理系・文系を重ねて見る光景は
つくし
ここ岐阜でも桜の開花宣言はあったし、卒業式や入学式など季節感あふれるのは、変化が目に見えて気持ちも切り替わったり、とりわけ春はわくわく心躍る季節ですね。
いつものように母からつくしがあるからとの連絡ももらった。
なぜか僕はつくし好きということになっていて(まあ、たしかに好きではあるのだが、あまり広言はできない!?)、今でも実家の母がこの季節になると、近場で摘んだつくしを袴もきれいに取って用意してくれるのだ。
僕が子供の頃、つくし取りが大好きだった事を覚えているのだ。ただ、つくしの袴取りがなあ。
広げた新聞紙に摘んできたつくしをどさりと置き、袴を取り始めるのだが、のびやかで袴も少なく取りやすいのもあれば、ちんまりとして袴がびっしりついたのもあって、僕たち子供は取りやすいのばかりを選ぶから、母は何も言わずびっしりと突いた袴を取っていた。指と爪の間は真っ黒にもなるしね。
種無しスイカも種無しブドウもいらないけど、袴なしつくしは熱望したな。
そんな袴も取ってくれるのだから、申し訳ないというかありがたいというか。

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しかし、もうつくしくらいではないか。明確に季節感のある野菜(野草ですかね)といえば。
かつては図表のように野菜、果実、魚介類は季節ごとの出回期というものが明確にあって、食卓でも明確に季節が感じられた。
今やいつでもように、さらには日本産以外の知らなかったようなものも山ほど出ていて、1年中変わらないような食生活となってしまった。昨日行ったスーパーにはなんとスイカもおいてあった。
いいんだか悪いんだか。
歳時記も今や言葉だけになりつつあり、季節感のある行事もクリスマス、お正月、ひなまつりなどあるけど、バレンタインデーや節分などはチョコレート、恵方巻きなどビジネス絡みの印象も強くなった。
さて、今日はつくしの卵とじ。春だなあ。
画像の図表は1952年児童年鑑より。
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訃報 渡瀬恒彦 聞こえてくるのは「セーラー服と機関銃」
俳優の渡瀬恒彦さんが14日、多臓器不全のため東京都内の病院で死去。渡瀬さんは4月から放送が始まるテレビ朝日の主演ドラマ「警視庁捜査一課9係」に出演を予定していた。(スポニチアネックス)

やはり、テレ朝「おみやさん」ほか、「十津川警部」などテレビドラマの主演も多く、映画スターの印象が強い兄渡哲也とちがった魅力を持つ人だった。
僕にとってはやはり映画の人で、忘れられないのは薬師丸ひろ子主演の「セーラー服と機関銃」。
なんと薬師丸ひろ子の初キスは「セーラー服と機関銃」での渡瀬恒彦なんですよね。

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まあ、恋愛によるものではなく、事件も解決し堅気となったはずの元目高組の渡瀬恒彦の思いもかけぬ遺体への惜別のキスなのだが、切なかったなあ。
「生まれて初めての口づけを中年のオジンにあげてしまいました。ワタクシ愚かな女になりそうです。マル」

今なら分かる愚かなる大人、男たちへの愛情あふれる少女からの惜別のキス。
そして、少女も大人となっていくのだ。
「セーラー服と機関銃」は今やアイドルの登竜門的作品で、今を時めくアイドル、若手女優が続々と挑戦するけど、やはり、薬師丸ひろ子版(相米慎二監督)は別格の名作だ。
遺作ともなったテレ朝のニ夜連続ドラマスペシャル「そして誰もいなくなった」もよかったけれど、やはり渡瀬恒彦さんのエンディングには「セーラー服と機関銃(夢の途中)」が僕の耳には流れてくるのです。

テーマ:俳優・男優 - ジャンル:映画

本格派の鬼 実は人生派 土屋隆夫
古い本や雑誌を整理して、ふと気に留めて読み始めてしまうときりがない。
だからよほど見ないようにしているのだけど、雑誌の記事などは書籍化されていないものも多いだろうから、手放せばおそらく二度と読めなくなるので、つい、手を止めて読んでしまうなあ。
こちらはミステリー雑誌「ルパン」の土屋隆夫のファンによるインタビュー記事。
土屋隆夫氏は知る人ぞ知るマニアックなミステリー作家で、改めて読んでみるとやっぱり博学だ。
特に演劇関係の知識がすごくて、岸田國士、真山青果、真船豊、三好十郎のものは全部読んでいるという。
僕なんかは岸田國士しかわからず、その岸田國士も名前を知るだけで読んだことはない。
どうも演劇作家希望だったらしく、歌舞伎も好きで近松もずいぶん読んだとありますね。
なんでも役には立つもので、中学の教師だった頃は先生の数が足らず、英語、国語はまあなんとか、全くの門外の音楽、歴史なども教えた。音楽は浪曲・詩吟、歴史は講談という具合に。
「大阪城落城」は得意中の得意で、そりゃあ、「果たして千姫の運命はいかに」と盛り上げて、いいところで時間となりましたなどとやられては楽しかったに違いない。

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奇怪な事件を描く本格ミステリー作家は意外なほど楽しい人だった。
インタビュアーは素人のファンなので、ずいぶんなことも聞いていて、文壇付き合いはまったくないとか、そんなに寡作で食べていけるのですかとまで聞いている。そんな質問にも土屋さんはニコニコとご心配下さらなくてもと答え、偏屈で孤高の本格派との思い込みをきれいに払拭する鷹揚さです。
土屋隆夫氏は本格派と呼ばれるようにいわゆる社会派とは一線を画しているのだけど、たとえば社会派の雄、松本清張について犯罪の動機が官庁腐敗、汚職であったとしても、究極のところどんな犯罪でも女房のためであったり、わが子やわが身のためであり、その原因をたどれば個人の欲望や保身のためだと言います。
だから自分はいつでも家族のため、わが子の復讐のためとか、卑近なものを犯罪の動機としてしか考えることができないと。
そして、自分は本格派ではなく、人生派だと。
東電や東芝もこうした視点から描くことも大切かもしれない。
土屋隆夫氏の紹介になってしまった。みんなも読んでくださいね。

テーマ:文学・小説 - ジャンル:小説・文学

他人ごとではない既婚警官の保身、東芝の保身…
福岡県警小倉北警察署の40代の男性巡査部長が去年、既婚者でありながら妻とは別の女性と結婚披露宴を開こうとしていたことが分かった。巡査部長が既婚者と発覚したのは、会場で披露宴が始まる直前だった。
披露宴にはそれぞれ親族など数十人が参列することになっていた。しかし当日、巡査部長側の親族は1人も現れなかった。披露宴が始まる直前に巡査部長を問い詰めたところ、巡査部長は自分が既婚者であることを認めた。既婚者でありながら、いったいなぜ披露宴寸前までいったのか。巡査部長は県警の調査に対し「ずるずるとこうなってしまった…」と話しているという。(日テレニュース)

全く誰もが信じられないと思うようなことがあるのだ。
恥をかくようなことがあっても、あるいは修羅場になることがあってもプライベートで済んだはずなのに、なぜ人生を台無ししてしまうような時まで来てしまったのか。
そして、それはあの日本の誇りのような企業東芝であっても。
何度も何度も修正、回避の機会があってもことごとくその場の保身に終始し、どうしようもなくなろうという時さえ、なお、隙あらば保身に走ろうとする。

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あるいは福島原発事故で追い詰められているはずの東京電力がなお柏崎刈羽原発の免震重要棟の耐震性不足を把握しながら原子力規制委員会に報告していなかった問題などを見ると、まんざら他人ごとではなく、人間、社会の本質に巣食うものなのだろう。東芝も東電も目先の原発という夢に、妄執に足元をすくわれてしまった。
東日本大震災、福島原発の悲惨な事故を見ながら、当事者でもありながらなお切り替えることができなかった。
その卑近な例が既婚者でありながら別の女性と披露宴まで行ってしまった巡査部長!?だと思うと他人ごとと笑うことはできない。
個人でも企業でも、あるいは国家でも、どちらかと言えば誇り高い者ほど、その誇り高さのゆえ退くことが難しくなる。
よく考えればいつも危うい時は慎重に、いざというときは退く潔さを持ち続けたからこそ、自ずと積み上げられた伝統であり誇りであるはずなのに。
東芝では「悪い原発を残して、良い半導体を売る。これが果たして正しい経営なのか」という正論も出たけど、追い詰められた中ではそんな声も届かない。
「再稼働のルールも守らずに、再稼働を急ぐ。これが果たして正しい経営なのか」
「年金の破たんも見えているのに、その場しのぎの対応に終始する。これが果たして正しい国家のあり方なのか」
ルイ15世の愛人ポンパドゥール夫人は「私たちのあとは大洪水」と言ったけど、ちゃんと自覚はあった。
あまり貴族的な滅びの美学のようであっても困るけど。
画像は映画「卒業」。あれもあとは「野となれ山となれ」みたいな感じだけど、不安はあってもまあ、未来ある青春だからね。
たとえ後悔するようなことがあってもやってみる価値はある!?

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格納容器内部の自走式サソリ型ロボットの困難
東京電力は2月16日、福島第1原発2号機の原子炉格納容器内を調査するために投入した自走式のサソリ型ロボットが、目標としていた原子炉直下の作業用足場に到達できなかったと明らかにした。(毎日新聞)

格納容器内部の調査はやはり困難を極めるのだな。
内部の様子がまず把握することが、溶け落ちた核燃料の回収のための第一歩ですからね。
しかし、いかに困難で、これからも長い長い試行錯誤が続くというのに、東京電力は柏崎刈羽原発(新潟県)の免震重要棟の耐震性不足を把握しながら原子力規制委員会に報告していなかったり、大丈夫なのだろうか。
自走式のサソリ型ロボットの開発元もたしか東芝だけど、東芝も原発にどっぷり浸かって解体の危機に瀕してしまった。
基礎、初心をおろそかにするとロクなことにならないという福島原発事故の教訓だというのに、廃炉の目途も今だ立たず、原子力規制委員会のルールもおろそかにして、ひたすら再稼働を急ぐのはどうかしている。
僕は必ずしも再稼働そのものには反対ではないけれど、こんな体質ではさっさとやめたほうがいいのかもしれない。
地震・火山、津波などの屈指の自然災害大国には本来原発は向かないし、放射性廃棄物を安全に捨てる場所もない。
というならばと、海外を夢見た東芝も気が付けば見果てぬ夢でボロボロ。

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政府も国内は難しいとみて、日印原子力協定を締結するなど原発の輸出を急ぐけど、財政難による事業中止のリスクや事故が起きた際の責任をメーカーにも求められる賠償制度も詰めず、急ぐのはリスクが大きいでしょう。
あとあとコントロールが難しくなるような兵站?は広げるべきではないと思うなあ。
ひとたび重大事故が起きれば、メーカーでも、あるいは一国家レベルでも対応は難しいというのが福島原発の教訓だった。
電力事情も原発という火中の栗を拾うような選択肢のみに追い込まれているわけではないし、再生エネルギーなどむしろ日本の自然に見合ったものこそに恵まれている。
急ぎ安全確実に拾うべき火中の栗はまさに福島原発の原子炉格納容器内に溶け落ちた核燃料 (デブリ)なのだ。
自ら落としてしまった栗なのだから。
東電、東芝には廃炉への自走式ロボット、2重3重の安全対策、放射性廃棄物の安全、確実な廃棄、あるいはもっと多様な再生エネルギーの開発など、日本ならではの「凄ワザ」を見せてほしいものです。