理系・文系を重ねて見る光景は
鳥居耀蔵 無垢ゆえの非情 荒神
さて、宮部みゆき「孤宿の人」繋がりで、「孤宿の人」で加賀様のモデルともなった鳥居耀蔵です。
今、BSプレミアムで「大岡越前」をやっているけど、ドラマや小説に出てくる名奉行といえば、まず大岡越前か北町奉行遠山金四郎とほぼ決まっている。
人気があった北町奉行遠山金四郎ということは、つまり、その時の南町奉行は人気がなかったというか嫌われていたとなるのだが、それもそのはず南町奉行は妖怪とも呼ばれた鳥居耀蔵だった。
加賀様のモデルになったように、実際にも鳥居耀蔵は南町奉行などの官吏だった頃の非情・酷薄さと、幽閉されてからの慈しみの深さは天と地ほど違ったという。
鳥居耀蔵の父林述斉は「小善は大悪に似て、大善は非情に似たり。目前の気受けなど気にせず、大善実現のために非情に徹せよ」と心構えを説いたというから非情、酷薄は耀蔵なりの大善だったのもしれない。

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鳥居耀蔵は鬼才ともいえる儒学派であり、洋学派の渡辺崋山など蛮社の獄で徹底的に追い詰めた人で、老中水野忠邦を裏切り失脚させ、のちに復権した水野忠邦の怒り凄まじく、罪に問われ家は断絶、四国丸亀藩に「お預け」つまり幽閉された。
将軍、老中が変わっても赦免されることなく、明治維新までの23年間幽閉され続けている。
一般にお預けになった武士は病気か自害ですぐに死ぬのだという。
なぜ生きながらえられ続けることができたのか、その妖怪とも言われた男の晩年の28年間の日記が「晩年日録」として残っている。
鳥居耀蔵は幽閉後、豊富な知識で薬草の栽培も行ない、自らの健康管理、領民の治療など領民・藩士にも慕われていたともいうのだが、彼の原理原則は最後までまったく揺るがなかったという。
勝海舟も「残忍軽薄甚しく、各官員の怨府となれりといへども、その豪邁果断信じて疑わず、身をなげうつてかへりみる事なく、後、罪せられて囹圄にある事ほとんど三十年、悔ゆる色なく、老いて益勇。八万子弟中多くかくのごとき人を見ず。亦一丈夫と謂うべき者か」と言っているから嫌ってはいても、すげえ奴とは思っていたのだ。
これもまた「荒神」と呼ぶべきか。

画像は「天保異聞 妖奇士」より、鳥居耀蔵。
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テーマ:時代小説 - ジャンル:小説・文学

深読み読書会『孤宿の人』宮部みゆき
文学探偵たちが、“宮部みゆきワールド”を解き明かす! シリーズ深読み読書会がBSプレミアムであって、取り上げられたのが“時代小説の最高峰”ともいわれる宮部みゆきの『孤宿の人』だった。
僕も発刊されたときに思わず単行本で上下巻二冊を買ってしまったのだが、そうか、“時代小説の最高峰”ともいわれていたのか。
読み解くのは鈴木杏,関川夏央,高橋源一郎,倉田真由美,谷津矢車の面々であるけれど、あのTBSドラマ「青い鳥」で駅長さん、駅長さんと言っていた女の子(鈴木杏)がなあ。大人になったものだ。

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さて、『孤宿の人』。
江戸の大店の若旦那と奉公人の女の娘として生まれた少女「ほう」は、阿呆の呆と蔑まれ、躾や教育を受けることなく厄介者扱いされ、ついには讃岐の丸海という土地にたった一人で置き去りにされる。丸海藩の藩医を勤める井上家に拾われ、ようやく人並みの幸せな日々を送り始めたのもつかの間、「ほう」に優しくしてくれた井上家の娘が殺されてしまうのだ。
「ほう」は犯人を見たのだが、なぜかしら病死とされてしまう。
真実を口にした「ほう」はあるお屋敷に下女として差し出される。
そのお屋敷こそ、鬼とも呼ばれ怖れられ流罪となり、讃岐の丸海藩に預かりとなった元勘定奉行「加賀様」を幽閉した屋敷であり、預けられるや否や落雷、火災、疫病など怪異に見舞われ、悪霊と怖れられた人なのだ。
「ほう」と「加賀様」は陰謀渦巻くなか、巡り合い、加賀様は「ほう」に手習いを教え始める。
無垢なるものは惹かれあうのだね。この光景が美しい。
そして加賀様は「ほう」新しい名前を与える。お前は阿呆の「ほう」ではなく、進むべき方角を知る「方」なのだと。
孤独な者同士の親子ともいえる絆ですね。
さらに陰謀は大火災、暗闘と続き、死を覚悟した加賀様は最後に「方」の奉公を解いて「方」に屋敷を出ろと厳しく命じます。
やがて、屋敷に雷が落ち、屋敷は炎に包まれ、加賀様を巡る争いは終焉を迎える。
井上家に戻った「方」に、ある日、加賀様の預かり物が届く。それは手習いの見本だった。
見本には「宝」とあった。

鬼だ悪霊だと呼ぶことはそれらを人外のものとし、厄介で扱いにくい相手をむしろ処しやすい、つまり鬼・悪霊などは人の手に余る怖ろしいものだけど、人でなければ相手を理解する必要はなく、命を奪っても心は痛まないということでもあるのだろう。
そして、御霊として祀って守り神にしてしまうのだ。

ちょうど同時間帯枠でやっていたのが日テレドラマ「あのね」で、それぞれに孤を抱え、これまた現代の『孤宿の人』いうべき物語。
「ほう」が阿呆の「ほう」から方角の「方」に、そして最後には宝の「宝」に変わったように、ハズレもハリカに変わって新しい絆を見出し、「孤」を溶かしていく。優しく新しい家族の物語になってほしいなあ。

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勝ち組には分からない!?「うらおもて人生録」
明けましておめでとうございます。
大晦日は先ほど終わったばかりの紅白(白組の優勝、ひふみん深夜なのに意外に大丈夫そうだなあ)など夜更かしも仕方ないけど、そうでなくても眠くてしようがないときがありますね。
学生の頃、よくその言い訳に使ったのがナルコレプシー(眠り病)で、まあ、僕は他にも綿ふき病、舞踏病など不謹慎にも奇病好きなのだけど、奇病といってもナルコレプシーは日常の怠惰と判別が付けがたいものだから、都合よくナルコレプシー、病気なのだと広言していたときがあった。
このナルコレプシーなる便利な?病名を知らしめてくれたのが色川武大(別名 阿佐田哲也)で、よく知られるようになったのはやはり「麻雀放浪記」からだと思うけど、和田誠監督で映画化もされ、こちらも傑作だった。

そんな色川武大の「うらおもて人生録」は「勝てばいい、これでは下郎の生き方だ…。いくたびか人生の裏街道に踏み迷い、勝負の修羅場もくぐり抜けてきた。そこで学んだ生きていくうえでの魂の技術とセオリー」を静かに語った名著とあるように、裏街道はともかく、さまざまに踏み迷う我ら劣等生のバイブルでもあります。
大相撲でクンロク大関(9勝6敗が多い力士)という揶揄するような言い方があるけど、意外に勝負のプロ中のプロなのかもしれない。勝つばかりの、表舞台にばかりいるような人にはわからないかもしれないけど。
いえ、特に今の大相撲界を揶揄する意図はありませんが。

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うらおもて人生録 新潮文庫 色川武大/著

優等生がひた走る本線のコースばかりが人生じゃない。ひとつ、どこか、生きるうえで不便な、生きにくい部分を守り育てていくことも、大切なんだ。勝てばいい、これでは下郎の生き方だ…。著者の別名は雀聖・阿佐田哲也。いくたびか人生の裏街道に踏み迷い、勝負の修羅場もくぐり抜けてきた。愚かしくて不格好な人間が生きていくうえでの魂の技術とセオリーを静かに語った名著。

まあ、お正月にあまりお勧めする本でもないのだけど。 まあ、大相撲の関係者にでも。あ、いえいえ。
ということで、今年もうらおもて踏み迷いながらですがよろしくお願いいたします。

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

「ダイナー」のさまざま 「みをつくし料理帖」
平山夢明で「ダイナー」という小説がある。
出来心から闇バイトに手を出したばかりに、拷問の挙句、殺される寸前となったカナコは思わず叫んだ。
「わたし、料理が得意なんです」
命拾いをしたカナコは殺し屋専用のダイナー(定食屋)にウエイトレスとして売られ、使えなければ死待つのみのカナコの必死の冒険譚。明日をも知れぬ、そして極悪非道な殺し屋は、またやはり究極のグルメでもあった…。
あるいは実録版のようなものもあって「山口組組長専属料理人 ~側近が見た渡辺五代目体制の16年~/木村勝美 」。
まあ、最近も映画「最後のレシピ」といい、料理人ものは人気がありますね。

そして、ついにはフジで「放送禁止~ワケあり人情食堂~」というのがあったらしい(未見)。
見てないので何とも言えないけど、どんな人生にも食は欠かせない。
ハードボイルドな人生ならなおさらなのかもしれない。
でなくても「深夜食堂」「孤独のグルメ」はもちろん、「まかない荘」「さくらの親子丼」など、様々な人生に食は欠かせないものですね。
しかしまあ、いくら美味であってもこんな刹那的な「ダイナー」(殺し屋専用定食屋)ではなあ。
生きた心地、食べた心地がしない。とても無理ですという人にはこちら「みをつくし料理帖」がおすすめです。
こちらであれば、心優しく、心温かい、美味しい江戸のお料理がいただけます。

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もうすぐ、お正月でおせち料理なども楽しみですが、寒い冬には熱いとろとろ茶碗蒸し、ぜひいただきたいものです。
などと、ほっこり思い起こすのが「みをつくし料理帖」だけど、NHK続編、まだかなあ。
旭日昇天であろうとも、雲外蒼天であろうとも正しく強く生き抜くものにそれらは訪れる。

テーマ:食堂 - ジャンル:グルメ

「感動するほど無理!」だけど惹かれる
誰でもそうだと思うけど、ちょっと無理なものに憧れますね。
まあ、少年時代の女の子なんかが典型で深窓の令嬢とか、余命幾ばくもない美少女とか、あるいは真逆のスケバンとか。
まあ、ちょっと無理どころか、なんだって無理だったような気がしますが。
本でも中学生の時のドストエフスキー「罪と罰」の挫折に始まって、懲りればいいものを相変わらず無理そうなものを読もうとした。ちょっとエッチらしいと聞き及えば、ヘンリー・ミラー、ノーマン・メイラーを数冊買ったけど、やっぱりだめだった。
映画が好きだったので、洋画の原作もちょこちょこ買っていたけど、あまり、馴染めなかった。
映画の原作でどきどきしたのはテリィー・サザーンの「キャンディ」くらいだなあ。
あるいはシモーヌ・ヴェイユ。その哲学もよく知らないまま、学生の頃少しあこがれた。
マルクスだって僕たちにとってはファッションのようなものだったし、それならばヴェイユのほうが僕にはなにかずっと鮮烈な美しさを放っていたのだ。しかし、ヴェイユみたいなそこかしこに天才のいるの家庭ってどうなんだろうなあ。
ウィトゲンシュタインの一族もそうで想像がつきませんね。
ウィトゲンシュタインはたしか、山田正紀の小説で知ったのだと思うけど、やはりよくわからぬままにわくわくした。
歌舞伎や能などもそうでたまにテレビで舞台中継があるととりあえず見ようとし、辛抱して見続けたりもした。

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でもまあ、こういう入口から入れる場合もあるのだ。
スッと入れるものもあれば、入れることは入れてもその道筋はきわめて難解だったり、興味が続かなかったりもして厳しく、やはり遠のいたりする。
ハイデガーなどもそうで、これは筒井康隆と笠井潔。
小松左京や荒巻義雄のハードSF、不条理SFなどからもずいぶん刺激を受けて、原典のほうも少し覗いてみるのだが、ほぼ挫折。
でも、あまりの分からなさ加減に感動してしまい、そして欲しくなるということもあるからなあ。

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今は映画もそうだけど、すっかり気軽に見られるエンタテインメント。面倒な、難解なものは億劫になってしまった。
若かったなあ、あのころは。でも見直していると少し気力が戻るかも。
藤沢周平、宮部みゆき、有川浩、高田郁、誉田哲也…など、いや、もともとミステリーや青春小説が好きなんですけどね。

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整理中なのでたまに読み返しているけど、それにしても雑見・雑読だったなあ。
まあ、憧れた植草甚一の足元にも届かないんだけど。

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