多く寄せられ BPOが残虐シーンへの配慮求めるとのニュースがあった(たぶん「ON 異常犯罪捜査官 藤堂比奈子」のことですね)。
なかなか難しい主題をもってのドラマで、ヒロインの言葉を借りれば興味深いけれど、時間帯は考えたほうが良かったかもしれない。フジは以前にも「無痛」という似たような主題のドラマもあって、問われることはなかったから主題ではなく、表現なのだろうなあ、やはり。
それでも人や自然そのものは美しく優しくも、荒れ狂うものを秘めた存在ではある。

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まあ、これに限らず安全、正義、リスク回避の名のもとに人間、文化の多様性が失われていくなあ。
リスクの軽減も必要だけど、すべてがリスクを削るばかりの引き算だけでいいのだろうか。
地球も人間も文化も複雑系で、目先の引き算ばかりではなあ。
加減乗除も怪しい数学欠点だった僕が言うのもなんですが。
「MOZU」の殺伐たる景色や「わたしを離さないで」の空虚感にはタバコが似合っていた。
トラック野郎の男気
トラックの運ちゃんというと思い出すのは映画「トラック野郎」。
菅原文太、愛川欽也のコンビが電飾を付けたデコトラでアクション、人情、お色気人気シリーズで、一時は松竹の「男はつらいよ」と競い合った。
全国を回ったり、マドンナが毎回登場するなど、寅さんのパターンを踏襲するもまあ、東映だからね。
人情といっても松竹のようなゆったりとほのぼのとはいかず、荒っぽく、いささか下品だったりもします。
寅さんもずいぶんな下品な香具師の口上いうけれど、口だけで心は少年。
でもまあ、「トラック野郎」のおかげでトラックの運ちゃんも気は荒いが、実は人情味のある優しい人というイメージにも貢献した。
学生時代には深夜ラジオ「走れ!歌謡曲」なども聞いていたけど、あれも深夜に働く長距離運行トラックの運転手向けで、陰日向に日本を支えているのだ。
また、少し前、イメージ通りのトラックの運ちゃんを具現化してくれたのが、重松清原作の「とんび」で、NHK、TBSそれぞれでドラマ化され、ともに名作となった。あれは福山通運だろうか。
そんなことを思い出したのは各社配送停止となった熊本で、遅延はあっても営業所止めなら対応したという西濃運輸のニュースを見たから。(Business Journal)

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各社それぞれに方針やサービスが違うからどこがいいというものではないけど、 従来のトラック野郎の男気を思い出させるものですね。また、新たなトラック野郎の物語が生まれているのだ。これは東宝向きだろうか。
ちなみに東宝にも「刑事物語」という似たようなシチュエーションの映画があった。
これも全国各地を回ったけれど、警察官は県採用だからなあ。やっぱり東宝は「社長漫遊記」か。
洋画では「激突!」などという不気味なトラック映画もありますが。
また、今も熊本で地震発生のニュースが。地道な活動の継続が復興を支えるのだ。

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森にさまよう
全体がよいとするなら、たとえ一部分に悪いところがあっても、それを含めてよいが構成されていると考えるべきではないだろうか。
人間も、社会も、国も、地球も。自然災害と自然美が重なり一体としてあるように、というか、本来はそういうものなのだと思う。
全体がおおむね良く、個別に見つかる欠点をさらに改善すれば、より良くなるとも思うけど、返ってその一部を改善することによって概ね良かった全体の微妙なバランスが崩れていくというような。
もともと完全たる「良体」はなく、些少な欠点も全体からの必然によってなされているのも知れない。
火急の待機児童問題も急ぎ過ぎれば、千葉県市川市の私立保育園が「子どもの声でうるさくなる」などと近隣住民から反対され、開園を断念というニュースを見ると、そんなことも思ってしまうなあ。
思いもかけぬ人間の本質、社会の本質が暴かれていくような。
まあ、こんなことを言うと些少とはなんだとか、逆にその通りと言わんばかりの意見が横行しそうでいやなのだけど、もともと矛盾を抱えた人間・社会で極論ばかり言っていても分裂するばかりで壊れてしまう。
日和見、妥協的と言われても、ここは大人で知恵でほどほどに。

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「風の谷のナウシカ」で語られるように、多すぎる火は1日で森を焼き尽くし、風と水は100年をかけて森を作ります。
たとえいかに便利なものでも、あるいはいかに正義でも過剰なるものには危険がつきまとうということでもあるのだ。

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いと高らかに鳴らしてけり(宇治拾遺物語より)
たしか山田風太郎がなにかで書いていたと思うのだが、宇治拾遺物語にはこんな話があるという。
平安朝の公家が女のところに夜忍んでいくと、「いけませぬ、なりませぬ」などというのだが、男は何をいまさらと事を推し進めようとするところで、女がブッと一発。
「いと高らかに鳴らしてけり」。
男は世をはかなんで出家しようとするのだが、よくよく考えればなぜ女が屁をして、私が出家しなければならんのだと。

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男女の問題は時に怖ろしいまでに闇に落ちたりもするのだけど、ブッと一発のようなことがあれば、そんなことにもならなかったのだろうか。
しかし、これって人間がいかに幻想に生きているかと思わせます。
森見登見彦は男子の乙女への憧れを痛切に描き、まれに登場する女性がたまらなく魅力的なのは、異性への絶対的無縁さだけが生み出せる憧れ・妄想の力で、縁がないからこそ、女性を夢のように描けるのだ。
男が幻想に惑うのは平安の時代から何も変わっていない。
幻想と現実が適度に織り交ざって未来と愛は切り開かれていく!?
でも、夢も希望も、あるいは時に訪れる悪夢だって人には必要なのだろうけれど、「いと高らかに鳴らしてけり」なんてことこそが、何気ない日常に帰してくれるのかもしれない。
穏やかな日常の継続はこんな生理現象に支えられている。

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

夏だ、書を捨てて「キッドナップ・ツアー」へ出よう
一部再録です。
以前に日経新聞で佐々木毅 学習院大教授が「若者よ、『自分探し』をするな」と自分探しを批判的に書いていたけど、やはり「本当は不気味で恐ろしい自分探し」(春日武彦 精神科医)という本もでていますね。
少し前「自分探し」がブームになり、素晴らしいことのようにされたことがあったけど、この著者によれば「人間はどこかズレた存在でしかありえず、筋を通そうとすると自己の多様性を失い、強引に別の自分を引っ張り出そうとする。いいかげんさを担保する精神の柔軟さが必要」とし、さらに「人間は千差万別です。心に潜む醜怪な物を知ると同時に、自分の卑俗さや日常の雑駁さとも向き合うことが、自分探しの免疫となるでしょう」

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昨日はNHKで夏休みスペシャルドラマ「キッドナップ・ツアー」というのを見たけど、大人も子供もあまり現実に真摯に向かい合っていると、もちろん、それはただしいことではあるかもしれないけれど、そればかりでは行き詰まってしまうことがありそうですね。
厳しい現実であればあるほど。
時には理由など考えずにキッドナップツアーに出るのもいいのかもしれない。
ドラマの少女は時に翻弄されながら、また時には翻弄もしながら、旅の中でいいかげんさを担保する精神の柔軟さと強さを身につけて、夏休みの冒険旅行から帰ってきた。
「キッドナップツアー」妻夫木聡・豊嶋花の親子凸凹コンビの情けなくも楽しい心温まるロードムービー。
画像は「キッドナップツアー」ならぬタモリ主演の「キッドナップ・ブルース」。
この人もまた、いいかげんさを担保する精神の柔軟さと強さをもった昭和のエートス。

テーマ:テレビドラマ - ジャンル:テレビ・ラジオ

まぼろしの市街戦 闇よ深く静かに眠れ
なんてことを考えていたら、日本でも稀にみるような相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」での殺傷事件が起きてしまった。
正義とでも確信しなければ、あるいは確信しても、とてもあのような殺傷はできるものではないから狂気というべきなのだろうけれど、狂気というべき思考になぜ憑りつかれてしまったのか。

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人はもともと闇を抱えるものだけど、効率の名のもとに昼も夜もすべてを活用するような社会が、深く埋もれていた闇を今まで以上に日常のところどころに表出させるような気もします。
科学、社会の発展は今まで自然の判断に任されていたものまで、人の手中に収めます。
出生前診断などもそうだと思うけど、真摯に向き合えば向き合うほど懊悩は深くなり、希望とも闇ともなる。
安楽死の問題もいずれは避けては通れなくなるのかもしれない。
自然、いわば神に委ねていたものを人が行うのだ。
どこまでも余白を埋め効率を求める世界、どこまでも事実を求める世界。
闇に静かに眠るものまで暴き立てる副作用をもたらすのではないか。
それは自然に寄り添うのか、成り変わろうとするものなのか。
自然、神は優しくもあるけど、また残酷でもある。
闇よ深く静かに眠れ。

画像は映画「まぼろしの市街戦」。戦争という異常下の心とはなにか、異常と正常との違いは何かを問う作品。