理系・文系を重ねて見る光景は
『英雄たちの選択』日本刀の妖しい鍔鳴り
BSプレミアム『英雄たちの選択』は歴史の中の英雄たち、時には名もなき英雄も取り上げられ、様々な視点で解釈されて面白いのだが、先日はなんと日本人と刀剣の深い関係を徹底検証する「日本史を斬る!刀剣スペシャル」。
磯田道史の刀剣愛もチャンバラ少年に始まるのだね。
僕もここで何度も書いたように「隠密剣士」を嚆矢として「素浪人月影兵庫」「燃えよ剣」など、あまたの時代劇、忍者もの、アニメの「カムイ伝」なども見まくって、チャンバラ、忍者少年になり、一刀流、陰流、霞流、示現流、二天一流、宝蔵院流、新陰流、柳生新陰流、北辰一刀流などを妄想の中で極め免許皆伝、ついにはわが秘剣「位相微塵斬り」を編み出した。
その名の通り、見えざるものを斬るという秘剣中の秘剣なのだが、見えざるものを斬るので、斬れたかどうか証明出来ないのが利点でもあり、難点なのだが。
そして、剣術だけでなく、剣そのものに対しても興味がわいてくるのはやはり『南総里見八犬伝』。
「抜けば玉散る氷の刃」と来るからね。人を斬れば刀身についた血を洗い流すという妖刀「村雨」なのだ。
鍔鳴りがしてくるようではないか。
さて、「刀剣乱舞」というゲームが人気で実在した名刀の数々が擬人化(イケメン揃い)されていて、プレイする女子は「刀剣男子」を結成・強化していくというものもあって、こんな形で刀剣に脚光の当たる日が来るとは。
実際、女性でも日本刀の鍛鉄の輝きや独特の刃紋の美しさに惹かれ刀鍛冶を目指す人もいて、 さすがに刀鍛冶は腕力が必要で難しいけど、白銀師(日本刀のつかと刀身の間に取り付ける「はばき」を作る)や刀剣商、居合道、殺陣に興味を持ち、学ぶ女性がほんとうに増えてきているという。
人気ランキングは以下のとおりだけど、やっぱり沖田総司、土方歳三、坂本龍馬などの幕末、戦国の織田信長等の愛刀でしょうか。

1位 加州清光(1334)
2位 三日月宗近(943)
3位 山姥切国広(933)
4位 薬研藤四郎(724)
5位 同田貫正国(654)
6位 燭台切光忠(633)
7位 和泉守兼定(536)
8位 陸奥守吉行(533)

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アニメやゲームはともかく、本物の剣を見てしまうとやはりなおさら惹かれることにもなるらしい。
「大菩薩峠」の主人公 机竜之介のように名刀国広を手にして、「よく斬れそうじゃ」などど不気味につぶやいたりするけど、あまり感性豊かで虚無に囚われやすい人は控えたほうがいいかもしれない。
ここ岐阜の関市も「関の孫六』で有名ですが、あの三島由紀夫が手に入れた名刀というのが、兼定と並ぶ名工関の孫六 兼元。
まさに鍔鳴りがしたか…とすこし思ってしまうのは、実はなんらかの目的のために手に入れたわけでなく、手に入れてしまったがゆえに行為そのものが目的化したというような気もするのだ。
「大菩薩峠」をはじめとして時代小説のよくテーマともなるものですが。
さらに日本刀が魅了するのはあやかしばかりではなく、実は超ハイテクの優れものだったからかもしれない。
一般に金属は硬いほどもろく、柔らかいほど衝撃に強く、両立させるには金属を形作る結晶の制御が必要でより小さく、そして針状にして同じ方向に並べると硬くしなやかになるという。
物質・材料研究機構は超鉄鋼(従来の5倍の衝撃に耐えられる鉄鋼)を開発したが、どうやら日本刀にはそれら超鉄鋼やさまざまな先端技術が人間の手で実現されていたらしいのだ。
やはり圧倒的な技術や波紋の美しさなどがあやかしを覚えさせるのかもしれないですね。
以前『トリビアの泉』で「日本刀VSピストル」というのをやっていて(日本刀をほぼ垂直に固定しておき、その刀身の中央部に向かって水平に固定したピストルから弾を発射する)、日本刀とピストル、さてどっちが強いかというわけだけど、日本刀の圧勝だった。
銃弾は真っ二つに割れ、日本刀は刃こぼれひとつしなかった。
NHKではちょうど「鳴門秘帖」という伝奇物をやっているけど、やっぱり僕は田村正和かな。

画像は岐阜関鍛治伝承館で開催されたエヴァンゲリヲンと日本刀展のチラシ。
やはり先端を行くものと日本刀は合うんだよ。
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テーマ:時代小説 - ジャンル:小説・文学

思想が現実だった頃 「マイ・バック・ページ」
日本大アメリカンフットボール部の選手が関西学院大の選手を悪質な反則で負傷させた事件、その後の対応も危機管理学部まである大学とは思えぬ対応で、ずいぶんとイメージが悪化したのではないだろうか。
ずっと遡って日大闘争のころから少しも変わっていないとの発言も一部にあって、体育学部系が中枢を担っているのだね。
確かにあの頃にタイムスリップしたような体質を感じないでもない。
まあ、日大生でもなかったし、日大闘争もニュースでしか知らないんですけどね。

でも、あの頃はまだ、思想で現実が変革できると信じられた時代。
その革命には暴力も肯定され、いつか正義も逆転してしまった。
でも正義・愛国・平等など高邁な思想を掲げる大学人は、なぜこんなに間違うのか。
「人間は完全ではなく、善と同様に悪をも併せ持ち人間を限界的なものとするから、個人より社会・国家を、急進的な革命・改革より歴史・経験に積み重ねられた緩やかな改革をとなる」
という保守思想ではあのときの若者の魂の高鳴りは止められなかったけど、今やずいぶんと保守の時代となったというのに、まだ暴力的に抑えようとするのだなあ。

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純文学誌、論壇誌、今や絶滅種だけど、あの頃はちょっとした町の本屋にも並んでいたのだった。
もっとも眺めるだけで買いはしなかったけど。

【BOOK】一九七〇年転換期における『展望』を読む 思想が現実だった頃

戦後すぐに創刊された総合誌『展望』は、一時的な休刊を経て64年に復刊、78年まで刊行された。
社会が大きく変動した時代、なにが論じられていたのか。
編集委員が討議の上、各々のテーマを立て、重要論文をピックアップ。その意味を問う。
(著者)大澤 真幸・斎藤 美奈子・橋本 努・原 武史

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もう1冊。

【BOOK】それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち/川本三郎

川本三郎は文学だけではなく、映画など幅広く興味のある逍遥学派?の評論家なので、取り上げられた作家も多士に渡ります。
また川本三郎の自伝的小説『マイ・バック・ページ』(映画化もされた)にも当時の学生運動が痛ましくも鮮烈に描かれます。

明治・大正期にうまれ、昭和期に精力的に活躍した作家、詩人、映画監督、画家ら23人。震災や空襲、オリンピック、バブルと時代とともに大きく姿を変える東京で日々を過ごした彼らの暮らしと、変化し続ける東京の町並みの「いま」「むかし」を、町歩きの達人にして文芸評論家の川本三郎氏が綴ります。

日大のアメフトの話題からそれてしまったけど、日大も芸術学部など文系が主導するようになれば面白いのに。
昭和の読書、昭和の街の本屋さん
読書の秋とも言いますが、春もねえ。
新学期、新しい教科書、図書館の匂い。窓際で読んでいたりすれば風が桜の花びらを運んでくれたり…。
なんていうのは今の映画やアニメでもありそうだけど、今やデジタルでも読めてしまうからなあ。
知らぬ間に花びらがページに挟み込まれ、またいつか読み返したりすれば、ああ、春に読んだのだなとあの頃を懐かしく思いだしたり、誰かの手に渡っていたりすれば、挟み込まれた押し花が謎を解くカギとなるようなミステリーもあるかもしれない。
まあ、昭和の僕にもどちらもないけど。
今は書店事情も昭和のころとはずいぶん変わってしまい(町の小さな本屋さんが多く、ネット書店はもちろん、大規模書店もあまりなかった)、それは読書そのもの意味も変えてしまったのかもしれない。
僕のよく通った本屋は小さかったけど、町の読書好きの人々の嗜好を知って品揃えするような感じもあった。
少女漫画誌も姉や妹がいるようなふりをして買っていたけど、もちろんバレていたのだろうなあ。
あるいは、マニアックなエロ小説が1冊だけ入荷していると、「ははあ、本屋の親父、僕が買うと見込んで仕入れたに違いないぞ」と思ったこともあり(被害妄想だね)、でもたいてい、しばらくして行くと売り切れていたりした。
もうひとり以上はいたのだね、この町には。誰だ…なんてことは今はない。
古本屋に行けば、たまに書き込みのあるものがあって、「ああ、誰だろう」ってロマンチックな思いに浸ることもあった。
学校の図書室では貸し出しカードに気になる子の名前を見つけて、どきどきしたこともあった。

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画像は少年時代に古本で買ったコミックス。末尾にはこんな購入日の書き込みが。お父さんというのがいいなあ。
知的で優しいお姉さんに違いないと夢想した。

大型書店ではなんでもあり様々なものに巡り合えるから、僕のころとはちがう楽しみもあるはずだけど、どうなのでしょうね。
あの頃は本だけでなく、本を取り巻く場そのものにも意味があったのだ。
今は巨大書店となり、本を置く場は大きくなったけど、ただ、あまたの情報に溢れ、情報のみに追われ、本来の、情報の意味やその流れの中で様々に生まれるようなものに気づく間もなく、本はまさにただアマゾンを流れるような本になってしまっているではないだろうか。
合理性のみで手に入れ、合理性のみで手放すように。
僕は町の本屋の親父の独善的?な合理性を愛す。
坂口安吾は「小説はたかが商品ではないか、そして商品に徹した魂のみが、また小説は商品ではないと言い切ることも出来るのである」とも言っていますが。
子供は親に薦められて良書を選ぶだけでなく、いわゆる悪書含めて学ぶし、自分で選んだものは大切にする。
かつて本を巡る様々な関わり合いが、1冊の本にあったはずだけどずいぶん少なくなってしまったような気がする。
そんな危惧を抱く読書好きの方に。

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昭和の読書/荒川洋治
出版が元気だった昭和に刊行された本の現物を手にしながら、読むということを通して、見えてきたこと。
書き下ろしを含むエッセイ集。

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注意書きが必要な「少女幻想」
「偏愛蔵書室」(諏訪哲史)には書名の通り、数々の偏愛に満ちた文学書などが取り上げられているのだけど、やっぱり、偏愛となれば渋沢龍彦、種村季弘だよなあ。
僕は系統的にきちんと読んだわけではないけど、文学好きのマイノリティなら少なからず通る道でしょう。
たとえば「少女コレクション序説」 (中公文庫 澁澤龍彦/著)。
諏訪哲史によれば澁澤の著作に通底するのは、取りも直さず、冷たい「物体」への愛であり、それは時に「玩具」「人形」「少女」「屍体」などと言い換えられる。つまり静物、あくまで受動的な、「客体」への愛。本稿に従えば、「少女」は実は男の観念が発明したものである。それは少女が、「社会的にも性的にも無知であり、無垢であり、小鳥や犬のように主体的には語り出さない純粋客体、玩弄的な存在」だからである。
だが少女たちは決して死んでいるのではなく「眠っている」のだという。

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ノーベル文学賞を受賞した川端康成の「眠れる美女」「片腕」などの幻想譚も同様ですね。
まあ、文学の表象を借りなければ病的と断じられる危険性を持ち、たしかに人間は美徳や良心ばかりで成り立っているはずもなく、澁澤の国に足を踏み入れることが許される高貴な読者とは、「例えば本書表紙の四谷シモンの人形に不可思議な魅力を感じ取れるような人々のことである。人形を愛する者と人形とは同一なのであり、人形愛の情熱は自己愛だったのである」(諏訪哲史)
うむむ、あまりワクワクと幻想譚を読みふけるのもいかんのだな。最後にはしっかりと注意書きも記されている。
幾多の奇想に溢れた澁澤国に入国の際には、そのまま亡命とならぬよう十分な注意が必要であると。

少し前にも「少女アイドルに熱中する日本 『崇拝』か『小児性愛』か」というのがヤフーニュースであって、やはり外国人には異様に映るらしく、「源氏物語」から連綿と続く日本文学の独自性もあってと言ってもなあ。
またアイドル自身もライブに来る男性たちはアイドルを崇拝し、普段はとることのできない若い女の子たちとのコミュニケーションを切望しているだけの純粋なファンが大半だといい、やや日本伝統の「少女・アイドル」幻想からの進化というか逸脱なのかよくわからないけど、その勢いはやがて日本全体の幻想、世界すら覆うかもしれない。
しかし、澁澤の国に足を踏み入れることが許される高貴な読者、あるいは幾多の奇想に溢れた澁澤国に入国の際にはそのまま亡命とならぬよう十分な注意が必要であると注意書きがなされたように野放図に入り込んでもいけないのだろう。
と、ここまではおそらく男からの純粋少女幻想論。

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その視線に中にある少女はどうか。
男たちの幻想に埋没したり、見事に乗りこなしたりしてるようで、やはり、ともに幻想は合一し、スパイラルのように立ち昇っているのかもしれない。
夢見がちで空想癖があり、白馬の王子様を待っている…、そんな女性たちの症状を「少女病」と名付けたのが吉川トリコ。
少女マンガを読んで育ってきた女の子たちは大人になって愕然とする。幼い頃から少女マンガを読み、いつかこんな恋愛をしてみたいと胸をときめかしていたのに、現実の男性は少女マンガに出てくる男の子のようにかっこよくもないし、甘いことも言ってくれない。ピンチの時に助けにきてくれない。強引に唇を奪ってくれもしない。雨の中、泣きながら飛び出していくヒロイン(私)を「待てよ!」と追いかけてきてもくれない。
それは絶望といってもいい。子供の頃から憧れていたものが永遠に手に入らないと知ってしまったのだから。
かといって、いつまでも打ちひしがれてるわけにもいかないから、タフな女の子たちは現実に折り合いをつけて進んでいく。
実際、私のまわりには恋人や旦那がいるのに少女マンガから抜け出せなかったり、ハーレクインを読みあさったり、乙女ゲームに夢中になっていたりする女性がたくさんいる。彼女たちが求めているのはときめきだ。少女のころ、幾度となく胸をしぼった、あの甘酸っぱい感情。
あるいはいつだったか松永美穂 早稲田大学文学学術院教授(ドイツ文学)が新聞に載せていた「なりきり小公女』。いろいろな小説・ドラマを読んでも見てもドラマチックなヒロインにはなれなかった松永さんが、のめり込んだのは「小公女セーラ」だった。
屋根裏部屋というものがよくわからなかったので、家の裏にある三畳くらいの物置で自分が寝起きする姿に置き換えて、健気に生きる主人公を演じていたという。
やはり男女ともに少女幻想は合一し、スパイラルのように立ち昇って、いずれ世界を席巻するような気もするけど、亡命にならぬようにその世界に踏み入れるための注意書きはきちんと守られるだろうか。

テーマ:詩・ことば - ジャンル:小説・文学

理数俳句 分数に 出会ったときが 転びの日
まあ、滅多に詠んだりはしないから好きというのでもないけど、俳句には興味があった。
本当かどうかわからないけど、「こうもりが パッと飛び出す 穴の外」というのが吉行淳之介の作(子供のころ)と聞いたときは僕にも作れそうだなあと思ったりしたのだ。もっとも「プレバト!!才能査定ランキング」に芥川賞作家の羽田圭介が出た時は結構コテンパンだったから小説の才能とはまた別なのかもしれない。
少し前には地元で縁のある鈴木しづ子さんという俳人についても調べていたから、久しぶりに一句、二句詠んだりもした。
でも、なかなか俳句の良し悪しが分からない。
先の「プレバト!!才能査定ランキング」での夏井いつき先生の話もなるほどとは思うけど、やっぱり微妙に感性がずれたりもする。
「極楽の日本語」にもあった「形而下の野や一面の曼珠沙華」のさっぱりわからないものの、何かすごそうな句も気になるし、前回、このブログでも書いた有名人人名俳句というのも作ったりするけど、邪道だからなあ。

蒼井優 剛力彩芽 松たか子(あおいゆう ごうりきあやめ まつたかこ)

(通釈)儚く壊れそうであっても一途に真面目に生きていれば、美しい花が咲き力強い枝葉となるものだなあ。

平昌オリンピックメダリストなら

髙木美帆 藤澤五月 宇野昌磨

(通釈) 黄金はもちろんであるが白銀も青銅も日々の果てない努力の上に笑顔とともに降り注ぐのだなあ。

桜の季節でもあるけど、政治家などにおすすめな散り際の鮮やかさならこれ。

ちり際は 風もたのまず けしの花(其角)

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以下再録を含みます。
さらに取り組んだのは究極の文系男子と理系女子の不可思議な恋愛模様を描いた傑作ドラマ「デート〜恋とはどんなものかしら〜」に触発された、理系と文系をともに合わせようという理数俳句。

分数に 出会ったときが 転びの日
求めても 無限に続く 円周率
ピタゴラス エウクレイデス ハイヤーム
ポアンカレ ガロアにガウス カントール
我を知る 我こそのみの  素数かな
微積分 解けてうれしい 花いちもんめ
整数は 素数を超えての 無限かな

俳句の五・七・五というのはほぼ最少な素数で成り立つ文学だけど、まあ、僕は理系、文系ともに不出来だったので。
なかなかドラマのようにはいきません。
画像は映画「恋は五・七・五!」で、ここには「南風 わたしは わたしらしく跳ぶ」ともあったからなあ。
この映画の俳句監修も夏井いつき先生なのだ。
さて、俳句ではないけど映画「ちはやふる -結び-」でも見てくるかな。
やっぱり、文学や映画、あるいは数学ってよくないですか?

テーマ:俳句 - ジャンル:小説・文学