理系・文系を重ねて見る光景は
最後の「ラジオな日々」
さて、最後の「ラジオ」な日々です?
学生の頃、深夜まで起きていたのは勉強のためではなくラジオを聴くため、あるいは深夜まで起きて勉強していたという言い訳のためだったのが本当のところ。
さすがに「走れ歌謡曲」、または「歌うヘッドライト」が始まる頃にはほぼその目的は達成し、実は馴染みやすい歌謡曲をBGMに眠りにつくのだった。
『ラジオな日々』(藤井青銅著)はそんな時代のラジオ放送の最前線に立ち会った人が描くもので、面白い話が満載ですね。
放送作家(斉藤由貴 ネコの手も借りたいなど)でもあるのだけど、「星新一ショートショートコンテスト」の受賞者でもあったらしい。
やっぱり、古くは永六輔、青島幸男など放送作家は今に至るまで才能豊かな多いのだなあ。
しかし、深夜ラジオといえばやはり「オールナイト・ニッポン」。今振り返ってもすごいメンバーですからね。
画像は雑誌「バラエティ」のオールナイト・ニッポンの広告だけど、豪華でしょう。みんな若いし。

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タモリの「いいときだけのニッポン放送、陰で支える文化放送」という言葉は、言いえて妙。
つボイノリオもやっていたけど、どうだったのかなあ。オールナイト・ニッポンのつボイさんは聴いたことがない。
今や東海地方の朝の顔(CBC つボイノリオの聞けば聞くほど)ともいうべきつボイさんだけど、やっぱり下ネタだったらしい。
しかし、いいときだけ、いいときに変えるとも言われる「オールナイト・ニッポン」の凄さは変えられた人も多いけど、そのままに、あるいは場所を変えて活躍が続く人が多いのもそのタフさに洗われたゆえかもしれない。
また、ラジオはファンがつくと長くやってくれるので、志のある人は手を抜くこともなく、それゆえまた日常に当たり前のように組み込まれ続いていく好循環(マンネリ?)があったけど、最近はラジオといえども難しくなってきたかなあ。
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「もう森へなんか行かない」 ラジオ深夜便
ときどき、ラジオをつけっ放しにして寝てしまうのだけど、やはりNHK「ラジオ深夜便」ですかね。
よく70、80年代の洋楽もかかるから、ふと目が覚めるとそのまま聞いてしまったりする。
あの頃の音楽を聴くと思い浮かぶのは映画やドラマで、けっこう映画音楽なども人気がありました。
ドラマにも洋楽が使われたりして、フランソワーズ・アルディなんかを聴くと、まず山田太一のドラマ「沿線地図」(フランソワーズ・アルディ もう森へなんか行かない)を思い出すものなあ。
しかし「もう森へなんか行かない」ですよ。もう今ならこんな邦題がつくことはないだろうなあ。
山田太一最後の連ドラ「ありふれた奇跡」もエンヤでいかにも山田太一な感じでした。
ちなみに「もう森へなんか行かない」「狼なんかこわくない」「ねこの森には帰れない」が僕の3大「ないシリーズ」ソングです!?  
惜しくも外れたのが「夢見る少女じゃいられない」。
歌にこだわらなければ「俺たちに明日はない」「大人はわかってくれない」「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」「僕は友達が少ない」「僕たちは戦わない」…いかん、キリがなくなってきた。

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いつだったかもシルビー・バルタンとジリオラ・チンクェッテイが特集されていて、このあたりの70、80年代の曲がよく使われているのは視聴者層、購買層が僕たちなのだろうなあ。
当時は音楽も映画も今ほどアメリカ一辺倒ではなくて、ヨーロッパ作品も意外なほど日本で人気があったのだ。
ビートルズは別格としても女優やアイドルとしても日本で人気がありましたね。
シルビー・バルタンなどは「アイドルを探せ」という映画も曲もあるくらいですからね。
ほんとうは気持ちよく眠れるはずだけど、かえって耳を澄まして聞いてしまうのだった。

野島伸司もドラマで上手く懐かしい洋楽を使うけど、山田太一とはまったくちがう選曲です。
NHK「お母さん、娘をやめていいですか?」がいよいよ最終回ですが、エンディングに流れる歌が久しぶりにそんな感じで、誰かなと思ったらサラ・オレイン「Little Doll」という曲だった。

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洋楽の聖地 名古屋市公会堂
1960年代以降、著名な洋楽アーティストの公演が行われている名古屋市昭和区鶴舞の市公会堂で六日、公演パンフレットやポスターなどで歴史を振り返る展示が初めてあり、多くの音楽ファンが訪れた。
1930年開館の公会堂は、特にロック公演が集中した時期があったが、市に記録や資料は残っておらず、歴史の全容は分かっていなかった。今年四月から改修工事のため2年間、休館するのを機に、多くの公演を主催したCBCテレビが社内外で調査し、資料を集めた。65年のフランスの歌手シルビー・バルタンさん以降、英国のデビッド・ボウイさんやレッド・ツェッペリンなど、舞台に上がった150のアーティストに関する資料が並んだ。(中日新聞)

僕は岐阜の田舎だったから高校の頃まで滅多に街(岐阜市中心部)にも行ったこともなく、ましてや名古屋などはほとんど行ったこともなかったのだが、名古屋市公会堂には数回行ったことがある。
初の洋楽コンサートを見たのはシルビー・バルタンだったのだ。さすがに1965年の時ではない。
興味がよりアニメやマンガ、小説、映画などに向いて行ったのであまり行かなくなってしまったのだけど。
でもまあ、コンサートに行かないまでも音楽をよく聞いたのはこのラジカセ。
カセットテープは久しく回したことはないが、ラジオならまだ何とか聞けます。

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当時としては高性能、高機能でスタイリッシュなデザインもあって未だに持っているのだ。
まだステレオも置いているからなあ。最近はカセットテープの人気も復活しているという。
頭出しも出来ないアナログなところがいいらしいけど、テープが巻きつくなど悲しいこともあり、タイムトラベラーのオープニング曲もあれでなくした気がする。
もっと遡れば、録音なんてテレビやラジオの前で雑音を拾わないように静かにそっと録音していた。
まあ、僕の地元岐阜各務原には航空自衛隊基地があって、あとわずかというところでジェット機の騒音でずいぶん台無しにした。
ついでにLPを探してみるとシルビー・バルタンほか、映画のサントラ、石川セり、山崎ハコ、森田童子などもあって、暗い青春が忍ばれます。
いかん、シルビー・バルタン「あなたのとりこ」でも聴くことにしよう。

テーマ:洋楽 - ジャンル:音楽

森高千里 「この街」の風に吹かれて
自ら作詞を手掛けるのはフォークシンガー、ロックシンガーばかりではなく、最近はアイドルだって書きますね。
まあ、西野カナ、アイコ、家入レオなどはアイドルでもなく評価は様々かもしれないけど、独自ではあります。
人によってはほんとうに書いてるのかなあという人もいないではないから、独自であることはオリジナルの大いなる証明。
しかし、その独自性、作家性というなら、そのさきがけ性も含めて、やはり森高千里にとどめを刺す。
ヒットした「渡良瀬橋」や「雨」などもいいけど、やっぱり「この街」「青い海」あたりの歌詞が好きだなあ。

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森高千里は「非実力派宣言」でミニスカなどのアイドルのコンセプトに徹底していくけど、やはり森高の本質はこちらにあって、この「非実力派宣言」、本人にとっても隠された意味があったのかも。

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もちろん、「ミーハー」や「私がオバさんになっても」なんてのも森高ならではだけど。
いや、ボブ・ディランがノーベル文学賞なら、森高千里はなんだろうって気がしてしまった。
様々なアイドル、アーティストも登場したけれど、やはり、今に至るまで唯一無二の存在ではないだろうか。

青い海

海の見下ろせる さびれた街で
小さな本を 営む彼は
今年65 一人暮らしをしている…

最後の「海がとても青い」がいいなあ。

画像は「月刊ヴューズ」特集記事から。
紅白は年の終わりの大祝祭
小倉智昭が紅白演出バッサリ「質が落ちてるんだよ」。
内田裕也「マジかよ、NHK?」紅白演出を痛烈批判 。
伊集院光「スベっていた」紅白歌合戦をバッサリ 。
劇作家の鴻上尚史の「人間の生理を完全に無視している」と年末の紅白批判が相次ぎましたね。
僕も武田アナなんかいいのだろうかと、どきどきしたけど、まあ、お祭りだからね。
僕は子供の頃から、紅白の気恥ずかしいような演出が不思議で仕方がなく、今になってようやく、あの不思議なお祭り感が理解できた気分だったけど、いやいや、ずいぶん年配の人からも批判が出てしまった。
祭りって子供も楽しいけれど、ほんとうは大人にしかわからぬ部分もたぶん多いはずだった。
少し違うけど、やはり年末恒例の「レコード大賞」は今も不思議な受賞が続くけど、子供の僕には大賞受賞曲のよさがわからないものもずいぶんあった。
いちばんの典型は佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」で、一度もいいと思ったことはなく、何でこれがレコード大賞なんだと思っていた。
でも大人になって(しかも50も過ぎてだよ)、ある日ふと耳にすれば、実に彼女にあったいい歌だった。
詩も曲も歌声も、数多くの希望、勇気、愛…それに伴う困難や悲しみ、そのすべてを諦めたような歌と歌声。
子供に分かるわけがない。もしかしたら大人だって永遠に分からないような詩とそれを体現する佐良直美の歌声なのだ。
簡潔な詩に無限の虚ろが漂っている。
抜群の歌唱力を携えながら、なんの抑揚もなく歌う「いいじゃないの幸せならば」、すごい歌なのだったと。

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大人の歌は、祭りはかくも奥深いものだなあと。いや、昔の大人や祭りというべきか。
せっかくの非日常たる祝祭を日常性のなかでの質や生理で考えるなという気もする。
紅白でもアイドルなど子供ような子たちが歌だけでなく、ずいぶんな応援に駆り出されるけど、あれも子供みこしなどよく意味の分からぬままに参加させられるのに似ていて、やっぱり祭りの気分。
紅組の司会は有村架純だったけれど、綾瀬はるかという声も繰り返し上がるのは彼女の持つ祝祭感と言われれば思わずなるほどなあと。祝祭感なのだ、あの不思議な幸福感は。
有村架純ちゃんもよかったけどね。
少女小説作家の氷室冴子は「女の子はただいるだけで祝福される存在と考えていた」というけど、思いもよらぬ逆転勝ちも紅組ならまあいいかなと。祝福、祝祭だよ。
さあ、祝祭感漂う、かの人綾瀬はるかの「精霊の守り人」セカンドシーズンもいよいよ始まった。

テーマ:J−POP - ジャンル:音楽