理系・文系を重ねて見る光景は
今年の一冊「私の男」そして「わたしの、好きな人」
今年もいよいよ大晦日となりました。
気まぐれで始めた「るらら科学の子」も4ヶ月目に入りました。
2007年の最後の日はこちらも「今年の1冊」で締めくくりましょう。
今年の1冊は桜庭一樹著「私の男」です。
ライトノベル作家ですが「赤朽葉家の伝説」では日本推理作家協会賞、吉川英治文学新人賞を受賞し、直木賞候補もにもなった。
「私の男」とタイトルはシンプルですが、その物語は恐ろしくも鮮やかにぼくたちの前に立ちはだかります。
なぜこの二人が禁忌を越えてかくも求め合うのか、その痛み、罪。
それは幸福なのか不幸なのか…。
気軽に手に取るとえらい目に合います。
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あまりに辛すぎるので、もうひとつ優しく切ない、そしてやはり運命の恋の物語を紹介しておきましょう。
運命の恋でもほのかな恋もあります。
今年の作品ではありませんが、八束澄子著「わたしの、好きな人」。
タイトルも似ていてやはり少女の恋の物語だけど、美しく心を癒してくれる物語です。
でもそんな少女にも魔性が秘められていることこそが、物語を際立たせるのでした。
マンガ・アニメファンにもおすすめの1冊です。
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フランダースの犬
もともとがアニメ・コミックのはずなのに、映画など他のジャンルばかりになりつつある「るらら科学の子」です。
ということで今回は1975年を代表する名作アニメ「フランダースの犬」です。
本放送も高視聴率だったし、テレビのアニメ特番でも必ず最終回の天使が出てくるシーンはあったりするから、まず誰でも知っていますね。
そして何度見ても不覚にも涙が出てしまうのだった。
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実は一部で知られているように、「フランダースの犬」は日本だけでよく知られる名作なのだ。
イギリス人作家ウィーダの書いた小説なのだが、この名作アニメのおかげで日本だけが知る名作となった。
ルーベンスも日本ではとりわけ知名度が高いかもしれない。

さて、ネロとパトラッシュが死んだアントワープの大聖堂で泣き崩れる日本人たちを見て不思議に思ったベルギー人映画監督ディディエ・ボルカールトが3年間かけて制作したドキュメンタリーが公開される。
なぜ日本だけで『フランダースの犬』がこれほど長く愛されるのかという謎に迫り日本人の「滅びの美学」が浮かび上がったという。

「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」としたらしい。

どうでしょうかねえ。
日本だけでヒットした映画に「小さな恋のメロディ」があったり、「冒険者たち」に出てくる要塞島は、やはり日本人だけが喜ぶらしいからね。



第三の新人 小島信夫
ぼくの育った実家もいよいよ壊してしまうらしい。堤防沿いにあってしばしば浸水したから、ぼくが住んでいた頃から実は傾いていたのだ。今は瓦も落ちかけ、危険な状態となってしまった。
ずっと年長の従兄弟がいて、実家に残されていた資料などを調べていたのだけど家系、その周辺など確認できたものをまとめてくれた。
直接繋がるものではないけど、そこには小島信夫の名前も出て来るのだった。
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小島信夫は第三の新人と言われた作家(吉行淳之介、遠藤周作など)で、すごいのは90歳を越えてなお前衛だったことと、びっくりするのはあれだけの受賞歴、尊敬を集めたのにその著作は1000部単位の作家だったらしいことです(同人誌レベル?)。
純文学とはいえ、大作家なのにほんとうに売れない作家だったのだ。いちおう小説好きのぼくでも1冊も読んでいない。
それでも小島信夫が幸福だったのは、その前衛を貫き通せる環境を得ていたことだろうと思う。
週刊ジャンプとまでは言わないけど、雑誌連載(「分かれる理由」は群像に12年に渡って連載した)にしろ、単行本化にしろ、もう文学的支援のみでは続かないのだ。それを越えて91歳まで彼の小説は待ち望まれた。
文学の世界でも売行きのみが評価となりつつあるところがあって、もちろんそれも重要な指標だけど、売れないからといって古典・名作・純文学がなくなってしまっていいものだろうか。
NHKBSの「平積み大作戦」を見ていても、有名人が名作をあれだけ熱く語ってもあまり売れてるようには思えない?
ぼくの時代のSF黄金期の小松左京・筒井康隆・星新一すら、もうきちんと並ばないし、それほどには売れないらしいのだ。
以前、筒井康隆が早く老大家となって、勝手気ままに自由に書きたいものだといっていたけど(藤枝静男「田神有楽」を評して)、もうかつてどれだけ実績があっても売れるものしか書かせてもらえないのかもしれない。
誰も読まない小説、誰も来ないパラダイス、誰も買わないコンビニ…確かに意味がないかもしれないけど、あったほうが少なくとも楽しい。
小島信夫は郷土岐阜があまり好きでなかったとも聞きます。
前衛には遠い保守的な土地柄だったからにちがいない。
皇居の森
新聞によると、皇居の緑を多様な遺伝子に恵まれた「母なる森」として近郊の緑化に役立てる「母樹の森構想」提言し、宮内庁も天皇、皇后両陛下も関心を示されているという。
昭和天皇は雑草を抜くのも嫌ったらしいから、見たことはないけど都会のなかの奇跡のような原生林なのかもしれませんね。
生物学に造詣の深かった昭和天皇は、粘菌研究で有名だった南方熊楠の進講も受けていて、時間も越えて話を続けさせたといいます。
この日、熊楠が献上した粘菌は桐の箱ではなくキャラメルの空き箱に入れてあった。
のちに昭和天皇はそのことを楽しげに語ったらしいから、超然たる人は超然たる心を知るのかもしれない。
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カリオストロ公国の宝物がローマの遺跡で、湖の底に隠されていたように、都会の中に残された皇居の森はほんとうに日本の宝物なのかもしれません。
「前略、おふくろ様」から30年後の「拝啓、父上様」
いわずと知れた倉本聰の名作ドラマです。よく山田太一と比較される二人だけど、ぼくはどちらかというと山田太一派だった。山田太一のほうが何となく都会的なイメージはありますね。
もちろん倉本ドラマも好きで、一般的にはこの「前略、おふくろ様」と「北の国から」が代表作となるのだろう。
「前略、おふくろ様」はもうあまり覚えていなかったのだけど…。
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30年ぶりの続編となった「拝啓、父上様」は少し記憶を蘇らせるものだった。
のぼる人。くだる人。いろんな想いが転がる街。ここは、神楽坂。
江戸情緒が今なお残る魅力的な街を舞台に、市井に生きる人々の日常の笑いや涙、人と人との絆を粋に描く“人情コメディードラマ”!とは、的確なキャッチコピーです。
尾道を知らない人が大林映画を見て憧れるように、東京・神楽坂を知らない僕たちもわくわくさせるようなドラマでした。
とりわけ最終回は実によかったなあ。倉本ドラマではいちばん好きかもしれない。
カフェの筆談の告白のシーンはベタではあるけれど、その手を止めて手を重ねるところなど、ちょっとかつての日本映画の名シーンにも伍する美しさです。
すこし山田太一的な感じもしますね(と思ったら演出の宮本理江子は山田太一の娘だった)。
「前略おふくろ様」以来30年の時を越えて作られた正統な続編というべきドラマです。
神楽坂という町も人もほんとうに魅力的に美しく描かれていて、やはり脚本家の想いが全てに伝わってこのドラマが出来上がったような気がします。
街も脚本家も変わりいくなかで、もう二度と見られない奇跡のようなドラマだったかもしれません。
もうひとつの「仁義なき戦い」
最近はまた九州のほうで暴力団抗争が激しい。
一般人においても銃器を使った犯罪が増えているのだろうか。
「山口組3代目」は1973年の作品、翌年「3代目襲名」が作られた。
ヒットしたらしいけど、ぼくは見ていない。
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ぼくの最初の就職は映画の興行会社で、東宝・松竹、そして2番館の営業係をしていた。
洋画系も併せ持つ地方の独立系の興行会社だったのだ。
ただ東映系のみ扱っていなかった。
聞いた話では東映系もあったけど、この「山口組」作品が山口組の資金源になっているとして東映本社などに警察が家宅捜査に入り、そのため一部の映画館では上映拒否となり、ぼくの勤めた興行会社も上映しなかった。担当専務はしばらく身を隠したという。
骨のある会社だったのだ。それ以降、東映とは縁が切れたらしい。
まあ、伝聞なので正確ではありませんが。
これも元東映の劇場の支配人に聞いたのだけど、東映のオールナイト上映はすごかったらしい。
時代を確認していないけど、1960年代から1970年代前半の頃だろうか。
ぼくのいた東宝・松竹はいつも平和だったなあ。
どちらが安心な時代なのだったろうか。
燃えろ!狼男
SF作家平井和正のウルフガイシリーズにはアダルトシリーズと少年ウルフガイのふたつがあって、千葉真一「燃えろ!狼男」はもちろんアダルト版、成人映画という意味ではないですよ。
少年ウルフガイシリーズも映画化されていて、こちらは志垣太郎・松田優作等の出演で「狼の紋章」です。
「燃えろ!狼男」は未見だけどこちらは見ました。
少年というのに暴力的でなかなかに陰惨な話なのだ。水谷豊の「ヴァンパイヤ」というのも思い出してしまいますね。
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まあ、少年だからこそ一方で心の闇が純粋で深くなるなるのかもしれません。
アダルトウルフガイはハードボイルドで皮肉屋だけど、性格は明るいのだった。
ま、それもだんだん幻魔大戦の世界に入ってしまうのだけど。
名作「ペーパームーン」の少女アディが遊園地の紙の月をほんものの月と思うのと、アダルトウルフガイが満月の夜でなくても心に月を思い浮かべて変身してしまうとでは、どれほどのちがいがあるでしょうか。
戦隊シリーズの始まり「秘密戦隊ゴレンジャー」
東映の「スーパー戦隊シリーズ」もう30周年を越えるだね。
1975年の「秘密戦隊ゴレンジャー」に始まって31年なのか、もっとも「仮面ライダーシリーズ」は36年目というからさらにすごいですけど。
30周年を記念して宣伝用の告知ボードがあるのだけど、戦隊を一同に介してみると壮観です。
色彩といい、並びといい明らかに法則性はありますね。
異色なのは「太陽戦隊サンバルカン」。5人、6人編成の戦隊が拮抗している中で唯一の3人編成です。
色も意外にまちまちで、赤くらいですか確実に定番といえるのは…。
その赤も必ずしも真ん中にいるわけじゃないしなあ。
さすがにもう見てはいないけど、なかなか奥深い世界なのかもしれない。
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またご当地キャラクターが人気らしいけど、起源はこの東映の戦隊シリーズ。
子供達に定着していて、大人たちにも馴染み深いからだろう。
秋田県の「超神ネイガー」などは造形も正統な戦隊物の継承だし、最大の武器は「キリタンポ・ソード」。秋田の農青年アキタ・ケンが変身し、子供達を田畑の害虫カメムシにしようとたくらむ組合長に立ち向かうのだという。
まことに先んじて戦隊物のパロディを楽しんだ「愛国戦隊大日本」「快傑!のーてんき」のゼネプロはえらい。
それにしても例えば福岡・天神の「チャリ・エンジェル」の活躍で全国ワーストワンだった放置自転車が75%も減ったというなら効果は尋常なものではありませんね(日経新聞)。
女性3人組で黒・ピンク・緑の鮮やかなシャツに可愛いショートパンツ姿。1ヶ月に2度ほどパトロール、ビラを配って、駐輪マナーを呼びかけるらしい。
役所から言われると素直にうなづけないけど、若い女性、キャラクターに言われると出来ちゃうとなれば、マーケティング的には参考になるけど、本質としては大丈夫なのか、あるいは本質なのか。
「県立地球防衛軍」というのもご当地キャラものですね。
山崎ハコ
すこし前の週刊文春だったと思うけど、「70年代フォーク大全」というモノクログラビアの特集があって、そのなかで山崎ハコがいました。
山崎ハコというとすごい暗いイメージがあるけどその記事の本人のコメントによれば、当時の人間嫌い、根暗、喋らない、というイメージは全て事務所の指示で、さらに、お金や彼氏を持つと歌がダメになると言われ、満足に食事も出来なかったらしい。
ぼくが録音していたNHKのラジオライブでもほんとうにぼそぼそと話していたのだった。
そうか、本人の意思ではなかったのだ。しかし、デビュー以降その事務所の影響か、さらに歌は暗くなっていった。
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もともとアイドルのような容貌の美少女で、森田童子と並んで暗い歌が多かった。
「呪い」などはもう伝説ですね。「からす」もすごい、もうさすがについていけないのだった。
病気がちで痩せていて自動ドアも開かなかったという。
ああいう歌には惹かれるのだろう。寺山修司、五木寛之など作家・文化人からも人気が高かった。よかったのかどうか分からないけど。寺山修司作詞の「テンポイントの詩」は好きです。
NHKもおそらく好きなのだろう。まだよく知られていない、ずいぶん早い時に特集番組もあったりしたのだ。
NHKはやはり鬼塚ちひろの特集をしたこともあって、こういう壊れそうで繊細なアーティストが好きなのだ、きっと。
山崎ハコは山・土の香りがするのに対し、鬼塚ちひろは海の香りがしましたね。
脳科学の向こうにあるもの「カッコーの巣の上で」
「脳は全体の10%しか使っていない」そして「残りの90%を生かせば何か未知の能力があるのではないか」と期待されますが、もちろん根拠はない(日経新聞より)。
よく出来の悪い生徒が「お前ら勉強してその程度。俺たち勉強しなくてもこれぐらい」という負け惜しみに似ています?
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実害がなければこれもファンタジーですが、脳に関わる誤解や迷信は「神経神話」と呼ばれて社会的悪用、混乱にもつながります。
整形手術のように性格も変えていいのか、脳の情報を取り出していいのか…これらはアニメや映画ではもうふつうのテーマですね(最近作では「パプリカ」「マイノリティ・リポート」など)。
もちろん自身が呻吟して、あまたの体験で性格が変わったりするのはふつうのことだけど、機械的・物理的に変えてしまうことが問われる時代となっています。
すでに米国では「リタリン」という薬が賢くなる薬として広まり、大学生の2割が飲んでいるらしい。
本来は注意欠陥・多動性障害などの薬で健康な人も集中力が高まるそうだから、たしかに試験にはいいのかもしれない。
他にもアルツハイマーの記憶改善薬や心的外傷後ストレス障害のつらい記憶を消す薬など病気の人にはいいけど、いろいろ社会的悪用とまではいわないけど、なにか倫理が蝕まれていくような気がします。
デジタルな世界は論理を突きつめていく社会でもありますね。
その論理の果てには何があるのだろう。
映画「カッコーの巣の上で」は1975年の衝撃の問題作。ロボトミー手術が恐ろしい。
「まぼろしの市街戦」とともにそれぞれ意味が違いますが心とはなにか、異常と正常との違いは何かを問う映画です。
新幹線大爆破
時はだらだらと過ぎて1975年に入ります。「タワーリング・インフェルノ」などのパニック映画のブームもあり、「仁義なき戦い」の東映が作ったのが「新幹線大爆破」。
当然、当時の国鉄の協力も得られるはずもなく撮影は大変だったらしい。映画ポスターもイラストだしね。
運転席の内部構造もわからなかったらしいから、千葉新一の座る運転室はニュース映像などとイマジネーションのみの産物だったのかもしれない。
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任侠、時代劇映画の東映なので見得を切るとまではいわないけど、いささか過剰な表情、表現は抜け切れませんかね。
テーマ性、アクション、パニック…いまリメイクしたら面白いと思うんだけどなあ。
もっとも今でも先日見た「ミッドナイト・イーグル」なこともあるから、油断は出来ませんが。
それにしても「ミッドナイト・イーグル」、よく防衛庁が協力しましたね。
あれでは事務方(守屋本事務次官)だけでなく、制服組、現場もスカみたいではないか。
個々人を安易に悲劇のヒーローにして愛の物語に矮小化してしまった。
旧作「日本沈没」でも「日本はなにもせんほうがええ」という爺様が出てくるけど、日本人は独特の諦観思想でもあるのか、あるいは美徳と考えるのだろうか。
あきらめるのが早いですね。シガニー・ウィーバーやブルース・ウィリスなら生き残ってるだろうなあ。
島国の固体種は、百戦錬磨の外来種に駆逐されやすいのか。いかん、いかん、生物種の問題ではなく文化の問題だった。
リメイクの楽しみ
知らぬ間に1974年から外れて話題がコーヒーブレークしがちです。
リメイクされた「椿三十郎」はまだ見ていないけど、日経MJの読者評価を見ていたらまずまずの評判らしい。それにしても最近リメイクが多くて、とうとう黒澤明クラスまで来てしまった。
このあたりになるとさすがに勇気がいりますが、こちらもさすがに恐れを知らぬ角川春樹なのだった。
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さらにはスターウォーズのネタともなったやはり黒澤明の「隠し砦の三悪人」もリメイクされますね。
なんと50年ぶりというから超大作になるのだろう。
主演は松本潤、長澤まさみ、監督は「日本沈没」の樋口真嗣監督。
今や超大作一挙請負の感もある大監督となってしまいました。
自主制作特撮映画「八岐之大蛇の逆襲」を作っていたことが嘘のようですが、それにしても才能の宝庫、才能の揺籃場でもあったゼネプロでした。
どんな映画を見せてくれるのだろうか。
「思考の整理学」的傑作もあったボキャブラ天国
20数年ぶりにいま再びベストセラーとなっている「思考の整理学」。
たしかに以前に読んだ記憶があるような気がするけど、この程度の記憶ではぼくにはあまり役に立たなかったのかもしれない。
「新しいことを考えるのに、すべて自分の頭の中から絞りだせると思ってはならない。無から有を生ずるような思考などめったにおこるものではない。すでに存在するものを結びつけることによって、新しいものが生まれる」(思考の整理学)より。
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初期の「タモリのボキャブラ天国」を思い出してしまった。視聴者の投稿作品で構成されていて、文学や歌詞をパロディ化し、映像で見せるものだった。面白かったなあ。
今でも鮮明に覚えているのは「野菊の墓」ネタですね。
まあ、男女が合体していて、下になっている民さんが2.5センチ、2.8センチとなにかしら小声でつぶやいている…。そこでナレーション、「民さんはノギスのような人だ」。
馬鹿馬鹿しいけど、大笑い。たしか山田五郎だったと思うけど、文学趣味と理系の知識とエロスが結びついてユーモアを醸し出したような傑作と言っていましたね。
伊藤左千夫の古色蒼然たる純愛「野菊の墓」に、理系というほどじゃないけどマニアックな感じの工業計測器「ノギス」を組み合わせる面白さとエロスに対する寛容さがないと成立しないかもしれませんね。
ぼくの「思考の整理学」はこんな楽しみのために使われたのだった。
変換ミスもときどき傑作を生み出すけど、やはり人間の生み出すバカはすごいです。
槙原敬之「もう恋なんてしない」なんてのも忘れられないなあ。
1974年は「神田川」「妹」「赤ちょうちん」とかぐや姫の歌をモチーフにした映画が続々と作られていますね。
歌の世界も世界もそうだけど、そして遅れてきた世代が無責任に言うのもなんだけど、なんとなく「全共闘、そのあとで」みたいな感じなのだった。
見たのは画像の「妹」のみですね、たぶん。いささか近親相姦的気分の漂う異色作。
やはり伊勢 正三の名曲「なごり雪」も妹的な少女の「おにいちゃん的な世界」からの旅立ちを歌うものだけど、妹萌えみたいなのはここに始まるのかもしれませんね。
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今は「僕は妹に恋をする」などがベストセラーになるし、ふつうにアイドルが主演する映画にもなりますね。
映画「妹」は結末はやはりその時代の気分を反映する憂鬱なものだった。
この映画だったと思うけど、妹役の秋吉久美子が狂気のようにローストチキンを食べ続けるシーンがあって、しばらくチキンが食べられなくなってしまった。
伝書鳩
以前にもTVドラマ「相棒」は蝶のコレクター話があったけど、先週の「相棒」は鳩、伝書鳩でしたね。
伝書鳩はともかく、昭和30年、40年代の頃は鳩を飼育する家もそう珍しくはなかったのではないか。
実家でも一時鳩を数羽飼っていたときがあった。
大後寿々花目当てで見に行った「遠くの空に消えた」に鳩を飼う青年が出てくるけど、ちょうどあの頃の時代の設定だったろう。平和の象徴的な存在でもあるけど、軍用ということもあったのか。
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しかし相変わらずマニアックな設定をしますね。
映画でも押井守やジョン・ウーがなにか象徴的な使い方をするのはどういう意味があるのだろうか。
鳩の目は人間よりずっと広角らしく、ちょっと怖かったりします。
こんな歌も思い出してしまった。

  伝書鳩 森田童子

目にしみるぞ 青い空
淋しいぞ 白い雲
ぼくの鳩小屋に 伝書鳩が帰ってこない
もうすぐ ぼくの背中に 羽がはえるぞ

朝の街に ぼくの白いカイキンシャッが飛ぶ
母よぼくの鳩を撃て 母よぼくの鳩を撃て
勝海舟「これでオシマイ」
さてその大河ドラマ「勝海舟」は見ていたのだけど、あまり覚えがない。
やはり子母沢寛の「父子鷹」のドラマと被っているのかもしれないですね。
こちらは若き日の勝麟太郎(のちの勝海舟)と、その父で破天荒な無頼漢として知られた勝小吉の父子を描く物語。
ぼくの好きな山田風太郎は忍法帖のあと明治モノを描くのだけど、やはり幕末から明治にかけてはほんとうに面白い時代で、名もなき者も含めて描きたい人物がいっぱいいたのだろうなあ。
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山田風太郎は当時あった大衆小説誌「問題小説」だったと思うけど、「人間臨終図鑑」というなかなかに奇書ともいうべき連載をし、のちにハードカバー美装箱入りの上下巻で発売された。
もちろん買ったのだが読み通してみると、まさに古今東西の偉人から市井の人まで、最期のときが描かれているのだった。
みなほんとうに興味深いのだけど、山田風太郎が臨終の言葉の最高傑作と挙げたのが「勝海舟」だった。
その言葉とは「これでオシマイ」。最期まで人を食ったような傑物だったのだ。
篤姫もまたそれは見事な人生を終えています。
女たちの幕末「篤姫」
とうとう大河ドラマ「風林火山」も明日が最終回です。以前は大河ドラマも見たのだけど、最近はあまり見なくなってしまった。1974年の大河ドラマは「勝海舟」でした。
来年はやはり幕末の「篤姫」で篤姫の宮崎あおいも和宮の堀北真希も好きなので見ようかなあ。
戦国時代と幕末が英雄の宝庫なのですかね。
フジTVでやっていた「大奥」も篤姫(天璋院)でした。大奥的な展開もあるのでしょうか。
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氏家幹人(歴史学者)によれば、大奥の研究に手を染めた著者は資料の少なさはともかく、大奥で日々使われていた調度や織物、とりわけ奥女中が身にまとっていた衣装は圧倒的で面妖というしかないほどの豊かさで、皆目なんのことか分からなかったという。
それでひもといたのが幸田文「きもの」。少女から女へ成長していく自伝的小説らしいけど、著者が当然のように使う錦紗縮緬、捺染木綿、背縫、裁着袴、半肩など全て目が点。
また明治27年生まれの森田たまは「もめん随筆」のなかで「身を飾ることでもなく、女の財産として箪笥にしまうことでもなく、1枚の着物に美女の姿を思い浮かべ、その美女を購うこと。女が着もしない着物を欲しがるのは男の放蕩に匹敵する好色」だという。
また幕末大奥の権力者姉小路が「男女の情欲が禁じられた大奥では、美食と美しい着物が許されなければ、女たちの情欲を抑えることは出来ません」と語ったといいます。
まあ、大河ドラマではこんな展開はないでしょうが。
エマニエル夫人
やはり、少年期といえば性への憧れでしょう。
1974年はストリーキングが初めて登場した年でもあったらしいけど、当然ネットもなく、とりわけ少年少女たちにはまだまだ秘められた世界だったのだ。
そこに現れたのが「エマニエル夫人」だった。
ソフトフォーカスな映像は美しく、いささか文学的な香りは性描写や背徳性を心の隅に上手く押しやるのに成功し大ヒットした。
女性もある意味、安心して劇場に足を運べたのだった。
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籐椅子のエマニエルとかスカッシュシーンとか今でもフラッシュバック的に思い浮かべるような映画ですね。
「ノストラダムス」が終末思想というかオカルトをマニアックな世界から大衆の世界に引きずり出したとするなら、「エマニエル夫人」は性の解放をマニアックな世界から大衆の世界に引きずり出してしまったのだろう。
まったく、あからさまな時代となった。
「秘すれば花」というのが日本の伝統なんですけどね。
「ノストラダムスの大予言」の不都合な予測
「日本沈没」に続いて1974年に公開された東宝のパニック映画「ノストラダムスの大予言」。
もうすこしリアル思考だったら「不都合な真実」のようなノーベル賞ものの環境告発映画だったかもしれませんね。文部省推薦映画だったというから驚くのだけど。
原作は五島勉「ノストラダムスの大予言」で、あの占星術師ノストラダムスの予言集をもとに書かれた。
公害などの環境問題が噴出し始めた頃でもあり、世紀末的不安を煽り、終末思想というかオカルトをマニアックな世界から大衆の世界に引きずり出してしまった。
そしてあまりに悲観的、悲惨な予言の映画となってしまった。
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超能力や前世や幽霊などの話は大好きだけど、やはり科学的裏づけがないとなあ。
ギリシャ神話のミダス王のミダスタッチ(彼の触れるもの全て金に変わってしまう、食べ物も愛する娘も)の話は、「宇宙家族ロビンソン」でも似たようなエピソードが出てくるくらい面白くて切ないけど、やはりリンゴも人も金には変じないのだ。
パラケルススも好きだったなあ。
今は「鋼の錬金術師」や「ハリー・ポッター」などのファンタジーもふつうに大ヒットするようになってしまっています。以前だったらマニア向け、もしくは女、子供向けといわれた作品だったのだろうと思いますね。
でも医学など科学の発展に大きく貢献したのは間違いなく、好奇心は危険な美徳なのでしょう。
東野圭吾の「ガリレオ」は現代の無責任なスピリチュアルブームに警鐘を鳴らすものかもしれません。
頑張ってくれ、湯川学准教授。
宇宙戦艦ヤマト
やはり、その後のアニメの大きなムーブメントを決定づけたのは「宇宙戦艦ヤマト」なのだろう。
SF設定のデティール、戦争、組織などが丁寧に描きこまれ、そのなかでの主人公だけではなく、人間の成長を描くものだった。
かつての戦艦大和、放射能汚染、波動砲、ワープ航法などの設定はSF少年の胸を熱くし、はるかイスカンダルのスターシアに憧れたのだった。
すでに「宇宙家族ロビンソン」「スタートレック」「タイムトンネル」「巨人の惑星」など海外SFドラマで馴染んでいて、一般的にも受け入れやすかったのかもしれませんね。
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知られているようにあの名作「アルプスの少女はハイジ」と放送時間が被っていたこともあって、当初は視聴率も低く人気はなかった。再放送から人気に火がついたと言われますね。
みのり書房の月刊OUTのヤマト特集も買ったのだが、どこにいってしまっただろうか。
劇場版は大ヒットし、徹夜で劇場に並ぶなどの熱狂的なファンを作ったのだった。
画像のようにともに35周年ということでDVD-BOXも発売されるのだった。
「兄貴の恋人」内藤洋子、酒井和歌子
先日もNHKBSで加山雄三の「若大将シリーズ」をやっていましたね。
映画館では見なかったけど、テレビでは森繁の「社長シリーズ」と同様によく見たのだった。
映画館で見たのは草刈正雄版の「新若大将シリーズ」ですね。もっとも2作ほどで終わってしまったけれど。
「兄貴の恋人」は加山雄三をはさんで当時の東宝の2大清純派アイドル女優内藤洋子、酒井和歌子が共演したのだった。
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日活でいうなら石原裕次郎をはさんで芦川いずみと吉永小百合がいるみたいな感じかなあ。
この二人が世代を交代するようだったのに対し、東宝の二人は同世代でライバルとなった。
ぼくは内藤洋子だったなあ。表情が明るく伸びやかだった。
ぼくはTVドラマ「えり子とともに」の印象が強くあって、標準語だったのだろうけれど言葉遣いがとても丁寧で美しいのだった。
もちろん方言も悪くはないのだけど、ぼくは東京など一度も住んだことがないのに妙に方言の取れた大人になってしまった…。「そんなことねーよ」と声が飛んできそうですが。
「ALWAYS 3丁目の夕日」のころの衛生環境
最近は食品偽装のニュースが相次ぎます。
もちろん食品は直接生死にも関わるから、いちばん慎重であるべきで関心が高いのも分かります。
ルールを外れるのもいけないのですが、たとえば「ALWAYS 3丁目の夕日」のころの人にとっての美徳のひとつは、「もったいない」ということでもありました。
ご飯には仏壇に供えられた御仏飯が混ぜられたし、餅などもカビは生えやすいから工夫して食べた。
鈴木オートの六ちゃんではないけど、いまではちょっと言えないようなものも食べたりしたのだった。
いい事かどうかは分からないけど、タフさはありますね。
「巨人の星」で青雲高校野球部が合宿で食中毒になるエピソードがあるけど、貧乏人たる胃袋を持つ星飛雄馬は無事だった。
ハエ取り紙がぶら下がり、汲み取り便所には蛆がわき、蚤もいたのだった。
平均寿命が伸びているから医療・衛生環境のよさが貢献しているにちがいないけど(戦争がないことも大きい)、もしかしたら今の老人がいちばんタフなのかもしれない。
飛雄馬以上の胃袋を持ち、いまは最新医療・衛生環境のなかにいますからね。
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昭和30、40年世代は怪しげな食品添加物も子供の頃はまだあったりしたけどどうだろうか。
現代に至っては、衛生観念は無菌病棟とは言わないけど、それに近い感覚があったりするから、過去においてはどうってことのなかった菌まで危険にもなったりするらしい。
いずれにしても世界的にみれば飢餓そのものも珍しくない現代、「もったいない」という感覚はきわめて普通です。そのあとの処方が実は困難なのだろう。
今週の「相棒」と「働きマン」
相棒」「働きマン」って水曜日の9時と10時と続けて放送されるのだけど、今週はともに出版社、作家、編集者、書籍営業など舞台がかぶりましたね。
「働きマン」はもともと設定が出版社で編集者がヒロインだけど、書店営業まで描いたのは珍しいです。確かにいい作品というだけでは売れないのだ。
出版社、取次の熱意や的確なサポート、直接読者と接する書店の地道な努力も重要なのはもちろんで、でもやはり目は作品そのものに注がれるのは、まあ仕様がないでしょう。
それでも「本屋大賞」などは今や芥川賞、直木賞並みに影響力もあるらしいから、書籍営業、書店員も報われつつあるのかもしれない。
トーハンレビューはトーハン系の書店からのレビューだし、三省堂の海老名店の店舗ブログも書店員の熱意が伝わりますね。
(ペ)レビューも読んでくださいね。
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「相棒」はまだこんな昔気質の編集者がいるのかという話だったけど、考えてみれば装丁者も含めて強烈な個性の集まりだものなあ。不思議ではないかもしれない。
新潮社の伝説の編集者 斉藤十一も凄い話がいくらでもありますからね。
何人も潰したかもしれないけど、素晴らしい作家も生み出した。

がんばったらがんばっただけ 報われるなんて、
理想であって、現実はそうじゃない。
でも、時には、 報われることだってある。
だから、がんばれるんだ。

見上げてごらん、夜の星を
たびたびのコーヒーブレークです。
今日もよく晴れていますが冬の空はきれいですね。
冴え渡るという言葉の通り美しい空が時々あります。
最近は視力も落ちて、また夜も明るくなったせいもあるけど、すっかり見える星が少なくなってしまった。
この映画「見上げてごらん、夜の星を」ころは、まだ満天の星という言葉がリアルだったろうか。
すこし前の「TVブロス」は夜の星を見上げてごらんと天体観測ガイド特集でした。
もうカシオペアぐらいしか分からないかなあ。
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プラネタリウムの紹介もあって、サンシャインシティのコニカミノルタプラネタリウム満天が紹介されています。アロマの香りまで漂うらしいのだ。
ぼくは小学生の頃、一度しか行ったことがないけど、あのすこし不思議な感覚とメドゥーサの恐ろしい話が忘れられませんね。
こういう体験もあって一度は天体観測クラブにすこしだけいたのだった。
「かぐや」の月の映像もきれいだったけど、星に魅せられて情熱を注ぐ人たち…
世界最大のプラネタリウムメーカー、五藤光学研究所、米スミソニアン天文台から直径40センチの蛍石レンズを受注したキャノンオプトロン三鷹光器の宇宙観測機器など星を巡る人たちもいいなあ。
でもほんとうに星を見る人はずっと減ってしまった。
月刊天文」も休刊してしまったのだった。
美しいこの歌を歌った坂本九もあの日航機事故で星になってしまった。
「女囚さそり」の恨み節
もしかしたら「キルビル」で初めて知った人もいるかもしれない。梶芽衣子の「恨み節」。
篠原とおる原作の人気劇画を映画化した『女囚さそり』シリーズのテーマ曲ですが、改めて聞いてもやはり凄い歌なのだった。
「キルビル」も残酷描写がいっぱい出てくるけど、オマージュを捧げられるほどの「女囚さそり」シリーズは突き抜けて怖ろしくも美しい映画なのだ。
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      恨み節

花よ 綺麗とおだてられ 咲いてみせれば すぐ散らされる
馬鹿な 馬鹿な 馬鹿な女の 怨み節
定め 悲しと諦めて 泣きを見せれば また泣かされる
女 女 女なみだの 怨み節

憎い 悔しい 許せない 消すに消えない 忘れられない
尽きぬ 尽きぬ 尽きぬ女の 怨み節

夢よ 未練と笑われて 覚めてみせます まだ覚めきれぬ
女 女 女心の 怨み節

真っ赤なバラにゃトゲがある 刺したかないが 刺さずにゃおかぬ
燃える 燃える 燃える女の 怨み節

死んで花実が咲くじゃなし 怨み一筋生きて行く
女 女 女いのちの 怨み節

作詞は誰かというと監督の伊藤俊也だった。すげーよ、まったく。
「ボーン・アルティメイタム」の圧縮された時間
米国の人気ドラマ「スパイ大作戦」は日本では劇場公開もされています。
あの有名な指令やテーマ曲は大ヒットシリーズになった「ミッション:インポッシブル」シリーズにも引き続き使われていますね。
あの頃の米国ドラマにはドクターもの、スパイもの、探偵もの、刑事ものが多かったような気がします。そうか、あまり変わらないのか。
スパイものなどはとりわけ緊迫感がたまらないのだけど、恐るべき進化を遂げたのは「ボーン・アルティメイタム」です。
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「ボーン・アルティメイタム」はシリーズ3作目だけど、どんどん面白くなりますね。
まったくトイレにも行けない。
最初から圧倒的な臨場感で目が離せなくなります。
冒頭のボーンが協力者の記者を逃がそうと誘導するシーンも圧巻ですが、ボーン自身も追われながら、記者の逃走を同時に周辺状況を把握しながら誘導するというのは、ボーンの視点に立つ観客も限られた時間を何倍にもして消費する感じです。
10分のなかに30分も1時間も情報が詰め込まれるのだ。
ボーンは非人間的で過酷な実験、訓練で作られたものだけど、人間は時として普通の場面でもやすやすと実行されることがあるらしい。
先日もNHKで女子高生の携帯メールの早打ちを分析していて、驚異的な早打ちをしながら、さらに同時に電話で話をするという行為が、その女子高生においては負荷なく出来ていたのだった。
ぼくだったらもちろん出来ないし、その負荷もすごいものになっただろう。
もうすでに現代の人間のすべては映画やテレビ、マンガなどで情報の捉え方の手法が脳に繰り返し刻み込まれて、その部分は異様に発達しているのかもしれない。
昔のマンガは整然と並んだコマにさらに番号が振ってあった。たとえば平安人は現代マンガをいきなり見たら理解できないと思いますね。
時代とか知性という意味での理解ではなく、慣れ、訓練の問題なのだ。
平安時代の人でも感性も知性もさして変わらないと思うけど、情報把握能力は劇的に進化しているのではないかなあ。
などと、余計なことまで考えてしまう傑作なのだった。

大好きで大嫌いな理数
コーヒーブレークです。
新聞によると理数嫌いが増えていて、実際、国際比較での成績も落ちてきています。
ぼくはもう分数から怪しかったのだけど、因数分解で頭が宙にとび、微積分ですべて宇宙人の言葉にしか見えなくなった。赤点だったのだ。
でも理数系は決して嫌いではなかった。
わけのわからぬ定理は眺めているだけでも楽しく、「アキレスと亀」の話は何度聞いても正しいように思えたのだった。
「博士の愛した数式」は映画だけではなく、たしかに数、数式も美しいものでした。
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宇宙論、物理などもつきつめていくと哲学的な世界にも接近してきますね。
立花隆の「宇宙からの帰還」は、宇宙を体験した人がその後をレポートしていますが、詩人、宗教家、環境運動家、政治家、超常現象の研究者になった人もいるらしい。
宇宙飛行士は理系エリートちがいないから、よほどの神秘体験か、もともと理系そのものが哲学・神学的世界と近いのかもしれない。
まあ、秋田大学「ロケットガール養成口座」やセレーネ、超音速の複葉機(MISORA)などの夢が、苦手でもわくわくさせてくれます。動機付けはこんなものでいいのだよ、文科省。
小峰元「アルキメデスは手を汚さない」は1970年代の青春ミステリー。
まあ、数学とは関係ないけどアルキメデスとあれば読みたくなってしまうタイトルなのだった。他にも「ユークリッド殺人学原論」「ピタゴラス豆畑に死す」などのミステリーがありますね。
東野圭吾が帯に推薦文を書いているのは、やはり「ガリレオ」のヒントがここにあったのだろうか。
アメリカン・グラフィティ
「アメリカン・グラフィティ」は1960年代のサンフランシスコを舞台にした高校生の青春グラフィティ。
フランシス・フォード・コッポラがプロデューサーを務め、ジョージ・ルーカスが監督した。
全編にオールディーズの名曲が散りばめられて、映画もサントラもヒットした。
その後も青春時代を当時のヒット曲に載せて作る「グローイング・アップ」などの作品群の嚆矢になった。
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やっぱり、映画は音楽でもあるのだ。
また、映画の最後にそれぞれの登場人物のその後が説明されるというのも、この映画が始まりだったろうか。
「遠い空のむこうに」は実話の映画化だからでもあるけど、その後の少年達の今がクレジットされましたね。
なかなか効果的で重宝な手法だったのだった。
映画で音楽も学んだのだった。
初公開時のアメリカでのキャッチフレーズは
「1962年の夏、あなたはどこにいましたか」
胸キュンものですね。
「夢の中へ」「One more time,One more chance」
「放課後」は東宝の青春映画で「八甲田山 死の彷徨」の森谷司郎監督作品。
主演は栗田ひろみで、ここでも以前に「夏の妹」でも紹介しましたね。
この映画も見たけど、内容はさっぱり覚えていない。
覚えているのは非常に印象的に使われていた井上陽水「夢の中へ」でしょう。
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「夢の中へ」は斉藤由貴もカバーしてヒットした名曲。もちろん、レコードも買った。
これがなければおそらく記憶にも残らなかっただろうと思うと、やはり音楽の力は偉大なのだった。
『ほしのこえ』など国内外で高い評価を得ている気鋭の映像作家・新海誠の最新作である連作短編アニメーション「秒速5センチメートル」というのがあるのだけど、これが実によく山崎まさよしの「One more time,One more chance 」に気持ちよく合うのだった。
映像と音楽がマッチしていてより忘れがたい作品になる…そういうことがあります。
ということで
【CD】One more time,One more chance
『秒速5センチメートル』Special Edition/山崎まさよし
というのも出ていて買ってしまうのであった。

ペーパー・ムーン
やっぱり1973年といったら「ペーパー・ムーン」を語らないとね。
詐欺師の男と血の繋がらない(たぶん)少女との絆を描いたロードムービー。
親娘を演じながら詐欺の道中を重ねるうちに、ほんとうの親娘のような絆が深まっていくのだけど…。二人の名コンビ・珍道中ぶりが楽しいですね。
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「紙の月でも信じれば本当の月と変らないんだよ」という寓意ですね。
ほんものの月に越したことはないけど、人間は信じるということが出来るのだ。
かくして二人は親娘のように、またふたたび旅を続けるのであった。
「It's Only A Paper Moon」と口ずさめば、心が暖かくなるのだった。