理系・文系を重ねて見る光景は
他人ごとではない既婚警官の保身、東芝の保身…
福岡県警小倉北警察署の40代の男性巡査部長が去年、既婚者でありながら妻とは別の女性と結婚披露宴を開こうとしていたことが分かった。巡査部長が既婚者と発覚したのは、会場で披露宴が始まる直前だった。
披露宴にはそれぞれ親族など数十人が参列することになっていた。しかし当日、巡査部長側の親族は1人も現れなかった。披露宴が始まる直前に巡査部長を問い詰めたところ、巡査部長は自分が既婚者であることを認めた。既婚者でありながら、いったいなぜ披露宴寸前までいったのか。巡査部長は県警の調査に対し「ずるずるとこうなってしまった…」と話しているという。(日テレニュース)

全く誰もが信じられないと思うようなことがあるのだ。
恥をかくようなことがあっても、あるいは修羅場になることがあってもプライベートで済んだはずなのに、なぜ人生を台無ししてしまうような時まで来てしまったのか。
そして、それはあの日本の誇りのような企業東芝であっても。
何度も何度も修正、回避の機会があってもことごとくその場の保身に終始し、どうしようもなくなろうという時さえ、なお、隙あらば保身に走ろうとする。

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あるいは福島原発事故で追い詰められているはずの東京電力がなお柏崎刈羽原発の免震重要棟の耐震性不足を把握しながら原子力規制委員会に報告していなかった問題などを見ると、まんざら他人ごとではなく、人間、社会の本質に巣食うものなのだろう。東芝も東電も目先の原発という夢に、妄執に足元をすくわれてしまった。
東日本大震災、福島原発の悲惨な事故を見ながら、当事者でもありながらなお切り替えることができなかった。
その卑近な例が既婚者でありながら別の女性と披露宴まで行ってしまった巡査部長!?だと思うと他人ごとと笑うことはできない。
個人でも企業でも、あるいは国家でも、どちらかと言えば誇り高い者ほど、その誇り高さのゆえ退くことが難しくなる。
よく考えればいつも危うい時は慎重に、いざというときは退く潔さを持ち続けたからこそ、自ずと積み上げられた伝統であり誇りであるはずなのに。
東芝では「悪い原発を残して、良い半導体を売る。これが果たして正しい経営なのか」という正論も出たけど、追い詰められた中ではそんな声も届かない。
「再稼働のルールも守らずに、再稼働を急ぐ。これが果たして正しい経営なのか」
「年金の破たんも見えているのに、その場しのぎの対応に終始する。これが果たして正しい国家のあり方なのか」
ルイ15世の愛人ポンパドゥール夫人は「私たちのあとは大洪水」と言ったけど、ちゃんと自覚はあった。
あまり貴族的な滅びの美学のようであっても困るけど。
画像は映画「卒業」。あれもあとは「野となれ山となれ」みたいな感じだけど、不安はあってもまあ、未来ある青春だからね。
たとえ後悔するようなことがあってもやってみる価値はある!?
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格納容器内部の自走式サソリ型ロボットの困難
東京電力は2月16日、福島第1原発2号機の原子炉格納容器内を調査するために投入した自走式のサソリ型ロボットが、目標としていた原子炉直下の作業用足場に到達できなかったと明らかにした。(毎日新聞)

格納容器内部の調査はやはり困難を極めるのだな。
内部の様子がまず把握することが、溶け落ちた核燃料の回収のための第一歩ですからね。
しかし、いかに困難で、これからも長い長い試行錯誤が続くというのに、東京電力は柏崎刈羽原発(新潟県)の免震重要棟の耐震性不足を把握しながら原子力規制委員会に報告していなかったり、大丈夫なのだろうか。
自走式のサソリ型ロボットの開発元もたしか東芝だけど、東芝も原発にどっぷり浸かって解体の危機に瀕してしまった。
基礎、初心をおろそかにするとロクなことにならないという福島原発事故の教訓だというのに、廃炉の目途も今だ立たず、原子力規制委員会のルールもおろそかにして、ひたすら再稼働を急ぐのはどうかしている。
僕は必ずしも再稼働そのものには反対ではないけれど、こんな体質ではさっさとやめたほうがいいのかもしれない。
地震・火山、津波などの屈指の自然災害大国には本来原発は向かないし、放射性廃棄物を安全に捨てる場所もない。
というならばと、海外を夢見た東芝も気が付けば見果てぬ夢でボロボロ。

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政府も国内は難しいとみて、日印原子力協定を締結するなど原発の輸出を急ぐけど、財政難による事業中止のリスクや事故が起きた際の責任をメーカーにも求められる賠償制度も詰めず、急ぐのはリスクが大きいでしょう。
あとあとコントロールが難しくなるような兵站?は広げるべきではないと思うなあ。
ひとたび重大事故が起きれば、メーカーでも、あるいは一国家レベルでも対応は難しいというのが福島原発の教訓だった。
電力事情も原発という火中の栗を拾うような選択肢のみに追い込まれているわけではないし、再生エネルギーなどむしろ日本の自然に見合ったものこそに恵まれている。
急ぎ安全確実に拾うべき火中の栗はまさに福島原発の原子炉格納容器内に溶け落ちた核燃料 (デブリ)なのだ。
自ら落としてしまった栗なのだから。
東電、東芝には廃炉への自走式ロボット、2重3重の安全対策、放射性廃棄物の安全、確実な廃棄、あるいはもっと多様な再生エネルギーの開発など、日本ならではの「凄ワザ」を見せてほしいものです。
錬金術は「物質」そのもの変えるのではなく、新しい可能性を見出すもの
さて、錬金術と言えばパラケルスス。
たぶん種村季弘の著作などで知ったのだろうけど、パラケルススでなくても「グイン・サーガ」などファンタジー小説やアニメに錬金術師は欠かせない。
「鋼の錬金術師」の人気が高かったのは、今の時代に沿うような科学と魔法を繋ぐものだからだ。
錬金術はミダス王の古代ギリシャの時代に始まるけど、ルネサンス期の最大の錬金術師パラケルススは魔術師的伝説とは違い、意外なほどまっとうな科学的史観にもとづいていたともいわれ、いずれにしても科学の発展における彼らの功績は想像以上に大きいらしい。
たとえば原子番号53の「ヨウ素」。何のことかと思うでしょうけど、まあ、錬金術ですからね。話も飛ぶのだよ。

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以前は海藻類から分離してうがい薬やヨードチンキのような消毒薬に使用され、いまはレントゲン造影剤の需要も多く、また、生体としても必須元素であり、あるいは放射能対策のヨウ素剤としても欠かせないもの。
さらにはかつて液晶大国日本を支えた光学フィルムのひとつ偏光フィルムもそうで、ヨウ素がないと作れず、また次世代太陽電池にもヨウ素は大きな期待を持たれているらしい。
ヨウ素はかつて海藻を原料に工業的に生産され、現在は天然ガス、石油などの副産物と生産されており、そしてその生産国はチリが6割、日本が3割でそのほとんどが千葉県らしく、ことヨウ素に関しては資源大国なのだ。
つまり、このヨウ素だってずいぶんさまざまに錬金術的変換を遂げているともいえるのだ!?
思うに錬金術とは科学的史観を持って「物質」そのものを変えるだけではなく、むしろ「物質」に新たな可能性を見出す希望の科学でもあるのだろう。
パラジウムの核変換だけでなく、ありふれた物質が思いもかけぬ大切な資源となることもあるのかもしれない。
放射能の汚染物質も無害、あるいは有用な物質に変わること、ちがう可能性を見出すことができるのかもしれない。
地球ではありふれた生命も宇宙ではなお生命の欠片すら見つかりえぬ奇跡なのだから。
とはいえ、錬金術というのは怪しいいかがわしさも合わせ持つから、危険とも紙一重なのもわすれてはならないけど。
現代の錬金術 パラジウム107→パラジウム106
理化学研究所は、原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)に含まれる長寿命の放射性物質を、生活に役立つ貴金属に変える実証実験に2018年度から着手する。理論上は可能とされるがこれまで実用化には至らず、「現代の錬金術」とも言われるが、実現できれば、処分に困る「核のごみ」の減量や有効活用にもつながるという。実験は、内閣府が主導する革新的研究開発推進プログラム「ImPACT(インパクト)」の一環。まずは、核のごみに含まれ、放射線量が半減するのに650万年かかる放射性物質「パラジウム107」を、宝飾品や歯科治療、車の排ガス浄化用触媒などに使われる無害な貴金属「パラジウム106」に変える。理研仁科加速器研究センター(埼玉県和光市)の加速器で、「重陽子」(陽子と中性子各1個で構成)のビームをパラジウム107に当て、原子核の中性子が1個少ないパラジウム106に変える「核変換」の実現を目指す。パラジウムの核変換実験は世界初という。(毎日新聞)

まさに現代の錬金術。錬金術は大いなる科学の発展をもたらしたけど怪しげな人間の欲望をあおってきたのも事実です。
まあ、ミダス王のような触れたものが全て黄金に変わるような理論的にありえないことはともかく、たしかスーパーマンだったと思うけど、石炭を強く握りダイヤモンドに変えてしまうというのはちょっとありえそうでしょう。
パラジウム107→パラジウム106と変えてしまうことが理論上可能というなら、ミダス王のような強欲ではないけど、この夢のような核変換技術にもなにか落とし穴はないだろうか。

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ギリシャ神話のミダス王のミダスタッチ(彼の触れるもの全て金に変わってしまう、食べ物も愛する娘も)の話は、「宇宙家族ロビンソン」でも似たようなエピソードがあるほど人類の教訓(善かれ悪しかれあるべきものはあるべきままがよい)として出てくるけど、神話の中ならともかく、現実の地球、人間の世界では可能なのかどうか、ちょっと不安ではある。
自然の摂理のうちにある変態、メタモルフォーゼとはちがうのだろう。
それにしても物理学のヒッグズ粒子、ダークマター、宇宙の始まりの解明などは、だんだん自然科学は哲学・宗教に近づいているような気がするなあ。
もしかすると自然科学も錬金術、魔法の時代に回帰しつつあるのかもしれない。

画像は「爪と髪の呪術」より。
爪と髪は肉体を離れたとたん、異質なものに変わるという。爪や髪は五感から離れたところにあり(切っても痛くない)、他の肉体より早く固有の速度で成長するから寄生する異体とみなされた。(ゾロアスター教)
かくのごとく、哲学も宗教も呪術も事実の科学的検証から始まるのだ。
そして科学、宗教、魔法などに分化していくのだけど、現代はまた原初に向けて収斂しつつあるのかなあ。
また、爪や髪はいずれも一般的に強く女性が執着するものだから、巫女や魔女などと結ばれがちとなるのかもしれない。
カプセルホテルは家具、時間旅行を管理するのは
先日の「タモリ倶楽部」は東京五輪はビジネスチャンス!カプセルホテル王になろう!!というもので、 最新のカプセルのご紹介。ちょっとびっくりしたのはカプセルホテルが部屋の扱いではなく家具の扱いだということ。
鍵や窓を付けてしまうと部屋の扱いになり、法律上いろんな規制が出てきてしまい、格安での提供が難しくなるらしい。
そういえばジェットコースターの扱いもそんな感じだったなあ。
あの怖ろしく過激で楽しい?乗り物のジェットコースター、当然、時には事故も起きるのだが、事故調査に入るのは国土交通省の運輸局ではない。列車や飛行機事故ばかりではなく、簡単なスキー場のリフトだって運輸局が乗り出すのにね。
なぜか、そして管理をするのはどこか?
どうも建築基準法の適用で県の住宅課、土木事務所などが報告を受けるものとなっているらしいのだ。

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出発点と終着点が同じで移動しないという理屈で構造物という扱いらしい。ははあ、なるほど。
遊園地のコーヒーカップも回転木馬も同様で、やはり遊園地という空間は日常にぽっかりと空いた異世界であるのだ。
となると、時間旅行、あるいは他次元空間への移動はどうなるだろうか。
時間軸、空間軸の移動はあっても出発点と終着点は同じでいいのだろうか。
この理屈でいうと場所が移動しない場合、やはり国交省の管轄にはならず、SFにあるように時間管理局などの管轄になるのか。
官庁の権益確保の争いは激しいと聞くから、遥か将来を見据えれば少しでも関連するような官庁はジェットコースターの管轄を早めに囲い込んでいたほうがいいかもしれない。
久しく遊園地も行っていないけど、コーヒーカップのようなのんびりしたものでも気持ち悪くなっちゃうのはタイムマシンと同じ時間管理局になるからなのかなあ。

画像はアニメ版「時をかける少女」。
下らないことに貴重なタイムリープを使ってしまう、それが青春。
出発点と終着点が同じジェットコースターようなタイムリープ。
遊園地は子供の、恋人たちの、それを取り巻く人々の夢のタイムリープな空間なのだ。
そして、夢もまた出発点と終着点が同じなのだろうか。

テーマ:建築 - ジャンル:学問・文化・芸術