理系・文系を重ねて見る光景は
「都の風」 千年、働いてきました
NHKBSで朝の連続テレビ小説「都の風」を放送しているけど、老舗商店の残り方のありようが意外なほどリアルに描かれています。つまり養子社会なのだ。大阪には「息子は選べんでも、婿は選べる」という言葉もあるらしい。
お世継ぎのつくりかた」(鈴木理生著)を読んでも、武家の支配(男性支配)がいちばん安定していた江戸時代にあっても、女性は大奥においても、庶民においても案外自由だった。
武士は武家の存続・発展が第一であり、命がけで房事過多による衰弱死もおそれずに、その一事に励み、また江戸時代はもちろん、つい戦前まで商家の当主は婿養子が普通で、資本と財産は「娘から娘へ」引き継がれた。
おのずと家付き娘、妻たちは性的自由等を享受し、陰間茶屋などで男娼や僧侶との逢瀬を楽しみ、男達も頭の上がらぬ妻たちを避け外に妾を囲って欲求を満たした。
時代劇では類型的な男たちの女性への抑圧、放蕩さばかり描かれるけど現実はこうであったらしい。
「源氏物語」の時代からジュリアナ、エルメスに至るまで変わらぬ女性優位の国家だった。
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いや、老舗の話だった。
「千年、働いてきました」(野村進著 角川新書)によれば日本はアジアのなかでも際立って老舗企業が多いらしい。
日本には社歴200年を越える会社や商店は約3000社あり、それに対して中国は9社、インドは3社、韓国はゼロ、ヨーロッパ最多のドイツでさえ、800社を数えるに過ぎないという。
理由としては「まず、日本が島国で極東のはずれにあるという地理的要因。実質的な侵略や侵攻、植民地化されることがなかったこと。
さらに自ら手を汚して何かを造る文化、手仕事を尊ぶ文化があるのに対し、中国や朝鮮半島では儒教の影響なのか、そういう事を卑しいとする価値観があり、加えて日本は他人の血を寛容に取り入れ、新しい形にしていく循環がある」と著者の野村進氏は言っていますね。
地理的な要因でいえばガラパゴスみたいなものですが、その奇跡のような偶然に、これもまた奇跡のような文化・文明が積み重なったものかもしれません。
開国以来崩れつつもなお生き残っているのはすごいことでもあります(推定によれば創業100年以上の企業がなお10万社、そのうちほぼ半分が製造業、飛鳥時代に創業した建築会社も現存する)。
老舗企業の多いドイツも徒弟制度のような職人気質の伝統がありますね。
職人的気質はオタクに(ガレージキットの原型師を見よ!)通じるものがあるし、やはり、オタク的人々は連綿と続く日本文化だけでなく、永続する企業の正統な担い手で、その資質は守らなければならないものなのだ。
最先端の機器にも連綿と続く老舗企業の技術が驚くほど生きていますからね。
麻生前外務大臣なら、そういうかもしれないなあ。
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恋は五・七・五 「南風 わたしは わたしらしく跳ぶ」
出場校も決まった春の選抜高校野球ですが、俳句甲子園というのもありますね。
こちらは夏だけだけど、昨夏の第10回の優勝校は開成高校だった。決勝の題は「山」で開成高校が句、そして相手チームの句を批評する鑑賞力でも上回り優勝した。
「剣山の さびしく乾く 夏座敷」(開成チーム)。詠んじゃうのだなあ、今の高校生でも。
解釈できますか?まあ、解釈は妄想力でもありますけど?
日経新聞の書評欄に「極楽の日本語」(足立紀尚 著)という本が紹介されています。
俳句・句会のノンフィション本らしいのだが、俳句は素人ながら文筆業をなりわいとして自負のあった著者がびっくりしたのは、同じ兼題で他の参加者が作った「形而下の野や一面の曼珠沙華」。
意味はわからないが、味はある。こはいかに。
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ぼくもときどきNHKBSで「俳句王国」というのを見るのだけど、確かによくわからないながら惹きつける句というのがありますね。
名人が必ず秀作をつくり、初心者が常にまずいというものでもない…。万葉集だって素人というか庶民の歌も入っているからなあ。
よしあしを理屈で説明できない不可解さこそが日本語の言葉の豊かさにほかならない。
いちおう解釈もするけど、けっこう人それぞれですからね。
人はまず理屈抜きの感動から、興味・探求を始めるのかもしれないなあ。

画像は映画「恋は五・七・五」  南風 わたしは わたしらしく跳ぶ

テーマ:俳句 - ジャンル:小説・文学

岐阜県は真ん中だけど
ついにというか、とうとうというのか岐阜県も愛知県も首都機能移転を諦めたらしい。
もうさすがに予算計上しない。一時の狂騒、熱気はなんだっただろう。
岐阜がそれでも有力な候補地だったののはやはり日本の中心にあったからですね。
岐阜県郡上市美並町には日本真ん中センターというトマソン(無為・無用なもの)な施設があるけど、日本の人口重心が建設当時そこにあったから…。
求める式はなかなか難しいけど、いずれにしても人口のバランスによるものだから、日々変わっていくもので、特定の年に人口重心があっても固定されるものではありません。
実際もう動いていて今は岐阜県関市にあるらしく、まあ、なんとトマソンな…。
でも岐阜は関が原もあり、天下分け目の決戦が行われたこともあって、真ん中というか東日本と西日本のやはり境目なのかもしれない。
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その区分けについてはNTTでは西日本、気象庁では東日本、JRは東でも西でもなく東海、フォッサマグナでは西…他にも文化的な区分けもあって、牛肉は東、豚肉は西、ぜんざいとお汁粉、マックとマクドというのもありましたね。
トイレットペーパーもダブルロール、シングルロールというという違いがあるという。
モグラ説もあります。アズマモグラとコウベモグラ。
ガタイに勝るコウベモグラが関東進出をしているらしく、某山○組みたいです。
やはり、若干、西の傾向が強いだろうか。
でも東・西という言い方は中央から見た言い方で、こそばゆい立脚点だけど、中心で愛を叫んでもなにもなかったりする微妙な場所だったりする。いったい、何の話だ?
勝利が全てではない大相撲の腐敗
大相撲初場所はいろいろな問題を孕みながらも白鵬、朝青龍の横綱決戦となり、白鵬が優勝した。
数年前の米国の権威ある経済学会誌に「勝利が全てではない大相撲の腐敗」という論文が載った。
筆者は相撲の素人とはいえノーベル経済学賞への登竜門(らしい)、ジョン・ベーツ・クラーク賞を受けたシカゴ大の俊英、レヴィット教授。
7勝7敗と8勝6敗の力士の対戦を過去11年間、32000番ものの取り組みデータを分析して、普段はほぼ5分の星なのに千秋楽に顔を合わせると7勝7敗の力士の勝率が約8割になったのだという(日経新聞)。
さて今場所の取り組みで7勝7敗で千秋楽を迎えたのは、琴光喜、露鵬、高見盛の3力士。
琴光喜はめでたく勝ち越し、露鵬は負け越してしまったのだが、対戦相手は高見盛だった。
レヴィット教授の指摘は今場所も成立していたのだ。
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でも相撲界だけでなく、日本全体が社会通念としていわば許容しているようにも思えますね。
通念とは「真実だと一般的に大衆に受け入れられている説明や観念」(ガルブレイス)で真実と隙間がある口当たりのいいものであるならば、現実のなかでの夢ともいえ、なかなかはずせないことなのかもしれない。
でもいちおうスポーツ、勝敗を争うものなら、科学的態度も持たないといけないですね。
まあ、そのうえで許容するならそれで別にかまわないけど。
ちなみに1976年初場所の優勝は北の湖。この頃はどうだっただろうか。
画像は映画「ちゃんこ」。
部員ゼロの相撲部を廃部の危機から救ったのは外国人留学生と女子学生だった…。
国立広島大学相撲部の一風変わった実話をもとに、描かれる笑えて泣ける青春スモウムービー。
相撲は楽しいものなのか、相撲道なる修行でもあるのか。
場の理論における「喫茶店」
東海地方は喫茶店の多い土地柄で、もっと有名なのはモーニングサービスの豪華さですが、1970年代の頃に比べれば、やっぱり圧倒的に少なくなったのではないのかなあ。
意味合いも違うのかもしれない。当時の学生においては議論の場だった。
「場の理論」というのが流行っていて、教室と喫茶店ではまた別の結論が見出されたりするのだった。
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先日の日経新聞の「領空侵犯」では大阪大学学長 鷲田清一が「議論できる喫茶店を作れ」と書いてます。
最近の流行のカフェでなく「単なる待ち合わせ、時間つぶしの場所で、人が居合わせて文化が生まれるわけでなく、かつて路地裏にあった名曲喫茶、ジャズ喫茶には、まだ文化があった。どこか秘密ぽくって暗くて…」。
さらに議論を通して『論』を立ち上げたり、そういう基礎体力をもたないとデモクラシーは育たないとし、「我々はテレビから流れる情報を、受身でシャワーのように浴びています。選挙の結果にしてもテレビから流れた情報をイメージとして受け取り、直情的に反応しただけではないか。今は物事を考えるときの『ため』がなくなり、想像力がしぼんでいます」。
かつての桃谷のゼネプロにも店内にカフェがあり、どこかには「ソラリス」という喫茶店があったとも聞きました。
映画では神戸に「レティシア」というバーがあるとも聞いた。
喫茶店は考える『ため』の場だったのだ。
アニメや映画だけでなく、様々な人が集い、楽しい議論を重ねたのだろう。
「ダボス会議」はそういうカフェ文化から始まったのではないかなあ。
半村良
1970年代当時、西村寿行・森村誠一と並んで「三村」と言われたのが、半村良です。
SF作家でもある半村良の「石の血脈」「産霊山秘録」「妖星伝」などは大好きだった。
手が込んでいるのは小説の末尾に挙げられている参考文献ですね。
気になって調べてみるとそんな本はなかったりするのだ。架空の古文書だったりします。
そういえば「鼻行類」という奇書があって、鼻が極度に特化した哺乳類の構造と生態を描いた書で、全て架空の動物なのだが、記述があまりにリアルなので専門家も騙されたといういわくつきの本もありましたね。
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当時、松竹では何度も「妖星伝」映画化の予定がありました。
新年になると毎年のように今年の公開予定作品として挙がっていたのだった。
今の時代こそ、ぜひ半村3大SF「石の血脈」「産霊山秘録」「妖星伝」の映画化をしてもらいたいものです。
「妖星伝」のオリジナル本は色文字というすごいことやっていたのを覚えていますか。
最終巻は白抜きだとも噂されていたからなあ。
西村寿行
セックスとバイオレンスのイメージが強いのだろうけれど、西村寿行はよく読んだ。
動物文学などはいちばんの作家じゃないかと思うくらい、いい作品があるのだけど、おそらくセックスとバイオレンスのイメージが強すぎて男しか読まなかったのかもしれない。
それほど暴力描写、性的暴力描写も凄まじくバイオレンス小説ともよばれた。
大藪春彦、平井和正などもハードボイルドだったけど、時代の空気みたいなのもあったのだろうか。
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一方で「犬笛」「滅びの笛」など動物を描いた作品も多く、動物小説の先駆者でもあり、また、SF的志向も強く、それらが混在した小説は不思議な魅力を持ったのだった。
環境問題など時代を先取りした人でもあって、「海猿」で海上保安庁は一躍人気となったらしいけど、ぼくは西村寿行「遠い渚」で憧れたのだった。
文学賞などとは無縁の作家だったけど、もう少し再評価されてもいいのじゃないかなあ。
「君よ噴怒の河を渉れ」は高倉健主演で映画化され、街中で馬を走らせるなどなかなかすごかった。
精神病院の描写は恐ろしく、「まぼろしの市街戦」「カッコーの巣の上で」と並んで「精神病院3部作」とぼくは呼んでいます。
去年亡くなってしまったけれど、肝不全とあったけど、病魔ともほんとうに語り合ったのだろうか?
嵐の中のオタク業界
当然だけど、オタク業界も再編というか優勝劣敗の嵐の中にあるのだった。
それををまざまざと見せつけたのは昨日のアニメイトとブロッコリーの資本業務提携の衝撃的ニュース。
ついにというかやはりというか、生物の多様性を維持するのが困難なように、オタク業界も多様性の変種として生まれれてきたはずなのに、経済的合理の世界に飲み込まれてしまいそうです?
実は去年の7月に月刊誌「サイゾー」がなかなかディープなオタク特集をやっていた。
オタクそのものではなくオタクを取り巻く業界を扱うもので、しかも直近なオタクビジネス(バンダイ等大手企業系は除く)を取り扱う本格的な記事は初めて見たのだった。
フィギュア系(海洋堂、ボークス、コトブキヤ等)、オタクグッズ販売系(アニメイト、ブロッコリー、虎の穴等)、コスプレ系(コスパ等)、ジュニアアイドル(ぶんか社等)の4ジャンルに分類しての分析となっていました。
これをみてもフィギュア系であればかつての大阪を基盤とした3社はやはりすごいですね(海洋堂、ボークス、そしてゼネプロはガイナックスとして制作会社となり、この分類からは外れています)。
さらにはアニメイトについても語られていてすこしびっくりしたのだった。
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今やニッチでもない世界に広がる巨大市場として、大手資本もしきりに参入を狙うけど、今までのような大衆迎合的なビジネスモデルが通じない、しかも商品やサービスの価値は、その道のオタクにか理解不能など、誰でも参入可能出来るにもかかわらず、そこには「見えざる壁」があって、実は参入の壁のハードルは非常に高い。
なるほど、ATフィールドで守られているのだね…ということだったはずだったけど、「個人の趣味の多様化、少子化、情報端末の進化といった市場構造の変化に加えて、大型量販店の参入などにより競争・競合が激化して…」(ブロッコリー)とあって、そうもいかないらしい。
それにしても(ペ)もオタクビジネスの4ジャンルの括りでいえば、まあ、ジュニアアイドルはさておいて、他の全てには当てはまったりはするなあ。
ローカルで企業規模も違うけど、なかなか参入が難しいというなら25年の歴史ももっと生きるかもしれない。
と同時にやはりさらに厳しい競争の波に洗われているのだった。
ワンフェス、世界コスプレサミット、TV、映画と(ペ)も意外にお呼びはかかるのだけど。
特集はオタク論壇等にもおよびなかなか勉強になるのだった。
のんびり、勉強している場合ではないのだが。
ここで書くものなんだけど、オタク業界のガラパゴス?ペーパームーンを今年もよろしくお願いします。
エジソンの母、町の発明家
TBSで始まったのが「エジソンの母」。天才的なひらめきというか、果てない好奇心というか…まあ、そういう子供とそれに関わる周りの大人たちの成長を描くもですね。特筆すべき才能は素晴らしいけど、異質ということでもあるから一般的な社会では軋轢が生まれるし、義務教育の学校教育なかでは、居場所が見つけにくいのかもしれない。
今日のニュースを見たら、トヨタは運転手の居眠りなどで衝突事故が起きそうになると警告する車載システムを開発した。ハンドルの回転軸上部に取り付けたカメラが運転手のまぶたの開閉を検知するもので、2月に発売予定の高級車「クラウン」の新型車に世界で初めて採用するとありますね。
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これは発明ではなくて技術だけど、かつて少年時代の少年誌の怪しげな通販にあったような居眠り防止勉強アイテムを思い出すなあ。小さな磁石を多数並べたヘッドギアみたいなものだった。眠気防止でもあり、脳を活性化させる大発明というようなふれこみではなかったかなあ。兄が買ったのでぼくも付けてみたけど、もちろんそんなことはなかったのだった。
でも、子供は鉄ゲタなどつい買ってしまうのだよ、明智君。
居眠り防止システムってすごいけど、なんか町の発明家っぽくないですか。
鉛筆を6角形とした発明家は莫大な対価を得たと子供の頃、誰かに聞いたけどほんとうだろうか。
映画と演芸の街 岐阜柳ヶ瀬
以前にここで「昭和43年の岐阜 柳ヶ瀬」というのを書いたけど、この岐阜松竹のシネガイド(演芸ガイド)は年代不明ながら、もう少し前のものですね(発行年が書いてないのだ)。
かつての岐阜松竹といえば、今のシネックスの場所に岐阜東宝とともにあったものだけど、このシネガイドの岐阜松竹は、さらに別の場所にあったものらしいです?
岐阜の東映封切り館だった岐阜豊富東映は閉館後、昨年、大衆演劇の常設芝居小屋として復活したけど、たしかにこのシネガイドにあるように岐阜柳ヶ瀬は「映画と演芸の街」でもあったのだ。
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いちおう話は聞いたりしてるのだけど、さすがにこのあたりを語れる人は少なくなってしまったのだろうなあ。
映画のチラシ・ポスターやスクリーン、キネ旬などの雑誌などは資料が集めやすいのだろうけれど、地方で発行されたシネガイドのような無料の配布物ってなかなか見つからないですね。まあ、消耗品だからなあ。
より時代が読み取れて、わかりやすいのだけど。
このチラシの裏面にはさらに詳しい案内が載っています。
羽島に映画資料館があるけど、こういうものも収集してあるのだろうか。
画像は拡大できます。
おーい、でてこーい (星新一)に学んだこと、ニセ科学批判
画像のような少年誌の頃は「宇宙人」「怪奇」「霊」現象などの特集記事があったりしましたね。
もちろん、それでも夢中になったりする子供もあるのだけど(ぼくのことだ)、まあ、子供向けだから当然いい加減なわけです。
インチキとある程度承知しながら楽しんでいたわけですが、最近はその境界が分かりにくくなって、そして批判力も低下しているのかもしれない。
大阪大学の菊地教授も強烈にニセ科学批判をしていますね。
「マイナスイオン」「ゲルマニウム」「ゲーム脳」などは科学的根拠はない、お守り程度の効果、親のしつけの問題と明確に批判しています。
以前にも日経新聞で宇宙物理学者の池内了がニセ科学を批判して「いつの時代も社会は矛盾と非合理に満ちていますが、それに対してきちんと抗議の声を上げる態度が弱まっています。政治家や官僚の腐敗、格差の拡大…おかしいと思いつつも深く考えず呑み込んでしまう。これは疑似科学のような不合理なものを黙認しようとする態度に通じます」
またこの対応策としては 「何より子供への教育で、血液型や星占いといった身近な話題を題材にその非合理性を教え、人生の入り口で物事を疑うという科学的な態度を身につけることが大切です」
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ほんとうに危険なところまで来てしまっているのだ。
「オーラの泉」で人気タレントや大女優が涙を流して聞いていれば、彼らの多くのファンも惑わせるだろう。
涙の出るような気持ちのいい話は危険をはらむと疑ってかかるべきかもしれません。
以前やはり映画「ペイフォワード」という映画があって、1人が3人に善意を施し、その3人がそれぞれまた3人に善意を施し、その繰り返しでやがて全ての人は善意に包まれるという実話を基にしたものでした。
人に贈るのが物に限定せず善意といういわば無限の気持ちでもあるため、なかなか手ごわい論理となっています?
この無限も僕らを惑わすもので「ジャイアント・ロボ」に出てくるシズマ・ドライブ(完全なるエネルギー機関)のようなニセ科学を生み出します。
アリストテレス風にいえば可能的無限は存在するが、現実的無限は存在しないということをはっきり認識しないと危険なのだ。
ねずみ講などは無限連鎖講とも言われるようにその典型です。
そして仮にそれが気持ちのような無限とも思えるものでも有限であり、あるいは何らかの対価を払っているのだ。
有限だから毎日が大切なのだ。
二度と戻らない日々だから輝かしいのだ…と科学者だけでなく詩人ボードレールも、宗方コーチも言っています。
でなければマンガもアニメもファンタジーも大いに楽しめじゃないですか?
星新一「おーい、でてこーい」でぼくは科学的基本姿勢を学んだのだった。
ピンクレディー
なかなか年代を正確に追って行くのは難しい。
後で思い出したりするものもあるし、年というより年代という設定が相応しいものがあります。
コーヒーブレイクと称して時事・趣味ネタもけっこう多かったりします。言い訳だけど。
1976年にはピンクレディがデビューして「ペッパー警部」「S・O・S」をヒットさせています。
ぼくはキャンディーズ派だけど、やはり女性は圧倒的にピンクレディーなのですかね。この世代の女性はたいてい歌えるし、フリも覚えていたりします。
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作詞はいずれも昨年亡くなった阿久悠です。当時はあまり好きになれなかった詩だったけど、やはり新人などすべてに全力で書かれた詩なのだという気もします。
そして1978年には「ピンクレディーの活動大写真」も公開された。同時上映は山口百恵の「炎の舞」。
歌手アイドル全盛というべきだったのかなあ。
ちなみにこの年のキャンディーズのヒット曲は「春一番」、山口百恵は「横須賀ストーリー」。
どうでもいいけど清水健太郎の「失恋レストラン」というのもあって、「失恋レズビアン」なんてくだらない言葉遊びまで思い出してしまった。
今はアイドルというか若手女優全盛の時代となった。
鞍馬天狗ふたたび
NHKで連続時代劇「鞍馬天狗」が始まりました。野村萬斎いいですね。
これは必ずしも伝奇ものではないかもしれないけど、最近の藤沢周平に代表されるリアルで下級武士や市井を描くもの多いなかで、久しぶりの痛快ちゃんばら活劇になるのだろうか。
70年代のテレビは時代劇枠も多かったですね。
古くは「新撰組血風録」みたいものから「鳴門秘帖」の伝奇時代劇まで幅ひろかった。
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映画では時代劇は復活しつつあるのですかね。
ぼくは今年公開予定の「カムイ外伝」が楽しみなのだけど、流派に興味を持ったのはやはり「眠狂四郎」の円月殺法から。
さらにはニヒル、妖艶な女、狂四郎を狙うやはり偏執狂的な剣士と来るからたまりません。
「あずみ」のような作品でも影響は見受けられます。
監督は三隅研次で陰影や構図が素晴らしい。やはり計算されつくしているのだろか。
市川雷蔵という最高の個性、「眠狂四郎」という原作をいかに生かすかに徹底しているように思いますね。
そのしっかりした構図のゆえにニヒルさ、殺陣も引き立ちます。
これぞ伝奇小説?「神州纐纈城」など誰かやってくれないかなあ。
祝!直木賞 「私の男」(桜庭一樹著)
このブログでも今年の1冊と締めくくった桜庭一樹著「私の男」がめでたく、第138回直木賞を受賞しました。
ライトノベル出身作家ですが、その実力はもう誰も疑うこともないですね。
「赤朽葉家の伝説」では日本推理作家協会賞、吉川英治文学新人賞を受賞し、「私の男」では直木賞も受賞した実力派。
「私の男」とタイトルはシンプルですが、その物語は恐ろしくも鮮やかにぼくたちの前に立ちはだかります。
なぜこの二人が禁忌を越えてかくも求め合うのか、その痛み、罪。
それは幸福なのか不幸なのか…。
気軽に手に取るとえらい目に合います。
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1974年下期の直木賞は半村良「雨やどり」だった。
半村良はSF作家だったけど、SFでは取ることができなかったのだ。
業を煮やした?筒井康隆は1979年に「大いなる助走」という文学賞をあざ笑う小説を書いた。直木賞を思わせる選考の内幕を描いて選考委員殺しも断行した。ちなみに出版社は直木賞の勧進元文藝春秋社だった。
筒井康隆はその後、泉鏡花文学賞、谷崎潤一郎賞、川端康成文学賞、読売文学賞など錚々たる賞を受賞するが、直木賞は受賞しなかった。
もう今は文壇政治というのはなくなったのだろうか。東野圭吾もようやく受賞出来たし…。
それにしてもいつも才能は新しいジャンルからやってきますね。
全体は部分の総和以上のものである…
とうとう物理学の世界でも創発(エマージェンス)と言う概念が出てきたらしい。
全体が部分の単なる総和ではなく、それ以上のものを生み出すことをいうらしく、たとえば渡り鳥の1羽1羽は周囲の仲間を見ながら飛んでいるだけだけど、全体にはおのずと秩序が生まれている。
生物学ばかりでなく経済、社会学などでも、なるほど使われそうですね。
物理学は現象を限りなく小さな要素分けて法則を発見してきたのだけど、「物理学の未来」(ロバート・B・ラフリン著)はこうしたアプローチはもはや限界を迎えているという。
流体力学、相対性理論、量子力学、宇宙などは確かにそうかもしれない。
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でもこの創発って70年代頃流行った?「ゲシュタルト心理学」ですね。
あれも全体は部分の総和以上のものである…というものでした。
卑近な例で言えば、モーニング娘、ジャニーズ系、宝塚…ひとりひとりも魅力的だけど全体が、個々の総和以上のパワーがあるのは明らかです。
かつてアイドルグループ「スピード」の解散でも明白なように絶頂期の全体は個々の総和ははるかに越えるのだ。もっともひとりになってキャラの立つ人もあるけど。
地球はエマージェンスの傑作なのかも知れない。ゲシュタルト崩壊も懸念されます?
みんなのA・ポップ
日経MJでJポップならぬAポップの特集が組まれていました。
CD全般の低迷の続く中でAポップ(アキバ系ポップ)と呼ばれるアニメソングが存在感を増しているというもの。
コマソンでもそうだけど、アニソンも曲作りの自由度が高く、やはりインパクトと馴染みやすさをいちばんの役割とするものだろうから、ある意味、より普遍的でもあるような気がします。
むしろ、そのために徹底された遊びの要素が許容される感覚・時代なのかもしれませんね。
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いまアニメの主題歌はトップアーティストが歌うことが多いですが、考えてみればアニメの黎明期においては「鉄腕アトム」の作詞は詩人谷川俊太郎だし、「リボンの騎士」「ジャングル大帝」などの」多くの手塚作品を手がけた作曲家は巨匠富田勲だったのだ。
「あしたのジョー」の作詩も寺山修司だし、黎明期ならではの情熱が迸っていますね。
宮崎駿作品における久石譲、千住明など、本来アニメの外にいた才能が今も集います。
画像は非オタク系のファンも増えつつある水樹奈々。

元祖コマソンの女王: 楠トシエ大全
70年代というより50、60年代なのだろうけれど、CMの女王といわれたのが楠トシエ。
NHK「ひょっこりひょうたん島」のサンデー先生ですね。1000曲を越えるCMソングを歌ったともいわれていて、年末80歳で初のCD「元祖コマソンの女王: 楠トシエ大全」も発売された。
黄桜酒造のかっぱの唄やヴィックスドロップ、ミツワ石鹸の歌等はすぐに思い出されるけど、地方では流されなかったものあるし、さすがに知らない歌も多いです。
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しかしコマソンは役割のいちばんとして、インパクトと馴染みやすさを基本とするということあるだろうから、時代を感じさせつつも普遍的でもあるような気がしますね。意外と古びていない。
楠トシエのコマソンをよく手がけた三木鶏郎などこの時代の放送界には放送作家、作詞家、作曲家、作家、俳優、監督などともつかぬマルチな才能の宝庫で、これからの時代を感じさせるテレビ・バラエティ・アニメ・CMなどは、自ずと才能が集まったのだろう。
ちなみ先日、パナソニックに社名統一した「明るいナショナル…」もトリロー作品。
映画「アース」が語りかけるもの
壮大で美しい地球に生きる動物たちの姿を描いた映画「アース」が12日から公開中です。
この美しい地球、生物をみると環境問題も思わざるをえませんね。
去年の6月にドイツ、ハイリゲンダムで開催された先進国首脳会議の大きなテーマは環境問題、地球温暖化対策だったけど、それをも包括するような大きなテーマが生物の多様性の保全の問題でした。
ドイツのメルケル首相が強く呼びかけていたらしいけど、現在の経済原理と合うのだろうか。
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「生物多様性という名の革命」(デヴィット・タカーチ著)によれば、生物多様性を守るべきと主張する保全生物学は、純粋科学とは一線を画していて政治的・経済学的意味を含むものですね。
多様性を守らなければ、ガラパゴスなどの希少生物も白神山地のブナの原生林も守れない。世界自然遺産・文化遺産の指定はその意図を持ち、人々も美しい地球を守るために多くは賛同します。
けれども科学的スタンスとしては生物多様性はこの世界で守らなければならないひとつの価値に過ぎないし、最重要の価値でもないかもしれない。
もちろんそうだけど、それでも人間の思う美しい地球を守るためには、生物学的・文化的多様性は守らなければならない…。
このあたりの論理のジレンマが合意を難しくします。多様性を守るという事は目先の合理性を否定することでもありますからね。でもそれが最終的にもっとも合理的になるのだろうか。

アニメの世界に例えていうなら「らき☆すた」だけでなく、他にもいい作品、別の価値観の作品等はあるし、たとえいい作品ではなくても美しく楽しいアニメ・コミックの世界全般を守るためにはあったほうがいいし、制作・流通・店舗・消費者それぞれの場所おいても多様性を守らなければならないのだ(確かに政治的・経済学的なのかもしれない)。
ブラックジャック
最近は医者にかかることが多くなってしまった。
大病をしたせいもあって仕方がないのけど、やっぱり出来れば行きたくないのだった。
歯科、耳鼻科、眼科なども行くようになりましたね。
歯医者は子供の頃から行ってるけど、やはり怖いなあ。
人間の感じる三大痛みとは必ずしも確定しているわけではないらしいけど、歯痛もよく言われるところですね。尿管結石も痛いらしいけど、万人がわかりやすい痛みではいちばんです。
治療のイメージでもまだ怖いイメージがあって、やはり麻酔のない時代の抜歯は恐ろしいものだったらしい。
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ヨーロッパでは歯抜き人(仕置き人みたいでしょう)と呼ばれる人がいて、楽隊付の歯抜き人もいた(その悲鳴はラッパの音でかき消す)。
歯抜きは拷問としても利用されたというから、そりゃあ恐ろしいのだ。
先日行った歯科医の待合室には楳図 かずお先生のマンガが充実していたのだが、ブラックユーモアなのか、それともラッパのように悲鳴を打ち消す効果をねらっているのだろうか。
今日は眼科に行かなければならないのだけど、ここの待合室には「ブラックジャック」が置いてあって、ぼくは「瞳の中の訪問者」など思い出したりしてしまうのだ。
眼球注射といわれたときはほんとうに怖ろしかったなあ。
映画「ファンタズム」をやはり思い出してしまうのでした。
堀北真希と長澤まさみ
週刊文春を読んでいたら、「堀北真希と長澤まさみ」というコラムがあって、もちろんそれは小林信彦だった。
アイドルの目利きといえばこの人の右に出る人はいないと、やはりアイドル好きのぼくは尊敬申し上げているのだけど、この二人ばかりじゃないぞと、さらには女子アナもチェックしていると言われておるのでありました。
二コール・キッドマンと大塚寧々(アイドルではない)は特別に好きなような気もするけど、たしかに「どんまい!」の相武紗季も褒めていたものなあ。
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ぼくも別のブログだけど、アイドル・女優については、「堀北真希と長澤まさみ」がいちばん多かったかもしれない。最近は大後寿々花が増えているのだけど。
それにしても「鉄板少女アカネ!」も録画して見ていたとは…。同じだあ。
絶賛していた「恋する日曜日私。恋した」は見ていないですね。DVDも出ているので見なければなりません。
長澤まさみはまず「タッチ」をオススメします。
1975年の頃の小林信彦は「オヨヨ」シリーズなどで人気を博していて、もちろん読んでいたのだった。
箱の概念を変えた安部公房「箱男」
もう、故人となってしまったせいか、あまり語られることもなくなった安部公房。
存命中は日本でノーベル文学賞にいちばん近いとも言われていた作家です。
前衛にしてSF作家でもあった。
代表作は映画化もされた「砂の女」だろうか。
箱入りの装丁の本を買ったのは、それがたぶん初めてだった。
以来、美装ケース入りというのは本に限らずほしくなりますね。
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いつか、NHKBSの「平積み大作戦」で俳優のきたろうが安部公房を進めていたような記憶があるけれど、どうだっただろうか?
いまはもうなかなか売れないのだろうし、書店でもあまり見かけない作家となってしまっています。
さて、安部公房でもう1冊箱付きのハードカバーで買ったのが「箱男」でした。
この段ボールを頭から被る男のイメージはインパクトがあって、のちに「電波少年」「メタルギアソリッド」にも登場した。
段ボールや段ボール箱を利用した日用品、コスプレなどが今は普通にあるけど、原点は安倍公房、1973年の新潮社純文学書き下ろし作品なのだった。
画像のように日常でも見かけます(作業をこなす箱ガンダム)?
「女学生」の幻想、「ビートルズ」の幻想
今でも幻想は続くけど「女学生」とはなんだったかを問うのが「女学校と女学生」(稲垣恭子著)。
旧制高等女学校における女学生文化、(文学少女・堕落女学生・ミッション女学生)というイメージで語られてきた言説を検討するもので、著者によれば文学・少女雑誌・映画・演劇・音楽・社交などの典型的な女学生文化は、少女趣味・センチメンタルと批判されたけど、それは社会の現実を相対化させ人生の意味を考えさせるものだったらしい。
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また作家津島祐子も「戦争前後、少女文化のより暗黒な時代さえ、皇国に燃え、あるいはブルジョアを軽蔑し、無産階級に身を投じる夢を見ながらも、軽やかな洋装・自由恋愛など少女文化は女性のなかにつかず離れずあった」と言っています(「純情きらり」の原作者)。
オトメチック時代の「りぼん」(陸奥A子、田淵由美子等)少女たちも、「花の24年組」(萩尾望都・大島弓子・竹宮恵子・山岸涼子…)もともに読んだのだろう。
時代を担うようなしなやかでしたたかな女性達も実は通ったことのある道かもしれず、ただ少女趣味の批判をかわすため、秘めたりすることもあったのだろうか。
まあ、最近のようにあまりどうどうとされてしまうのもどうかと思うけど。
まあ、誰かが言ったように多くの男たちも「ビートルズ世代」とカッコつけながら、実は「橋幸夫」を聞いていたりしていたのだった。
「のだめカンタービレ」が広げたクラシックの世界
やっぱり「のだめカンタービレ」は面白いなあ。お正月、案の定見てしまった。
日本にクラシックファンが多いとするなら、たぶんにマンガの影響もありますね。
音楽を描いた名作マンガ(バレエものも含めて)は「のだめ」に限らず枚挙にいとまがありません。
竹宮恵子の「変奏曲」などもいいですね。
もう過ぎてしまったけど、去年はシベリウス没後50年でもあって日本が世界に先んじて北欧の音楽を愛し、高く評価してきたのはその言語・文化・感性が東洋に近いからなのだという(日経新聞)。
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シベリウスの音楽を聴くと森、山、湖など北欧の風景が見えるといわれるけど、それは全世界に通じる感性ではなく、たとえば「多くの日本人は音から風景を見ることができるけれど、民族によってはザワザワとした音としてしか感じない独特のもの」らしい(日本シベリウス協会理事 新田ユリ)。
日本以外で人気が高いのは米国と英国で、南欧では北欧音楽はすこし遠い存在という。
ブルーノ・タウトが言ったように日本は目に美しい文化でもあるけど、音にも美しさを発見する文化ですね。
芭蕉が詠むように蝉の声、蛙の飛び込む音にも美しさを見い出します。
水琴窟の音を喜ぶのは日本人くらいじゃないかなあ。
さらに日本では水はさらさらと流れ、星はさやかに輝きます。
交響詩「フィンランディア」は美しい曲です。瞳を閉じると美しい風景が広がります。
五木寛之の短編にに「美しきスオミの夏に」(スオミとはフィンランドのこと)というのがありますが、小説のなかだけではなく、なかなか日本びいきの国でもあるらしい。
スオミとはまた美しい響きですね。
外国に行くことはないと思うけど、ここは一度行ってみたいものです。
昭和43年の岐阜 柳ヶ瀬
昨日のNHKBS「日めくりタイムトラベル」は新春スペシャル昭和の大ブームを解剖として昭和全般を取り上げていましたね。いちばん注目されたのは昭和43年でしたかね。
全共闘運動が幕を開け、3億円事件もあったのだった。
映画も華があり、岐阜柳ヶ瀬もまだ賑やかな頃だったのだろう。
下記シネガイドは1967年の日劇ニュースだけど、右端に「衆楽70ミリ」とありますね、この年正月映画は「戦争と平和」だったのだ(画像は拡大できます)。
やはり正月NHKBSで「サウンド・オブ・ミュージック」をやっていたけど、ぼくはたぶん衆楽70ミリ劇場で見た。
冒頭の70ミリ大画面を利用した、アルプスからザルツブルクまでの空中撮影シーンがまず圧倒的ですね。
インターミッションもこの映画で初めて知った。
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僕もかつて映画館にいたことがあるけど、たとえば2番館(封切りでなく旧作を上映するところ、よくいえば名画座)に来るようなフィルムはけっこうぼろぼろでよく切れたものだった。
ビートルズの「ヤァ!ヤァ!ヤァ!」などはあの頃、よく繰り返し上映されていたからほんとうにぼろぼろで、テープで何箇所も貼りなおされていた。
本来の上映時間より5分近く短くなっているほど、切れまくっていたのだ。
もうそんな時代ではなく、次は衛星配信で映写機もなくなってしまうのだろう。
柳ヶ瀬にはかつて10軒以上映画館があり、今は2軒となり、それでもスクリーン数は5あるから、まだ映画の街なのだろう。
映画産業そのものは復興している。柳ヶ瀬を中心とする岐阜の街はなにを核に蘇るのだろうか?
「飲むか、見るかの街やった」とは今は柳ヶ瀬ただ一人の映写技師のH氏の言葉。
源氏物語千年紀
今年は源氏物語千年紀らしく、お正月の各紙の特集でもよく取り上げられています。
世界的評価も高く、日本文学の最高傑作、世界最古のロマンスともいわれる名作です。
紫式部の手で書かれ、日本がやはり女性文化の国であることも示すものとなっています。
2005年には「国宝 源氏物語絵巻」特別展もありましたね。
紫式部の[源氏物語]を絵画でつづった現存する最古(平安時代後期)の絵巻が一堂に展示され、全54帖あったうちの現存する19帖、そのすべてが公開された。
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皆本二三江「源氏物語絵巻の秘密」によれば、この絵巻には少女漫画の技法なり、現代の少女たちが本能的に身につけている手法と多く合致し、また、この国宝絵巻にも未熟な子供の手が入っていることも含めて、現代の少女漫画との相似を分析、指摘しています。
「源氏物語絵巻」の作者も現在のCLAMPのような共同制作だったのかもしれませんね。
「源氏物語」、そしてそれに題材を得て描かれた「源氏物語絵巻」、いずれも日本の誇る傑作なのを見れば、古来より日本はやはり世界でも稀な女・子供の文化の国だったのだ。
画像は大和和紀「あさきゆめみし」(源氏物語)。こちらもバイリンガル版が出ています。
ヤッターマンがいる限り、この世に悪は栄えない!
1975年にはあの傑作「タイムボカン」シリーズが始まっています。
くだらなくて、秀逸なナンセンスなギャグがちりばめられ、悪玉3人トリオなど悪役のほうがキャラが立って、とりわけ第2作の「ヤッターマン」は、主人公の名前は覚えていなくてもドロンジョ、ボヤッキー、トンズラー、ドクロベー、あるいはおだてブタならなんとなく記憶があったりしますね?
おそらくそういうことなのだろう。
今月からリメイク放送が始まるのだけど、悪玉4人組の声優は変わらない。
やっぱりドロンジョ様は小原乃梨子じゃないとね。
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さらに来年の春には実写映画化もされます。
監督はカンヌデビューも果たした今や巨匠の三池崇史、すでにヤッターマン1号:櫻井翔
ヤッターマン2号:福田沙紀と決定しています。
ドロンジョには深田恭子とも言われているけどどうでしょう。意外にいいような気もしますね。
さすがにアンジェリーナ・ジョリーというわけにはいかない。
数々の山本正之の名曲も忘れられません。

「ヤッターマンがいる限り、この世に悪は栄えない!」
悪玉キャラが立つだけあって、栄えないとはいうもの「悪」はそこそこには許容されています。
経済小説
今の経済小説の元祖ともいえる作家の城山三郎氏も亡くなってしまったけど、もう一人の元祖がおそらくルポライターから始まった梶山季之です。勝手な思い込みですが。
その梶山季之が1975年に亡くなっています。
かつてはいささか低く見られがちな経済小説も大ヒットした「華麗なる一族」や評判の高いNHKドラマ「ハゲタカ」などのようによく読まれたり、ドラマ化・映画化されるように今や堂々たるジャンルとなりました。
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城山作品も虚実交えた小説でリアリティが溢れ、いささか文学的香りも感じられるのは、城山氏の美学が貫かれているのでしょう。
代表作のひとつがやはり1975年に刊行された「官僚たちの夏」で、高度成長期に向かう頃、映画「3丁目の夕日」の時代でもありますね。
強引でもありながら颯爽とした異色の官僚を描いています(ちなみにモデルとなった通産官僚 佐橋滋は岐阜出身です)。
Perfume
まだ見ていないのだけどTVドラマ「相棒」正月スペシャルは 「寝台特急カシオペア殺人事件」と、とうとう鉄道ミステリーです。
先日やはり放送された「点と線」も好評だったように鉄道ミステリーは人気がありますね。
しかもカシオペアと聞くと向谷 実も思い出してしまいます。
鉄道に限らないけどオタクとしての鉄道を布教したのは、まちがいなく「タモリ倶楽部」ですね。
「タモリ倶楽部」のサブタイトルには「FOR THE SOPHISTICATED PEOPLE」とあって「洗練された人々のための番組」ということらしい。
そうか、やはりオタクって洗練された人々なのだ。
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「タモリ倶楽部」にはまた近田春夫、マーティ・フリードマンもたまに見かけるのだけど、感性も近いのだろうか。それぞれの連載や特集を読んでいると言うことが非常に近しくなっていますね。
倉木麻衣やPerfumeなんかもよく似た評価です。
まあ、ぼくの単なるミーハー好きとはちがうのだけど。
すごく脈絡のない文章になっているけど、要するにPerfumeは洗練されているとミーハーと思われずに言いたいわけで…。しっかり、ミーハーじゃないか。
ある意味「るらら科学の子」の本質を示しています?
お正月だよ!全員集合
あけましておめでとうございます。
最近はお正月らしい風景も少なくなってしまいました。
映画やテレビもここぞというときがお正月だったはずですが、さほどのものはなくなってしまった。
もう誰も「スターかくし芸大会」がお正月の風物詩と思う人はいない。映画もお正月興行が最大の機会とされたけど、そんなことはありませんね。
以前は正月、夏休みに向けた定番映画というのもありました。「男はつらいよ」シリーズなどがそうですが、よく併映されていたのがドリフターズものです。
もっとも画像のドリフは東宝作品で、松竹に移行する前には東宝でシリーズが作られていたのでした。
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地球温暖化の影響で鮮やかな気候の変化も失われ、また日常の中の非日常(ハレの日)も日常の中に埋没していくような現代という気もしますね。
日本ではいちばんの「ハレの日」のなんだけど。
凧揚げ・こま回し・カルタ・百人一首・羽根つき・すごろく・福笑い・ツイスターゲーム…
お正月しか出来ない遊びもしないとなあ。
もう、お正月には寅さん映画もドリフも、東映マンガまつりも東宝チャンピオンまつりもない。
そしてビートたけしの「お笑いウルトラクイズ」も ない。
初詣の晴れ着もずいぶん少なくなってしまった。