理系・文系を重ねて見る光景は
「サウンド・オブ・ミュージック」のアルプス、ザルツブルク
今年は映画「サウンド・オブ・ミュージック」の製作50周年らしく、多くのファンがロケ地となったザルツブルクを訪れているらしい。
トラップファミリーのあの邸宅もホテルとなって泊まれるらしいからね。
いちばんの人気の部屋はトラップ男爵が子供たちと心を通わせた、あのエーデルワイスを歌った部屋。
いや、心に残る名曲ばかりの、やはりインターミッションもある長尺の大作で、冒頭の70ミリ大画面のアルプスからザルツブルクまでの空撮シーンがまず圧倒的だった。

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でもまあ、あまりにスクリーンがワイドだと字幕の位置も下部であればともかく、右や左にあればけっこう大変なんだけどね。
昔の劇場はスクリーンの前も横もギリギリまで座席はあったから、前のほうの端の席に座ったりすると首は痛いわ、目は疲れるわ、そりゃあ大変だったのだ。混んでの立ち見も珍しくなかったけど、今は昔。
そういえば、最近は吹き替えが増えていて、字幕が読めなくて苦手という子も多いという。
今はよっぽどそんなこともないから読みやすいはずと思ったら、字幕の位置の問題などではなくて、字幕の13文字が読みきれない、あるいは知識の欠如の話らしい。
昔は映画で英語を覚えたというつわものもいたのになあ。
アダルトな英語はこういうもので覚えませんでしたか?
美しいアルプス、美しい歌声、その背後に忍び寄るナチスの影。
僕はせめて各務原アルプスでも歩いてみよう。慎ましいアルプス、美しい鳥の声、忍び寄る猪の影。
トラップファミリー三女のブリギッタが好きでしたね。
ほら、「宇宙家族ロビンソン」でペニーを演じていたアンジェラ・カートライトですよ。
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テーマ:洋画 - ジャンル:映画

岐阜ロイヤル劇場 ハリウッド映画をフィルム上映
最近はもう映画館も久しく行ってないけど、ああ、懐かしや岐阜ロイヤル劇場の昭和名作シネマの紹介が新聞記事で載っていた。
1950~1970年代のハリウッド映画をフィルム上映とあって、「ダーティーハリー」「理由なき反抗」「ベンハー」「俺たちに明日はない」の4作品。
最近はデジタル上映がほとんどだから、フィルム上映はファンにとっては貴重な機会。
学生だった頃はスクリーンにザーザーと雨が降ったり、フィルムが切れて真っ暗ってこともあったけど、今は昔。
また「ベンハー」には、上映開始から6分間の序曲の間は映像は流れません。また、上映開始から2時間22分後に途中休憩が4分間ございます。「間奏曲」として挿入された時間のため、非常に短い時間となっております。一時退場されるお客様は、再開のお時間にご注意願います。と注意書きがありますね。
上映開始の序曲?そうだったかなとあまり記憶にない。休憩(インターミッション)はありましたね。

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「ベンハー」は衆楽70ミリ劇場で見たような気がするけど、昔は長大な作品にはインターミッションがありました。
記憶にあるのは他には「サウンド・オブ・ミュージック」「2001年宇宙の旅」「ドクトル・ジバゴ」くらいだろうか。
集中して見たほうがいいような気もするけど、あまり長尺だと生理現象もあるからね。
もっとも最近では2時間ドラマの低迷について、視聴者が長く複雑な物語性(とてもそうとは思えないけど)について行けないという分析もあります。
ときには疲れるほどの長尺作品もいいのだけどなあ。
近ごろのテレビの映画などもCMが入るたび途中でキャラクターの紹介、これまでのあらすじの紹介をごていねいにおりおりにやってくれるから誤読、妄想の余地もない。
邪魔でしようがないのだけど、見慣れてしまえば慣らされて、ないと分からなくなってしまうのかもしれないなあ。
このシネガイドにある「戦争と平和」にもインターミッションがありましたが、やはり間奏曲程度がいいよ。
さて、ロイヤル劇場、そのあとも70年代のヒロイン 梶芽衣子特集(女囚(じょしゅう)701号 さそり、曽根崎心中)、永遠の処女 原節子特集 其の2(山の音(おと)、美(うるわ)しき母)と楽しみな作品が続きます。


テーマ:洋画 - ジャンル:映画

ロケットの夢「下町ロケット」
俳優の阿部寛が主演を務めるTBS日曜劇場「下町ロケット」が18日に2時間スペシャルでスタートし、初回の平均視聴率は16・1%だったことが19日、分かった。15%を超える好スタートを切った。(スポニチアネックス)

第2話も15分延長のスペシャル構成と力が入ります。
まあ、原作は池井戸氏の直木賞受賞作で宇宙科学開発機構の元研究員が実家の町工場佃製作所を継いだ佃航平が様々な苦難を越えてロケットのエンジンバルブ開発に情熱を注ぎ、夢を叶えるまでを描く感動エンターテインメント巨編ですからね。
しかも池井戸氏原作をドラマ化した「半沢直樹」「ルーズヴェルト・ゲーム」を手掛けたチームで、大本命作品らしく、お金も力も入っているのだ。
ラグビーなどもそうだけど、勝ったり話題になるとファンが増えるけど、宇宙の興味も最近では「はやぶさ」がもたらしてくれた。

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米映画「遠い空の向こうに」の少年たちが世界初の人工衛星スプートニクが空に描く美しい軌跡を見て、すっかりロケットの魅力に取りつかれてしまうようにブームの奥底には、ほんとうに感動を心に刻みつける少年少女たちがいます。
僕が少年の頃はラムダロケットなどがあり、何度も打ち上げ失敗を見てがっかりした。
アメリカやソ連のロケットが垂直に打ち上げるのに、あの頃の日本のロケットは斜めに打ち上げられてで不思議に思っていた。
円谷ロケットでも垂直に打ちあがるのに。
このあたりを突き詰めて考えたりできれば僕もJAXAを目指すロケット少年にもなれたかもしれないけど、残念ながら理系の論理的思考も学力もなかった。
ちなみに「遠い空の向こうに」の原題「October Sky」は「Rocket Boys」のアナグラム。
もちろん、少年達がスプートニクの美しい軌跡を見た空も10月だった。10月の空は高いからね。
今年の10月31日の空には巨大な小惑星が接近し、遠い空の向こうを通り過ぎる。

テーマ:テレビドラマ - ジャンル:テレビ・ラジオ

孤独な宇宙 ドクター・ザックレー・スミスは友だち
宇宙飛行士になるにはNHKでドラマ化され、JAXAの全面協力した「ふたつのスピカ」でもいろいろなテストが行なわれていたのだけど、「11人いる」(萩尾望都)を思わせるような緊急対応能力など、けっこうリアルなテストだった。

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閉鎖空間だからこその和ませる能力、親和力なども問われるのだけど、米SFTVドラマ「宇宙家族ロビンソン」ではひとつのモデルケースとして家族を中心においたクルーが宇宙に送り出されます。
でもイレギュラーに加わったトラブルメーカー ドクター・ザックレー・スミスの存在が危険も招きながら、最終的にはより強い絆をもたらす役割を持つことは、長い宇宙の生活、宇宙の旅には僕たちライトスタッフを持たざるものたちも捨てたもんじゃないぞと根拠のない自信をくれました!?
まあ、いずれそういう存在として僕たちにも宇宙の扉は開くのでしょう。
僕たちは重力に縛られない―それでも私は宇宙へ行きたいと。
10月25日は岐阜基地航空祭
日本人宇宙飛行士となった防衛省航空幕僚監部の油井亀美也さんは、テストパイロットとして岐阜・各務原の航空自衛隊にもいたのだけど、明日はその岐阜基地の航空祭で天気もよさそうです。
僕も各務原市民だけど、好天の続いた秋空にずいぶん訓練飛行していたから万全の準備。
今年も入口には小学校並みの運動会のようなしょぼい垂れ幕で迎えるんだろうなあ。
まあ、祭りの基地内のBGMはAKB48やアニソンで運動会のようでもありますが。
でも基地内に入ればすごい。
油井さんも映画「ライトスタッフ」を見て宇宙への想いを募らせたそうだけど、パイロットなどのライトスタッフ(己にしかない正しい資質)もすごいのでしょう。

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岐阜基地は実験基地でもあるので結構珍しい航空機もあったりするので、けっこう人気の高い航空祭です。
また岐阜基地のとなりには実験機、実機などが展示された「かかみがはら航空宇宙科学博物館」もあって、来年の秋には日本航空協会の所有で、今まで貸与・展示されていた「知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)」から、「三式戦闘機=飛燕(ひえん)」も帰ってくるからね。
もちろん、STOL実験機飛鳥や垂直離着陸機VTOL フライング・テスト・ベッドなどの唯一の機体も見られます。
さあ、どこから見ようかなあ。
孤独な惑星の宿痾
そのホーキング博士、「エイリアンが地球に来た場合、コロンブスの米大陸上陸時のように、先住民族のことをよく知らないために起きた結果(大虐殺)になる」「高度な文明を持つエイリアンは、自分たちが征服して植民地にする惑星を探すため、(宇宙を徘徊(はいかい)する)遊牧民のようになるからだ」と述べ、エイリアンが人類を滅ぼす可能性を強く示唆した。

共存、平和は孤独だった地球のみの思想・文化。
おそらく果て無き激烈な宇宙のなかの生存競争では相容れないのかもしれないなあ。
地球は孤独でしたからね。
人間はもちろん、すべての地球の生き物が弱肉強食を繰り返しながら、それでも支えながら、守り、戦わなかったから生き延びることはできなかった。
人間同士であればなおさら。
共存、平和といっても、僕たちだって蟻や蚊などほとんど踏んでも叩いても気にしないし、微生物レベルならもう意識すらしない。
それでも地球が生物の宝庫となったのは共生は譲れぬ惑星だったからだ。
宇宙にほかの文明があるとしたら、その文明のちがいの怖ろしさはおそらく、あっという間に文明ではなく文化のちがいでスペインに滅ばされたアステカの比じゃない可能性が強いということなのだ。

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しかし、孤独な惑星だった地球は弱肉強食を繰り返しながらも限りなく共存、平和を希求する。
宇宙の時代になれば友達探しをするのだろうなあ。人はひとりっぼっちには耐えられない。
夢を、絆を求めずにはいられない。たとえ、どんなに残酷な友人であっても。

「コンピュータ将棋プロジェクト」の終了はAI支配の始まり!?
鈴木しづ子各務野幻想譚はまだまだ続くのですが…、ほかの科学や映画などのテーマもあるから、まあ、ぼつぼつと。
さて、情報処理学会は10月11日、「コンピュータ将棋プロジェクト」の終了を宣言した。事実上プロジェクトの目的を達成したと判断したとしている。同年10月11日に清水市代女流王将(当時)とコンピュータ将棋「あから2010」が対局し、「あから2010」が勝利。その後のプロ棋士とコンピュータ将棋の対戦でもコンピュータ将棋が互角以上の結果を残し、またコンピュータ将棋の実力は2015年の時点でトッププロ棋士に追い付いている(統計的に勝ち越す可能性が高い)という分析結果が出ているという。(ねとらぼ)

それ以前にも東北大学院で理論化学を研究する保木邦仁氏が開発したコンピュータ将棋ソフト「ボナンザ」などがあって、けっこうコンピュータらしからぬ妖しい手もあったらしい。
完全なAIとなっても妖しい一手はあるだろうか!?

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ホーキング博士は昨年、英BBCのインタビューで「完全なAIの開発は人類に終わりをもたらすかもしれない。ゆっくりした進化しかできない人間に勝ち目はない」と発言したけど、「コンピュータ将棋プロジェクト」の終了も実はコンピュータの示す恐るべき未来に蓋をして隠したのかもしれない。
羽生善治四冠はきっと対戦したかったんじゃないかなあ。
昔から将棋界には面白い人、変わった人が多いけど、ホーキング説を聴けば大山康晴や升田幸三など、目の色変えてやりそうな気がしないでもない。
また、そこに人類の可能性があり、もしかしたら究極なAIたるには人間的なカオスが入ることかも。
まあ、それはいわゆる完全なAIからの脱落でもあるけど。
鈴木しづ子各務野幻想譚 第二景 娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ
娼婦と呼ばれた俳人の名は鈴木しづ子。
東京に生まれ育ち、結婚、別れを経て岐阜の地で暮らした。
初期の句は若い女性らしい瑞々しい清新な句に満ち、のちに大きく変貌、直截的なまでに女、性を詠んだ。
岐阜柳ヶ瀬のダンスホール、那加の米軍キャンプと流れ、黒人兵と同棲、この地から大量の句を投稿した。

第二景
「また、君ね」近くの三井山の山際だった。柿の木に上り、手を伸ばして柿を取ろうとした時だ。
「柿泥棒だ」
「泥棒じゃないよ、誰でも取れる柿だよ」僕は言い返す。
蟻を煙草の火で焼いた美しい女だ。
「でも、君のじゃない」
「誰のものでもないよ、僕が取れば僕のものだ」
「熟してはいないよ、その柿は。君の順番じゃない」
「順番?言ったじゃないか、誰も先のことはわからないって、明日はわからないって」
「覚えているんだ、お利口ね」
「じゃあ」女は親しげに声を変えた。
「私にも取ってもらえるかしら?」
「いいよ、これでいい?」
「となりの赤く熟した柿がいいわ」
僕は手を伸ばす。柿は指で少し潰れ、零れ落ちた。
女は足元に落ちた熟柿をゆっくりと美しい脚で踏みつける。
「ほんとね、明日のことはわからない」
「次はとなりの柿よ」

《娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ》
鈴木しづ子各務野幻想譚 第一景 蟻の体にジュツと当てたる煙草の火
娼婦とも呼ばれた美貌の俳人鈴木しづ子は岐阜市や各務原市と縁が深く、僕ももしかしたら少年の頃、岐阜や基地のあった各務原市那加で会っていたかもしれない。僕にも夢のようなマレーナがいたような記憶があるのだ。 
というわけで、「鈴木しづ子各務野幻想譚」です。

鈴木しづ子各務野幻想譚

娼婦と呼ばれた俳人の名は鈴木しづ子。
東京に生まれ育ち、結婚、別れを経て岐阜の地で暮らした。
初期の句は若い女性らしい瑞々しい清新な句に満ち、のちに大きく変貌、直截的なまでに女、性を詠んだ。
岐阜柳ヶ瀬のダンスホール、各務原那加の米軍キャンプと流れ、黒人兵と同棲、この地から大量の句を投稿した。

第一景 蟻の体にジュツと当てたる煙草の火

「あなた、蟻を殺して楽しい?」
突然、声をかけられて僕は驚いた。
僕は父に連れられて「那加の市」に来ていた。
「市」の狭い通路には百軒近くもあるのだろうか。様々な商品を並べた店が喧騒のなか、重なるように軒を連ねている。
父の店には売り物の反物、足袋、襦袢などが積まれていた。
僕の家は祖父が辛苦のなか成した田舎の商家で、まだ元気な祖父のもとで父はよく犬山や岐阜などの「市」に行かされることがあった。今日は家からも近い「那加の市」で、僕は留守番役も兼ねて連れて来られていた。
狭い「市」の店のなかでは居場所もなく、無口な父と一緒の店番にも飽きて、僕は外に出ていた。近くに一軒分ほどの隙間があり、明るい春の陽射しのなか、僕は家から持ってきた虫眼鏡で地面の石や砂を覗き込む。そのレンズの中に入ってきたのは大きな黒い蟻だった。
僕は黒いものが虫眼鏡の光を集め、燃えやすいことをよく知っていた。何度も黒い紙を屋根の瓦の上で燃やし、よく怒られていたのだ。蟻も燃えるのだろうか、死んでしまうのだろうか。生きるものに光を当てるのは初めてだった。僕は動き回る蟻にしつこくレンズの光を当てた。
そんなときだ。声をかけられたのは。
僕は顔を上げた。女だった。
美しい女だけど、ふつうの女ではない。
よく噂に聞く、基地に出入りするパンパンと呼ばれる女だ。
女は美しかった。じっと見つめられて僕は俯いた。
「こんなきれいな女、初めて見た?」女はからうように言う。
「それとも見てもいけないような女なの?でもね、ようく、見ておきなさい。あなたが今、蟻の運命を握っているかもしれないけど、誰も先のことはわからない。明日、死んじゃうかもしれないし、私のように変わってしまうかもしれない、あなただってね」
ほらっと言って、女は手に持っていた煙草の火を蟻の背にいとも簡単に当てた。
「明日どころか今日死んじゃったわね」

《蟻の体にジュツと当てたる煙草の火》

女はゆっくりと言葉を詠んだ。
「わたしは俳句を詠むの、あなたにはわかるでしょう?」
(俳句…)
黙り込む僕に「あなたも詠んでごらんなさい」当たり前のように言い、女はその煙草をまたくわえた。
「情景を見たまま、思うままに詠むの」
(俳句を詠む?)
「あなたは詠めるわ」
(なんで?)
僕には少しもわからない。下を向いた僕の目には死んだ蟻が映っている。僕の虫眼鏡で焼かれるはずの蟻だった。言葉が出た。

「蟻の背にジュツと当てたるレンズの火」

「へぇ、レンズの火か、悪くないよ、君。でもちゃんと店のお留守番も手伝うのよ」
女はそれだけ言うと何を買うでもなく「市」の喧騒から立ち去って行く。

《蟻の体にジュツと当てたる煙草の火》

テーマ:文学・小説 - ジャンル:小説・文学

シャイネス 誰にも届く明るさだけがいいのではない
医療機関が1人の患者に3種類以上の睡眠薬を処方すると診療報酬を大幅に減らされるようになった昨年4月以降、体への作用は同じ「抗不安薬」に切り替えて同じ量を処方するケースが横行していることが、医療経済研究機構などの研究チームによる調査で分かった。精神科では、有効性を示す医学的証拠がないにもかかわらず、患者の求めに応じて睡眠薬などを多量に処方することが問題になっている。(毎日新聞 )

まあ、医療対策の重点であったがん、脳卒中、心筋梗塞、糖尿病の「4大疾病」に、新たに精神疾患を追加して「5大疾病」とする方針を社会保障審議会医療部会に報告し、了承されたということもあるけどどうなのでしょう。

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以前、読んだ「乱造される心の病」(クリストファー・レーン著)にも怖ろしいことが書かれてあった。
向精神薬が次々に発売されるのに心の病を抱える患者は増える…というなら、たしかになにかがおかしい。
内気ではにかみ、人前で話をするのが苦手、シャイな性格は内省的で奥ゆかしく美徳ともいえるのに、アメリカの精神医学では「内気は病気」であり、「社会不安」「回避性パーソナリティ障害」などの病名がつき、向精神薬が処方されるという。
日本のおとなしい子、オタクなどみんな病気にされてしまうではないか。
内向的な子が生きにくい環境こそに問題があり、多少生きにくくてもそのままに許容されるようなより多様で自然な社会の在り方を考えるべきではないのかなあ。
「君に届け」のように誰にも届く明るさだけがいいのではないはずだけど、なぜあなたも誰にも届く明るさにしないのかと一見無垢な、分かりやすい論理に追い詰められがちですからね。
それぞれの程よい明るさで、あるいは暗さでもよいのではないか。
でなければ内省的ゆえの美しさ、表現などの奥ゆかしさ、人の多様性を奪われるような気がします。
メタボもそうだけど、医者が科学的根拠に基づかず、新たに病気を定義づけ、製薬会社が巧妙に薬を売りつける。
そして、精神の本来の病が埋没、見失われていく…。
日本文化は基本、辺境の島国の故もあって、内向きにひたすら発展し独自な文化となり、ようやく一部のセンシブルな外国に発見された。
今の時代はTPPにも乗らねばならぬ時代だけど、だからといって内省的で奥ゆかしく美徳たる文化を守ることも大切でしょう。
まあ、こういうものは形のない心や感性によって内省的に広がっていくものだから、グローバルスタンダードに一元的に縛られたらあっという間に崩壊。
「物質」そのものを変えるのではなくて、「物質」に新たな可能性を見出すものであるものが科学とするなら、経済のグローバルスタンダードにも新たな可能性を見出す、創り出すことで発展し、なおかつ内省的、奥ゆかしい政治・経済・文化となりますか!?
そういえばTPP、最大のハードルは医薬品のデータ保護期間だった。

【BOOK】精神科医が狂気をつくる 臨床現場からの緊急警告/岩波明
精神疾患の治療と称し、罷り通る代替治療。しかしその「まやかし」が、取り返しのつかない重篤な患者を大量に生んでいる。
医師たちの大罪を告発する。
化学は錬金術から始まった、ノーベル化学賞
ノーベル化学賞はDNA修復に関する研究で、生理学・医学賞でもおかしくないと思った人は多いと思う。
実際、「生物学賞化する化学賞が示すノーベル賞の制度疲労」という記事もあった。
まあ、もともと化学そのものが妖しげな錬金術から来ていますからね。
果てのない好奇心、探究心がさまざまに分野を拡張してきた。
化学薬品から医学の麻酔薬、実験道具など錬金術がなければなかったのだ。
妖しげな錬金術師もあったけど、ルネサンス期の最大の錬金術師パラケルススは魔術師的伝説とは違い、意外なほどまっとうな科学的史観にもとづいていたという説もあるのだ。

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僕などは物理学賞のヒッグズ粒子、ダークマター、宇宙の始まりの解明などは、だんだん自然科学から哲学に近づいているとさえ思いますからね。
文学、平和、経済学賞なんてのは社会科学や主観的・観念的なものだから時代で評価もいつか変わるものだ。
もしかすると自然科学も錬金術、魔法の時代に回帰しつつあるのかも。
錬金術はもともと化学的手段を用いて卑金属から金を精錬しようと始まったとされるけど、本来は「物質」そのものを変えるのではなくて、「物質」に新たな可能性を見出すものであるとすれば、やはり科学なのだろうか。

テーマ:化学 - ジャンル:学問・文化・芸術

天高く馬肥ゆる秋ドラマ 5時から10時まで
秋ドラマもいよいよ始まったので、久しぶりにテレビドラマを。とりあえずは順番に。
「偽装の夫婦 」「無痛〜診える眼〜」「 掟上今日子の備忘録」「破裂」「エンジェル・ハート」「5→9(5時から9時まで) ~私に恋したお坊さん~」を見たのだけど、なかなか出来としてはいいのではないでしょうか。
「偽装の夫婦 」は遊川和彦脚本、なかなかありえない展開が身上で、うまくはまれば面白くなるのだが、役者が達者なのか相性がいいのか、重いテーマも軽々とこなせれば。
「無痛〜診える眼〜」も医療・刑事ドラマを併せ持った作品で、外見を見るだけで症状を見抜き、神の診察眼を持つとも紹介されるけど、過去見・予知能力もあるのではないか。
「掟上今日子の備忘録」は寝ると記憶がリセットされる忘却探偵のアイデアが秀逸だけでなく、そのアイデアがうまくプロットされていて、また新垣結衣、岡田将生のコンビが楽しい。
「破裂」はNHKらしい重厚な作りで、楢山節考みたいな厚労省の役人のたくらみが怖ろしいというか、いつか人知れず支持されていきそうな気がしてなお怖ろしい。国家は100年、1000年の大計を考えるからね。マキャヴェリズムが忍び込んでもおかしくはない。
「エンジェル・ハート」はやはり日テレはマンガ原作の実写化がうまく、マンガ・アニメがフラッシュバックする。

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「5→9(5時から9時まで) ~私に恋したお坊さん~」、これはもう石原さとみの石原さとみのためのドラマですね。
さっそく「花男」説も出ていますが、ひたすら石原さとみを愛で、楽しむ作品でありましょう。
映画「わたしのグランパ」でデビューした、あの子がと思うと、思いもひとしおというものです。

テーマ:テレビドラマ - ジャンル:テレビ・ラジオ

里山の散歩は美しさに満ち、ささやかな危険も潜む
京都市左京区吉田中大路町の吉田山の山道でこのほど、猛毒のキノコ「カエンタケ」が見つかった。付近は通学途中の小学生が歩いたり、住民が散歩コースとして利用している。市は「触るだけでも危険。近寄らないで」と注意を呼び掛けている。
カエンタケは赤やオレンジ色で、細長い円柱状の形が特徴。人間の指にも似ている。毒性が強く、食べると死に至る可能性があり、触れると皮膚の炎症を起こすとされる。住民から連絡を受けた市左京保健センターが30日に除去し、切り株に危険を伝える注意書きを設置した。(京都新聞)

時代だから仕方ないのだろうけれど、自然は美しさともに危険に 溢れているもので、ましてや子供は危険が大好きだからね。日本は地震・火山・台風・津波など、ほぼすべての自然災害に満ちているけど、それゆえに日本が世界で稀な美しく多様な自然・資源にも恵まれているということにもなります。
禍福はあざなえる縄の如し。

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先人たちは諦めることなくこの荒々しくも恵みももたらす美しい自然とともに生きる工夫をたゆまず努力してきたのであり、それは排除ではなく、その知恵と工夫が田んぼや里山であり、長きにわたる治山治水があるのでしょう。
東日本大震災はそれこそ日本では100年、1000年単位の取り組みの必要性を改めて思い起こさせてくれるものだったけど、それは河川など自然、町づくりすべてに渡ります。
こうした里山の毒キノコやスズメバチなどの危険も必ずしも排除するのではなく、伝え学ぶことを旨とすべきと思うのだけど。
自然だけでなく、人生もそうで幸せで豊かではありたいけど、危険も潜むのであり、ゆえに人は学び続ける。
僕も最近は散歩する機会が多いのだけど、危険な場所は注意深くするので、よほど大丈夫なのだけど、フラットな道は安心してあちらこちらと目をやったりして、先日はちょっとした段差に躓いて転んでしまった。
やはり足は上がっていないのだな、また躓いても姿勢を持ちこらえることができないのだなと思うけれど、ゆえにまた歩き続ける。
まあ、迷惑はかけないほどに。

画像は岐阜県の養老天命反転地。感覚の不安定さ・危うさを体全体で楽しむことを目的とした施設で、日常生活では失われつつある錯覚感、不安定な感覚を体全体で知ることを学ぶテーマパーク。 自然は本来、危険にあふれ、人はその自然と共生することで学びます。 開園当時、作品内で滑って怪我をした人が多数出て、対策も練られたが、制作者の前衛美術家 荒川修作は意外に少ないなあと言って平気だったという。
というわけで、柵等チャチな危険防止策は取られなかった。

テーマ:散策・自然観察 - ジャンル:趣味・実用

スーパーカミオカンデ 文系と 理系を結ぶ ひも理論
ノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章さん。研究の舞台は、宇宙素粒子観測装置「スーパーカミオカンデ」。
素粒子ニュートリノに質量があることを発見し、物質や宇宙の謎に迫る素粒子研究を発展させた功績が評価されたとのことだけど、すごいらしいとわかっても、実はさっぱりわからない。
でも、これでまたノーベル街道が確固たるものに。
次はハイパーカミオカンデの計画もあるし、まだまだ続きそうです。
さらにもしヒッグス粒子を調べる次世代の超大型加速器「国際リニアコ ライダー(ILC)」が国 内建設候補地とされる岩手県南部と宮城県北部にまたがる北上山地となれば、次はここが物理学賞の宝庫ですね。
いささか都市伝説的な危険も言われたけど、まあ、そんなことを言い出せば理論物理だってあぶない。
ペンと紙さえあれば出来ちゃうのだからね。
宮崎駿監督のマンガ・アニメではないけど、ペンと紙さえあれば出来てしまうというのは大きい。
天分が必要といっても機会や努力は誰にも持ちうるものなのだから。

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神岡鉱山の廃坑を利用したカミオカンデ。地方再生のひとつの方法ですね。
同鉱山の閉鎖とともに廃線となった旧神岡鉄道もレールにマウンテンバイクを乗せてささやかながら人気らしい。
NHK BSプレミアム 岐阜発地域ドラマ「ガッタン ガッタン それでもゴー」とドラマ化です。
放送日 2015年10月28日(水)22時~
さて、理数俳句を一句。
文系と 理系を結ぶ ひも理論

テーマ:星・宇宙 - ジャンル:学問・文化・芸術

ツタンカーメン墓の「隠し部屋」探査へ
[カイロ 1日 ロイター] - エジプト南部ルクソールの「王家の谷」にある古代エジプトのツタンカーメン王の墓に2つの隠された部屋があり、その1つに伝説のネフェルティティ王妃(紀元前14世紀)が埋葬されている可能性が出てきた。英考古学者のニコラス・リーブス氏が1日、カイロで会見を開き明らかにした。

おお、ついにネフェルティティの登場です。古代エジプトの三大美女のひとりで謎多き美女ですね。
ツタンカーメン王の墓といえばファラオの呪いが思い出されますが、有力な説に墳墓を暴いた折にたまっていたガスの影響というのがあった(盗掘を防ぐため意図的に仕組まれた)。
僕はそこまでは思わないけど、当時の空気環境がそのままに保存されていて、それが現代人に悪影響を及ぼしたということはあると思う。

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僕はタイムマシンがあれば行きたい時代がいっぱいあるけれど、まずは平和な時代。
日本は世界に比べれば平和で穏やかな時代が多いと思うけど、やはり平安か江戸時代ですかね。
それでも怖いのはやはり病気です。天然痘など日常にあったというからね。
ちなみに天然痘のいちばん古い症例はエジプト王朝のラムセス5世というから、撲滅されたウイルスの復活もありうるのかもしれない。
現代の日本人などはほぼ無菌培養みたいな清潔社会だから、あっという間にやられちゃうのではないだろうか。
ジュラ紀など有史以前も面白いけど、水、あるいは大気組成自体がずいぶん違うような気がするから、酸素・防毒マスクなどが必須かも。
それとも意外に洞窟おじさんのようにタフに生きていけそうな気もするけど。
図書館戦争 本を守りたい、あの人みたいに。
愛知県小牧市で4日、レンタル大手「TSUTAYA(ツタヤ)」を展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)に運営委託する新図書館建設の賛否を問う住民投票が行われ、即日開票の結果、反対票が多数を占めた。市は図書館建て替えに当たり、佐賀県武雄市などで実績のあるCCCに運営委託する新図書館建設計画を策定。中心市街地活性化の目玉として42億円で名古屋鉄道小牧駅前に建設し、2018年度のオープンを目指していた。(時事通信)

佐賀県のツタヤ図書館はカフェも併設、書籍の販売・レンタルもあって運営コストを軽減しているらしい。
館内にはジャズやクラシックも流れ、公立図書館にはない雰囲気も今向きなのでしょう。
「図書館部分は奥に追いやられた。書棚も見栄えはいいが、高すぎて本が取れない。郷土史コーナーは消え、商業的な発想が前面に出ている」という声もあるけど、おそらく大勢ではない。
やはりツタヤ図書館”としてリニューアルした海老名市立中央図書館の蔵書検索で「出エジプト記」を調べるとなぜか「旅行/海外旅行/アフリカ/エジプト」に分類される謎現象…などというニュースもあるけど、とりあえずスピード重視で機械的進めただけで、まあ、この程度のことは多少どこでもあり調整していくだけだ。
でも進化・進歩の合理性は基本、弱肉強食で多様化を阻むから画一化は進み、いずれ資本の論理に飲みこまれる。
図書館ならでの蔵書というのもなくなってしまうのだろう。

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僕は少し前から本や雑誌の整理を始めているのだが、マイナー・サブカル系の雑誌も多く1970~80年代では映画少年、本の雑誌、東京おとなクラブ、ビックリハウス、絶体絶命、やんろーど、50冊の本、現代思想、ユリイカ、エピステーメー、プガジャ、マスコミひょうろん、面白半分、ウイークエンドスーパーなどがあって、「SUB」というのも出てきた。「さぶ」じゃないよ。
「SUB」は究極のサブカル雑誌というか執筆陣はおおよそ知っていても、まあ、書かれている評論の意味不明なこと、だって登場してくる人物の名前がほとんど知らない、わからない。
古書で買ったんだろうけれど、その知らない名前にびっしりとアンダーラインが。
どんな人が読んだだろうなあ。
こういう本は個人に眠ることになり、いずれ失われるのだろうか。
文科省は国立大に人文系はいらないと考えているらしいからね。私立ならなおさら厳しくなる。
早くも今年のノーベル医学・生理学賞に北里大特別栄誉教授大村智氏が決まったけど、自然科学と人文科学は両輪だよ。
夏目漱石が " I love you " の一文を「我君を愛す」と訳したのを聞き、「日本人はそんなことを言わない。月が綺麗ですね、とでもしておきなさい」と言ったというけれど、大村先生もさっそく微生物にあげたいと言っていましたね。
文学的とは言わないけど、味はある。急がば回れだよ。両輪あっての進歩なのだ。

図書館戦争はもう始まっている。本を守りたい、あの人みたいに。
映画「図書館戦争 THE LAST MISSION」の助走となるドラマ「図書館戦争 ブック・オブ・メモリーズ」、意外なほど出来がよく、メリハリの利いてそうな本編が楽しみというものです。

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火星の谷のナウシカ
僕の子供の頃はまだ火星の運河が広く信じられていた。
繰り返しになるけど、1957年の学研の学習年鑑理科篇の火星はこう書かれていた。
1956年の9月には32年ぶりに大接近した火星の表面は赤みがかったオレンジ色で、南極と北極には白く輝くところがあり、これは極冠といい、冬になるとできる氷の原だと思われます。火星が春になるとこの氷がだんだん小さくなり、そのかわり、赤道近くが緑色になってきます。ちょうど、氷が解けて川の回りに植物がはえているようなありさまです。ちかごろ、大望遠鏡で調べたところ、この緑色は、コケのような植物であることがわかりました…。執筆は東京天文台 富田弘一郎氏とあったのだからね。
今では望遠鏡の精度も、あるいは火星探査も進み、運河説は夢のように消え、タコの火星人はSF小説のみとなった。

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しかし、ここに来てビッグニュースです。
米航空宇宙局は9月29日(日本時間)、火星に今も液体の水が存在していることを裏付ける観測結果を発表したのだ。
これまでの観測から、山肌などの斜面に、川のような模様があることはすでに発見されていました。この模様は季節によって消えたり現れたりを繰り返しており、水が流れた跡ではないかという仮説はあったものの、それを裏付ける証拠はありませんでした。
しかし今回、火星軌道上から分光計を使ってこれを観測したところ、模様の部分から塩の結晶とみられる鉱物を計測。NASAはこの結果から、この模様が「塩水が流れていた跡」である可能性が高いと分析しています。(ねとらぼ)

おおお、その渓谷蒼き水を流れて金色の野を満たすべし。古き言い伝えはまことであった。
火星の谷のナウシカであったか。

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みんな!エスパーだよ! 君の手がささやいている
僕は大病をして障害を持つことになったのはもう15年も前。
幸いなのか見た目にはあまりわからないようだけど、もちろん身体的にも、さらには一部の感覚も失われた。
もちろん大いに落ち込んだりもしたけど、一方でもしかしたら超能力の発動の機会かもしれぬとも考えた。
エネルギー保存の法則は人間の能力にもさまざまな形で適用されるはずで、失われたものがあればなにかしら変わる形で得ることができるのではないかと密かに思っていたのだ。
それまでもずいぶん試したのに得られなかったのは定量を越えるものだったのだ。
定量を越えて発動できる超能力こそがエスパーなのだが、そこまでは無理であっても定量内、つまり障害で定量が落ちた今ならそれを補てんすべき程度の超能力は可能なのではないかと。
まあ、そんなこと言いだしたらもっと過酷な障害や不幸を得た人がもっと発動していても何らおかしくないし、そういう思いもより強くあるはずだと思うけど、だがやはり超能力は認められていない。

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超能力に頼ってはやはり手話も口話も生まれず、人は人としてあるべき形で最大限努力するべきなのだ。
『みんな!エスパーだよ!』では全ての超能力者は童貞及び処女だけど、やはり定量(大人)に満たない者のみが持つということなのだろう(そのおバカさと切なさ、そしてエロへの憧憬が見事?な傑作)。
『処女の生血』というドラキュラ映画では処女の生血でなければ生きられないドラキュラが、処女と思ってかみつくたびに悲鳴を上げ、人を越える者と越えざる者との笑劇・悲喜劇というべきか。
大切なものは目に見えず、また、見えていてもトトロのごとく大人になるにつれて見えなくなる。
だから大人になりたくないとか、大人はわかってくれないとなって、少年・少女のままでありたいという願望も出てくるのだが、これも一種の超人・エスパー幻想のゆえなのだろうか。
少年少女期は幻想と現実の逢魔が時、よき友、よき人ともにあらんことを。

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