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理系・文系を重ねて見る光景は
トクサツガガガ、少女マンガガガガ
僕はオタクといってもどちらかといえば映画やSF、あるいはアイドル系だったりするけど、マンガやアニメも相当なもので、なかでも特に秘したのが少女マンガ。1970年ごろから少女マンガ誌を買っていた。少女フレンドやマーガレットですね。
そのころ、少女マンガを姉や妹もいないのに読む奴なんてまずおらず、こそこそと街の小さな本屋に買いに行っていた。
今、NHKで「トクサツガガガ」というのをやっていて、隠れオタの孤独、悩み、切なさ、おかしみを楽しく見事に描いているけど、あの苦労をそんなころやっていたのだ。でも、もう北代さんじゃないけど、大公開だ。

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このころ、集中的に買っていた少女マンガ誌。

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不定期で「りぼん」なども買っていた。圧倒的買ったのは少女マンガに限らず、コミックス。

男でも読まれるようになったのは、あるいは少し語れるようになったのは1970年代でもいわゆる24年組といわれる新しい感覚を持ちこんだ萩尾望都、竹宮惠子、大島弓子、木原敏江、山岸凉子などからで(もっと一般的にはセーラ-ムーン以降かもしれない)、それらももちろん熱心には読んだのだけど、いわゆる従来の少女マンガも決して嫌いではなかった。
従来の少女マンガといっても、例えば、藤原栄子の「ただいまの記録2分20秒5」は水泳のスポ根もので、ありがちなライバルや難病の子が登場したりもするけれど、当時として見事だったのは妙な不可能技に頼らなかったこと。あの頃は少年マンガ、少女マンガに限らず、「黒い秘密兵器」「柔道一直線」「巨人の星」にしろ、「サインはV」「金メダルのターン」「スマッシュを決めろ」にしろ、魔球や不可能技のオンパレードでしたからね。
やはり、不可能技に頼らず、少女の成長の物語とした「エースをねらえ!」の先駆けともいうべきかもしれない。
あるいは大和和紀「真由子の日記」。絵はもちろん、けっこう大胆なカット割りや背景、線、モノローグの使い方などが好きで、男の子は変身や超能力、必殺技に夢中なのに、女の子はこんなにも大人なのかと思ったりもした。
映画「卒業」の「ミセス・ロビンソン」の曲なんかを効果的に使うのですからね。

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大和和紀「真由子の日記」より。

しかし、「トクサツガガガ」無茶苦茶楽しいなあ。
映画もアイドルもアニメもドラマも特撮も少女マンガもみんな大好きなのだった。
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テーマ:漫画 - ジャンル:アニメ・コミック

ミシェル・ルグランの風のささやき
【AFP=時事】(更新、写真追加)フランスの作曲家、ミシェル・ルグラン氏が死去した。86歳だった。広報担当者が26日に明らかにした。多作で知られる同氏は、50年以上にわたるキャリアで米アカデミー賞に3度輝いた。同賞の初受賞は、1969年の映画『華麗なる賭け』のテーマ曲「風のささやき)」だった。その後1972年には、『おもいでの夏』で、1984年には『愛のイエントル』でも受賞。またグラミー賞は5回受賞した。代表作は、ジャック・ドゥミ監督による1964年の『シェルブールの雨傘』と1967年の『ロシュフォールの恋人たち』で使用された楽曲で、アカデミー賞にノミネートされた。

思えば、あの頃がサントラの華やかりしころだったかな。ヘンリー・マンシーニ、フランシス・レイ、エンニオ・モリコーネ、ニーノ・ロータ、ジョン・ウィリアムス…。映画音楽が一大ジャンルだったころ。

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「サウンド・オブ・ミュージック」「ウエストサイド物語」「マイ・フェア・レディ」「シェルブールの雨傘」「ジーザス・クライスト・スーパースター」などのミュージカル映画、ディズニーアニメの主題歌、ビートルズやローリングストーンズ、ピンクフロイドなどのドキュメント映画、「大脱走のマーチ」「ハタリの子象の行進」、マカロニウエスタンなど名曲がいっぱいで、「ファンタジア」「201年宇宙の旅」などはクラシックにも親しむし、映画を見るだけでなく余裕があればサントラも買ったものでした。
まあ、買わなくても映画音楽特集などはFMでもよくやっていたから、むしろ曲だけは知っているというのもあるくらい。
「エデンの東」「風と共に去りぬ」「ひまわり」「太陽がいっぱい」「世界残酷物語」「卒業」「小さな恋のメロディ」などは誰もが知るところでしょう。
僕は「ドクトル・ジバコ ララのテーマ」、「冒険者たち レティシアのテーマ」…、ミシェル・ルグランなら「華麗なる賭け 風のささやき」などが好きかな。

画像は「華麗なる賭け」のプレスシート。
地元だった各務原ではよくグライダーを見かけたけど、思わず「風のささやき」をつぶやいてしまうのだった。

テーマ:映画音楽 - ジャンル:映画

女子アマ王位戦は若手の群雄割拠
将棋の「第11回女子アマ王位戦全国大会」(日本女子プロ将棋協会主催、本紙後援)が16日、中日新聞東京本社で開かれ、初出場の中部大春日丘高1年、磯谷祐維(いそやゆい)さん(15)=岐阜県各務原市=が初優勝した。

おお、わが地元の子ではないか。
女子アマ王位戦は若手の群雄割拠の時代らしく、昨年、男女混合の中学生将棋名人戦で女子として初めて優勝し、女流アマ名人戦なども制した実力者で優勝候補と目された野原未蘭さん(富山県15歳)がいきなりの初戦敗退、勝利したのが磯谷祐維さんだった。実は彼女も昨年七月まで、日本将棋連盟のプロ養成機関「奨励会」に在籍していたという逸材。
決勝も同大会で2度の優勝経験があるアマ強豪、小野ゆかりさん(26)との対決を制し優勝した。
磯谷さんは里見香奈女流4冠を尊敬しているらしく、里見香奈女流4冠のように新しい時代を開くようなチャレンジを続けてほしいものです。

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女流棋士の高橋和によれば、女の子は勝ちたいという気持ちが前面に出ている子と勝ち負けではなく、なんとなく差している子の二つのタイプに分かれるらしいのだが、幼少の頃出合った里見香奈は後者のタイプだったという。
彼女にどうしたら強くなれるかと問われ、「毎日、詰め将棋を解くこと」と答えた。
彼女は毎日、詰め将棋を解いたのだった。藤井聡太七段も詰め将棋の天才でしたね。
「私は常々、棋士とは勝負の世界に生きる限りその頂点を目指し、達成したもののみが存在価値を与えられると考え、自らの生き方を否定してきた。しかしいまではこう思う。人はそれぞれに役割があり、たとえ頂点に立たなくても何かしら人に影響を与え、未来に続く架け橋になることは立派な存在価値であると」(高橋和女流棋士)
天才を前にして思う孤独。天才であればまたいかほどなのか。
そして、囲碁にも10歳の史上最年少の囲碁のプロ棋士となる仲邑菫さんが登場した。
みなよきライバル、架け橋になる人にも恵まれてほしいものですが、もちろん頂点に立たずとも架け橋であっても、挫折することがあっても人はそれぞれに輝くのだと。

画像は「ヒカルの碁」から。

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

綾瀬はるかの「ICHI」
映画からはずいぶんアナーキーな世界を教えてもらったけど、「座頭市」などもそうですね。
座頭なんてふつう知らないですからね。検校なんてのもそうだ。
「はなれ瞽女おりん」という映画もあって、題名だけは知っていてずっと気になっていたのだけど、綾瀬はるかの「I CHI」を見てようやくわかった。

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「I CHI」というのは、まあ、「座頭市」の女性版であるけど、瞽女というのは盲目の芸能者で、そういう境遇もあって座という組織もあるのだが、掟は厳しく、不義を働くとその集団からも追い出されてしまい、はなれ瞽女と呼ばれるらしいのだ。
「ICHI」では不義ではなく、暴漢に襲われてしまうのだが、それでもはなれ瞽女となって、一人厳しい道を歩まねばならず、座頭の女剣客「ICHI」となる所以。盲目であって、その集団からも追われ、それでも生きていく宿命。

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映画はファンタジーの異世界だけではなく、「はなれ瞽女おりん」、「瀬降り物語」「マタギ」「遠野物語」「火まつり」など、現実世界の異世界も教えてくれる、怖ろしくも美しい孤高で多様な価値感も知る格好の素材です。
綾瀬はるかの殺陣はかっこよく、のちの「精霊の守り人」バルサ役もむべなるかな。
「僕の彼女はサイボーグ」の頃からアクションはやっているからなあ。

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

東海地方の書店の誇り
作家伊坂幸太郎さんの文庫本の表紙デザインコンテストを書店や関連業者が企画し、作品を募集している。最優秀作品は、表紙カバーとして採用され、書店に並ぶ。応募資格と販売先を愛知、岐阜、三重、静岡の四県に限り、地元作家を発掘しようという東海地方のご当地企画だ。近年、既刊本の装丁デザインを一新して再び売れ行きが伸びる例が増えており、読者層が幅広い伊坂さんの著作で新たなファンの開拓も狙う。連作短編集「終末のフール」など四作で募集、版元出版社の編集者らが審査する。最優秀作品は表紙カバーになり、三月下旬ごろから四県のTSUTAYAを中心とした書店に並ぶ。(中日新聞1月16日)

東海地方にはほかにも「日本ど真ん中書店大賞」なる東海三県の書店員・図書館員が、東海三県の今の読者へ本当に届けたい本を選び、東海三県の書店店頭を盛り上げ、出版文化の活性化に貢献する事を目的とした独自の賞もあるから書店文化には熱心なのだろう。ちなみに「日本ど真ん中書店大賞2018」の小説部門第1位は『未来』(湊かなえ著/双葉社刊)
まあ、なぜ地元作家でもない伊坂幸太郎なのかよくわからないけど、伊坂幸太郎は以前「小説を書き続けていたい。それを可能にする程度の売れ方はして欲しいとは思っています。映画や音楽に比べると本は一人ひとりが個人的に楽しむもので、皆でワーッと盛り上がるものではない」(新文化 インタビュー)と言っていたから、こうした地道な活動には協力的なのだろうなあ。
もっとも僕の地元岐阜は「下町ロケット」の池井戸潤、奥田英朗(空中ブランコ)をはじめ、冲方丁(天地明察)、堀江敏幸(熊の敷石)、米澤穂信(満願)、朝井リョウ(桐島、部活やめるってよ)、中山七里(さよならドビュッシー)、北川悦吏子(半分、青い。)小川一水(天冥の標)などエンタテイメントからSF、ミステリー、そして純文学まで多士済々で、この手の企画には当分、困らないかもしれない。

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画像は自由書房のブックカバー。

かつての街の書店には品揃えや店主などにも個性があって、愛想のない無頼のような書店などにも文化を担うという誇りが隠されていた。ブックカバーのこだわりなどもそうで、岐阜の自由書房のブックカバーは安野光雅作品だった。
書皮友好協会というのがあって、自由書房は第10回書皮大賞受賞を受賞している。
今はそんなオリジナルカバーを誇りをもって用意しているところも少なくなっているのだろうなあ。
少しでも書店文化復活と繋がればいいなと思っていたら、先日はアマゾンジャパンが従来の書籍の再販制度を打ち破る「買い切り」と呼ばれる手法で書籍や雑誌の仕入れに乗り出すというニュースがあり、一定期間は出版社が決めた価格で販売し、売れ残った場合は出版社と協議して値下げも検討するという。
無駄や収益を圧迫する高い返品率の引き下げにはなるけど、今でも苦しい中小書店への影響は避けられず、ひいては多様な文化の衰退にもつながるような。文化は効率の中だけでは生まれたり、育ったりはあまりしないからなあ。

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「面白半分」という雑誌が日本腰巻文学大賞というのもやっていたけど、こういう無駄なようなこと生まれる時代はよかったのかも。