理系・文系を重ねて見る光景は
ファインモールドと伊藤若冲
先日の日経新聞に豊橋の2社(ファインモールドと樹研工業)が技術提携をし、超精密な次世代プラモデルを開発するとありました。
樹研工業はわからないけど、「ファインモールド」は模型好きの人では有名な会社ですね。
ジブリの「紅の豚」やあの「スターウォーズ」の戦闘機も手がけたことで有名ですが、社員は7名の会社です。
社長の鈴木氏はガレージキットの黎明期から存在を知られた人で、鳥山明デザインの「リーザ」などもそうですね。
そのマニアックなこだわりは、その世界のトップとも世俗的なギャップを超えてしまい、鳥山さんに限らず、宮崎駿、ルーカス・フィルムともビジネスというだけではないマニア的感性にシンクロするからこそ成立したような気がします。
超絶技巧ともいうべき果てしなきものづくりへの情熱です。
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超絶技巧といえば最近人気の高い伊藤若冲。
超絶技巧、精神性、奇想性とオタク的シンパシーがあるにちがいないと思っていたら、宇多田ヒカルの「サクラドロップス」のビデオクリップ(キャシャーンの紀里谷和明監督)は若冲へのオマージュでもあったらしく、現代においては奇想性、超絶技巧はポップアートのように捉えられているのかもしれない。
その超絶技巧とも言われる若冲だけど「今の画というものは、みな手本をもとに描くばかりで、いまだ物を描けたのを見たことがない、そして技術によって売れることばかりを求めていて、技術以上に進むことが出来ない」と述べていたらしい。
技術以上に進むとは何かということになるのだけど、「売茶翁の主観、客観を意識しない生き方が若沖の絵に影響している」と見方もあるけど、どうだろうか。
「ファインモールド」はすこし伊藤若冲を連想させますね。
オタクにもいろいろあって、ふつうはそこまでは踏み込めない。
「タモリ倶楽部」の面白さは「だんな芸」と日経MJとあって、うんちくは語るけど芸は極めない、玄人はだしになっても、玄人にはならない、いつまでもなんでも面白がる精神…、なるほどなあ。
まあ、これはこれで大変かも。
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マンガ誌
「週刊少年サンデー」と「週刊少年マガジン」が共同でマンガ誌を発行する。
来年、両誌が創刊50周年を迎えるのを記念し、4月から月2回、半年間発行する予定という。
報道によると、新雑誌は増刊号の形で両誌が編集し、サンデーの人気作「名探偵コナン」(青山剛昌)とマガジンの「金田一少年の事件簿」(天樹征丸作、さとうふみや画)の過去の名作などの掲載になるらしい。

雑誌が売れないのだ。

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村上知彦(まんが評論家)もマンガの将来を憂えていて、マンガのコンテンツの役割はアニメ、ゲームはもちろん映画、TVドラマ…、そして海外へと枚挙に暇がないけれど、一方でマンガ売れ行き低下が目立っているとし、さらにいくつかのメガヒットやアニメ化・ドラマ化によるヒット、目先を変えた旧作の再刊本などで単行本こそ健闘しているけど雑誌が売れない現状を嘆いています。。
2005年にはマンガ雑誌・単行本の販売統計(販売金額)において1967年の統計が取られ始めて以来、初めて単行本が雑誌を上回った。
著者によれば読者にとってマンガの入り口がもはや雑誌ではなく、マンガ全体を方向付ける機能を失い、やがては作品発表の場所としての役割、新人育成の機能もネットなどに奪われていく。
同人誌即売会、海賊版が横行するアジア市場など現在のマンガ界が眉をひそめる場所にこそ、未知の力が潜むというのだが…。

まあ、文学を見ても単行本のベストセラーは出るけれど、文芸雑誌なんてそれこそ露ほども売れてませんね。やはりマンガも小説もパワーが横溢していてほしい。
勢いのある頃は、それこそマンガもアニメも小説も映画もテレビも一般的には眉がひそめられぱなっしだったではないか。
「一度きりの物語」を大切に
映画「ワンダフルライフ」は死に向かう前に、いちばん大切な思い出をもう一度鮮明な記憶に蘇らせてくれるものだけど、スティーブン・ジェイ・グールドの「ワンダフル・ライフ」というのは…
今から5億4千300万年前のカンブリア紀に、生物は爆発的な進化を遂げ、現在の地球上に存在する全ての生物の門の祖先が登場する。つまり、進化は連続的にゆっくり進むのではなく、あるとき爆発的に進化することがあり、生物進化の初期にはもっとも多様性が大きく、また生物進化の歴史はリプレイしても同じことが起こらない、一度きりの物語なのだという。
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そして映画「素晴らしき哉、人生」を例にあげて、この映画で主人公がいたかいないかで町の様子が大きく変わってしまうのと同じように、この現実世界の生物の様子も実はちょっとした偶然の積み重ねで今のようになっていて、もし大昔に「ちょっとした何か」が起こらなかったら今とはまったく違う世界になったはずだと。
リセット、リプレイはあってもやり直しではない。
やはり全ては一度きりの物語なのだった。
L change the WorLd
「L change the WorLd 」といえば、話題の『デスノート』オリジナルスピンオフ映画です。
実はこの映画、等身大フィギュアの撮影協力があったりしたのだけど、果たして登場しているだろうか…と心配していましたが、ありました、ありましたとも。
やはり協力した「木更津キャッツアイ ワールドシリーズ」では、冒頭の塚本高史のメイドカフェのシーンにちゃーんと2体並んでいたのだけど、今回もL(松山ケンイチ)と少女(福田麻由子)が逃げ込んだ秋葉原のメイドカフェの場面でありました。
秋葉原のイメージのひとつとなっているのだろうか。
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映画は完全オリジナルストーリーで、新種のウィルスをもって「人類削減計画」を掲げる環境保護団体『ブルーシップ』との戦いを描くもの。
まあ、細かいことをいうときりがないけど、環境保護のもうひとつの側面をえぐるものかもしれませんね。
まず、堂々たる正義には異議を唱えにくいこと、地球規模、宇宙規模の視点を持ってくると日常が相対的に軽んぜられること…などですかね。
この映画でもいちばん過激になってしまうのは純粋な魂だった。
繰り返しの紹介になるけど、南町奉行であった鳥居耀蔵は官吏だった頃の酷薄さと幽閉されてからの慈しみの深さは天と地ほど違います。でもまぎれもなく同じ人なのだ。
耀蔵の父林述斉は次のように心構えを説いた。「小善は大悪に似て、大善は非情に似たり。目前の気受けなど気にせず、大善実現のために非情に徹せよ」。
真理かもしれないけど人は日々を生きるものなのだ。真理を探るのは人間の特権だけど、囚われてはいけないのだ。
「鋼の錬金術師」の死からの再生、「ジャイアントロボ」の永久機関のようなシズマドライブ…限りない悪魔ような所業は美しい魂から始まることを教えています。
「エースをねらえ」の宗方コーチは「この一球は無二の一球なり」と言っていましたね。
だからこそ、この一球をこの一日を大切にしなければならないと。
今日の一日の大切さにこだわっていると、お前は明日を未来を考えないのかと言われそうだものなあ。

石油を巡る「タイタンの戦い」
ガソリン価格もすこし落ち着いてきたと思ったら、2月19日のニューヨーク商業取引所では、原油先物価格が再び1バレル100ドルの大台を超えた。
世界産油量の40%を占めるOPEC が減産するという情報がこの日の原油価格の高騰を招いたらしい。
同じく2月14日にはNASAの土星観測衛星「カシーニ」の観測により、土星の衛星「タイタン」には地球の石油資源の埋蔵量を上回る液化炭化水素が存在することが専門誌「Geophysical Research Letters」に発表されたとあったけど、こちらまったく原油価格には反映されなかった。
まあ、土星の衛星の「タイタン」のことだからね。
いくら「タイタン」には地球を上回るエネルギー資源があるといっても、いつのことやら分からないし、輸送コストなど考えたくもない?
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でも言えるのは、以前にも触れたけど大昔の生物の死骸が地下に埋もれて分解、適度な圧力・温度の下で長い時間をかけて油となったと誰もが学校で習ったと有機起源説が絶対ではないということですね。
周期律表で有名なメンデレーフが唱えたという無機起源説も真実味を帯びてきます。
今も有機説が有力なのだけど、でも近年は有機説では説明しにくい地層で天然ガス・石油層が見つかったり、そして木星の衛星「タイタン」(もちろん、生物はいない)がメタンの宝庫であれば、無機起源説も合わせて成立するのだ。
1970年代に言われてた可採年数は約35年だったんですよ。
それが今もなくならず、現在の可採年数は約40年と言われてるらしい。
すこし狼少年的ないかがわしさを感じます?
可採年数の概念による問題もあるけど、無機起源説ならほぼ無尽蔵となり、この矛盾を解決してくれます。
地球温暖化のなかで別に浪費を薦めるものではないけど、巨大な陰謀の匂いもしないこともない?
画像はギリシャ神話の若き勇者ペルセウスが、美しい王女アンドロメダとの愛を成就させるまでを描いた「タイタンの戦い」。
鹿男あをによし
「鹿男あをによし」面白いですね。
いえ、原作はまだ読んでいないのでTVドラマの話です。
ファンタジーというとどうしても「ハリー・ポッター」みたいなものを思い浮かべてしまうけれど(この春も「ライラの冒険 黄金の羅針盤」が公開されます)、日本風のファンタジーもなかなか楽しいのだった。
舞台が奈良というのもいいですね。
かつての都といっても京都のようにメジャーでなく、いささか地味だった奈良。
きちんとしたロケみたいなので 、飛鳥駅からの散策風景など見てるとやっぱり行ってみたくなります。
藤原君いると便利だなあ。
いよいよ物語は佳境に入ります。さんかくとは何か?狐の使い番は堀田イトなのか?
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以前に「行ってみたい時代は?」みたいなアンケートがあって、たしかトップだったのは平安時代でした。
奈良時代でもそう変わらないと思うけど、まあ、すこし華やかさには欠けるかもしれませんね。
ぼくも奈良時代ヤ平安時代はぜひ行ってみたいのだけど、この時代どうも天然痘が大流行したらしく現代人が行ったら即感染のような気がするなあ。心配しなくても行けんのだけど。
平安京のあった西暦1000年の世界都市人口は、1位がコルドバ(スペイン)、続いて開封(中国)、コンスタンチノープ(トルコ)、アンコール(カンボジア)と続いて平安京は第5位で17万人を越える大都市だった。
大都市を維持するためには食料の流通・治安など秩序の基盤が必要だから、世界的にみても屈指の先進都市だったのだ。
それでも天災も病気も人の力ではどうにもならなかった時代、人ももう少し、自然と寄り添い謙虚に生きていたのだろうか。
ポトラッチ
消費は本来生きるための行為だった。
戦時中であったり、その復興期であればそれはより明確で、まだ1970年代の消費もおおよそはまだそうだった。
そして衣食足りて、自己表現や楽しさのための消費が加わり、家族団らんやストレスの発散などの副産物を生みながら、それでもその場限りで消費していくものだった。
その消費が今変わりつつあるらしく、それは先々の見返りを織り込んだ「手段としての消費」というものらしい(日経MJ マーケティングの非常識)。
例えば新富裕層消費が典型で、インテリア重視の人気のクルーザーを港に停めて置き、船上パーティを開き人脈を作り、家もホームパーティの場だから客が喜んで来たくなる超高層という選択なるらしい。モテ服も将来への伏線。まあ、縁のない話だけど。
これらはその場限りの消費ではなく、先を見込んだ投資としての消費で、また逆に投資が消費化する流れもあるらしい。
アート作品の購入者が本当に買っているのは「アートを買う自分」という自画像というのだ。
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アニメもクール、最先端のポップカルチャーという認識も「最先端のポップカルチャーを理解できる自分」でオタク的屈折とのバランスを保つものなのかもしれない。
画像はかんべむさしの「ポトラッチ戦史」。
ポトラッチとはネイティブ・アメリカンによって行なわれた消費や贈与の儀式。
ばかばかしい非生産的消費なので、近代社会においては未開扱いになってしまうのだけど、バタイユはこれらの活動は人間の生にとって手段であ り、人間の生の真の目的は非合理的な非生産的な消費(消尽)にあると言った。
非合理的で非生産的な消費とは 奢侈、戦争、祭典、豪奢な大建造物、遊戯、見世物、芸 術、快楽としての性などだけど、こうしてみると確かに人間にとって切っても切り離せないものような気もしますね。
「手段としての消費」ってなんなのだろうなあ。
次世代DVDは「HD?DVD」の撤退で「Blu-ray」に統一されるのだけど、ポトラッチ戦史だったかもしれない。
狂った画家 「コゼットの肖像」
ALI PROJECTついでにデカダンスな作品を紹介してしまおう。やはりマンガですけど。
当然ゴシックロリータ「ローゼンメイデン」もいいのだけど、ゴシックホラーというべきなのが「コゼットの肖像」です。 ともにアニメ化もされていますね。
並ぶ言葉も怪奇、幻想、耽美・純愛、滅び・悲劇・宿命、退廃…、ゴシックホラーのまさに王道です。
「コゼットの肖像」というタイトルもいいですね。
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ぼくはこの手のものにはトラウマがあって、「少年ジェット」という懐かしい少年向けドラマがあったのだけど、なにか探偵・怪奇趣味的な物語が多かったりしたのだ。
なかでも「狂った画家編」は、あやふやな記憶ながら鮮烈なイメージが残っています。
少女の全身像の肖像画を画家は描くのだけど、その完成には少女の真紅の唇を本物の血で描かなければならないと狂気の画家は考えます。はたして、その血は…。
そしていよいよ完成された怨念の肖像画の少女は夜、絵から抜け出してさまよい歩くというような…。
肖像画はいまだに怖いのだよ。
再見しているわけではないから、かなり妄想化しているかもしれない。
けだるい毒に満ちた世界は人を魅了し、夢野久作・江戸川乱歩・稲垣足穂・城昌幸・久生十蘭 ・香山滋など妖しい小説に導きます。
当時の少年少女たちに大きな影響与えた1970年代を中心とするNHK「少年ドラマシリーズ」も、SF、青春、名作の他にも久生十蘭の「霧の湖」とか不思議なものもありましたからね。
今はもうあまり読まれないかも知れないけど川端康成の「眠れる美女」「片腕」だって、実は凄絶なまでのデカダンスです。

「ALI PROJECT」…なんてデカダンスな
ALI PROJECTって知っていますか?
ぼくはALI PROJECTの「薔薇架刑」というMUSIC CLIPを見て、実は初めてその妖艶で切なく、さらに禍々しい世界を知った。
そもそもタイトルがすごい、薔薇架刑ですよ。架刑とは十字架刑のことで反逆者のみが受けるもっとも重い刑罰。まったくもってデカダンスな世界なのだ。
1970年代においてもグラムロック(デビッド・ボウイ、T.Rexなど)など中性的な化粧や衣装をまとったきらびやかなものがあったけど、源流なのか?
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デカダンスな作家というといちばんに思い浮かぶのは夢野久作。
これまた「ドグラ・マグラ」「犬神博士」など作品名を聞いただけでも興味をそそられるような妖しい名作ばかりですね。
その夢野久作の「東京人の堕落時代」(関東大震災後のルポ)が、またすごい。

「昔から大変災のあとに必ず吹き起こることなっている淫風(そうだったのか!)は、職業婦人に第2の職業を促し、秘密フィルムの映写会が至るところで催され、死体写真が秘密に売買され、鞭や手枷足枷を常備した奇妙な地下室が設けられたり、男たちの堕落は今や爛熟期から糜爛期に突入し、上流・知識夫人も例外でなく、大震災によって封じ込められていた獣性が解き放たれて彼女たちも情熱化した…さらにあるカフェの様子は「17、8から20歳前後の揃いも揃ったのが20人ほど、友禅模様に白エプロンの結び目高やかに右往左往している」(「半歩遅れの読書術」 氏家幹人 日経新聞)

おおっ、さすがに夢野久作。
少し割り引いて読んだ方がいいけど、どこかで見たような風景です。
大正も平成も人のやることは変わらない。
「よき時代」のあとにはデカダンスがやってくるのだろうか?
まあ、人間の持つ本性のひとつであることは間違いないらしい?

【DVD】ALI PROJECT/月光ソワレ?(初回限定盤)(DVD付)
3月26日発売  ¥6,000

妖艶・魅惑・残酷・非情・可憐・儚げ・欲望...
思いつく言葉並べて見ましたが、やっぱり、言葉ではアリプロの世界を言い尽くせません。
ぜひぜひ、アナタの目で確かめてください…と紹介があるのだが。

天然コケッコー
少女マンガ家くらもちふさこのデビューも1970年代ですね。
ぼくが初めて読んだのは「いつもポケットにショパン」でしたが、その後の少女マンガに大きな影響を与えた作家のひとりですね。
講談社漫画賞も受賞した「天然コケッコー」はその集大成とも言うべき名作です。
そんな名作が去年映画公開されたのだけど、またそれも実によく、キネマ旬報のベストテンでも、第1位は「それでもボクはやってない」だったけど、2位は「天然コケッコー」でした。
ほんとうに田舎の少女たちの日常を描くものだけだから、映画的なもの非日常性を求める人たちにはすこし退屈かもしれないけど、この時だけが持つきらめきは、退屈だった日々の一瞬一瞬すべてが実は輝いていたのだと思い出させてくれます。
主演の夏帆がすばらしい。すこし地味なキャスティングなのがいいのかもしれませんね。
原作ファン、くらもちふさこファンも気持ちよく見られる秀作となっています。
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さて、その夏帆主演のドラマ「4姉妹探偵団 」が大変なことになっているらしい。
視聴率が3%までダウンしているらしいのだ。
実はぼくも密かに見ているのだけど、まあ、堀北真希だって「鉄板少女アカネ」で苦労した。
でも健気にやっていたよなあ。
誰でもときには作品に恵まれないこともあります。かえってカルトな作品となって名を残すこともあります。
なにごとも一生懸命に向かう姿勢が大切です、きっと。
昨日はスペシャルドラマ「かるた小町」というのを見たけど、ああいう感じはやっぱりいいなあ。
佐良直美 「いいじゃないの幸せならば」
NHKBS「歌伝説・愛の賛歌 作詞家岩谷時子の世界」をすこしのつもりで見ていたら、ついそのまますべて見てしまった。
越路吹雪とまさに寄り添うように生きてきた人だけど、作詞家としてもミュージカルにおいても巨大な存在だったのだ。「レ・ミゼラブル」もそうですね。
見た目は楚々とした女性なのに、分からないものだなあ。
大人にならないと分からない歌があると初めて知った。
この番組で久しぶりに佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」を聞いたのだ。
レコード大賞も受賞した歌だけど、一度もいいと思ったことはなく、何がいいんだろうと思っていた。
今日改めて聞いていると、実に彼女にあったいい歌なのだ。
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詩も曲も歌声も、数多くの希望、勇気、愛…それに伴う困難や悲しみ、そのすべてを諦めたような歌なのだ。
子供に分かるわけがない。もしかしたら大人だって永遠に分からないような詩とそれを体現する佐良直美の歌声なのだった。
簡潔な詩に無限の虚ろが漂っている。
抜群の歌唱力を携えながら、なんの抑揚もなく歌う「いいじゃないの幸せならば」、すごい歌なのだった。

あのときあなたとくちづけをして
あのときあの子と別れた私
つめたい女だと人は云うけれど
いいじゃないの幸せならば

あの晩あの子の顔も忘れて
あの晩あなたに抱かれた私
わるい女だと人は言うけれど
いいじゃないの今が良けりゃ

あの朝あなたは煙草をくわえ
あの朝ひとりで夢みた私
浮気な女だと人は云うけれど
いいじゃないの楽しければ

あしたはあなたに心を残し
あしたはあなたと別れる私
つめたい女だと人は言うけれど
いいじゃないの幸せならば
  
1976年のビデオカセットから2008年のBlu-rayへ
次世代DVDフォーマットが、東芝「HD?DVD」の撤退で「Blu-ray」にほぼ統一されることになりました。
VHSvsベータ、LDvsVHDに続く規格争いは消費者を大きく巻き込む前に決着しました。
それにしてもレコードの時代は50年単位で続いたのに、文化財産ともいえるソフトが10年で入れ替わるのはどうなんですかね。本なんかは何世代も引き継ぐことが出来るのになあ。
これからの文化は突然、断ち切られるリスクも大きいかもしれない。
1976年はビクターから家庭用ビデオカセット機が発売された。ぼくが買ったのはいつ頃だったろうか。
フロントローディングでなく、上部から機械式にビデオテープを入れるものだった。
ビデオレンタルも始まったばかりでOAVなどというものはなかった時代ですね。
OAVはたしか、バンダイビジュアル(当時AE企画)の「ダロス」が最初で、いくらだったりしただろうか、ずいぶん高かったはずだ。「メガゾーン23」など12800円くらいだったろうか?
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思えばアニメファンは規格には泣かされ続けてきたのだった。市場が小さかったから価格は高いし、ソフトのよってはVHSとベータ、さらにはLDで出るのだけど、それぞれに特典が違ったりして、すべてを買うマニアもいましたね。
LDとの規格争いをしたVHDはよりマニアックで、開発したビクターはその普及のためにアニメビジョンというVHDだけのビデオマガジンを作っていた。作品紹介や投稿作品もあったり、なかなか面白かった。
画像は「コスモスピンクショック」。ビデオとVHDは発売されたけど、たしかLDにはならず、ぼくの知人はそれが欲しいがためにVHD機を購入したのだった。
平野俊弘、垣野内成美の熱狂的なファンだったのでした。
勇気の人 富田靖子
おととしの第43回文芸賞を受賞したのは当時大垣北高3年の中山咲さん(ペンネーム)。
文芸賞は若い受賞者が多いことでも知られ、古くは田中康夫、堀田あけみ、最近は綿矢りさ、白岩玄(野ブタ。をプロデュース)など実力派を出しています。
受賞作「ヘンリエッタ」は引っ込み思案の少女と二人の女性による奇妙な共同生活を描いた作品。
画像はその文芸賞受賞作だった堀田あけみ原作の映画「アイコ16歳」です。
この映画で富田靖子はデビューしたのだった。
さらに映画「さびしんぼう」で彼女に憧れ、ショパン「別れの曲」で泣いた人も多いだろう。
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富田靖子は藤子・F・不二雄ファン、少女マンガファンでも有名で、当時のアイドルとして珍しくガンダムオタクも告白した勇気の人。
今のような誰もが認知するような時代ではなく、あらゆる意味でオタクの憧れで希望の人であった。
そして「機動戦士ガンダム逆襲のシャア」の番宣も担当してくれたのだった。
「逆襲のシャア」と聞くと何よりも富田靖子を思い出してしまうのだ。
ついでに言えば同じく発売される「機動戦士ガンダムF91」で思い出すのは、「ひ?か?る?か?ぜのなかぁ?♪」(ETERNAL WIND ?ほほえみは光る風の中?)とNHK「紅白歌合戦」で歌う森口博子なのだった。

「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」(Blu-ray Disc)
発売日:2008/02/22 定価 8,190円 

もう予約されたでありましょうか?
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宮崎駿 「未来少年コナン」
1978年には「未来少年コナン」がNHKで放映されています。
自然との共生、相対は「風の谷のナウシカ」の原点ともなる宮崎駿の初期の代表作です。
あれだけの傑作にもかかわらず、視聴率は低迷している。
今でこそ、国民的アニメといわれる宮崎作品も「カリオストロの城」もそうだけど、ヒットとはならなかったのだ。
SFアニメとしても、テーマ性、メカニックなど少年といってもよりマニアックな層に支持されたのだった。
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そういえばいつか日経新聞に「アニドウ」の活動が紹介されていた。
「アニドウ」は「東京アニメーション同好会」のことでその略称。
活動は古く1967年までさかのぼるらしい。アニメーターなどのプロに混じって一般のファンも加えた親睦組織で、制作会社の枠をも越えた情報交換と目指したもの。
制作者とファンがまだ一体だったりする時代でもあったのだ。
僕はずっと地方に岐阜にいたから、一部の会誌でしか知り得なかった(でもどうやって入手していたのだろう)。全くちがうものだけど「東京大人クラブ」なども買っていたから、そういう東京の情報に飢えていたのかもしれない。
それにしても、ぼくも買った「未来少年コナン」の特集されたアニドウ別冊は「幻の黒本」といわれているらしい。まあ膨大な資料で編集されていて、宮崎駿のラナへの熱い熱い思いなど、原点を知る上では欠かせないものですね。
巻末には劇場版「未来少年コナン」に対する宮崎駿の檄文がついてたりするのも見ものです。
画像は「未来少年コナン」カセット・インデックスカード。時代を感じさせるグッズアイテムです。
こちらも今年、30周年メモリアルとしてDVD-BOXが発売された。

「未来少年コナン」30周年メモリアルBOX  1月25日発売 税込18900円
           
訃報 市川崑
映画監督の市川崑が亡くなってしまった。
「ビルマの竪琴」など名作はいっぱいあるのだろけれど、ぼくはやはり「金田一耕介シリーズ」と、テレビだけど「木枯し紋次郎」です。
独特の映像美があったし、晩年の巨匠にありがちな難解さでなく、いつまでも若く面白かった。
「金田一シリーズ」はみんな見たなあ。どれもヒットし、どれも面白かった。
「犬神家の一族」はご本人がそのままリメイクしましたね。
あの2本の足もそのままで、まったく同じ脚本だったらしい。さすがに石坂浩二は年を取ってしまっていたけれど。新しいことをいつまでもやりたがる人なのだ。
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「木枯し紋次郎」もそうですね。
映画の大監督がテレビに関わることは、あの頃あまりなかったのではないだろうか。
リアルな殺陣とニヒルでクールな渡世人が、今までのテレビ時代劇になかった映像で描かれたのだった。
意外なところでは「エヴァンゲリオン」の庵野秀明も影響を受けた人ですね。
あの「エヴァンゲリオン」の独特のロゴスタイルは、まさしく「犬神家の一族」のものなのだった。

謹んでご冥福をお祈りいたします。
野島伸司 「薔薇のない花屋」
映画「高校教師」はよほどのアラン・ドロンファンでないと知らないかもしれない。
1972年の作品で、野島伸司がこの映画をモチーフにあの衝撃作「高校教師」(1993年)を書いたとも言われますね。たしかに二人が抱える暗い影などテイストは似ています。
野島作品を見たのはこれが最初だっただろうか。桜井幸子が透き通るように美しいのだった。
さて、今シーズンのドラマ「薔薇のない花屋」もいつもの野島作品独特の雰囲気が流れています。
何となく悲劇の匂いもしないわけではないですが、この悲劇性ってどうも大人が子供のように純化されていくがゆえのもののような気がしますね。
子供が大人になるときも悲劇を招きやすいときですが、大人が純化されて生きていくなら植物、まさに花のような「美しい人」になってしまうのでしょうか。
先週の「世界一長い告白」は、まるで雄しべから雌しべに蜜蜂や蝶が花粉を運ぶような植物的な告白のような気がしませんか?
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野島作品の特徴は、また音楽だったりします。1970?80年代のものが多いですね。
「高校教師」の「ぼくたちの失敗」はマイナーな森田童子を知らしめ、「ストロベリー・オンザ・ショートケーキ」の「SOS」「チキチータ」は、やはりABBAを再認識させましたね。
ジェーン・バーキンもいいですよね。
妙にぼくの数少ないレコードコレクションと合うのだった。
アラン・ドロンの「高校教師」はさすがにドロン、悲しみとやるせなさに溢れていても植物的でない妖しい魅力を放つのだった。
ところで、
「美しい薔薇にはとげがある、といっても汚れた薔薇にもとげがある」といったのは、北杜夫でありました。
ギャグマンガ家 「吾妻ひでお」
70?80年代のころは「オタク」と「新人類」、あるいは「ニューウェーブ」と「ネクラ」、少したって「アキバ系」と「シブヤ系」といわれるものは分けられることなく、全てサブカルチャーに括られて混沌としたなかにありました。
当時さまざまな雑誌が創刊されたように自由度の高い雑誌はパワフルな表現の場でもあり、雑誌の枠を超えてクロスオーバーしていたように思います。
混沌の時を終えて、きれいに分化されていくのですが、その混沌を繋いでいたもの(ゴルディアスの結び目)とされたものが「吾妻ひでお」だった…かも。
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ところで、20世紀を代表する数学・論理学者ゲーデルの不完全性定理とは「自然数論を含む理論Tが矛盾ならば、Tの無矛盾性を表す命題は、その体系で証明できない」というもので、分かりにくいけど、この定理を人間の理性一般における限界、人間の心はどんな機械でも越えられないことの証拠として取り上げられてきた。でもこの定理を現実の人間や機械に適用するのは実は無意味らしい。
一方、最新の認知理論は演劇・音楽・アニメなどのアートは特別の人の神秘的な作業、いわば心の表象としての作業とも思われるものが、表現の成立過程を探る試みのなかで、どのアートも微細な技術が中心にあるらしいのだ。
たとえば指揮者の腕の動きを3次元解析すると、指揮者が違ってもチャイコフスキーなら楕円形、ブラームスなら三日月型に腕の動きが収斂し、演劇なら演出家が0.3秒単位でセリフの間を調整するという。
この新しい認知理論「アフォーダンス」と呼ばれ、「網膜から得た信号を脳で再構成して像を結ぶと言う従来の心理学ではなく、包囲する光そのものに周囲の環境の情報が実在するとする(日経新聞 生態心理学者 佐々木正人インタビュー)。
難しそうだけど、まあ、事象を見つめること。そこからより感じるものが増え、理解し楽しめるということなのだろうか?

ギャグがなかなか難しいのは周囲の環境が実在しても、有意味に捉えることが難しいからだろうか。それとも適用が違っている?いずれにしてもギャグマンガ家は吾妻ひでおに限らず、消耗が激しく、それは後に書かれた「失踪日記」でもわかります。

それにしても話が飛躍しすぎているよなあ。なにが言いたいんだか。
教室の中のエジソン
子供の頃はよく偉人たちの伝記を読んだりしたのだけど、今の子供たちも読むのだろうか。
エジソンやシュバイッツアー、シュリーマンなどに憧れたり、人によってはマンガやアニメもそうだったりしますね。
先日放送されたTBSドラマ「エジソンの母」での「よい絵、悪い絵」という教え方は、学校の教育現場にほんとうにあったりするのだろうか。
客観的評価の出来る教科はまだしも、絵のよしあしなど低学年には意味があるのかなあ。
まあ、ドラマでもバカバカしいとゴミ箱に本を捨てていたけど。
以前、芥川賞を受賞した中村文則の受賞直後のインタビューや特集記事で、すこし気になったのは高校の国語の先生の話だった。
先生いわく「彼の読解力はまずまずだった」。微妙な違和感があるでしょう。
まずまずの凡庸な学生が芥川賞作家になれるのか?
ふつうの読解力で測りきれるものなのだろうか?
ゆらぎのない先生の教育の姿勢にまずびっくりしたのだった。
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あるいはいつかの日経MJ金曜版には各種ランキングがあって、そのときは書籍が詳しく取り上げられていて、文芸の第1位は「ひとり日和」(青山七恵著)だった。
評論家ではなくて愛読者であればこその、それぞれの評価がそれぞれの言葉で語られていたのだけど、これまたびっくりしたのは…
「著者がまだ若く、成熟しきっていないような感もあるが、文章全体の構成は素晴らしく、流れにどんどんのせれていくような感覚に陥った。作者の将来性が楽しみ」(男性、17、学生)
そりゃあ、青山さんも24歳で芥川賞受賞作家としては3番目の若さだけど、思わず「おまえは芥川賞選考委員か」とつっこみを入れたくなったのだけど、ほんとうなのかもしれない。

小説でも映画でもアニメでもマンガでも解釈は唯一無二であるはずがない。
いくらでもあるのだ。
もちろん基本、オーソドックスな手法はあり文法はあるだろうけど、でもそれを超えての解釈、楽しみ方はあるはずだと思う。
どんな作品にも熱い思いはあり、それに応える人がいるのだ。
35周年「宇宙戦艦ヤマト」
アニメ・マンガが中心となるはずだったのに、今やなにかいちばん目立たなくなっている「るらら科学の子」です。
ということで一度すでに取り上げましたが、今年35周年を迎える「宇宙戦艦ヤマト」です。
「宇宙戦艦ヤマト」と「アルプスの少女ハイジ」がくしくも35周年記念として、今年2月にDVD-BOXが発売されます。
くしくもというのは、当時この人気の2大アニメは裏番組として競い合っていて、同じ時代の同日、同時刻に放映されていたものが、ともに歴史に残る名作になる…奇跡のようなことかもしれませんね。

ところでこのDVD-BOXは特典がすごいのだ。
西崎義展・総指揮×庵野秀明・監修による1/700「宇宙戦艦ヤマト」完全新造型インジェクションキットを同梱して堂々発進とあります。
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バンダイは去年「宇宙戦艦ヤマト」の大型プラモデル「1/350宇宙戦艦ヤマト」(全長76.6cm、重量は1950g、価格は47250円)を発売しています。
リモコンで武器類やエンジンが操作可能で、発射音や航行音を発するなど戦闘シーンをリアルに再現しており、甲板上の主砲、副砲は砲台が左右に回転し、砲身が上下動。船体側部の対空用パルスレーザー砲も回転する、すぐれもの。
もちろん船首に備えた波動砲や船尾のエンジンはエネルギーを充填・放出する様子を光で再現し、乗組員(12人)や艦載機(7機)も付いています。
30代、40代のヤマト世代狙いで、よく売れたらしい。

特典のプラモは庵野秀明こだわりの1/700「宇宙戦艦ヤマト」完全新造型インジェクションキットというから、特典とはいえ、ちょっと見逃せないよなあ。
TV版DVD-BOXがこの豪華特典つきで39900円はやはりおすすめです。

「宇宙戦艦ヤマト」TVDVD-BOX 2月22日発売 税込39900円 (完全初回限定生産)

「アルプスの少女ハイジ」35周年メモリアルボックス 2月22日発売 税込27300円

宣伝になってしまった。

ゴシックスピリット
そうだったのか、桜庭一樹著「私の男」の原点は倉橋由美子「聖少女」だったのだ。
「聖少女」はすこしタイトルからどきどきさせるものだけど、内容はもっとどきどきするもので、倉橋由美子の作品はたしかに幻想的で衒学的な小説だった。
「スウィーニー・トッド」「シザーハンズ」をこよなく愛するジョニー・デップは、
ヨーロッパ的なゴシックの正統な伝承者なのかもしれませんね。
日本でも人気なのはそのゴシックスピリットにあるのかもしれない。
この疑問に答えてくれるのが、「ゴシックスピリット」(高原英理著)。
ぼくはもちろん、ヨーロッパから来たものと思っていたけど、日本的な感性と意外に合うものらしい。
「四谷怪談」でも様式美のなかで描かれるとゴシックホラーという趣もありますね。
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日本のゴスロリ・ファッションは、その日本的感性と見事に結びついたポップ・カルチャー。
海外ではさすがに異端視されるものの、興味は尽きない人も多いらしく、
アニメ・マンガと同様に海外進出(マルイ)の動きもあるという。
死の特権化、美意識で語るなら「フランダースの犬」のラストシーンも可愛らしい絵に隠されているものの、なかなかゴシックな世界といえるかもしれない。
新潮社「人生で二度読む本 名作復刊シリーズ」で「聖少女」は復刊されています。

(ペ)等身大フィギュアでは画像のような別売り衣装も取り扱っています。
オイラー生誕300年記念出版「数学ガール」
最近は生誕××年であるとか没後○○年とか、やたらとなんとか記念が増えています。
「源氏物語千年紀」ぐらいになると、さすがにすごいと思うけど…。
「キン肉マン」も生誕29周年記念で、なんと復刻版キンケシ〔肌色〕全418体も付いたコンプリートDVD-BOXが出るのだけど、なにゆえの29年と思えば「ニク」ということなのだった。
最近びっくりしたのはオイラー生誕300年に捧ぐ魅惑の数学物語と銘打たれた「数学ガール」(結城浩 著)ですね。
オイラーって知名度あるのか?
「オイラーの一筆書き問題」でも有名な大数学者(物理学者でもあり天文学者でもあった)ですけどね。
数学が苦手な人は多くて僕などは分数の時点でつまづき、因数分解で理解を超え、微積分は異世界のものとなり、赤点となってしまった。
でも「博士の愛した数式」などの映画が楽しく見られるように数学的世界は大好きなのだ。
理解できなくても聞いているだけで楽しい。
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パソコン・ネットも利用するけれど原理・原則はほとんど理解してませんね。
でもネットの脆弱性を示すものとして、「オイラーの一筆書き問題」(ケーニヒスベルクという街を流れる川には7つの橋がかかっていて、どこからスタートしてもよいから、7つの橋を全て一度だけ渡って出発点に戻るにはどうしたらよいか)が有効であるなどという話が出てくるとつい読んでしまう。(オイラーは「全ての頂点において、そこから出ている線の数が偶数であれば、出発点から終点に戻る一筆書きが可能である」と一筆書きの一般定理を証明、7つの橋は不可能とした)
グラフ理論の第一人者秋山仁 東海大教授によれば、「オイラーの素晴らしいところは一筆書きができるかどうかというネットワーク全体に関わる問題を頂点から出る線分の数という部分の性質に置き換えて解いたことだ」といいます(日経新聞)。
7つの橋くらいであればしらみつぶしに調べることが出来るけど、ネットワークが複雑になると総当りは困難で、そんなとき部分を調べたオイラーの発想が役に立つらしい。
インターネットの地図の点と線を数えると、何百万ものリンクを持つ点がごく少数ある一方でリンクを1.2ヶ所しか持たない点が非常にたくさんある…。
たとえばSARSで一人で他人数に病気を映した感染者、人間関係のなかでも中核となる人物はいますね。
あらゆるネットワークでも中核をつけば効果的、弱点ともなるのは数学的な論理であり、それは決して無機質なものばかりではない人間的・ロマン的世界でもあります。
1.2ヶ所しか持たない点でも別の次元においては、中核にもなりうるとすれば…、このあたりが数学が赤点の理由なんだろうなあ。
それはともかく、「僕の心をときめかす、数式と二人の少女。オイラー生誕300年に捧ぐ魅惑の数学物語」とあれば、思わず読みたくなる「数学ガール」だった。
岡田奈々 「青春の構図」「青春の坂道」
なにか微妙な構図の「青春の構図」(1976年公開)のポスターです。
岡田奈々の映画デビュー作で、地元岐阜市出身の当時のトップアイドルです。
今は岐阜市出身の俳優といえば伊藤英明やどんな役もこなす岡田義徳だったりするけど、当時誇らしげに岐阜県民が語れるトップアイドルは間違いなく岡田奈々でありました。
「俺たちの旅」の女子高生姿が眩しかったなあ。
なかでも22話「少女はせつなく恋を知るのです」は、彼女のためのオリジナルエピソードで、たしか彼女のヒット曲「青春の坂道」も歌われた。
「青春の構図」の原作は曽野綾子ですね。
三人の女子大生が、スポーツに、恋に、ライバル意識を燃やしながら少女から大人へと成長していく様を描いた至極まっとうな青春映画。
バスケットというのが当時としては珍しいかもしれない。
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「青春の坂道」ならまだ口ずさめます。

寂しくなると訪ねる坂道の古本屋
立ち読みをするキミに逢える気がして

心がシュンとした日は昔ならキミがいて
おどけては冗談で笑わせてくれた

青春は長い坂を上るようです
誰でも息をきらし一人立ち止まる

そんなときキミの手の優しさに包まれて
気持ちよく泣けたなら幸せでしょうね…


歌詞を読むだけですこし、心がキュンとしてしまうのであった。


日本代表ミステリー集 「わたしは誰でしょう」
以前、中日新聞の夕刊には「文藝ガーリッシュ」という千野帽子の連載がありました。
連載のはじめには「一人でいる時間を大切にする、聡明で誇り高いお嬢さんにお薦めするのにふさわしいセレクトになりますか…」と宣言するだけあって、まことにお嬢さんの本箱に並ぶにふさわしいものになっていました。
少女マンガ好きのぼくも思わず目を通していたのですが、さすがに題名を知っていても読んでいないものばかりだった。なにしろ尾崎翠、武田百合子、嶽本野ばらなどが並ぶのだ。
イラストの津野祐子もいい雰囲気でした。
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前に読んだ好きな探偵小説で「わたしは誰でしょう」というのがあるのですが、この探偵小説のヒロインの書棚に並ぶにふさわしい本のセレクションのような気がしますね。
探偵小説好きの好奇心旺盛なご令嬢なのだ。

ちなみに「わたしは誰でしょう」は1970年代半ばに発行されていた角川文庫の日本代表ミステリー集で読んだのだと思うのですが、グーグルで検索しても見つからなかった。
家でも文庫が見つからず誰の小説だったのかもう分からない。
もしかしたら、題名も違っているのかもしれません。

画像はその探偵小説好きだったヒロインの本箱にあったジイドの「法王庁の抜け穴」、「贋金つくり」だったかもしれない。
ほどほどなる「エコ」
再生紙のいちばんの優等生はきっとマンガ誌ですね。
すこし、くすんだような色とざらざら感が好きなのだけど、日本のマンガ文化は再生紙に支えられていたのだ。今はトイレットペーパーも柔らかくきれいなものになっているけど、昭和40年代初めの頃まではちり紙が使われていた。粗末な再生紙で、時には文字が読めるほどに残っていたりもしましたね。
用途によってはそんなものでもいいのだと思うのだけど、今は異様なまでに完璧にしようとします。
どうでもいいというと語弊があるけど、妙なところばかりに徹底し、肝心な部分で無駄があるように思えてしまいます。
ガソリン税で地球温暖化を都合よく持ち出されてもなあ。どのみち、道路を作る財源じゃん。
地デジなんかもエネルギー消費の問題だけでいえば、膨大に使えるものを捨て、それをまた新たに作るんだから大いなる無駄ということもできますね。
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ぼくはやはりほどほどがいいように思いますね。
ほどほどというと中途半端とかあまりいいイメージじゃないけど、あまり突きつめると危険が伴います。
「水清ければ魚住まず」「清濁併せ呑む」などは大人の狡さを示すことわざのようだけど、生きる大人の知恵なのだ。
ピュアな子供の論理に負けてはならない。
「風の谷のナウシカ」で語られるように、多すぎる火は1日で森を焼き尽くし、風と水は100年をかけて森を作ります。
たとえいかに便利なものでも、あるいはいかに正義でも過剰なるものには危険がつきまといます、たぶん。
画像は江戸時代の優れたエコ事情も教えてくれる「大江戸仙界伝」(石川英輔著)。
生物多様性のなかのLGBT 「春琴抄」がアイドル映画として公開される日本
今年夏、開かれる洞爺湖サミットは環境問題、地球温暖化が主要テーマだけど、生物の多様性の保全の問題もあります。生物の多様性の保全というなら、人類のなかにおいても民族・宗教・価値観・文化の差異を越えたマイノリティの差別なき共存も広く求められる問題なのかもしれないですね。
むしろマイノリティ(少数派)やマイナス(負)の歴史こそ、個性を作り出し、人も都市も活性化させるということもあります。
沖縄人気も「国内版ハワイ」を目指すことをやめて、独自の生活文化が理解されて定着したらしいし(日経MJ)、高山も以前は小京都という呼ばれ方をしたけど、もうそんな必要はないだろう。独自の魅力でいいのだ。
さらに都市経済学者リチャード・フロリダ氏は、クリエーティブ・クラス(創造者階級)を引き付ける都市の条件にLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)コミュニティの存在をあげています。
LGBTという性的マイノリティが暮らしやすいということは、性的な面だけに限らず差別が少なく、自分らしさを発揮するのに寛容な都市や社会を示すというのだ。
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音楽や映画、舞台エンタテインメント業界やファッション、コスメティック業界がLGBT市場に注目するのは、彼らが「気に入ったらとことん追求し、仲間内で批評しあうのが大好き。そんな彼らを取り巻く市場は大きい」ということらしく、なんだオタクと少しも変わらない。
鋭い感性、自己研鑽意欲が高く、企業も多様な人材確保をLGBTに求めつつあるという。
さらに面白いのはゲイは恋愛において、時にライバルともなる女性に負けないためにも自己を磨きたい意識が強く、肉体を鍛えたり最新のファッションや話題に敏感でありたいという努力を惜しまない。
ゆえに人的ネットワークも豊富だとし、その点では若さでは20代に勝てないと考える30代独身女性のメンタリティと似ているとしていること。なるほどなあ、でも怒られないか。
日本は古来より世界でも珍しいほど、異端(マイノリティ)に寛容な国だったのではないかなあ。

画像は1976年公開の「春琴抄」。大文学者谷崎潤一郎はどんな街が似合うだろうか。

青いバラ、黒いチューリップ
ツバキも品種改良が多いのだけど、やはり花はバラということになるのですかね。
サントリーは遺伝子組み換え技術を使って開発した「青いバラ」の販売に必要な国の承認が得られ、生産・販売体制を整え、2009年中に売り出すと発表した。
バラには青い色素がなく、青いバラは“不可能の代名詞”と言われていたが、サントリーは04年、最新技術を駆使して世界で初めて開発に成功した。
さすがに株での販売はできず、切り花として商品化とありますね。
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デュマの「黒いチューリップ」も名の通り、黒いチューリップの品種改良に絡む陰謀あり、恋ありの波乱万丈の物語。
17世紀のオランダではチューリップがブームとなって、黒いチューリップも夢の品種だったみたいだけど、技術的成果はともかく喜ばれたり、売れるのだろうか。
映画の「黒いチューリップ」はフランス革命前夜が舞台になっていたり、貴族を罰し庶民を助ける神出鬼没の義賊“黒いチューリップ”の活躍を描いた痛快アクションです。
アニメ「ラ・セーヌの星」みたいな感じですが、こちらは女の子というのが肝要となっています。
青いバラは、過去800年の品種改良の歴史の中で、多くの育種家が挑んできた夢だったとあるから、人間の花、バラにかける情熱は並大抵ではないですね。

バラにまつわることわざは多くあるけど、「きれいな薔薇には棘がある、といっても汚れた薔薇にも棘がある」と言ったのは北杜夫。
そして1976年の芥川賞は村上龍 『限りなく透明に近いブルー』だった。
冬のツバキ
椿はずっと冬の花だと思っていた。
雪をかぶって椿の花弁の落ちる音に目を覚ますことがあったからだ。
ウチの実家にはツバキがあって、ひとつはピンクで花弁がたくさんあるもので、いかにも重そうだった。
もうひとつは白に朱が交じり、一本で3種ほどの花をつけた変種だった。
接木だったのだろうけれど、きれいで好きだった。
江戸時代、2代将軍秀忠が愛したといわれる江戸ツバキ。華麗で気品ある美しさから大流行し、最盛期には500種以上の品種があったらしい(中日新聞)。
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ツバキは花が咲くまで年月がかかるらしく(初めて知った)、敬遠され最近のガーデニングブームにも取り残され、注目を浴びなくなってしまった。
現在確認されているのは120種あまりらしく、実家のツバキはどうだったのだろうかと思って聞いたら、毛虫に困って切ってしまっていた。
最近は時代も反映して軽やかな花に人気があるのだろう。
ツバキは花弁が重くドサリとまるで人の首が落ちるようで、武士に嫌われたとも言われるけど、これは間違いらしい。
でも確かに雪をかぶって重さに耐えられず、落ちる音は目を覚ますほどだったように思います。
もし、家にツバキがあるようだったら大切に。幻の江戸ツバキかもしれません。
そのときは日本ツバキ協会 江戸ツバキ研究会まで。
さすがに「花の子ルンルン」には出てこなかったなあ。

ツバキの花言葉
完全な愛・完璧な魅力・誇り・控え目なやさしさ・美徳・おしゃれ・理想の恋・私は常にあなたを愛します。

1976年には「四季の歌」がヒットしています。

春を愛する人は 心清き人
すみれの花のような ぼくの友だち

夏を愛する人は 心強き人
岩をくだく波のような ぼくの父親

秋を愛する人は 心深き人
愛を語るハイネのような ぼくの恋人

冬を愛する人は 心広き人
根雪をとかす大地のような ぼくの母親

たしかに椿はあまり合わないかもしれないなあ。





凍える夜は、熱いコーヒー。自販機はHOT&COLD
現在のタイプの自販機は昭和30年代に出始めたらしいけれど、急速に普及し始めたのは1970年代後半でHOT&COLD機、つまりHOT商品とCOLD商品が同時に販売できる自販機の登場をみてからです。
日本はいいなあ、どこにでもあって。
日本自動販売機工業会によると、全国の自動販売機の設置台数は550万台、売上は年間7兆円と世界一。
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一方、最近は批判も多いらしく路上へのはみ出し、空き缶の散乱、電気の無駄使い…。
自動ということはよく考えてみれば(よく考えなくてもそうだけど)、24時間動いているのだ。
缶飲料を買うのにひとりが要する時間は約10秒。1台当たり1日30本売れるとすると、販売時間は300秒でわずか5分。残りなんと23時間55分は空いているともいえるのだ(日経新聞)。
店舗も空いている時間の有効活用が重要だったりするけど、自販機の多さ、余剰時間は確かに何か工夫がありそうです。
募金や子供・女性の為の防犯ベル機能が付いたものや、AED(自動体外式除細動器)搭載したりものもあるという。
550万台、治安のいい日本だからこそのインフラでもっと有効利用がありそうですね。
画像はエヴァ缶コーヒー。
こんなキャラ缶コーヒーが出るほどに、馴染んでいるのだった。

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