理系・文系を重ねて見る光景は
文豪を妄想する、文字を妄想する はじまりはいつも雨
ツイッターで話題になり書籍化されたという「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」(神田桂一・菊池良 宝島社)が人気らしい。たしかに

(前略)④ただ、一つだけ言いたい。⑤完璧な湯切りは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。

とは、なるほど村上春樹風ではある。
いやあ、これは寺山修司なら、こんなこともかくいうであろうかというタモリの形態模写?などに連なるものですかね。
まあ、いずれも…風であって本質とはあまり関係ないのだろうけれど。
それとも先日まで放送されていたNHKドラマ「ツバキ文具店」のヒロイン(文具店と代書を生業とする)のように、依頼者に心も深く寄り添い、ペンやインク、便せんなどもそれに相応しいものを丁寧に選び取ることで、書き手が降りてくるような感じだろうか。

下記の画像は以前に「クリスマスに贈るロマンチックミステリー」として書いた古本の少女マンガのページ末尾の同じ書き手による書き込みですが、以前のものもお父さんと町に出た折、あるいは雨降りの記述があって、その少女マンガなどの作品から中高生くらいで、雨降りも気にしない、または雨音もロマンチックな、加えて字の美しさ・言葉選び、簡潔さは頭のいい子で、家族思いで優しい子なのだろうと僕は夢想した。
書き込みのある本を処分したのは何か事情があったのかもしれない。もしかしたら父子家庭なのだろうか。
こんな書き込みからも書き手が降りてくるからね。まあ、僕のは勝手な妄想だけど。

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さて、このブログでも書いたのだけど、僕は学生の頃、けっこう雑誌などに投稿していて、たまに掲載されることもあった。
「ビックリハウス」などの全盛期で、他にも「絶対絶命」「やんろーど」などずいぶんバカな投稿をしたけれど、カップ焼きそばの作り方とは思いつかなかったなあ。
某誌にはこんな投稿もしている。ということでこちらは再掲になります。
「雨」というテーマのショートショートパロディである。



PART1 筒井康隆風
また降られた。全く悲しくなってくる。いったい、いったい、どうしてこうも降られるのだ。くそっ。
ひょっとするとCIAの陰謀なのかもしれん。いや、農協か、PTAか。それとも…。
すべては文学のために心正しくやってきたというのに。雨は俺の軽快なリズムを狂わせるのだ。
ぴちぴちじゃぶじゃぶらんらんらんとはいかんのだ。
鬱々たる日々よ、これではますますもって帆立て貝、心優しく暖かく、顔はハンサムことのほか、頭脳明晰汽車の上、末は乞食か大臣か、なおも驚異は文学の非凡非凡の大才能、狐狸庵先生「沈黙」し、どくとるマンボウ「後悔」す…

PART2 宇能 鴻一郎風
すごいんです、この頃の雨。今は少し小降りになったようですけど、さっきはそれはもうすごい降り方だったんです。
家の中まで濡れてしまうんじゃないかと思ったくらいですもの。
あたし、嫌いなんです。あまり激しいのは。こうしてしっとり降るような雨は好きなんですけど。
このくらいがちょうどいいんです。傘をさすのは。わかってもらえるかしら、女ってそうなんです。
ちょっと出かけてみようかしら。あっいや、また激しくなってきた。

PART3 庄司薫風
ぼくは雨が降るとなんとなく嬉しくてそれだけでそわそわしてしまうのだけど、これはいったいどうしたわけなのだろう。
やっぱり、由美のせいなのだろうか。由美というのは僕の小さいころからの女友だちなのだけど、彼女はまあどういうわけか雨が大好きで、こうした雨降りの日には必ずぼくを散歩に誘いだすのだ。
まあ、だからうれしいということなら単純でわかりやすいけれど…

おまけ 永六輔風
朝だ、雨だ。

僕の思う風であって、実際、宇能 鴻一郎は本を買った覚えもなく週刊誌の連載小説を見かけたくらいなのだろう。
筒井康隆も支離滅裂で、庄司薫の「この感じ」はやはり村上春樹にも影響を与えているだろうか。
永六輔はおまけだからね。いちおう念のために書いておくと、「浅田飴だ」 で、オリジナルでもありません。
掲載された某誌からはミッシェル・ポルナレフのペンダントを貰ったような気がする。
「シェリーに口づけ」も「愛の休日」も、はじまりはいつも雨。
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テーマ:読書記録 - ジャンル:小説・文学

サブカルの上がり方 植草甚一 
僕はスマホを持たないのだけど、今は様々なアプリがあるらしく、何でも教えてくれるらしい。
たとえば散歩しながら、「道端のこの花は?」と思えばスケッチをしたり、摘んで誰かにあげようと思えば、少し花言葉を調べたり、知るという行為にはなにかしらの手間や学びが必要だったけど、今は簡単にアプリが教えてくれるらしいのだ。
僕は高校の時に百科全書派というの知って、ちょっと志したのだが、いくら広く浅く(広く深くは到底無理なので)と言ってもせいぜいオタク系全般(マンガ・アニメ・小説・映画・ドラマ・アイドル等)がやっとで、オタク系でも音楽・美食、ファッションなどには手も足も出なかった。
素養・資質も必要だったし、なにより何度も足を運んだり、調べたりする努力、根気も要したのだ。
以前はそんな雑学でも夥しい労力が必要だったけど、今では簡単に手に入り、雑学もバラエティやクイズなどのお手軽なアイテムになってしまった。
1970年代ごろ、あこがれた植草甚一というなにかかっこいいジイさんがいて、ディレッタントという言われ方もしたけど、その雑学・趣味・教養は半端でなく、いったいどんな生き方、勉強をすればこんな風になれるのかと思っていた。
今はかっこだけはおそらくなれるのだろうけど、植草甚一の本質には程遠いのだろうなあ。
あの頃のサブカル上がりの理想形のひとつは植草甚一で、あんな人も最近は見なくなった。

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そう言えば、植草甚一の膨大なジャズレコードコレクションをを引き取ったのはタモリで、やはりディレッタントを継ぐ人だったのだなあ。
どこかの雑誌でタモリは旦那芸とも評されていて、一般的に旦那芸って批判的にも使われるけど、内田樹教授によれば旦那芸とは芸の達人や学術研究の業や成果にひたすら唸り、己の身の程を知る人のことだといい、こういう半玄人がいて、芸や学術研究のすそ野が広がり、大きな成果の礎となるという。
「ブラタモリ」はまさにそんな役割も果たしていますね。
また吉田豪の「サブカル・スーパースター鬱伝」によれば「サブカルは40歳を超えると鬱になる」らしいけど、スーパースター扱いもされれば居心地も悪くなるでしょう。身の程を知る人たちですからね。サブカルならなおのこと。サブカルのジレンマ。

サブカルはやはり野に置け蓮華草
サブカルは蓮華草のように野にあってこそ美しく、蓮華草のように蜜に緑肥となり、メインカルチャーの花を、実りを付けるのだなあ。

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

共謀罪のマイノリティリポート
折も折、映画「マイノリティリポート」をやっていましたね。
折も折というのは共謀罪法案が重要な局面を迎えていたタイミングだったのだけど、この映画、予知能力者たちによる殺人予知システムでの予防的治安維持を遂行する犯罪予防の不安定さ、無謀さを描くものなのだ。
予知されただけで、まだ何も起こっていない犯罪を予防的に阻止するって、科学的にまずありえないし、もちろん共謀罪とも全く別だけど、人間って思い込みをするものだからなあ。
とすれば、それに沿った合理的な物語を作ってしまう…、そういうことなら大いにありうるかもしれない。
まあ、多くは杞憂であっても、それでも権力や科学は暴走することはあるのだ。
また、科学的にも予知はともかく、夢や記憶の研究は進んでいて、その物理的解析、夢や記憶への侵入もSFとばかり言っていられなくなった今では、夢や妄想への意図的介入もあるのかもしれない。
夢や妄想の中では人は犯罪者や背徳者だったり、理性のハードルが極めて低いから、暴走を目的化する侵入なら極めて危険だし、促すだけなら案外たやすいのかもしれない。
僕のような文系の理系好きは科学を文学的に読み込んだり、ファンタジー的な発想を持ち込んだりして夢想するからなお危険かもしれない。
なにかしら物理的な境界線をきっちり引いておかないとアイデアは優れていても実証は外れていくというような。
人は現実においてもかくのごとく、幻想と紙一重のところで危ういバランスの中で生きている。
生きていくということは境界線上を歩き続けることであり、現代はネット、AI、再生医療など一段と細い境界線の上。
夢や妄想をコントロールしようとして、実は夢や妄想に取り込まれる危険も多いのだろうなあ。
竜宮城から帰ってきた浦島太郎が玉手箱を開けておじいさんになってしまうのも時間の経過ではなく夢の代償なのかもしれない。
あるいは藤澤周平の「陽狂剣かげろう」のように陽狂(偽って狂気をよそおうこと)のふりをしていれば、いかにきちんと境界を切り分けていてもいつか本当の狂気に呑み込まれてしまうことがあるように、その境界は自在に蠢く。
僕たちは錯誤を誘うトワイライトゾーンに分け入っていく。

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スペースオペラ「フラッシュ・ゴードン」も妄想すると「フレッシュ・ゴードン」になってしまうけど、これをけしからんと排除するばかりでもつまらないしなあ。
まあ、どんなに下品なロケットだとしても。
超巨大噴火の鬼界カルデラ
約7300年前に超巨大噴火が起きた九州南方の海底にある「鬼界カルデラ」(直径約20キロ)に、直径約10キロの溶岩ドームがあると、神戸大などのグループが3月31日発表した。ドームは超巨大噴火の後に形成された可能性が高いという。(中略)鬼界カルデラは薩摩半島の南約50キロにあり、7300年前の超巨大噴火では火砕流が海上を走って薩摩半島に達し、九州南部の縄文文化が一度壊滅したとの説もある。国内では過去12万年間に計10回の超巨大噴火が起きた。(朝日新聞デジタル)

7300年前なんて、地球史的にいえば直近といっていいんだろうなあ。
そして過去12万年間に計10回の超巨大噴火があったとすれば、ほぼ1万年に1度は超巨大噴火に巡り合うってことで、また、その他、超巨大噴火でなくても巨大噴火、大噴火などもそこそこにあって、中小噴火に至っては承知の通り日本ではあちこちの火山であり、日常茶飯事なのだ。
ちなみに超巨大噴火というのは鬼界カルデラの説明にもある通り広くは地球全体にも影響をもたらし、該当地域・周辺では壊滅レベルの、もうほぼ具体的対応策の取りようもないもので、巨大噴火、大噴火でもそのリスクは極めて大きい。
いちばんの減災というならまずは原発をなくすことでしょう。

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地震の予知などと違って、これだけ科学的に検証された事実があるのに、なんで原発をやめないんだろうなあ。
島国で近隣諸国の影響も多少は受けにくく、自己完結・自国管理ができるのに。
戦争やテロなどの別の要因的にも致命傷になるような弱点は国防上もなくしておいたほうがいいと思うけどなあ。
国破れて山河ありというけれど、山河も残らない、住めないとなればどうしようもない。
安倍一強と言われた安倍首相もほころびも見えてきたけど、今なおこれだけの支持率があるのなら、共謀罪(テロ等準備罪)などの強引な採決より、ここは一挙、反原発に舵を切ることこそ、保守本流、古来からの日本を守る礎のような気がするけど。
再生エネルギーの目途も付いているのだからね。
岩盤規制をドリルで開けるといっても、日本のほんとうの岩盤はゆっくり対流するマントルの上を各プレートがひしめきあって、ところどころには膨大なマグマが眠っている。日本の岩盤はかくも怖ろしいのだよ。
岩盤規制にドリルで穴をあけるというなら、この怖ろしい日本の岩盤を見知らぬふりをする原子力村ですかねえ。
また、産業技術総合研究所の及川輝樹氏によれば、たとえば江戸時代の絵地図27枚には現在は活動していない火山にも噴煙が描かれていて、必ずしも現在の活火山の活動状況とちがうものがあるという。
櫻島を描いた地図は10枚のうち噴煙が描かれているのは2枚だけで、近くの霧島は10枚中9枚が描かれ、絵地図通りなら櫻島は今ほど活発に活動をしていなかったことになり、霧島はすごく活発だった。この絵地図には活火山に指定されていない雄阿寒岳に11枚中4枚に噴煙が描かれ、同じく北海道の渡島小島などにも噴煙が描かれているといいますからね。
1万年以内に噴火した形跡があるか、いま活動している火山が活火山に指定されるのだけど、たかだか200、300年で全然ちがうこともありうるのだ。つまり、確実なことはわからないのだ。
もちろん科学的視点のみで絵地図が描かれているとは限らないから、こちらも多方面からの研究も必要だけど。

テーマ:自然科学 - ジャンル:学問・文化・芸術

南極の緑生は「樹魔」
【AFP=時事】南極大陸(Antarctica)では地球温暖化の影響で、現代でこれまでにないほど植物が生育しているとの研究論文が18日、発表された。温暖化によって氷の融解が進み、南極の景色が白から緑に変わっているという。論文の共同執筆者で、エクセター大のマット・エイムズベリー(Matt Amesbury)氏は「南極半島(Antarctic peninsula)での過去約50年にわたる気温上昇は、この地域に生育するコケ群に劇的な影響を及ぼしている」と話す。南極半島で採取されたコケのコア(地中から採取した柱状の土壌サンプル)5個には、科学者らが「変化点」と呼ぶ、生物活動が明らかに増加した時期の痕跡が残されていた。

植物は南極大陸全体の約0.3%にしか存在していないらしいけど、このままではその植生も大きく変わってしまうのか。
つい先日には南極のラーセンC棚氷から、米デラウエア州の面積に匹敵する約5000平方キロメートルもの巨大な氷塊が分離する目前だと発表されたばかり。ただし、既に大陸から海にせり出した部分なため、分離しても心配される海面上昇にはならない。
僕は南極の緑生化というと水樹和佳のSFマンガ「樹魔・伝説」を思い出す。

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地球の生物の進化は必ずしも連続的ではなくカンブリア紀のように爆発的にも進行するけど、「樹魔」では別の進化系として超生命体「樹魔」という存在が設定される。
およそ500年後の未来、地球では流星群による大災害があり、南極大陸の各国の基地も閉鎖された。そんな南極で爆発的に植物が進化しながら植生を広げているのが発見される。流星群は南極に超生命体「樹魔」を置いていったのだ。
「樹魔」は南極でたった一人取り残された少女ためだけに純粋に進化の枝葉を爆発的に伸ばし始める…。
進化論って、やっぱり僕には不思議で生存競争など外的要因だけではなく、たとえば個(少女)の意志がこれだけ進化を促すように(マンガですが)、人類全体の様々な想い、希望や怨念たるエネルギーもまた進化の要因となりうるのではないか、人間の想像するものが時間はかかっても全て叶えられていくのを見ると、それは必ずしも文明ともちがう生物的な進化もあるのではないか、そして案外「樹魔」的存在は地球そのものではないかとも思えてきます。
願う存在(生物・人間)と、その願いを受容し守護する存在(地球)。
たった一人の少女のために進化を始めた「樹魔」だけど、小さなツバルの人々の願いは「地球」に届くだろうか。
地球には他にも様々な願い、欲望が渦巻いているからなあ。まあ、これもSF。