理系・文系を重ねて見る光景は
天災も人災も忘れぬうちにやってくる
政府は29日未明、北朝鮮から弾道ミサイルが日本海へ発射されたと発表した。ミサイルは28日午後11時42分ごろに同国中部から発射され、45分程度飛行し、北海道西方沖の日本の排他的経済水域(EEZ)内に落下したとみられる。北朝鮮が深夜にミサイルを発射するのは極めて異例。(毎日新聞)

続報によればロフテッド軌道による米国本土ロサンゼルスにまで達する可能性のあるICBMだった。
以前にに北朝鮮の弾道ミサイル発射を受け、東京メトロが一時全路線で運転を見合わせたことに韓国では過剰対応との批判があって、また日本でも違和感をもって受け止められたりもしたけど、これには少しお国柄ということもあるのかもしれない。
東日本大震災では100年どころか、1000年・万年単位の恐ろしさを再認識させられたこと思えば、どんな可能性にも対応しようというのは不思議ではないし、実際、地震などではどこの国にもない、科学的には疑問さえつくほどの体制づくりになっているのだろう。気象情報の徹底ぶりもすごい。
ただ、古来その恐怖(自然)に寄り添ってきたものと、またまったく別の次元での恐怖(人間)とは必ずしも相いれないものもあるのかもしれない。人の意図も働くからなあ。

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まあ、人はやっぱり都合よく考えますからね。
分かりやすいところでいえば地震も噴火も台風など自然災害も危険だし、人為的なものでは原発も危険だし、テロ・戦争も危険。
長いスパンでいえば温暖化や寒冷化などに始まり、隕石落下、地軸の逆転、身近なところでいえば年金・人口減など、いくらでもあるのだけど、政治や経済システムも、人は都合よく考え、使うからね。
まあ、それが人間でもあるけど、時々は、誰かはきちんと考えないとなあ。
今日は新しい内閣の顔ぶれも決まったけど、どのように考えたものだろうか。
田原総一朗氏が安倍晋三首相と28日に首相官邸で面会し、田原氏から安倍首相に対して「政治生命をかけた冒険をしないか」などと提案したことが話題になっていて、すなわち、政治的冒険とは何かを巡って北朝鮮問題関連など、様々に言われてるけど、僕は「超巨大噴火の鬼界カルデラ」にも書いたけど、反原発、脱原発じゃないのかなあとも思うけど、どうだろうか。
地震・火山大国の日本ではどうあっても合理性を欠くし、また北朝鮮がミサイル発射するたび、地震が発生するたびに不安だった、少なくともそれらによる原発の危険は回避され、まだまだ廃炉処理など始まったばかりだけど、原発の妙な頸木から解放されることだけでも、がらりと変わるのではないのかなあって。
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強毒「ヒアリ」の侵入
環境省は13日、強い毒を持つ外来種のアリ、「ヒアリ」を国内で初確認したと発表した。中国から貨物船で運ばれたコンテナの内部にいるのを、兵庫県尼崎市で見つけ、消毒して死滅させた。環境省は「現時点ではヒアリが定着し繁殖している可能性は低い」としているが、念のため、周辺に侵入していないか緊急調査を始めた。 ヒアリは赤茶色で体長2・5~6ミリ。人が刺されるとやけどのような激痛が走る。毒針で何度も刺すほど攻撃性が高く、かゆみや動悸(どうき)などが引き起こされ、アナフィラキシーショックによる死亡例もあるという。(朝日新聞デジタル)

というニュースに始まったヒアリ騒動はその後も続々と見つかり、港だけではなく内陸部、ついには女王蜂まで見つかり、すでに定着も強く疑われる状況となった。
また大阪・南港に到着したコンテナ内ではやはり毒性を持つ新たな「アカカミアリ」が発見されている。
もう水際ではないのだ。水際での侵入阻止はまさに島国ならではだけど、もう島国とはいえ、このグローバル世界では侵入を防ぐのは困難ですね。
最初の発見から2か月余りで相次いで見つかるのは、その後の侵入ばかりと考えるのは不自然で、最初の発見で大きく報道、検査体制が徹底されたゆえでもあるにちがいなく、とすれば最初の発見以前からの侵入がすでにあったと考えるのが普通でしょう。
すでに蟻の一穴は穿たれており、それまでは対策も取られていなかったわけだから、定着している可能性は高い。

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毒性はないものの、生態系を破壊するという特定外来生物「アルゼンチンアリ」も侵入以来、生息域を着実に広げているらしいし。岐阜県では地元各務原市で最初に発見され、港町でもない内陸の町なのにとも思ったけど、航空機や自動車などの工業が盛んな街だから輸入されたコンテナからということも、あるいは航空自衛隊岐阜基地があるから、そこからという可能性もあるかもしれない。
グローバル化は近代以前には大陸ごとに分断されていたものが世界に広がり、弱肉強食による生存競争が地球規模の熾烈なものにしてしまった。
大陸の激烈な生存競争下にあったものにすれば、平和な島国の固有種など赤子の手をひねるも同然かどうかは知らないけど、新たな生存競争が始まり、僕たちも未知の危険にもさらされる。
ヒトという種がもたらしたグローバル化はその中で新しい可能性も見出すけど、生存競争の激化によって多くの固有種が失われ、多様性を脅かしますね。
そして、それは文化や経済にあってもそうで、熾烈な経済競争にあっては固有の経済原理、あるいは文化なども簡単に奪われ、独自の文化として主張しても、いずれ非関税障壁などと言われ、実際、文化の基盤たる言語ですら、多くは失われつつありますからね。
世界の標準化・フラット化はたしかに一方で公平化をもたらし、その強者の美名に逆らうことはなかなかできないけど、かたや自然のなかで固有種が危機に瀕するように文化なども淘汰されていく。
グローバル化といっても島国として成り立つ幸運を?、古来より守られてきた自然や叡智を、最大限活用するというあり方もあるのだと思うのだがなあ。
まあ、これはまた別のお話。
格言に学ぶ 国家・社会
数々のピンチを逃れてきた稲田防衛相もPKO(国連平和維持活動)の日報、隠蔽を図ったという疑惑はさすがにもう難しいだろうなあ。そのたびに緊張感を持って職務に邁進すると言った口から、緩さ満開な不祥事が続き、ついには隠蔽が疑われるとは。
まあ、僕なんかも想像がつかないけど、日々、生死をかけている実力組織の最高責任者がどうあるべきかということがわかっていなかったのだろう。
安倍首相も一度、失敗してよくわかっているはずなのに、やはり失敗を人間は繰り返すのだなあ。
村上誠一郎元行政担当相は安倍晋三首相の人事について、「お友達か、稲田(朋美防衛相)さんとか高市(早苗総務相)さんのように同じ思想を持っているか、イエスマンかの3パターンしかない」と批判したけど、長く続くと少しずつ、そういう傾向になっていき、気づけば、周りはそんな人たちと忖度ばかりになっていたというような。
森友問題の籠池さんが典型だけどそういう人たちのほうがなすべきことの足を引っ張り、政策の実現を遠ざけ、むしろ、そこから離れているような人たち(岸田外相や谷垣元幹事長、高村自民党副総裁など)が実は誠実に支えてくれていたりする(まあ、ほんとうに魑魅魍魎みたいなところもあるかもしれないけど)。
まさに諺にある通り、悪友は汝を地獄に誘い、無知な友ほど危険なものはない。

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まあ、失敗や歴史に学ぶことの大切さは誰でも思うけど、それでも人は繰り返すのは、かの哲人ソクラテスの言う通り、「どの時代も旧い誤りを正して、新しい誤りを作っている」のか。
また、ゴルドンは「政府の中で暴民の政府は最も残忍、軍人の政府は最も冗費多く、法律家の政府は最も煩累である」と言ったけど、それでもいちばんましなような法律家の政府も煩累だけでなく「腐敗した社会には数多の法律あり」(ジョンソン)、「法律多ければ犯す者多し」(英俚諺)というからなあ。
一つの嘘を隠すために二十の嘘が必要だというのもありますね(ホープ)。

さあ、今日明日と国会の閉会中審査が始まり、丁寧で嘘のない説明が求められるけど、はたして、「真実は万事を平易にす。真実は安静な心を持つ」(シェークスピア)、「誠実は最良の方便なり」(ワシントン)となりますか。
まあ、どんな形になっても粒粒辛苦。
ということで、最後はホーレスの言葉で。
「愚かな人たちは一つの極端から解放されると、その反対のいっそう悪質な極端に走ろうとする」
全ての人間の業のような気もする。
九州北部の記録的大雨
梅雨末期は集中豪雨に見舞われることは日本の常とはいえ、ここ最近の豪雨は半端ではない。
福岡・大分に出された大雨特別警報は数十年に一度の大雨が目途らしいけど、もう数百年レベルというか、未曽有の豪雨になりつつあって、さらにここ最近でいえばそういうものが毎年のようにやってきて、ちょっと感覚が掴みづらくなってきている!?
地震や噴火にしろ、そして大雨や強風にしろ何が起きるかわからない未曽有の時代なのかもしれない。
まだ大雨は続いており該当の地域、また今後大雨の見込まれる地域の方は十分な注意が必要です。
幸いこちらではまだ大雨とはなっていないけど、僕の実家も木曽川、境川堤防のすぐ際だったから、子供の頃には決壊はなかったものの越水ぎりぎりは子供の頃に見たことがあり(子供は見に行ってしまうんだよなあ、でも行ってはいけません)、木曽川・境川が一体となって流れるさまは今でも忘れることはできない。
土間からはぼこぼこと水が湧いた。決壊寸前だったのだ。
以下は再掲になります。

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地震、火山と同様に海に囲まれた日本は台風、豪雨などによる河川についても災害は避けられない。
火山帯、地震帯のうえに日本列島は成り立ち、そのゆえに急峻な河川がある。
明治時代に河川工事のために来日したオランダ人技師デレーケは、世界でも特異の“勾配がきつく、流れの速い”日本の川を見て「これは川ではない、滝だ」と驚愕したというほどなのだ。
大陸が古くゆったり流れるヨーロッパの川は堤防もあまりないらしいですからね。
天変地異と常に隣り合わせ、災害とともに生きてきた日本。
その先人たちの知恵と工夫が田んぼや里山であり、長きにわたる治山治水がある。
東日本大震災はそれこそ日本では1000年単位の取り組みの必要性を改めて思い起こさせてくれるものだったけど、それは河川など自然、町づくりすべてに渡ります。
でも、それゆえ、日本が世界で稀な美しく多様な自然・資源にも恵まれているということにもなります。
禍福はあざなえる縄の如し。
それでも先人たちは諦めることなくこの荒々しくも恵みももたらす美しい自然とともに生きる工夫をたゆまず努力してきた。
いま、僕たちは先人たちの知恵を努力をきちんと今も引き継いでいるだろうか。
原発なども世界で最も厳しい基準などといっても世界でも稀なほどにあらゆる巨大な自然災害に常に向き合わざるを得ない日本であれば当然であり、要はその地に適合するかどうかなのだ。つまりは適合しないのだ。
災害、あるいは文化にグローバルスタンダードはなく、日本が永遠に向き合わねばならないのは「自然」なのだろう。
かたや多くの大陸などの国々は 自然災害よりも大陸上を図面で引いただけの国境で分かたれ、他民族との争い、その共存のほうがはるかに生きるための戦いだったのかもしれず、イスラエル、パレスチナなどは及びもつかないほどに。
日本は自然との戦い・共存により比重が高く、だからこそ、また人にも優しくなれるのかもしれない!?
こんな人たち、あんな人たちにもある素晴らしき哉、人生
都議選で自民党の大惨敗を受けて戦犯探しが始まっていて、まあ、この1ヶ月くらいでも枚挙にいとまがないくらいにいろいろあったのだけど、なかでも都議選最終日の東京・秋葉原の街頭演説で巻き起こった「安倍やめろ」コールに対し、「憎悪や誹謗中傷からは、何も生まれない!」と語気を強め、「こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかないんです」と言い放ったことは、今後に憂うべき要因ともなりそうな気もします。
まあ、当然ですが「憎悪や誹謗中傷からは、何も生まれない!」ということはなくて、いいことはまず生まれないのであって、悲劇の多くはここから生まれ、でも時には希望が生まれないとも限らない。いずれにしてもすべての人間の根源に潜むものでしょう。
それを認め、だからこそ憎悪や誹謗中傷から悲劇を生まないための努力が必要なのであり、たとえどんな人たちであろうとも、また自らも「こんな人たち、あんな人たち」との自覚があれば、もう少し言い方もあったのでしょう。
現にその街頭演説の場にはあの籠池さんもいて、安倍首相も昭恵夫人も最初はずいぶん森友学園、籠池さんを買っていたのだ。
少し怪しげな正体を見せ始めると、あっという間にあっち側に追いやり、「こんな人」扱いになってしまったけど、これに習えばむしろ、口当たりのいい賛美や熱狂にこそ、憎悪や誹謗中傷の種子が潜むのだ。
フランクリンも「偽友と陰影は太陽の照らす時のみ伴う」と言っているし、実は「こんな人たち」のなかにこそ、ともに明日を築ける人がいるかもしれないということにはならないのかなあ。

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ああいう場ではついエキセントリックになってしまい、あとで反省できたりもするけど、どうもその反省も言葉だけになってしまっているみたいだからなあ。
まあ、「こんな人やあんな人」の僕が言うのもなんですけど。
画像は映画「素晴らしき哉、人生」。
「こんな人やあんな人」にもそれぞれのたった一つの素晴らしき物語がある。