理系・文系を重ねて見る光景は
トランジットガールな「ひよっこ」
「ひよっこ」のヒロインの親友の時子は佐久間由衣で「トランジットガール」に出ていた子だなあと思っていたら、なんとやはりヒロインの親友、三男の就職先の米屋の娘で伊藤沙莉が登場した。
伊藤沙莉は佐久間由衣ととも「トランジットガール」でダブルヒロインを務めていたのだ。
まあ、「ひよっこ」でも三男を巡るライバル役にもなりそうで、先日のクレジットでは二人の名前が並べて置かれていたから、NHKもじゅうぶんに分かってやっているのだろうなあ。
NHKはLGBTなどの問題にも積極的だから、なかなかの意欲作「トランジットガール」にも注目していたのだろう。
先日の5月7日にも「東京では性的少数者への理解を進めるイベント「東京レインボープライド」のパレードがあり、約6千人が渋谷駅前のスクランブル交差点など約3キロを歩き、性の多様性を象徴する虹色の旗や横断幕を掲げ「同性婚を認めて」「多様性を学ぼう」などと訴えた。」(朝日新聞)とあり、ずいぶん、理解が深まったようにも思うけどそうでもないのだろうか。
日本は表だってということはないにしても、性についても古来より自然と同様に多様性を認めていたと思うのだけどなあ。

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画像は1980年代に発売されたゼネプロ製のTシャツで、さすがにこれは着なかったけど、同じロゴのワッペンもあって学生の頃付けていたことがあり、街を歩いているとたまに外人に声をかけられた。
アイ・ラブ・SFはアイ・ラブ・サイエンスフィクションの意味なのだけど、「アイ・ラブ・サンフランシスコ」と思う人もいて、あるいはサンフランシスコにはLGBTに寛容という暗喩の意味もあるのか、すこし妖しい人もいた。
サンフランシスコはLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)な人たちの割合が人口の20%あり、当時の僕はまったく知らなかった。
LGBTという性的マイノリティが暮らしやすいということは、性的な面だけに限らず差別が少なく、自分らしさを発揮するのに寛容な都市や社会を示し、鋭い感性、自己研鑽意欲が高く、クリエーティブ・クラス(創造者階級)が多いといいますね。
日本は自然も多様で、おそらく性的にも多様なはずと思うけど、秘すれば花っていう文化もあるからそう単純にはいかないのかもしれない。
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詭弁の罠に落ちるな
森友問題、加計問題、果ては共謀罪、憲法改正など最近多岐にわたって議論されるけど、ものによっては嘘や真が真偽不明のままに飛び交い、重要法案も変なたとえ話や詭弁があふれてしまう。
最近はディベート教育もされるらしいけど、ルールを外れて議論の形骸のみを楽しむというか、都合よく誤用している人もいるかもしれない。まあそんなことが続いていると、おかしなこともそこそのところで落ち着いてしまっているというような感じだなあ。
慣れてしまっているのだ。非日常も続けば日常になる。人は平和にも戦争にも慣れるのだ。
しかし、詭弁ってすごいですからね。日常的には明らかなものでも(たとえば「アキレスと亀」、アキレスは亀を追い抜けないというやつです)、詭弁の罠にはまるとなかなか論破できない。
ということで、以前のブログにもたびたび書いた「男はつらいよ」からです。

博「もし、仮にあんたに好きな人がいてその人の兄さんがお前は大学出じゃないから妹はやれんといったらあんたはどうする」
寅「なに俺に好きな人がいてその人に兄さんが…バカヤローいるわけがねえじゃねえか、冗談言うなって」
博「いや仮にそうだとしても、俺と同じ気持ちになるはずだと」
寅「冗談言うなよ、俺がお前と同じ気持ちになってたまるか、馬鹿にすんなこの野郎」
博「なぜだ?」
寅「なぜだ、お前頭が悪いな、俺とお前は別の人間だ、早え話が俺が芋を食えば、てめえの尻からプッと屁が出るか?どうだ」
博「…」

僕なら思わず絶句するか、ちょっと感心してしまうか、あるいはクラインの壺のようであればそういうこともあるのではないかと、相手の議論に乗ってまんまと詭弁の罠に落ちてしまうような気がします。
無学者、論に負けずというべきなのか、寅が天才なのかよくわからないほど面白いけど、まあ、言葉尻をとらえるだけ、あるいは話の論点が変わってしまっているのに、世慣れしたインテリの博でも煙に巻かれてしまう。
議論の強さは頭の良し悪しだけではないのだ。だけど押しの一手で勝ってもなあ。
かたや野党の反論も安倍首相と同様に微に入り細に入り過ぎて、かえって本質が見えてこず、ともに自ら詭弁の迷宮に入り込んでいる。

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過去の批判が自らに返ってくるというのも詭弁のひとつ相殺法ともいうべきもので、
ママ「〇○ちゃん、宿題すんだ?」
息子「ママ、洗濯すんだ?」
という、なにやら子供のようなやりとりと変わらぬような気がする。
ギャフンと言わせて終わるのではなく、公平の原則を踏まえてそれぞれの落ち度認め、解決としなければなあ。
まあ、国会は詭弁と強弁ばかりで、これで通してもあまりいい結論とはならない。
安倍一強では「泣く子と地頭には勝てぬ」と言われるように、無理が通って道理が引っ込みがちなので、一層の自重が必要でしょう。
これは野崎 昭弘先生の「詭弁論理学」を参照して書いているけど、先生によれば詭弁術に押されない、また気づかずに操ったりしないための心構えを紹介しています。

1 無理やり説得しようとするな
2 時間を惜しむな、打ち切るのを惜しむな
3 結論の吟味を惜しむな
4 わからないことを恥じるな

この本で僕が好きなのは付録の「鏡をめぐっての会話」。鏡見ると左右は逆になるのに上下はなぜ逆にならないのかってやつですね。ずっと左右や鏡に悩まされてきたからなあ。
昭和51年発行の名著です。
迷宮の人間の未来、AIの未来
老齢になると認知テストというのがあるらしいけど、僕はまったく自信がない。若い頃であってもトランプの神経衰弱など、つい前のカードの位置さえ、忘れてしまうのだ。
あれはここでそれはそこでなどと思っていても、誰かが何か言ったり、なにか少しでも気を取られたりしたら、あれ?あれのここはどこだったっけ、それのここは…という具合に全く分からなくなってしまう。
右左もそうだ。突然、右向け右などと言われても慌てて分からなくなってしまうのだ。
だから体育の時などは事前に僕は右利きだから箸の持つほうが右であり、そうかこちらだなと考えて密かに準備していた。
視力検査もそうで、慌てるとよく見えてるのに空いてる側の左右を間違えてしまうことがあり、ひょっとして僕はものすごいバカなのかと不安になったりした。

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まあ、あまり悪いほうに考えてもいいことはないので、条件反射的に右や左に即座に反応できるより、きちんと右利き→箸を持つほう→右と反応するほうがむしろ論理的思考の持ち主ではないかと慰めたりもした。
もっとも条件反射そのものがコンピュータのようにその論理回路スピードが圧倒的に早いからかもしれず、やはり、このゆるさ加減はバカなのかもしれない。
いやいや、コンピュータはその論理に可能性は最大限想定、潰していくけど、人はたとえば右を規定するにしても人間には利き手があり、それは箸、あるいはナイフを持つほうであり、しかるに左手にはフォーク、でもまあ、これはマナーであって…などと面倒くさく考えはしないだろうから、このゆるさはまた別次元の論理的可能性を秘めるもので、たとえ、今の世界では認められなくても、別世界では有効かもしれないと前向きに考えもした。
AIの進歩はとどまることを知らず、将棋や囲碁のような膨大な探索空間ですら、あっという間に処理・判断するというならもはや人間には勝ち目はないのかもしれない。囲碁などでも人では思いもつかない手を打つらしいからね。
戦争などでも思いもつかない手を打ちそうで怖ろしいよ。
人間は論理的なものであっても逡巡するからなあ。
僕は1+1でもほんとうに2で正解なのかなと思ってしまうところがあり、実際、右向け右と同様にバックミラーの視認も信用できず、やっぱり振り向いて確認までしないと安心はできない。
それはともかく。これでは勝てないと思うか、いやここにこそチャンス、別の可能性があると思うか。
まあ、僕は自己弁護じゃないけど、ここにチャンスがあるのだと思いたいのだね。
AIの膨大な知識の集積か、人間の矛盾や逡巡も抱え込むインディヴィデュアル(個々の分けることのできない)である個性か。
いかん、また迷宮に彷徨っているぞ。
ラブレーは「学問のない知識は心を荒らす」と言ったけど、AIに心はない。
それともいつか心も持つのか、持てばAIの心も荒れるのだろうか。
まあ、バカにも大いなる可能性があるってことで!?
画像は中洲産業大学試験問題。うむむ、難しい。
フランケンシュタインの恋ときのこ
大の幻獣好きです。
ボルヘスの幻獣辞典を学生の頃、買ったくらいですからね。
今のようにファンタジーノベルや映画が大ヒットする時代ではなかったから、小難しそうなラテンアメリカ文学作家のものを買うしかなかった?のだが、こんな偶然からも新たな興味が広がるのだ。
実際、怖いものは大嫌いだけど、知れば見ないではいられないのが人間の本質。
誘惑されなくてもリンゴだって、きのこ(マタンゴ)だって食べてしまうのが人間。
ただ食すのではなく、誘惑だの空腹だの言い訳・葛藤をしながらも甘く自堕落な腐臭に酔ってしまうのだ。
かくて、神は人に堕ち、人は獣に堕ちる。
でも獣は神の化身ですからね。永遠のループ。

私は聞いたことがある 月夜にきのこたちが歌うのを
見た事がある 一本足でゆらゆら踊るのを
きのこの胞子は夢の砂 私に美しい幻を見せてくれる  『きのこ 森の妖精』(藤沢寿&谷川俊太郎)

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新しく始まった日テレ「フランケンシュタインの恋」。復活の秘密にきのこを持ってきましたか。
あの生命力、植物のような動物でもない不可思議さ、美しくも妖しい形容、肌触り…。
映画「マタンゴ」の水野久美には子供ながらにゾクゾクしたものなあ。
フランケンシュタインをモチーフにした大森寿美男のオリジナル脚本。やはり同枠で放送された大森寿美男の名作「悪夢ちゃん」を思い出してしまった。
この大森寿美男「TAROの塔」「64(ロクヨン)」などのリアルなものから、「悪夢ちゃん」「精霊の守り人」のようなファンタジーまで、いずれも人間の奥底を見つめるような視線がいいですね。
それにしてもフランケンシュタインときのことは天才的なひらめきというか組み合わせのような気がする。
雷の静電気でやはり覚醒するし。
僕のサボテンに静電気を当てて女の子の意識を持つサボテンを作り出すってのもそう悪くないアイデアだったかも。
サボテンの棘はアンテナでもあり、避雷針のようでもあるようだしなあ。

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雷の多い年は豊作
「雷の多い年は豊作になる」という言い伝えは本当か-。この疑問の解明に松江市の池田圭佑さん(18)が開星高校(同市)に在学中、カイワレダイコンと放電装置を使って取り組み、「雷を受けると植物は成長する」との実験結果をまとめた。この研究成果は学会誌に掲載され、専門家からも評価を受けた。池田さんは、校内にある実験用の放電装置で落雷と同様の状態を作り、カイワレダイコンの成長の様子を調べた。この結果、種子に50秒間放電してから育てると、放電しなかった種子に比べて成長が約2倍速かった。また、放電を5分間続けた水道水と、通常の水道水を使って栽培したカイワレダイコンの成長の違いをみたところ、放電した水で育てた方が通常の水に比べて芽の伸びが約2倍になった。
宮沢賢治が、農学校教員時代の授業で雷と作物の出来との関係に触れていたということを高校2年の時に本で読んだのがきっかけ。(産経新聞 )  

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実は我が家には子供の頃、足の痺れ直し器と伝わる静電気発生装置があって、まあ、ボルト数が数段階調整でき、また発生器の先端は様々なガラス管と交換して、多様な形の静電気を当てるような仕組みだった。
足の痺れにはさっぱり利いた覚えはないけど、そこそこ強力な静電気だったりはしたので死んだ金魚が蘇生するのではないかと当てたりはした。部屋の萎れていくばかりのサボテンに当てたこともあった。
もちろん金魚が蘇生することも、サボテンが回復することもなかったのだけど、やはり科学的に検証、実験というのはこういう姿勢で臨まないといかんのだなあ。
さらに使った水を分析すると、放電した水は通常の水に比べ、窒素量が約1・5倍で、窒素は肥料の3要素の一つとされることから、「放電で空気中の窒素が水に溶け込み、成長の違いに影響した」と結論づけ、また、放電時間を50秒より長くすると発芽率や成長の度合いが下がったため、「それぞれの作物について適切な放電時間を突き止めれば、収穫サイクルの短縮などで生産量の向上につながる」と極めて検証的、論理的。
僕も何十年も前にやったのに、唯一、できたのは静電気を放電したサボテンが意識を持った女の子になり、孤独な少年と会話を交わすようになって…という出来の悪い妄想小説だけだった。
画像は家の蔵にあった広告チラシで、種まきや蚕の暦・歳時記が書き込んであって、こういうことにも科学的な根拠が何かあるのだろうし、養蚕家でなくてもけっこうその頃の一般常識としてあったのだろうなあ。今では失われていくばかりだけど。
皇室では皇后陛下が古来から伝承される養蚕を続けていて、ここでこそ残りえた、貴重な発見もあって、こういうのも繋げていってほしいけど、皇室伝承さえいささか心配な状況ではある。
さて、蚕はもちろん桑の葉を食べるのだが、雷が鳴ると「くわばらくわばら」と言いますね。
一説には雷様は桑が嫌いだからともいうらしいけど、いや、雷・静電気と農作物ってまだまだ研究の余地がありそうですよ、池田くん。

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