理系・文系を重ねて見る光景は
キレイならいいのか 生物の多様性に檄!
生物の多様性も結局は人の主観だけど、もっと身近で切実なのが多様性というか容姿の良し悪し。
直球で投げたのは「キレイならいいのか」(デボラ・L・ロード)です。
「キレイならいいのか」との直球はたとえば『マツコ&有吉の怒り新党』の怒りメールにもそのまま使えそうです。

キレイならいいのか

「容姿による差別を問題にするとほかにもっと大きな問題があるのにとか、僻みっぽいとか言われてしまうのですが、その小さなことに年400 億ドル(ダイエット)、180 億ドル(化粧品)が費やされ、隠れた就職差別があり、よって生涯賃金まで変わってきます。これって労働者と資本家などの階級差別、男女差別と変わらぬ、あるいはより大きな問題ともいえるのに、主観に左右されるため瑣末な問題と流されてしまいがちです。生物の多様性でも美しく見える種が優先されるとの研究がありますが、人にこそ大きく反映されていると思います。ぜひ、マツコさん、有吉さん、そして青山さん(夏目さんから変わってしまいましたね)にも主体的に議論に参加して欲しいです…」

ね、どうでしょう。

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キレイならいいのか/デボラ・L・ロード

「容姿による差別」はいかに起こるのか。 「容姿による差別」を問題にすると「ほかにもっと大きな問題 があるのになぜそんなことを」と言われてしまう。しかし、そ の小さなことに年400 億ドル(ダイエット)、180 億ドル(化粧品)が費やされ、就職差別があり、生涯賃金まで変わってくる。この問題を歴史的文化 的背景から掘り起し、医療業界やメディアの功罪を暴き、法的 保護の作用までを徹底的に分析・検証する。

「きれいな薔薇には棘がある」という有名な格言があるけど、続けて「といっても汚れた薔薇にも棘がある」と言ったのは北杜夫。
「薔薇には棘がある」は真実だけど、これでは格言にはならず、「きれい」がついてこそですね。
形容詞がいかなるものかを示す箴言!?
でも汚れた薔薇なんてあるのかな、朽ちた薔薇ならあるけど。もちろん、棘もあります。
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新しいノアの方舟――美しく有用な種に限る(わけではない)
【AFP=時事】コアラやカンガルーに比べて「醜い」げっ歯類やコウモリの研究は人気がなく、研究資金や研究例も少ないと指摘する報告が今週、哺乳類研究の専門誌「マーマル・レビュー(Mammal Review)」に発表された。
報告は、オーストラリア固有の動物の45%を「醜い動物」が占めているのに対し、それらが詳細に研究されることは少なく、研究は「より魅力的な」動物に関するものに偏っていると述べている。
豪マードック大学(Murdoch University)の野生生物学者、トリシュ・フレミング(Trish Fleming)氏によると、研究対象は「良い動物」(カンガルーやハリモグラ、コアラなど)と「悪い動物」(ネコやウサギを含む外来種)、さらに「醜い動物」(固有種のコウモリやげっ歯類)などと分けられてしまっており、このうち「醜い動物」について書かれた論文は非常に少ない。
そうした動物は小型で夜行性であることが多く、生態系の上では脆弱(ぜいじゃく)な地位に置かれているが、こうした研究の偏りがあると、そのような動物の生態系における重要性が十分理解されず、自然保護に悪影響を及ぼす可能性があると同氏は指摘している。
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以前にも「新しいノアの方舟――美しく有用な種に限る」とのタイトルで、動植物保護の取り組みは人間の目から見て美しく見える種が優先され、醜く見える種は無視されがちな傾向がある――との研究発表があった。
カナダの農業機関の分類学者アーニー・スモール氏が発表したもので、絶滅の恐れがある種の中でも、人間から見て美しさや強さ、可愛らしさといった好ましい特性を持つ種は、そうした特性を持たない種に比べて保護活動の対象になりやすいという。
パンダやコアラが典型で、クジラやイルカもそういうことでもあるんだろうなあ。
生物の多様性に向ける目もけっこう欧米史観なのかもしれない。
日本人などは虫なども愛でますからね。まあ、生物の多様性を守るといっても、そんなもの。
「風の谷のナウシカ」の腐海の森では人を寄せ付けぬ瘴気のなか、おぞましい生物、植物に満ちていたけど、それは未来に向けて浄化するためのものだった。
虫を愛でる姫、ナウシカ姫の希望はいつか届くのだろうか。

テーマ:自然科学 - ジャンル:学問・文化・芸術

石英ガラスに刻まれる3億年後へのメッセージ
本ブログは2014年11月15日に書いたものを再掲するものです。
以前にも書きましたが、今後も新しい情報に即し修正・加筆したうえで掲載することもありますので、ご承知下さい。
今回はほぼそのまんまですけど。まあ、そんなときもね。

日立製作所と京都大学工学部(三浦清貴研究室)は10月20日、石英ガラス内部に、Blu-ray Disc並みの記録密度となる100層デジタルデータを記録・再生することに成功したと発表した。石英ガラスは耐熱性・耐水性に優れ、3億年を超えるデータ保存にも耐えられるという。11月に打ち上げ予定の小惑星探査機「はやぶさ2」相乗り小型副ペイロード「しんえん2」(九州工業大学と鹿児島大学が共同開発)に、3億年後へのメッセージを込めた画像・文字列を描画した石英ガラスを搭載する。(ITmedia ニュース)

壮大な時系列の話だなあ。
壮大といえば 巨大カルデラ噴火の日本での可能性が100年以内に1%の確率で発生するとの予測もありましたね。
地球史的にいえばもういつあってもおかしくないということだけど、これは日本の壊滅的危機と同時に世界にとっても未曾有の危機で日本にはどこにも火山はあり、巨大カルデラ噴火となれば予防策としてはもうお手上げ。
まあ、このスパンの地球的危機であれば、もはや巨大隕石の衝突、スーパーフレア、地軸の逆転、スーパーウイルス、宇宙人の来襲などであり、用心に越したことはないけど、まずは「とと姉ちゃん」の父の教えのように日々の、当たり前の生活を心配をしたほうがよさそうです。
遥かな危機を煽るのは世紀末のような荒廃を招きがちです。
天災より、人災。事故・事件・戦争だって地球を滅ぼすことがあって、こちらのほうがよほどリスクが高い!?
しかし、3億年か。僕たちが3億年後の未来にメッセージを託すようにもう僕たちも託され、受け取っているのかもしれない。
ここ各務原の地層は古生代から中生代のものと言われ、近くを流れる木曽川の地層からもジュラ紀の放散虫が見つかるのだけど、僕も子供の頃、山や川でよく化石や石を探した。
きれいなガラスのような石もあったのだけど、もし3億年前のメッセージが記録されていると思うとわくわくしますね。

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さて、正倉院に秘蔵される多くのガラス玉は鉛ガラスなのだが、ただ一つ石英ガラスのものがあり、このニュースを先んじて知らされた所管の宮内庁は密かに調査を始めた。
この石英ガラスには謎に満ちた伝承があり、記録媒体ではないかという研究も上がっていたのだ。
果たせるかな、その調査の成果・報告は宇宙の真相に迫る驚くべきもので、ただちに首相まで届けられた。
すぐさま極秘に特命担当大臣が置かれ、イシバタロウが任命された。
うってつけともいうべき、政界屈指のオタクともささやかれる男であった。
しかし、すでに情報の一部は日本の政財官界にも深く根を張る「石の結社」を通じて漏洩、各国の秘密諜報機関がさまざまに石英ガラスの謎を求めて動き始めていた。
さらに宇宙の真相に迫る解析を担った理研のスーパーコンピュータ「京」が、解析後、不可解で不気味な自走を密かに始めているとは誰も知らなかった…。
米国では、かのアルファ碁が意味不明な手を打ち始めた。なにかが蠢いている。
なんてね、SFですよ。また誰かこんなSF伝奇小説を書いてくれないかなあ。
アルファ碁に逡巡する人は勝てるか?
米グーグルの人工知能(AI)が5戦4勝で、囲碁のトップ棋士を下したというのはちょっと衝撃のニュースだった。
米グーグル傘下の英グーグル・ディープマインドが開発した囲碁AI「アルファ碁」と韓国のイ・セドル九段の勝負で、初めの3戦はアルファ碁が圧勝し、第4戦はアルファ碁が悪手を重ねて自滅、第5戦は280手に渡った接戦をアルファ碁が制したというもの。
最近はチェスや将棋でプログラムがトップクラスのプロプレーヤーに勝利することも珍しくなく、ただ碁盤上に黒と白の碁石を交互に置き、最終的に相手より広い領域を確保することを競う囲碁は、探索空間が膨大で別格と思われていた。
実際、これまではアマチュア棋士並みの棋力しかなかった。
そのため、囲碁はAIにとって未制覇の大きな課題とされ、プログラムが人間のプロ棋士を打ち負かすのは10年先の話と言われていたのだ。
勝利したアルファ碁は人間の脳の情報処理のパターンをコンピューターモデルとし、それに深い階層を持たせたディープニューラルネットワークを採用し、盤面上の位置を評価するための「バリュー(価値)ネットワーク」と、指し手を選択するための「ポリシー(方策)ネットワーク」を使ったプログラム。(うーむ、よくわからん。)
唯一敗戦したときは開発者は「AlphaGoを鍛えるために、優秀な対戦相手が必要だったので、この敗北には非常に意味がある。今回のゲームを詳細に分析することで、AlphaGoをさらに改善できる」と語ったから空恐ろしい。

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科学技術はさらに発展するから解析のスピードはさらに上がり、論理的なものでは敵わなくなるのだろう。
人間は論理的なものであっても逡巡するからね。
僕は1+1でもほんとうに2で正解なのかなと思ってしまうところがあり、実際、右向け右と言われた時は箸を持つほうはこっちだからと一度ワンクッションを置いたりするからギクシャクして、バカじゃないかという恐怖があった。まあ、バカなのかもしれない。
それはともかく、これでは勝てないと思うか、いやここにこそチャンス、別の可能性があると思うか。
まあ、僕は自己弁護じゃないけど、ここにチャンスがあるのだと思いたいのだけどね。
AIの膨大な知識の集積か、人間の矛盾や逡巡も抱え込むインディヴィデュアル(分けることのできない最少単位)である個性か。
ラブレーは「学問のない知識は心を荒らす」と言ったけど、AIは心すらないからなあ。
それともいつか心も持つのか、持てばAIの心も荒れるのだろうか。
なぜ、僕(AI)の知識は学問がないというのかと。星新一賞の一次審査だって通過したのだよって。

さて、史上初の七冠達成となった井山裕太七冠ならいかに戦うのでしょうか。
香川照之の「具志堅=綾瀬はるか」理論
香川照之の「具志堅用高=綾瀬はるか」理論が話題です。
ボクシングの熱狂的なファンで、なかでも具志堅用高を敬愛してやまない香川照之さんですが、具志堅さんのタレント活動での天然キャラで現役時代を知らない世代から笑われることが多いことにひどく憤慨し、その凄さを分かりやすく?知らしめようとしたのが、かの「具志堅用高=綾瀬はるか」理論。
「意外と頭がいいんです。同じ匂いがするのが綾瀬はるか。綾瀬はるかを天然だなんて言っちゃいけない」
どうやらラジオなどでも同様なことを言っているらしいから、思い付きではないのだろうなあ。
まあ、若手女優の見識については随一の小林信彦すら、綾瀬はるかは不思議な存在。
「海街diary」のしっかり者の長女役、大丈夫かとも思ったらしい。
知ってのとおり、「海街diary」も「わたしを離さないで」も見事に演じ、「精霊の守り人」 「ICHI」のアクションもこなし、そして「ひみつのアッコちゃん」だからなあ。

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その香川照之さんは「ひみつのアッコちゃん」では「鏡の精」を演じていた。
なにゆえ、男の香川照之が「鏡の精」なのだと思ったのだけど、この真理を見抜くためであったか。
その真理こそが「具志堅用高=綾瀬はるか」理論なのだった。
「精霊の守り人」シもーズン1が終わってしまった。
3年に渡って3部作・全22回というから、次が待ち遠しいけど、こういうゆったり作品もいいなあ。

「精霊の守り人」の美しい村、森や渓谷、大草原は熊本ロケだった。

その人は強く、泥だらけで、美しかった。(「精霊の守り人」より)

頑張れ、美しい熊本。

テーマ:テレビドラマ - ジャンル:テレビ・ラジオ

災害、あるいは文化にグローバルスタンダードはない
東日本大震災ほどの怖ろしさであっても人の記憶は良くも悪くも風化していくけど、熊本地震は改めて活断層の怖さ、また近くには阿蘇山もあり、火山の不気味さを知らしめ、原発の是非も再考させます。
僕は原発を否定するものではないけど、原発は現在の科学技術では万全とはいえない部分が明確にあり、ましてや地震・噴火・津波・巨大台風などの自然災害大国の日本では、リスクが高すぎ、それに見合った費用もかけねばならず、またどんなにかけても保証出来るもではないから、日本には向かないのだと思う。
だから当面は安全基準を厳しく認定、その上で稼動させ、そのできるだけ短い猶予期間のなかで将来への代替エネルギーへの転換を急べきと思っていたけど、もう猶予期間も少ないのかもしれない。
世界で最も厳しい基準などといっても世界でも稀なほどにあらゆる巨大災害に常に向き合わざるを得ない日本であれば当然であり、要はその地に適合するかどうかなのだけど、やはりリスクに過ぎる。
自然災害大国というのは裏腹で自然再生エネルギー(風力・地熱・小水力・波力・潮力・太陽光など)には恵まれている。
原発にこだわるより、自然再生エネルギー技術の確立を急いだほうが世界に先駆けて念願の自前の多様な再生エネルギー立国ともなるし、おそらく最終的にはローコストになり、それは豊かな生活・産業の発展の基盤となります。
災害ともなる自然エネルギーを小出しに取り出すことは災害をも減少させることにもなるかもしれないし?
もっとも原発は世界全体ではまだ継続するから、廃炉も含め技術の継承も必要で、今後、長く膨大ともなる廃炉に向けて安全な技術の早期確立ためにも基準に満たぬものはさっさと廃炉にすべきなのだろう。

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自然災害大国というのは自然再生エネルギーだけでなく、世界で稀なほど美しい自然が四季おりおりにあって、これを維持することがつきせぬ資源ともなります。
「自然」とともに生き、向き合い、寄り添う。荒々しくも美しい自然、それは絆をもたらし、人を優しくもする。
災害、あるいは文化にグローバルスタンダードはなく、それに寄り添った国づくりもあるのではないですかね。
まさに様々な多様性を体現する国ということで。
地名のなかにあるハザードマップ
熊本の地震が止まらない。震源域も南西・北東に不気味に広がっている。
16日未明の震度6強(M7.3)の地震の発生を受けて、気象庁は今回が本震で、14日夜の地震は前震と訂正した。
震源域の広がりは別の活断層が刺激されて動き始めている可能性も強い。
東日本大震災以来、日本列島はもしかしたら近来にない地震の活動期に入っている可能性もあり、地震の構造や震源域がちがっていても、火山活動も含めて従来の知識・発想を越えて考えるべきなのかもしれない。
それでも地震や噴火、台風など避けえない中で先人たちは長く自然とともに生きて美しく豊かな国を作ってきた。
その大いなる知恵に学ばなければいけないけれど、無造作に捨て去ってしまったものある。
「地名の社会学」(今尾恵介 著)によれば、地名は本来、地形など自然条件や商業や農業などのなりわいにまつわるものだった。
つまり、地名にはその土地で積み重なられた先祖の生活の歴史があったのだけど、最近でも平成の大合併などで歴史と切り離された名前の市が増え、地名を追うような学びも難しくなり、いずれ忘れ去られてしまうのだろう。
地震などの災害の歴史・データは地層だけでなく、物言わぬ地名にも組み込まれていたのに。

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僕の実家も堤防の際でかつてはよく浸水した。
まあ、実家の場合は分かりやすく木曽川の近くだからだけど、たとえ、歴史のなかで昔と土地の様相が変わることがあっても地名にはその名残があり、その歴史を読み取ることもできたのだ。
岐阜の柳ヶ瀬も地名を読み取れば水とか川とかを連想させるから、かつては水に縁があると読み取れるように。
実態に合ったハザードマップも作られるようになったけど、実は地名などもっと土地に根付いた形でハザードマップは伝承されていたのだ。
時も人も移り変わろうとも土地はそこに残り、地名として伝えることはできたのだから。
今では地名はもちろん、記念日も人の名前さえ、連休の都合やファッションになってしまいつつある。
まあ、地名も記念日も古来、時の権力者がそのおりおり都合のよいように作り上げてもきたけれど、それでも読み取れるほどには残されてきた。
忘却したいようなデータは永遠に残るのに、アナログで積み重ねられた痕跡・歴史はまるでマネーロンダリングのごとく、消しさられていく。

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

熊本地震 日本が寄り添い、対峙するのは「自然」
熊本で震度7の大地震がありました。まだ被害が続々伝えられる状況ですが、被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。
今日の夜からは大雨の予報もあり、被害が広がらなければよいのですが。
余震も大きく、繰り返しの余震は建物も人も疲弊させます。
それにしてもやはり日本は地震列島なのだ。
熊本地方は阿蘇や霧島などの有数の火山もあるし、活断層の怖さに原発関係者など改めて肝を冷やした人も多いだろう。
東日本大震災以来、地震の活発な状況が続き、御岳、阿蘇、桜島、霧島、箱根、西ノ島など火山の鳴動も止まらない。
日本列島全体が活動期に入った可能性は高いのだ。
糸魚川静岡構造線付近では、ユーラシアプレート、フィリピン海プレート、太平洋プレート、北アメリカプレートがせめぎ合うなど、世界全体で放出される地震エネルギーのうち1割から2割が日本の周辺に集中し、 おまけに海に囲まれているから風水害や津波もハンパではない。
まあ、だからこそ、多様な景観が生まれ四季が美しいのだけど。

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日本では常に「自然」と向かい合ってきた。
「自然」に対する畏敬、諦観も他国とは違うものにならざるを得ず、文化はそういうなかで独自に育まれた。
「自然と」ともに生き、向き合い、寄り添う。それは絆をもたらし、人を優しくもする。
力を合わせないと「自然」と向き合うことが出来ないからだ。
でも、向き合う、寄り添う、あるいは戦うものの多くがまず「自然」でよかったとも思うのだ。
戦うものがまず人間同志に向かうような社会よりは。対峙すべきものは「自然」ばかりじゃないからね。
どちらも難しいことに違いないけど、それでも先人たちは諦めることなく、この荒々しくも恵みももたらす美しい自然とともに生きる工夫をたゆまず努力して今があり、なお未来に繋げていかなければならないのだから。
ここ岐阜も濃尾地震をもたらした根尾谷断層など活断層は多く、油断ならない。
トリュフォーやルコントもいいけど「ひみつのアッコちゃん」も
読んでもらえれば分かるように、僕は少年の頃からアニメや映画・ドラマ、あるいは少女マンガなどが好きで、アニメや少女マンガはあまり語る友もなく、あるいは語るのも恥ずかしく、ただ映画は少し語れる場があった。
僕は基本的にどんな作品にも感動してしまうところがあり、いつだったかその貴重な語れる場で、ある映画を面白かったと言ったところ、こてんぱんにやられてしまった。
少し時代は前後するけど、学生時代の岐阜駅前でときどき見かけた自称占い師の謎のヒッピー風青年(左翼運動に詳しかった)、就職して間もなくだった頃の、まだ黎明期のレンタルビデオ店の映画青年崩れらしい店長、そしてビニ本もあるような怪しげな古本屋のおやじさん(いつも最後にこいつはすげーぞと言われて騙された)が僕のささやかな3大サブカル師匠であるのだが、映画でこてんぱんにやられたのはレンタルビデオ店の店長である。
ミーハー的という自覚はあったのだが、映画青年崩れ?の店長にうかうかと乗せられてこてんぱん。
就職の面接で青いこと言って以来、言葉は慎重に選ぶようにしていたのだが、趣味の場で安心していたのだ。
「え、これってそんなにミーハーだったのか」と改めて自分の嗜好を自覚して、映画や小説は人の言葉も確認して、あるいは引用して語るようになってしまった。自分の言葉は巧妙に避けるような。
そんな言葉であれば黙っていればいいのだが、根がおしゃべりなのだ。
先日、栗原類が「アルマゲドンを観て感動する人はダサい」と言っていて、まあ、わかるけど、実は僕も泣いてしまうんだなあ。
あのレンタル店の店長なら、もっとこっぴどく言われてしまうだろう。
やはり、ダサくなくかっこよく見られたいからね。
でもそうだけど、今はミーハーでも多少変わっていてもいいじゃないかとも思うのだ。
いまだにアイドル好きで、胸きゅんドラマが好きで、どんな映画も好きなのだよ。

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ということで、以前に綾瀬はるかの映画「ひみつのアッコちゃん」を何度も褒めたのは僕です。
トリュフォーやルコントもいいけど、でも「ひみつのアッコちゃん」好きなんだもん。
どうだ、レンタルビデオ店店長さんよ。
最近は「黒崎くんの言いなりになんてならない」も面白かったぞ。
だんだん、なんでも好き勝手だった古本屋のおやじさんに似てきたか。

テーマ:日本映画 - ジャンル:映画

ラベンダーは時をかけ、世界もかける
ひまわり畑、菜の花、ダリア、バラ…、そしてラベンダー、今やお花畑が観光の目玉になりますね。
日本は四季折々の花を楽しめるから、花好きの国民でもあります。
僕の子供の頃にも「花いっぱい運動」というのがあったけど、今でもあるのかな。
まあ、一方で菊(前に書いた椿も)などは以前のほうが人気が高かった!?
僕の子供の頃は菊花展・菊人形展などは毎年の季節ニュースだったし、近所の家でも大きく咲いた花を支える輪台をつけた立派な菊もよく見かけたものだけど。
横溝正史「犬神家の一族」など本格ミステリーの舞台をおぞましくも艶やかに飾ったのも今は昔。
かたや日本の固有種でもないマイナーだったラベンダーの知名度、人気を日本で確実に押し上げたのは、やはり「時をかける少女」の影響が大きいのだろうなあ。
いまでも羊蹄山の麓に咲き乱れるというラベンダーを思い浮かべる人は決して少なくはない、たぶん。
そして、少年は芳山和子君、少女はケン・ソゴルに邂逅するのであった。

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NHK「少年ドラマシリーズ」でSFやファンタジーに嵌った人も、ぼくに限らず多いのだろうなあ。
なかでもその第1作はあの「タイムトラベラー」だったのだ。
その後も「時をかける少女」を筆頭にそれらは繰り返し、映画にドラマにそしてアニメ化もされたのだった。
世界中の若者を魅了するアニメやマンガ、ゲームなどのジャパニーズ・サブカルチャー。
その源流をたどって行くと、戦後独自の発展を遂げた日本のSF文学に突き当たる…。
桜を筆頭に日本の花や紅葉も海外で大人気だけど、実はそれらもやはりマンガやアニメが密かに礎を作っています。
ラベンダーが時をかけ、今があるように。
木曽川を挟んで対岸は愛知県の江南市で、散歩の足を伸ばせば「フラワーパーク江南」 があり、春の花が咲き始めた。
もうすぐラベンダーも咲く頃になります。

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

温室は異空間への入り口
温室というのは今ではさほど珍しくもないのだろうけれど、なにか僕には非日常の異空間というイメージがありますね。
だから通常の時間軸に合わぬ、あるいは地域、気候に合わぬ植物・花が温室のなかで咲き誇ったりします。

「和子はいつも、学校の行き帰りに、小ぎれいな西洋風の家の前を通る。その家には、善良そうな中年の夫婦が住んでいて、庭には温室があり、その横を通るとき、かすかに甘い、ラベンダーの花の香りが、ほのかににおってきて、ほんのしばらく、和子をうっとりと夢ごこちにさせるのである」(時をかける少女 筒井康隆 著)

ほら、異空間への入り口なのだ。
そんな少し違和感のある温室好きに温室の歴史を紐解いてくれるのが、「温室 ものと人間の文化史」(平野恵 著)。
温室は明治時代に輸入された印象があるけど、江戸時代半ばから「むろ」という保温設備があった。
絵巻や遺跡などに残るその姿とは。
ね、時をかけるでしょう?

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その「時をかける少女」はまさに時をかけるように繰り返し、映画化・ドラマ化されますね。
ぼくはNHK少年ドラマシリーズ「タイムトラベラー」からですが、むろん原田知世の映画版、内田有紀のテレビドラマ版も好きです。
やはり名作となったアニメ版「時をかける少女」もよかったですね。
でも、幸運にも時を繰り返せることになっても多くは無駄に時を繰り返してしまうのは、人間の宿命なのか。
温室のある家に住まう、みなさん、時が揺らぎ、うつろうようなことはありませんでしたか?

テーマ:邦画 - ジャンル:映画

重力波は神楽(KAGRA)のなかで音階と和音と奏でるか?
エマージェンスという概念があって、自然界で言えば、たとえば渡り鳥の1羽1羽は周囲の仲間を見ながら飛んでいるのだけど、全体にはおのずと秩序が生まれている(美しい飛行形になっている)とか、花弁の並びの美しさなどもそうなのだろう。
果たして宇宙にもそういうことがあるだろうか。
宇宙、星の動き、美しい宇宙をイメージしたのは、ケプラーの法則で有名なヨハネス・ケプラーですね。
古来から星の複雑で美しい動きは宇宙・天文への科学的興味と、人の運命・神の啓示とも重ねられるけど、ケプラーも数学者でもあり、占星学者でもあった。
いわば科学と魔法が共存した時代。宇宙は星々はどのように見られていたのか。
眼を閉じて、耳を澄ませば、惑星は音階と和音と奏でながら楕円軌道を描いている。

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物理的興味でなくて文学・音楽であっても宇宙に惹かれ、宇宙を解明しよういう美しい動機にはなりますね。
漆黒の宇宙に優美な軌道を持って巡る星々、耳を澄ませば荘厳な音楽が流れている。
もしかしたら、ただの歌謡曲かもしれませんが。
くれぐれも宇宙で音が聞こえるはずがないなんて無粋なことを思ってはいけません。

惑星は音階と和音と奏でながら楕円軌道を描いている。(「宇宙の調和」 ヨハネス・ケプラー (著), 岸本良彦 (翻訳) より)
とは想像力を掻き立てますね。

重力波の検出を目指す日本の重力波望遠鏡KAGRAは、どうやら米国のLIGOに先を越されてしまったけれど、重力波が「時空の波」「時空の音」というなら音階と和音と奏でている…そんなことになれば、まさに大発見。まさかね、文系の妄想です。
神楽というネーミングがまたそんなことを強く暗示するのでありました。このイメージの流れもまたエマージェンスな。

テーマ:星・宇宙 - ジャンル:学問・文化・芸術

どうしたら宇宙飛行士になれますか?
国際宇宙ステーション(ISS)に約5カ月間滞在し、昨年12月に帰還した宇宙飛行士の油井亀美也さん(46)が12日、岐阜県各務原市で開かれた報告会で「39歳で候補生になり、その後宇宙に行った。やりたいことを一歩一歩続ければ夢はかなう」と詰めかけた子供たちにエールを送った。一般向け報告会は帰還後初めて。
各務原市には、油井さんがテストパイロットとして勤務した航空自衛隊の基地がある。会場の市民会館には、約千人の親子連れや宇宙ファンが集まった。「どうしたら宇宙飛行士になれますか」と問われると、油井さんは「勉強、家の手伝い、しっかり遊ぶことが大切だよ」と答えた。〔共同〕

油井さんは大切なことは教えてくれたけど、宇宙飛行士になれる方法は教えてくれなかった。
まあ、あまりストレートに聞かれても困っちゃうのだけど。
先日は宇宙航空研究開発機構で国際宇宙ステーションの長期間生活する宇宙飛行士の精神心理的状態を評価する手法について検討するための実験のアルバイトを募集していましたね。
実験は国際宇宙ステーションの閉鎖隔離環境を模擬するためのもので筑波宇宙センターにある「閉鎖環境適応訓練設備」において生活してすることで、簡単そうにも思えるけど実はなかなか大変そうです。宇宙に出ればもう絶対閉鎖空間ですからね。
宇宙飛行士の資質を問うものではないから「11人いる」「ふたつのスピカ」「ジャングル・フィーバー」みたいなことはないけど、それでも閉鎖空間ならではの耐性・特性がないと難しいのだろう。

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米SFTVドラマ「宇宙家族ロビンソン」ではひとつのモデルケースとして家族を中心においたクルーが宇宙に送り出されます。
でもイレギュラーに加わったトラブルメーカー ドクター・ザックレー・スミスの存在が危険も招きながら、最終的にはより強い絆をもたらす役割を持つことは、長い宇宙の生活、宇宙の旅には必ずしも油井さんのように「ライトスタッフ」(映画「ライトスタッフ」を見てね)を持つものだけでなく、持たざるものたちも捨てたもんじゃないぞと根拠のない自信をくれました!?
まあ、いずれ宇宙も身近になり、ふつうに大切なことを学び、遊び、あるいは少し落ちこぼれた僕たちにも宇宙の扉は開くのでしょう。 だから「勉強、家の手伝い、しっかり遊ぶことが大切だよ」と。

さて、その各務原市の航空自衛隊岐阜基地では、「第70回全国レクリエーション大会in岐阜」の応援行事「岐阜基地ランウェイウオーク」として、航空自衛隊岐阜基地の滑走路を初めて市民に開放する。
日時 4月23日(土)10:45~13:30(受付9:30~、荒天中止)
対象 小学生以上(小学生は保護者同伴)
定員 500人(抽選)
内容 ウオーキング約3km、岐阜基地特性カレーふるまいなど
費用 1人500円
申込と詳細 4月9日(必着)までに、往復はがきに「参加者全員の氏名、年齢、本籍地、住所、電話番号、自家用車で来場する方は自動車のナンバー」、返信用に宛先を明記し、〒502-0817岐阜市長良福光大野2675-28、県レクリエーション協会

航空祭でも滑走路には入れない。500円はかかるけど、自衛隊カレーが食べられますからね。
これも「勉強、家の手伝い、しっかり遊ぶことが大切だよ」のひとつなのだろう。
「わたしを離さないで、いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」から
今冬シーズンのドラマが始まったとき、このブログで「『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』だから『わたしを離さないで』」というのを書いたのだけど、いや、この2作、ラストまで見事だったなあ。
いずれも視聴率は取れず、月9で社会派はだめだとか、クローンはテーマが重すぎるのだとかはあったけど、ドラマの評価はずいぶん高いものがあった。
その高評価の理由については様々な人が的確に書いているので僕が言うまでもないのだけど、一つだけ言わずにいられないのはその言葉の美しさですね。

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この2作とも言葉が朴訥ながら洗練されていたこと、特に「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」などはようやく絞り出され、こぼれる言葉がそのまま詩のようでもありました。
どちらも教育など社会環境に恵まれない設定で、「わたしを離さないで」は人としてさえ認められない。
言葉を覚えるのは教育の賜物だけど、言葉を大切にするのはそれだけじゃないんだなあ。
僕などは思わず余計なことを言ったり不要な修飾語が多かったりするけど、現代社会に溢れる言葉を削り取って選び抜かれた言葉は美しい。
その言葉がゆっくり届くように語られるのも最近はあまりないことで気持ちよかった。
ずっと呼び合う名前が最後まで、さん付けであったり、ヤンキー言葉が出てこなかった稀有なドラマ、可憐な青春恋愛ドラマで、骨太なSFドラマであり、なおかつ若者の心の機微を描く香り高い純文学のようなドラマだったのだ。
そして、十二分にエンタテインメントでもあったと思ったのだが。
「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」では路傍の名も知らぬ花をそれぞれがそれぞれに気に留めて写真を撮るというシーンがあって、まさに「あの素晴しい愛をもう一度」。あの時、同じ花を見て美しいといった二人の心と心がまた通ったのだなあ。

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御殿椿をあなたの庭に
中日新聞の県内版に山田さん宅の庭に咲く椿のニュースがあった。
江戸時代、名古屋城に植えられ門外不出とされた「御殿椿」の子孫で「大城冠」と呼ばれる品種で、写真を見ると白い大輪で優美。
この「大城冠」、山田さんの実家がかつて尾張徳川家に羽織を納めていて、挿し木を拝領したという。
そしてここ各務原市に移り住んだとき、やはり挿し木をして育てたというもの。
江戸時代、2代将軍秀忠が愛したといわれる江戸椿は有名で、華麗で気品ある美しさから大流行し、最盛期には500種以上の品種があったという。同じ徳川家ならなおさらというわけで?、尾張椿も有名らしい。
ただ、椿は花が咲くまで年月がかかるらしく敬遠され、最近のガーデニングブームにも取り残され、あまり注目を浴びなくなってしまった。現在確認されているのは江戸椿は120種あまりらしいですからね。
最近は時代も反映してもっと軽やかな花に人気があるのだろう。

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ウチの実家にもかつて椿があって、ひとつはピンクで花弁がたくさんあるもので、いかにも重そうだった。
もうひとつは白に朱が交じるような一本で3種ほどの花をつけた変種だった。接木だったのだろうけれど、きれいで好きだった。
山田さんは「貴重な品種をこれからも残したい」との思いから、挿し木40本を用意しているという。
僕も実家の椿、挿し木すればよかったなあ。もしかしたら失われた椿だったかもしれない。
子供の頃、雪をかぶって椿の花弁の落ちる音に目を覚ますことがあったことを思い出す。
ウチにあったのはこんな感じだったかな?もっと朱が強かったような。あとはどうだっただろう?

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