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理系・文系を重ねて見る光景は
夕凪の街 桜の国2018
NHK広島開局90年ドラマ「夕凪の街 桜の国2018」がNHKで8月6日原爆の日に放送された。
原作はこうの史代の漫画「夕凪の街 桜の国」で、「漫画アクション」に掲載され、2004年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、2005年の手塚治虫文化賞新生賞も受賞した名作で、映画化や舞台化もされたけど、テレビドラマ化は始めて。
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やはり、こうの史代原作の「この世界の片隅に」と同様に、ささやかな日常を描くものだけど、こちらの作品ではヒロインの少女が被爆者で、なおのこと胸に詰まるようなリアリティ、まだ傷の癒えない辛さが今なお残るもので、多くの人に目に触れるテレビドラマ化は控えられたのかもしれない。
なにしろ被爆後10年後、ようやく穏やかな日常が戻り、死の恐怖から脱し、幸せをつかもうというときに容赦なく訪れる死。
その恐怖は受け継がれ、何年たっても後遺症の不安は消えないのだ。
また穏やかな日常に帰ったようでも原爆の光景は悪夢となり、生き残ったゆえの痛みもまた癒えることはない。
同じ広島の地でも10年たっても被爆者だったことを容易には明かせないって、やはり当事者でないとわからない思いがあるのだ。
妙に真正面から描く戦争映画、反戦映画よりも「夕凪の街 桜の国2018」、「この世界の片隅に」、あるいは「火垂るの墓」などささやかな日常を丁寧に描いたもののほうが身近なリアリティとなり、胸に迫るものがありますね。
こういう作品を海外の人も含めて多くの人に見てもらうことが、緩やかであっても核廃絶への希望につながるのだろうなあって。
それにしてもこの「夕凪の街 桜の国2018」、川栄李奈が事実上の主演なのだが、はかなく透明感があってよかった。
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テーマ:テレビドラマ - ジャンル:テレビ・ラジオ

マリリン・モンロー「only two days」
ずいぶん前だけど、日テレの朝の情報バラエティ「スッキリ」でバスタオルの話題があった。
まあ、入浴後のバスタオルの使用についてだけど、夫人と一緒に入るとか、それによって意外な私生活がわかって、面白かった。
さらに一緒に入ったあと、それぞれのバスタオルを使うのか、共有しているのかというのもあって、コメンテーターの大学教授はどうやら夫人と共有しているのだった。
そんなびしょびしょのバスタオルを使うんですかという声もあったけど、洗い用のタオルをきちんと絞り、体を拭いてから上がればそんなこともないけど、まあ、それぞれだからなあ。
家庭環境でまったく違うのだ。
僕の子供の頃はバスタオルさえ、用意されてなかった気がするなあ。
まあ、いずれにしてもトイレでのお尻の拭き方から、個人個人の、あるいは家庭ごとの「ふつう」は意外に密室化されていて、うっかり話すとビックリされてしまうことがあります。
北杜夫の「怪盗ジバコ」の文庫本の解説を書いていたのが、たしか遠藤周作で、マリリン・モンローの話があった。
怪盗はマリリン・モンローのパンツを盗むと宣言するのだ。
しかも今穿いているパンツを盗むという。
そこで来日時の記者会見で記者が問う。
パンツはいつ着替えられますか?
モンロー「only two days」。
チャンスはわずか2日間のみ。はたして怪盗は?

なによりも思ったのはハリウッドの大スターも2日間も穿くのか…だった。
いい加減な記憶で書いているし、どの道、狐狸庵先生のジョークですからね。
まったく当てにならないのだけど。

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画像は栗本慎一郎「パンツをはいたサル」(未読です)だけど、何よりも人類は「パンツ」を穿いたことで、秘部という概念が生まれ、羞恥と欲望がフラットな精神に陰影を与え、急激な進化と豊饒な文化をもたらしたのではないか…なんてことはないか。

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こちらは映画「パンツの穴 花柄畠でインプット」、これは見てないけど、菊池桃子版は見たなあ。
まあ、映画「転校生」でも男の子と入れ替わってしまった女の子はパンツは二日目と言っていて、あの時代ならそんなものかな?
さらには前後ろで履き替え、さらにひっくり返して前後ろにして、各二日ずつと合計8日間パンツは穿き続けられるというという強者伝説も当時聞いたけど、ほんとうだったろうか。
パンツの話でもう一つ思い出した。フランスでは古びた褐色をイサベル色というらしいのだが、これはスペインの女王イサベルがグラナダがなかなか陥ちぬので陥ちるまで下着を変えなかった逸話から。陥落まで3年。女王の純白の下着は褐色となっていた。
これこそ強者。たかがパンツ、されどパンツなのである。
勝海舟「これでオシマイ」
やっぱり幕末物は面白くて「西郷どん」も見てしまうなあ。
しかし、幕末ともなれば非業の死も続きます。その思いたるやいかに。
さて、坂本龍馬、勝海舟、桂小五郎、岩倉具視なども続々と登場してきましたが、僕は民放でもやっていた子母沢寛の「父子鷹」「おとこ鷹」なども見ていたから勝海舟が好きだった。
こちらは若き日の勝麟太郎(のちの勝海舟)と、その父で破天荒な無頼漢として知られた勝小吉の父子を描く物語で、親子そろって魅力的な傑物なのだった。
やはり、ぼくの好きな作家山田風太郎は忍法帖のあと明治モノを描くのだけど、幕末から明治にかけてはほんとうに面白い時代で、名もなき者も含めて描きたい人物がいっぱいいたのだろうなあ。

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山田風太郎は当時あった大衆小説誌「問題小説」に「人間臨終図鑑」というなかなかに奇書ともいうべき連載をし、のちにハードカバー美装箱入りの上下巻で発売された。
もちろん買ったのだが読み通してみると、まさに古今東西の偉人から市井の人まで、15歳から121歳までの最期のときが描かれている。
若く死す人もあれば100を超えての大往生もあるけれど、いずれにしても誰にも死は訪れる。
よって、風太郎先生「性の快楽と死 の苦痛はみな平等である。しからば、なぜそれ以上の平等を求める必要があるのだろうか」と達観するのだが、なかなか…ねえ。
さて、その最後の言葉、みなほんとうに興味深いのだけど、山田風太郎が臨終の言葉の最高傑作と挙げたのが「勝海舟」だった。
西郷どんや龍馬の劇的な最期はよく知られるところだけど、明治まで生きた海舟のその最後の言葉は「これでオシマイ」。
最期まで人を食ったような傑物だったのだ。
篤姫もまたそれは見事な人生を終えています。
「ウルフガイ 燃えろ狼男」に歌ってあげたい「It's Only A Paper Moon」
引っ越してポスターを整理していると、まあ、いろいろ出てきます。
こちらは千葉真一主演の「ウルフガイ 燃えろ狼男」。こんな映画もあったんだなあ。
SF作家平井和正のウルフガイシリーズにはアダルトシリーズと少年ウルフガイのふたつがあって、千葉真一「燃えろ!狼男」はもちろんアダルト版、成人映画という意味ではないですよ。
少年ウルフガイシリーズも映画化されていて、こちらは志垣太郎・松田優作等の出演で「狼の紋章」です。
「燃えろ!狼男」は未見だけどこちらは見ました。
少年版というのに暴力的でなかなかに陰惨な話なのだ。
この頃だと水谷豊の「ヴァンパイヤ」というのも思い出されます。

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まあ、少年だからこそ一方で心の闇が純粋で深くなるなるのかもしれませんけど。
アダルトウルフガイはハードボイルドで皮肉屋だけど、性格は明るいからなあ。
ま、それもだんだん幻魔大戦の世界に入ってしまい、心に満月を思い浮かべることでも変身できるようになってしまうとは。
名作「ペーパームーン」の少女アディが遊園地の紙の月をほんものの月と思うのと、片山アダルトウルフガイが満月の夜でなくても心に月を思い浮かべて変身してしまうのとは…、どうなんでしょうね。

「ペーパー・ムーン」は詐欺師の男と血の繋がらない(たぶん)少女との絆を描いたロードムービー。
親娘を演じながら詐欺の道中を重ねるうちに、ほんとうの親娘のような絆が深まっていくのだけど…。
二人の名コンビ・珍道中ぶりが楽しい。

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「ただの紙の月さ。でもいいじゃないか。信じれば本当の月と変らないんだよ」
ほんものの月に越したことはないけど、人間は信じるということが出来るのだ。
かくして二人は親娘のように、またふたたび旅を続けるのであった。
「It's Only A Paper Moon」と口ずさめば、心が暖かくなるのだった。

テーマ:映画 - ジャンル:映画

「この世界の片隅に」ある語られなかった少女の日常
TBSドラマ「この世界の片隅に」が話題です。
連ドラで戦時中を描くなんて朝ドラ以外なかなか見ないことですからね。ましてや夏。
またヒロインがあまりにのほほんとして、彼女の周りにしか目がいかなくて戦争の暗さがあまり出てこないのも珍しい。
こういう視点で描かれたものはあまりなかったような気がする。
女性にとってあまり明るい時代とは言えない明治から昭和にかけての「女学生」とはなんだったかを問う「女学校と女学生」(稲垣恭子著)は、旧制高等女学校における女学生文化、(文学少女・堕落女学生・ミッション女学生)というイメージで語られてきた言説を検討するもので文学・少女雑誌・映画・演劇・音楽・社交などの典型的な女学生文化は、少女趣味・センチメンタルと批判されながらも、一方でそれは社会の現実を相対化させ人生の意味を考えさせるものだったという。

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また作家津島祐子も「戦争前後、少女文化のより暗黒な時代さえ、皇国に燃え、あるいはブルジョアを軽蔑し、無産階級に身を投じる夢を見ながらも、軽やかな洋装・自由恋愛など少女文化は女性のなかにつかず離れずあった」と言っていて、知的でハイブロウな少女たちの言葉や歴史、ドラマはそれなりに語られ描かれてきた。
でもふつうに生きた少女たちの言葉やドラマはあまり語られもせず、描かれてもこなかったのかもしれない。
戦争が始まっても「あら、そうなの」、生活が苦しくなってもただ生きて日常の片隅に幸せを見つけるような少女もたくさんいたのかもしれないのに。
そういうものはなかなか物語にならないからなあ。「この世界の片隅に」はまさにそういうドラマなのだ。
僕は団塊の世代の少し後だけど、団塊から僕らの世代にかけても「ビートルズ世代」とカッコつけながら、実は「橋幸夫」なども聞いていたはずなのだが、「ビートルズ」は熱く語っても「橋幸夫」はあまり語らないものなあ。

テーマ:ドラマ感想 - ジャンル:テレビ・ラジオ