理系・文系を重ねて見る光景は
投稿の時代のラジオ
小説、ショートショートでもなかったな。「宇宙を覆い、聞こえるは歌謡曲」。
引用多いし、歌詞そのままだし。まあ、年を重ねて、ようやく大人の歌謡曲がわかったということかなあ。
雑誌ほどではないけど、学生の頃、投稿したもう一つのものが、深夜ラジオ。
あのころは誰もが深夜ラジオを勉強を装いながら聴いていた(みんなは装っていなかったかもしれないけど)。
この地方ではやはり「ミッドナイト東海」(天野鎮雄・岡本典子・森本レオ)ということになるけど、聴きづらいのを耳をすませて聞いたのは文化放送「セイ!ヤング」だった。
東京からなんとなく聞こえてくる情報は落合恵子(レモンちゃん)に憧れさせるものだった。
テレビ時代となり、衰退に向かうかと思われたラジオが若者に支持され、パワーを持ったのは今のネットのようにラジオがパーソナリティを通じて個と繋がったからだろう。
やはり、幻想にすぎなかったかもしれないけど。

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ラジオはまた、ずいぶん小説にも親しむきっかけをくれた。朗読ですね。
ロマン・ロランの「ピエールとリュース」はラジオドラマで初めて知って文庫を買った。
思えば、NHK少年ドラマシリーズだって「タイムトラベラー」「なぞの転校生」などのSFばかりでなく、「しろばんば」「ユタとふしぎな仲間たち」などの名作から「つぶやき岩の秘密」「霧の湖」などの少し妖しいミステリーも幅広くドラマ化して少年少女の豊かな興味、好奇心を育んでくれた。
今はもっと自由なはずなのに情報も豊富なのにテレビもラジオも雑誌も同じようなものになりつつあるような気がする。
売れることばかり、視聴率ばかり気にしていると多様な興味、好奇心は生まれない。
ま、そんな時代を生きてきた人たちが何をなしてきたということもあるけど、それはまた別のお話。
今はラジオ深夜便かな。
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テーマ:ラジオ - ジャンル:テレビ・ラジオ

宇宙を覆い、聞こえるは歌謡曲(3)
(承前)いや、果たしてそうだろうか。
気づかれることもなく知らぬ間に真空を埋めつくすというなら、もっと日常にありふれた気怠さのようなものかもしれぬ。
佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」はまだ僕が少年の頃のヒット曲で、数々の賞も得た名曲とされたけど、一度もいいと思ったことはなく、何がいいのかわからなかった。
そんな僕もいつのまにか気怠い大人になったのか、ある日、聞いたこの歌は胸にしみた。
詩も曲も歌声も、多くの希望、勇気、愛…それに伴う困難や悲しみ、そのすべてを諦めたような気怠い幸せに満ちた歌だったのだ。
子供に分かるわけがない。
もしかしたら大人になっても永遠に分からないような詞とそれを体現する佐良直美の歌声なのだ。

あのときあなたとくちづけをして
あのときあの子と別れた私
つめたい女だと人は云うけれど
いいじゃないの幸せならば

あの晩あの子の顔も忘れて
あの晩あなたに抱かれた私
わるい女だと人は言うけれど
いいじゃないの今が良けりゃ

あの朝あなたは煙草をくわえ
あの朝ひとりで夢みた私
浮気な女だと人は云うけれど
いいじゃないの楽しければ

あしたはあなたに心を残し
あしたはあなたと別れる私
つめたい女だと人は言うけれど
いいじゃないの幸せならば

簡潔な詩に無限の虚ろが漂っている。
見事な歌唱力を携えながら、なんの抑揚もなく歌う「いいじゃないの幸せならば」こそがダークマターの本質だ。
成熟した大人の宇宙なのだ。
などと、文系の妄想は果てがない。
いよいよ物理や数学から離れそうだけど、さきのオイラーの身近で楽しげな「一筆書き問題」も、実は「一筆書きができるかどうかというネットワーク全体に関わる問題を頂点から出る線分の数という部分の性質に置き換えて解いたことが数学としての本来の肝である」と数学者秋山仁先生が言われるように、まあ、あまりロマンに流れるのもいけないのだろう。
でも僕は思うのだ。
はたしてこの歌の中に「宇宙」の肝あるのだろうか、それともただの歌謡曲なのだろうか。

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宇宙を覆い、聞こえるは歌謡曲(2)
(承前)ヒッグス粒子の存在もまさにそうで、これもよくわからないまま僕をわくわくさせた。
まあ、こちらは物理なのだろうけれど、スイスにある欧州合同原子核研究所の最新鋭の大型加速器を使った日米欧の実験で、未知の素粒子「ヒッグス粒子」の存在がほぼ確実になったというニュースだ。
すごい発見なのだろう、新聞でも大々的に扱われた。
ヒッグス粒子は神の粒子とも呼ばれ、物質に「重さ」をもたらし、物質や宇宙の成り立ちに迫る発見というのだけど、やはり文系の僕にはわくわくはしても、すごいとは思っても実はさっぱり分からない。
…宇宙は約137億年前、ビッグバンと呼ばれる火の玉状態で誕生した。このとき、すべての素粒子は質量がゼロで、真空中を何の抵抗も受けずに光速で自由に動いていた。その10兆分の1秒後、宇宙が冷えて真空の性質ががらりと変わり、陰に潜んでいたヒッグス粒子が真空を埋め尽くすように現れ、素粒子は粘り気のある「ヒッグス粒子の海」にどっぷりと漬かる状態になった…
これは産経新聞の解説だけど、科学とは思えないようなロマンチックさだ。
なぜビッグバンがあり、なぜ10兆分の1秒後なのかさっぱりわからず、宇宙は真空でありながらダークマターたる粘性の海に埋め尽くされているとは。ロマンとしか言葉が見つからない。
ダークマターたる粘性の海ってなんだ。
まるで深く暗い、悲しみや恨みで満たされた「津軽海峡冬景色」のようなどんよりとした鈍色の海、恨歌の世界ではないか。
そう思えば「宇宙が冷えて真空の性質ががらりと変わり、陰に潜んでいたヒッグス粒子が真空を埋め尽くす」というのも、意識なり感情なら個々人それぞれに無限に広がり、また果てのないような過去の人々の思いも連なるなら、宇宙を埋めつくしてしまうこともあるかもしれぬ。
それは恨みのような負の感情でなくても善意でも好意でもいいのだろうけど、がらりと変わり、まとわりつき、重くなるというなら悲しみ、恨みなど負の感情にふさわしい。

花よ 綺麗とおだてられ 
咲いてみせれば すぐ散らされる
馬鹿な 馬鹿な 馬鹿な女の 怨み節
定め 悲しと諦めて 
泣きを見せれば また泣かされる
女 女 女なみだの 怨み節…

とは梶芽衣子の「怨み節」だけど、これだけでもじゅうぶんに宇宙は恨みの粘性の海に満たされ、気分も身体にもどんよりと質量、重さを与えるようではないか。
「圭子の夢は夜ひらく」もいい。

赤く咲くのはけしの花 
白く咲くのは百合の花
どう咲きゃいいのさ この私 
夢は夜ひらく

十五、十六、十七と
私の人生暗かった
過去はどんなに暗くとも
夢は夜ひらく

夜ひらくのはまさしくはかなき夢。決して希望ではない。歌に詠まれた悲しみ、恨みはどれほどにあるだろう。
それはまた一部の象徴に過ぎず、詠まれぬ思いは果てがなく、宇宙の大半を占め、人知れず、まとわりついて離れぬ粘性の海をなす。(つづく)

テーマ:SF - ジャンル:本・雑誌

宇宙を覆い、聞こえるは歌謡曲
最近は理系女子という言葉もよく聞くから理数嫌いも減ってきているのかもしれないけれど、やはり数学は女子に限らず苦手だという子は多いだろう。勉強が嫌いな僕にとっても数学はいちばんの難関だった。
やっと問題に向かい、解答がちらついてもなにかが「ふと」揺らいでしまうと、脳の中が撹拌されたように皆目わからなくなってしまう。国語や社会などは「ふと」揺らぐことがあってもしなやかに戻れたりもするのに数学はいけない。
ポキッと折れてしまうのでもない、グニャリと歪み、意味が消え、あっというまに跡形もなく霧散してしまう。
わかってもらえるだろうか。もうどうしようなく、わからないのだということを。
「先生、さぼっているわけでもふざけているわけでもないんです。どう考えても根本の何かが壊れたようにわからないのです」
僕は「ふと」が訪れ、揺らぐたび心で叫んでいた。
言葉にしないのは、言えば「それはバカだということなのだよ」と言われてしまう恐怖からだ。
その数学の「ふと」は小学校の分数の時に突然やってきた。今まではすらすらとできていたものが、たしかにグニャリと歪むよう崩れ、形をなさずわからなくなった。たとえ順調にわかっているときも「ふと」揺らげばもう戻れなかった。
さらに中学の因数分解では「ふと」さえ訪れることなく理解不能に、微積分でははじめから宇宙人の記号の羅列にしか見えなくなり、卒業も危ういような状況にすら追い込まれた。
数学のテストは怖い。
「ふと」揺らげば零点なのだ。もうまったく手が出せなくなる。でも数学的なものは決して嫌いではなかった。
わけのわからぬ公式や定理は眺めているだけでも楽しかったし、「アキレスと亀」の話もおかしいにちがいないけど、成り立つ世界もあるのだと迷宮を彷徨い続けた。
数、数式は不可思議でも美しく楽しいものように僕には感じられた。
数年前にはオイラー生誕300年というニュースがあり、いったい誰だろうと思ったら、僕が好きだった一筆書きの問題に決着をつけたという大数学者だった。
子供の頃、誰でもしただろう、あの簡単な図形の一筆書き遊びのことだ。
決着をつけた「オイラーの一筆書き問題」というのは、ケーニヒスベルクという街を流れるプレーゲル川には七つの橋がかかっており、どこから出発してもよいから、七つの橋を全て一度だけ渡って出発点に戻ることはできるかというもので、オイラーの答えは次の通りだった。
「全ての頂点において、そこから出ている線の数が偶数であれば、出発点から終点に戻る一筆書きが可能である」
これは一筆書きの一般定理を証明するものとされ、よって七つの橋は不可能とした。
図解すればたしかにそうなのだが、それでもほんとうなのだろうかと疑問がつきまとい、七つ、八つはそうでも百や千でも、あるいはもっと多くの数においてもそうなのだろうかという疑問を僕は拭うことができなかった。          
総当たりしなければほんとうにはわからず、また総当たりすることは不可能で、僕は奇妙な迷宮にやはり彷徨うのだ。(つづく)

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大学生の頃、投稿の時代
さて、部屋の整理を進めているのだが、出てくるのが雑誌の数々。
しかもビックリハウスなどの投稿世代なので、シャアならぬ若さゆえの過ちのような投稿作品も載っていたりする。
ラジオは読まれればそれっきりだけど、雑誌は残るからね。
もう、好き勝手に恥じらいもなくして書いているこのブログ、見つけたのも何かの縁?この際、書いてしまおう。
某雑誌に掲載された人気作家ショートショートオムニバスパロディ?「雨」というもの。
画像は講読誌のひとつ「ショートショートランド」。こういうまともなのはダメだったなあ。

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 雨

PART1 筒井康隆風
また降られた。全く悲しくなってくる。いったい、いったい、どうしてこうも降られるのだ。くそっ。
ひょっとするとCIAの陰謀なのかもしれん。いや、農協か、PTAか。それとも…。
すべては文学のために心正しくやってきたというのに。雨は俺の軽快なリズムを狂わせるのだ。
ぴちぴちじゃぶじゃぶらんらんらんとはいかんのだ。
鬱々たる日々よ、これではますますもって帆立て貝、心優しく暖かく、顔はハンサムことのほか、頭脳明晰汽車の上、末は乞食か大臣か、なおも驚異は文学の非凡非凡の大才能、狐狸庵先生「沈黙」し、どくとるマンボウ「後悔」す…

PART2 宇能 鴻一郎風
すごいんです、この頃の雨。今は少し小降りになったようですけど、さっきはそれはもうすごい降り方だったんです。
家の中まで濡れてしまうんじゃないかと思ったくらいですもの。
あたし、嫌いなんです。あまり激しいのは。こうしてしっとり降るような雨は好きなんですけど。
このくらいがちょうどいいんです。傘をさすのは。わかってもらえるかしら、女ってそうなんです。
ちょっと出かけてみようかしら。あっいや、また激しくなってきた。

PART3 庄司薫風
ぼくは雨が降るとなんとなく嬉しくてそれだけでそわそわしてしまうのだけど、これはいったいどうしたわけなのだろう。
やっぱり、由美のせいなのだろうか。由美というのは僕の小さいころからの女友だちなのだけど、彼女はまあどういうわけか雨が大好きで、こうした雨降りの日には必ずぼくを散歩に誘いだすのだ。
まあ、だからうれしいということなら単純でわかりやすいけれど…

大学生の頃だなあ。
筒井康隆は支離滅裂で、宇能 鴻一郎は本を買った覚えもなく週刊誌の連載小説で読んだのか。
ミッシェル・ポルナレフのペンダントを貰ったような気がする。
さて、これを糧に?今はどうだろうということで、次回から3回にわたって最近書いたショートショートとなります。

テーマ:ショートショート - ジャンル:小説・文学

科学、文学、ユーモア、エロスの融合の極致
少し前、このブログについて、「理系の内容なのに 小説のような 起承転結的があって、 社会風刺的、哲学的な要素も盛り込まれている・・」というようなずいぶん過分のコメントをいただいたことがありましたが、まあ、たしかにそんな目標を掲げて書いてはいるものの、なかなか難しい。
僕が密かに心がけたのは初期の「タモリのボキャブラ天国」のひとつの投稿作品。
視聴者からの投稿作品で構成されていて、文学や歌詞をパロディ化し、映像で見せるもので、その傑作は「野菊の墓」。
まあ、男女が合体していて、下になっている民さんが2.5センチ、2.8センチとなにかしら小声でつぶやいている…。
そこでナレーション、「民さんはノギスのような人だ」。
馬鹿馬鹿しいけど、大笑い。
たしか山田五郎も文学趣味と理系の知識とエロスが結びついてユーモアを醸し出したような傑作と言っていましたね。
ノギスが理系っぽいのか、ちょっと疑問があるけど、マニアックではある。

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伊藤左千夫の古色蒼然たる純愛小説「野菊の墓」に、理系というほどじゃないけどマニアックな感じの測定器「ノギス」を組み合わせる面白さとエロスに対する寛容さがないと成立しないでしょう。
このブログもこんな感じでシンプルに面白くいきたいのだけど、難しい。
雑誌「ビックリハウス」などに投稿してきた投稿世代の因果か。
画像はノギスではないけど、今やマニアックな計算尺。もう、さっぱりわからない。
計算尺はアナログでほどほどの概数というのがなかなかいいのだけど、デジタルな関数電卓の登場でほぼ淘汰されてしまった。
明瞭でなく、ほどほどで薄ぼんやりとした存在も悪くないのだがなあ。
童謡「朧月夜」の歌詞のように。
菜の花畠に 入日薄れ 見わたす山の端は 霞ふかし。
春風そよふく 空を見れば 夕月かかりて にほひ淡し。

ちなみに明瞭な感じなのが「冬の星座」。
木枯しとだえて さゆる空より 地上に降りしく 奇(くす)しき光よ
ものみないこえる しじまの中に きらめき揺れつつ 星座はめぐる

ともに成り立つのがいいよね。
二分法を越えてやがて大人になる!?
僕は中庸、日和見、優柔不断的な立場を是とし、物事を明解に二分するような考え方はあまり潔しとしないという、かなり受けの悪い考え方だったりすのだけど、思えばこれも大人になってから。
青年期までは僕だって二分法的な分類の中で生きてきた。
といっても、右か左のような政治的なものばかりではなく、どちらかといえば「少年は昆虫少年かラジオ少年に分けられる」といったようなものだけど。
でもこれは両方とも実は理系で、本質的に二分するようなものでも何でもなく、オタク同士のささやかな分類のようなもの。
たとえばアイドルでいえば、内藤洋子派か酒井和歌子派かに始まり、次いで吉沢京子派か岡崎友紀派かみたいなもので、ちなみに僕は内藤洋子、吉沢京子派でありました。
それも松田聖子か中森明菜くらいまでで、いまや、AKB48をはじめとする群雄割拠の時代となった。
さらには3人娘の伝統もあって、こちらはトットテレビでも再現した黒柳徹子ほかの「ヤン坊ニン坊トン坊」に始まり、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみから南沙織、小柳ルミ子、天地真理(ここはシンシアだね)の新3人娘、また花の中3トリオと呼ばれた森昌子、桜田淳子、 山口百恵の3人もいます。
会社で括られらたのは角川三人娘 の薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子。
この伝統は今でもあり、オスカー三人娘の武井咲、剛力彩芽、忽那汐里、あるいはアミューズ3人娘の吉高由里子、上野樹里、仲里依紗とあったけど、若手の台頭も激しい。

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アニメで言えばヤマト派かハイジ派というのもありました(放送時間が同一時間帯だった)。
僕の場合はどちらかといえばというほどのもので、なあに実はどちらも好きだったりする。
それでも青年期まではピュアだったりするからなかなか中途半端な立ち位置とはいかないけど、大人ともなればいわゆる大人の知恵もついてきて、いい塩梅に落としどころ見つけたりします。
でも最近は大人になってもいい塩梅とならない人が増えてきたような気がしますね。
いつまでたっても過剰・過激だったり、旗幟を強要するような。
二分されるような社会は分かりやすいけど、平板で濃淡もなく息苦しいし、戦争時などは特に単色に染まりがちで、多様な豊かさが失われます。
宮崎駿さんも主張ははっきりしているけど、森が好きで昆虫が好きで、でもラジオも飛行機も好きで、そしてタバコも大好きで、実は矛盾をいっぱい抱え込んで生きている!?
内藤洋子派か酒井和歌子派に始まり、ヤマト派かハイジ派かと対立し、あるいは犬派か猫派、まゆゆvsさっしーでもいいけど、、矛盾を孕みながらも共存・対立、創造と破壊を繰り返しながら、やがて大人になる。
さて、AKB48総選挙、僕はまゆゆが有力かと。どこが大人だ!?

テーマ:AKB48 - ジャンル:アイドル・芸能

筒井康隆ブーム 鳴門二年より
「時をかける少女」がまたまたドラマ化です。
これで映画・ドラマ・アニメでなんと9回目の映像化。
以前は青春映画として繰り返し映画化やドラマ化され、若手女優・アイドルの登竜門とされていた川端康成「伊豆の踊り子」、三島由紀夫「潮騒」、石坂洋次郎「陽のあたる坂道」、伊藤左千夫「野菊の墓」などを越えてしまったか。
1972年にNHKの記念すべき少年ドラマシリーズ第1作としてドラマ化されて以来、1983年に原田知世が主演の大林宣彦監督作品、細田守監督によるアニメ映画をはじめ、繰り返し映像化され、ヒロインも原田知世、南野陽子、内田有紀、安倍なつみ、仲里依紗など時代を代表するアイドル女優で、今回は黒島結菜。
「時をかける少女」にしろ、50年も経つからもう古典だろうか。

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映像化だけでなく最近は旧作、新作ともに刊行や増刷が相次いでおり、世代を超えた筒井ブームが起きつつあるらしい。
筒井さんはライトノベルも書いているけど、 「時をかける少女」の文庫版もいとうのいぢや貞本義行が表紙のイラストを描いて若い世代にも売れているという。
僕は筒井さんのファンクラブに入会していたことがあり、まさに最初の筒井ブームの絶頂期だった。
囲む会があった折にはサインもしてもらえたりするから、ある時「欠陥大百科」の単行本を持っていった。
その「欠陥大百科」にはまさに名の通りに欠陥があって、奥付の刷数の日付に誤植があり、数年も先の日付になっていたのだ。
未来の発行年月日である。
でも、その年を越せばもうわからなくなってしまうから、証明のためサインしてもらう時、日付も勇気をもってお願いしたのだ。
未来の奥付の年は迫っていた。
筒井さんはすこし怪訝な表情で、でもすぐ納得がいったようにサインを入れてくれた。
なんと大いに気を利かせてくれて、鳴門元号で入れてくれたのだ。おおっ、冷やし中華愛好会が盛り上がっていたころ。
そりゃあ、冷中ならともかく、鳴門元号に改元されていたなんてもう普通の人は誰も分かりませんって。
麗しき、鳴門二年一月二十二日のことでありました。昭和53年、西暦1978年のことだった。
ちなみに奥付の年月日は1970年5月10日初版発行、1979年5月15日9刷発行。

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岐阜ロイヤル劇場で昭和30年前後の映画看板パネル展
岐阜市の柳ケ瀬商店街にある映画館「ロイヤル劇場」に、昭和三十年前後に近隣の映画館に掲げられた看板を写した写真パネルがお目見えした。「手描きの映画看板の黄金期が分かる貴重な資料」として、ロビーに常設し、無料で公開している。写真は、岐阜市大福町の看板会社「たかはし看板」(現・美工社)の職人で故高橋忠さん(一九三〇~九五年)が、自分や同業者が手がけた映画看板を記録するため撮影した。保存していた美工社が三十二点を今年三月、市内のイベントに出展するためパネル化。昭和の名作映画を常時上映している同劇場が譲り受けた。昭和二十九~三十五年の写真がA3判に拡大されている。(中日新聞)

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昔は確かに劇場前には大きな手描き看板があって、なにやらよくわからないけど趣があった。
さすがに昭和30年代の柳ケ瀬は知らないけど、僕の知る40年代後半でもまだそこそこには賑わっていた。
昭和三十年代の柳ケ瀬には映画館(柳ケ瀬地区だけでも)が十二軒あったらしく、まさに見るか飲むかの繁華街だったのだ。
しかし、映画館自体には意外に資料が残っていなかったりするのだなあ。
それとも岐阜県羽島市竹鼻町の市歴史民俗資料館・市映画資料館に資料提供してしまったのだろうか。
本来なら、この羽島の映画資料館も柳ケ瀬にあったほうがずっといいのだが、自他ともに認める映画の街なのだからね。
今では珍しい昭和名作をフィルムを常時上映するロイヤル劇場と並んで置けば、いちだんと映画の町としての町おこしにもなるのだがなあ。
いまや昔ながらの繁華街にあった映画館はシネコンに追われてどこの街でも衰退し、柳ケ瀬繁華街はそれでもまだ6スクリーン残る貴重な映画の街であり続けている街なのだ。再開発も進みつつあるけれど、特色のある核になるものがないと。
画像は当時の日劇シネガイド。さすがに30年代の大人百三十円、子ども五十五円とはいかないけど、安かった。
日劇は柳ケ瀬ではなく、名鉄岐阜駅の裏側にあって、旧作を上映する2番館・名画座でもあった。
柳ケ瀬以外にも岐阜市中心部には映画館が点在していた。
岐阜松竹では漫才・落語など演芸もやったらしいからね。

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バイソンの赤ちゃん 人間の論理、地球の論理
【AFP=時事】米イエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)で、生後間もないバイソンの赤ちゃんが「寒そう」という理由から観光客に車に乗せられて「保護」された結果、母親から育児放棄されてしまい、安楽死を余儀なくされていたことが分かった。公園関係者が16日明らかにした。その場にいた別の人は、車からバイソンを降ろさないと大変なことになると忠告したが、2人は「耳を貸さず、バイソンを寒さから救おうと有益なことをしていると思い込んでいた」。一方、この親子は車に赤ちゃんバイソンを乗せた写真をツイッター(Twitter)に投稿。これに対しては「大ばか者」「軽率」などと非難する声が相次いだ。

これは人間の驕りのわかりやすい例だけど、実はこれに近いようなことは様々にあるではないだろうか。
弱肉強食というならどんなに残酷であっても自然の摂理に沿ってはおり、「寒そう」などと人の感覚だけで判断して、保護するつもりがかえって死に追いやってしまうようなことを。
少し前にも書いたけど、研究者でさえ美しく有用な種に研究が傾きがちで、保護活動などはより鮮明に美しく可愛い動植物に向きますからね。自然の摂理に沿わぬ人の感覚ばかり優先すると、このようなことも起きてしまうのだろう。
まあ、美しく可愛く見えるというの生存のための擬態ともいえるから、これも生存競争の一面かもしれないけど。
ただし、これも地球のなかにおいてのみと思うのだが、人は宇宙にさえ、この感覚を当て込むからなあ。
映画「E.T」のように。

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ホーキング博士も「エイリアンが地球に来た場合、コロンブスの米大陸上陸時のように、先住民族のことをよく知らないために起きた結果(大虐殺)になる」「高度な文明を持つエイリアンは、自分たちが征服して植民地にする惑星を探すため、宇宙を徘徊する遊牧民のようになるからだ」と述べ、エイリアンが人類を滅ぼす可能性を強く示唆しています。
苛烈な弱肉強食などがあっても地球はそれでも共存の生態系であり、人類は戦争を永遠に繰り返しても平和を希求する。
宇宙にあって孤独だった地球のみの自然の摂理であり、思想・文化。
人間はもちろん、すべての地球の生き物が弱肉強食を繰り返しながら、それでも支えながら、守り、戦わなかったら生き延びることはできなかった。
共存、平和といっても、僕たちだって蟻や蚊などほとんど踏んでも叩いても気にしないし、微生物レベルならもう意識すらしない。
それでも地球が生物の宝庫となったのは共生は譲れぬ惑星だったからだ。
宇宙にほかの自然の摂理・文明があるとしたら、そのちがいの怖ろしさはおそらく、あっという間にささやかな文化のちがいでスペインに滅ばされたアステカの比じゃない可能性が強いということなのだ。
このバイソンの赤ちゃんはまたひとつの未来の僕たちかもしれないのだ。
天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る
将棋棋士・羽生善治名人が番組リポーターとなって人工知能技術の最前線を探ったのがNHKスペシャル「天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る」。
世界最強と目された韓国のイ・セドル九段に圧勝してしまったアルファ碁を開発したディープマインドの共同創立者である研究者のデミス・ハサビス氏と面談、ついでに両者の(ともにチェスも屈指の強豪)チェス対決も行われてこちらは1勝1敗の互角だった。
デミス・ハサビス氏は人類が何千年もかけて見出してきたことをあっという間に実現した人工知能は、今後社会のあらゆる問題を解決していくだろうと自信に満ち、羽生さんも進歩の驚くべきスピードに驚愕していた。

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ホーキング博士も「ひとたび人類が人工知能を開発してしまえば、それは自ら発展し、加速度的に自らを再設計していくだろう」、「ゆっくりとした生物学的な進化により制限されている人類は、(人工知能と)競争することはできず、(人工知能に)取って代わられるだろう」と人工知能技術は急速に発展して人類を追い越す可能性があると言っている。
人間の使い方次第で天使とも悪魔ともなるし、もしかしたら人工知能そのものも人間と同様に天使か悪魔かではなく、自ら天使とも悪魔ともなる存在となるかもしれない。人が神の思惑を越えたように!?
何千年もかけて見出してきたことをあっという間に実現するだろうというのは、かつて誰も思いもかけぬ手で、囲碁の歴史を越えるような計算のうえで圧勝したアルファ碁が示している。
デミス・ハサビス氏の希望、そしてホーキング博士の危惧はともに目前にあるのだろう。
いずれにしてもその時、人はどうあるのだろうか。
星新一は地球から何万光年離れている惑星に子供が生まれ、その父が地球にいるなら、何万光年の時をを越えてその瞬間に父になるとロマンチックなことを書いていたけど(たぶん)、人工知能は科学的ではないと一蹴するだろう。
星の輝きを見て、あれは何万光年前の光だよとも思い、遥か時空も一瞬に越える思いもできる人間の未来を信じたいなあ。
さて、羽生善治名人が最強将棋ソフトに挑む人類代表決定トーナメント「叡王戦」に出場が決定。
優勝すれば来年5月に開催される「第2期電王戦」でコンピュータと対戦する。
羽生さんは時空を越えるような手を放つだろうか。それは誰も気づかない平凡な手だったりする?
チョコレート、カカオの甘くて苦い未来
日本のチョコレート生産のスタイルがこれから変わるかもしれない。埼玉県草加市の老舗製菓会社が小笠原諸島・母島産の国産カカオを使ったチョコレートの開発に成功し、9日、都内で発表した。チョコレートの原料となるカカオは、赤道を中心とした南緯20度、北緯20度以内で、最低気温が16度を下回らず、年間雨量が1000ミリ以上のいわゆる「カカオベルト」と呼ばれる限られた地域で主に栽培されている。それゆえに、生産量も限定されている。その一方で、途上国などでチョコレートの需要が拡大しているため、カカオの国際商品市況はこのところ高騰している。(THE PAGE)

カカオは限られたエリアでしか育たないうえ(生育条件が厳しい)、熟成した実がなるまで6、7年かかり、人工的な栽培もなかなか難しく、しかも病害や気候変動など難問が続々でカカオの未来が危ぶまれていたのだ。
品種改良など研究が進められているというけど、いや、まさか小笠原諸島の母島で平塚製菓(チョコレート菓子などのOEMを中心に行っている)が国産カカオの栽培に成功したとは。えらい、平塚製菓。
母島産のカカオは「東京カカオ」と名付け、2016年には、板チョコにして1万5000枚分に相当する0・5トンのカカオの収穫を見込み、さらに2017年には2トン、板チョコにして7万枚分の収穫を目指す。
さらに今後量産のメドをつけ、2018年には東京カカオを使ったチョコレートの販売を予定しているとのこと。

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まだ道のりは長いけど、チョコレートは「神の食べ物」とも言われるらしいからね。
どうか甘くて苦いチョコレートが消えることのないように。
なにしろ僕は大のチョコレート好きで、子供の頃のメーカーもよくわからないようなあまりおいしいとはいえないものから様々なチョコレートを食べてきた。
兄ちゃんがチョコレートを半分ほど残して食べ終わるなんて信じられなかった。
いまだにお徳用のアルファベットチョコレートの袋でも開けてしまったら食べてしまいそうな危うさだからなあ。
好きなものはなんでもコレクションした実家の僕の部屋にはチョコレートの空箱・空袋さえ仕舞ってあったのだ(さすがに今はない)。
僕の記憶ではやはり明治、森永のミルクチョコレートからグリコのアーモンドチョコ、そのあとにロッテかな。
もちろん、他にも不二家のルック、フルタ、カバヤなどがあった。ハイクラウンなどは子供心にちょっと高級感がありましたね。
またチョコボールやマーブル、シガレット、チョコベビー、パラソルチョコなどのチョコ菓子など目に入るようなチョコはたいてい食べたかもしれない。まあ、田舎の子だからたかが知れていますが。
チョコレート好きには願ってもない朗報だけど、まだまだ安心はできない。

テーマ:チョコレート - ジャンル:グルメ

「トットてれび」トットちゃんの好奇心
「トットてれび」が面白いですね。
なんといっても満島ひかりの黒柳徹子感がすごい。
もちろん、似せてはいるのだけど、たぶん若かりし頃はこうであったろう、こうも言うであろうともいうような。
タモリの寺山修司のような。ちがうか。
黒柳徹子さんの周りの人たちもすごい。同時代の人が続々登場するのだが、そのいまや超大物たちを演じる出演者の人たちも徹子さんの引力に惹かれたように弾けて、同じようにかくあるかやと。
朝ドラ「おひさま」で満島ひかりの役の晩年を黒柳徹子が演じていたけど、これは満島のリクエストだった。
今度はいわば逆リクエストで、さすがにビビったらしいけど、もう受けてしまったらもう満島のぶれることのない姿勢というか個性が生き生きと輝きます。
テレビの黎明期から、そして「徹子の部屋」も驚くべき長さだけど、またユニセフ親善大使28年というのもすごい

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画像は「トットちゃんと地球っ子たち 黒柳徹子ユニセフ親善大使28年の訪問の記録」
同行するカメラマンがまたすごくて、田沼武能氏。あの木村伊兵衛氏に師事したという人なのだ。
黒柳徹子さんの親善訪問すべてに同行取材。災禍の中で生き抜く子、子らに心を寄せ抱きしめる黒柳さんの姿を撮り続けた渾身の写真集。
高峰秀子の周りもすごかったけど、トットちゃんの周りも半端ではない。
向田邦子の言う通りというか、トットちゃんは約束を果たすように面白いおばあさんになった。
トットちゃんの原点は好奇心なのだが、「徹子の部屋」のゲスト選びを見ればいまだ好奇心は衰えていない。
向田邦子は不慮の死を遂げたけど、約束はいまだ守られ、面白いおばあさんにさらになり続けている。

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訃報 冨田勲
NHK大河ドラマから手塚治虫氏のアニメまでを手掛けた作曲家で、シンセサイザー奏者の冨田勲さんが亡くなりました。
1974年の「月の光」で日本人として初めて米グラミー賞にノミネート。
マイケル・ジャクソンさんら海外の大物歌手からも慕われたという。
4年ぶりの新作となる交響曲「ドクター・コッペリウス」の制作を進めていたらしいから、まだまだやる気満々だったのだ。
冨田さんはNHK大河ドラマ第1作「花の生涯」や映画「飢餓海峡」やアニメなどの音楽で知られ、シンセサイザーを日本で初めて個人で購入した人としても有名で、ドビュッシーの作品をシンセサイザーで編曲、演奏した「月の光」は米ビルボード誌のクラシック部門で1位を獲得し、日本人として初めて米グラミー賞4部門で候補になった。

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もうずいぶん前だけど、「タモリ倶楽部」で初期のシンセサイザーの特集があったのだが、そこに登場したのは巨匠 冨田勲先生でシンセサイザーも登場した。
これがあの有名な初期のシンセサイザーでありましたか。それにしても説明書も分からぬままに使いこなしたのだからすごい。
すでにじゅうぶん伝説の人なのだけど、御年80歳にして初音ミクの名前がすらすらと出てくる好奇心の旺盛さで、とうとうコラボ企画 冨田勲制作「イーハトーヴ」交響曲世界初演公演では初音ミクが登場した。
僕はやはり「ジャングル大帝」「リボンの騎士」「ビッグX」などが好きですね。「新日本紀行」も懐かしい。
「のだめカンタービレ」で、のだめがストラビンスキーのペトルーシュカ演奏中に曲を忘れ、ふと「きょうの料理」を演奏してしまうことがあったけど、あの誰もが知っている「きょうの料理」も冨田勲さんの名曲です。

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火星大接近 少年の夢はまだ潰えない
(CNN) 火星と地球が11年ぶりの近さにまで接近している。一時は4億キロも離れていた距離は、米国時間の30日、約7530万キロに縮まる。米航空宇宙局(NASA)によると、火星は接近するにつれて夜空で大きく、明るく見える状態が6月3日まで続く。望遠鏡や双眼鏡を使わなくても、肉眼で観測できる。

日本ではまさに今、この瞬間が最接近です。
僕の子供の頃はまだ火星の運河などが広く信じられていた。
繰り返しになるけど、1957年の学研の学習年鑑理科篇の火星はこう書かれていた。
1956年の9月には32年ぶりに大接近した火星の表面は赤みがかったオレンジ色で、南極と北極には白く輝くところがあり、これは極冠といい、冬になるとできる氷の原だと思われます。火星が春になるとこの氷がだんだん小さくなり、そのかわり、赤道近くが緑色になってきます。ちょうど、氷が解けて川の回りに植物がはえているようなありさまです。ちかごろ、大望遠鏡で調べたところ、この緑色は、コケのような植物であることがわかりました…。執筆は東京天文台 富田弘一郎氏。

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今では望遠鏡の精度も、あるいは火星探査も進み、運河説は夢のように消え、タコの火星人はSF小説のみとなった。
だがしかし、米航空宇宙局は昨年、火星に今も液体の水が存在していることを裏付ける観測結果を発表した。
これまでの観測から、山肌などの斜面に、川のような模様があることはすでに発見されていて、この模様は季節によって消えたり現れたりを繰り返しており、水が流れた跡ではないかという仮説はあったものの、それを裏付ける証拠はなかった。
火星軌道上から分光計を使ってこれを観測したところ、模様の部分から塩の結晶とみられる鉱物を計測。NASAはこの結果から、この模様が「塩水が流れていた跡」である可能性が高いと分析したのだ。
富田弘一郎氏の説明に近いものがあるでしょう!?まだまだ、夢は潰えない。
あなたも望遠鏡を覗けば何か発見できるかもしれません。
画像は1952年の児童年鑑より「もしも星へ行くことができたら」。ロケット機(ジェット機のことだよね?)1000km、汽車200km、V2号6000kmと時代を感じさせます。(画像は大きくなります)
東京創元社の「火星のプリンセス」小説紹介欄には高橋源一郎がかくのごとく推薦している。
「少年時代、僕の夢はデジャー・ソリス姫と結婚することでした(マジで)。」 
まったく、多くの少年たちの夢だった。表紙の絵、セクシーだったからなあ。

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