理系・文系を重ねて見る光景は
老大家の時代 老大家子供に帰る
前回に続いて「老大家の時代2」です。
テレ朝『やすらぎの郷』がすごいと書いたばかりだけど、「秀さん」こと高井秀次失踪事件、どうケリを付けるのかと思ったら、何と驚くべきファンタジーで片づけてしまった。

「ほらみんな眼鏡とか時計なくしてないないって2〜3日捜してもなくって諦めかけてたら急にある朝、目の前にあって。 あれ?なんだって…。経験あるでしょ?あれやるのよ」
「いなくなっていた秀さんがある朝、気づいたらちゃんとベッドの中にいるんです。あれ?なーんだ。いたじゃん!ってみんな思っちゃうんです、ねっ」
「いたのにみんな見えなかったのね。それが突然ある朝見えるのね」
「なーんだ!いたじゃん!どうして今まで見えなかったのかな?」
あの、 眼鏡と秀さんじゃ大きさが違います。
「馬鹿ねえ。 原理は同じ事よ」

なるほど、どうすれば誰も傷つかずに事態を解消するにはもうファンタジーにするしかない。
なんか、「カルテット」のアリスちゃんのような強引さでもあるけど、幸い、老人には眼鏡のようなことがあるといえばあり、永遠の乙女のような九条さん(八千草薫)の言葉はかわいい魔法のようであり、おまけに秀さんは無口だった。
老人は子供に帰るとも言われるけど、こういうことでもあったのか。
子供だけにトトロが見えるように、老人は「秀さん、なーんだ!いたじゃん!」で押し通せるのだ。

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あるいはオタク。
僕は「飛べ!フェニックス」という映画が好きなのだけど、サハラ砂漠上空で輸送機が、砂嵐に遭遇した上にエンジントラブルを起こして、砂漠のど真ん中に墜落してしまう。
12名が生き残るけど、絶望的な状況に追い込まれていくなかで、一人が思いがけない提案をする。 墜落機のスクラップから飛行機を自作して、砂漠から脱出しようと言うのだ。
機長は反対するがワラにも縋る思いの生存者たちは、この試みに賭けてみる事にする。
かくして、紆余曲折・波乱万丈のなか「フェニックス」と名付けられた飛行機が誕生するのだ。
ところで提案した青年は航空機デザイナーと名乗るのだが、ある日、機長は青年の持つカタログを見てしまう。
「そのカタログは君の会社のものか」
「ああ、そうだよ」
そのカタログは模型飛行機のものだった。本物の飛行機の設計などしたことはなかったのだ。
「でも、原理は同じだ」
ドイツ青年のオタクぶりが見事です。ラストはぜひ映画をご覧ください。

画像は航空力学の権威、佐貫亦男「不安定からの発想」。
「人も飛躍するためには最初から安定を求めてはいけない。空が不安定であることを受け入れ、過度な安定に身を置かず、不安定な状態を自分の力で安定させてやろうと勇気を出してこそ、道が開けるのだ」と。
青春も、あるいはまた老年も不安定で、まず不安定であることを受け入れてこそ、さまざまな道もあるのだろう。
倉本聰の『やすらぎの郷』がまさにそれで、こんなドラマもありえたのだし、しかもヒットしたのだ。
まあ、僕なんか子供・青春・壮年…ずっと不安定なんだけどね。
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テーマ:テレビドラマ - ジャンル:テレビ・ラジオ

トランジットガールな「ひよっこ」
「ひよっこ」のヒロインの親友の時子は佐久間由衣で「トランジットガール」に出ていた子だなあと思っていたら、なんとやはりヒロインの親友、三男の就職先の米屋の娘で伊藤沙莉が登場した。
伊藤沙莉は佐久間由衣ととも「トランジットガール」でダブルヒロインを務めていたのだ。
まあ、「ひよっこ」でも三男を巡るライバル役にもなりそうで、先日のクレジットでは二人の名前が並べて置かれていたから、NHKもじゅうぶんに分かってやっているのだろうなあ。
NHKはLGBTなどの問題にも積極的だから、なかなかの意欲作「トランジットガール」にも注目していたのだろう。
先日の5月7日にも「東京では性的少数者への理解を進めるイベント「東京レインボープライド」のパレードがあり、約6千人が渋谷駅前のスクランブル交差点など約3キロを歩き、性の多様性を象徴する虹色の旗や横断幕を掲げ「同性婚を認めて」「多様性を学ぼう」などと訴えた。」(朝日新聞)とあり、ずいぶん、理解が深まったようにも思うけどそうでもないのだろうか。
日本は表だってということはないにしても、性についても古来より自然と同様に多様性を認めていたと思うのだけどなあ。

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画像は1980年代に発売されたゼネプロ製のTシャツで、さすがにこれは着なかったけど、同じロゴのワッペンもあって学生の頃付けていたことがあり、街を歩いているとたまに外人に声をかけられた。
アイ・ラブ・SFはアイ・ラブ・サイエンスフィクションの意味なのだけど、「アイ・ラブ・サンフランシスコ」と思う人もいて、あるいはサンフランシスコにはLGBTに寛容という暗喩の意味もあるのか、すこし妖しい人もいた。
サンフランシスコはLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)な人たちの割合が人口の20%あり、当時の僕はまったく知らなかった。
LGBTという性的マイノリティが暮らしやすいということは、性的な面だけに限らず差別が少なく、自分らしさを発揮するのに寛容な都市や社会を示し、鋭い感性、自己研鑽意欲が高く、クリエーティブ・クラス(創造者階級)が多いといいますね。
日本は自然も多様で、おそらく性的にも多様なはずと思うけど、秘すれば花っていう文化もあるからそう単純にはいかないのかもしれない。

テーマ:心と身体 - ジャンル:心と身体

老大家の時代 倉本聰 筒井康隆
テレ朝『やすらぎの郷』がすごい。
もちろん、倉本聰がシニア世代に贈る大人のための帯 ドラマということもすごいし、石坂浩二を取り巻く大女優たちがハンパではない。
八千草薫、有馬稲子、浅丘ルリ子、加賀まりこ、野際陽子、五月みどり、山本圭、ミッキー・カーチス、藤竜也などの大女優や大ベテラン、中堅あたりが風吹ジュン、草刈民代、常盤貴子、名高達男、唯一の若手が松岡茉優で、松岡茉優は奇跡のような幸運に巡り合えたと言うべきでしょう。今どき、トップスターでもこれだけのメンツにはなかなか会えない。
しかも、こんなことを言ってはなんだけど、いま会っておかなければ、もう会えないかもしれない。
そして、物語がけっこうエグイというか、もう好き勝手にとまではいかなくても、まあ、自由に書いているのだろうなあ。
みんなあてがきに違いないけど、もう多少のことも許し、許されてしまうんだろうなあ。松岡茉優もあてがきなのかな?
しかし、八千草薫さんはやっぱり天使のような人だ。
僕はもうちょっと覚えてはいないけれど、古い時代劇映画で八千草薫さんのお姫様を見たことがあるけど、そりゃあもう、図抜けて可愛らしかったのだ。他にもお姫様を演じた女優は様々にいるけど、僕はやっぱり八千草薫さんです。
それにしても倉本聰、自由に楽しげに書いている!?老大家たる自分を楽しんでる!?

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かつて、筒井康隆が藤枝静男の「田神有楽」を評して、老大家となって、こんなふうに勝手気ままに自由に書きたいものだと言っていたけど、その筒井康隆もずいぶん物議を醸す勝手気ままなこと書いてしまった。
でもまあ、昔から画像(雑誌 面白半分より)にある通り、こんな過激なことを自ら(身内ですね)も含めやっていた人なのだ。

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これからのネットの時代、高齢化社会、果てしてどうなってしまうのか。ねえ、八千草薫さん。
今や作家王国岐阜(池井戸潤、米澤穂信、冲方丁、奥田英朗、朝井リョウ、中山七里など) の誇る老大家 瀧井孝作は原稿を取り来た編集者に「釣りに行かんで書いたのだが」と、まるで「釣り」が本業であるかごとくに抜け抜けと言っていたという。
時代もあるけれど、これくらい長閑というわけにはいかないのか。

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貧乏もまた楽し、貧乏は発想・工夫の神様
明石家さんまのコンプレッくすっ杯。
『ブサ顔』、『子供にナメられる』、『田舎』、『貧乏』、『変声』、『結婚 できない女』といった“コンプレックス”を自虐的に面白おかしく競っていたけど、やはり貧乏は最強なのか。
貧乏レジェンド風間トオルも審査員でいて、たいていのエピソードにも驚かず、ひょうひょうとしていたのはさすがにレジェンドだけど、突き抜けた感なのか、貧乏感どころか品位すら漂わせます。
しかし、鉛筆の後ろについてる茶色の消しゴムのけし屑が鮭フレークとかはリアルな実話だからこそなんだろうなあ。
僕は思いつかなかった。
また紙は山羊も食べるし、食べるなら教科書は写真の少ない国語の教科書が自然でいいと言ってけど、これはやはり稲垣足穂が生活に窮していたとき黄ばんだ破れ障子見て、「あの障子紙、焦がしたら焼き海苔の味にならんだろうか?」といった話が文学の香りも高くいいよなあ。貧乏でも何かしら味わいがある!?海苔ではないけど、糊ならついているし。
でも、これはならんのですね、これは。前に実家の破れ障子紙で試してみたから間違いありません。
いや、貧乏こそが発想・工夫の神様であり、好奇心を揺さぶります。

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まあ、この稲垣足穂先生、発想がすごすぎて、人間の本質を口から肛門という空洞に見立てた(その周りに骨、肉、血管が取り巻いて皮で覆われたのが人間、つまり人間の中心は空洞なのだ)という「A感覚とV感覚」などの怪作も書いていたりして、いや美少女も美少年も形無しなのだが、これも貧乏史観の果てにあるのだろうか。
あるいは山田風太郎の言うように「性の快楽と死 の苦痛はみな平等である。しからば、なぜそれ以上の平等を求める必要があるのだろうか」というような突き抜けた真理を見る眼差しなのか。
ちなみに僕の祖父は若い時の苦労が身に沁みた人らしくなかなかの吝嗇ぶりで、母によれば嫁に来た頃は(戦後間もなく)風呂を沸かすのにも祖父の許可が必要で、「人間、垢で死なず」と言っていたらしいです。うむむ、手ごわい。
まあ、沸かすにしても画像の手前の井戸から何十回も汲み、手桶でけっこう離れた風呂場まで運ばなければならず、母も大変だったらしい。実家を整理した折にはそんな祖父が若かりし頃書いた短歌も見つかっている。

紅幕を張れるが如き桃園に遊ふ乙女の影ぞゆかしき

あの祖父がこんな歌も詠みましたか。
木皿泉 パンセ
木皿泉 パンセ。
テレ東、木皿泉、パフュームのなかなか思いもかけない組み合わせですが、やはりちょっと不思議で、優しい物語。
変わりない、閉ざされた日常に訪れるささやかな変化、違和感に、ともどいながらも優しく新たな時間が流れ出す。

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「われわれの本性は、運動のうちにある完全な静止は死である」(パンセ)

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NHK BSプレミアムの「嘘なんてひとつもないの」も不思議なドラマだったけど、まずは部屋を出ること、動くことなのだ。
アニメ「トップをねらえ」のタカヤノリコは人類を救う偉業もって、「ヲカエリナサイ」と迎えられたけど、またひきこもりからのささやかな戦いの旅から帰った力丸も「おかえりなさい」と暖かく迎えられた。
大宇宙だろうと小宇宙だろうと帰れる場所があり、温かく迎えてくれる人・場所があるということは希望だ。
「わたしがどんなときも人のために願えるひとでありますように」
「野ブタ。をプロデュース」も「セクシーボイスアンドロボ」「Q10」も、いつの時も変わらないテーマだ。

ちなみに「パンセ」にはこういうのも書かれている。
正しいものに従うのは、正しいことであり、最も強いものに従うのは、必然のことである。力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制的である。
力のない正義は反対される。なぜなら、悪いやつがいつもいるからである。正義のない力は非難される。したがって、正義と力をいっしょにおかなければならない。そのためには正しいものが強いか、強いものが正しくなければならない。
このようにして人は、正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである。

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